ゼファニヤ書講解

1.ゼファニヤ書1:1 「預言者ゼファニヤ及びゼファニヤ書について」

この学びの最初ということもあり、預言者ゼファニヤとゼファニヤ書について、主として「フランシスコ会約聖書『ゼファニヤ書解説』」を基づきながら、以下に説明する。

① 預言者ゼファニヤ

ゼファニヤ(「ヤーウェは隠した」又は「ヤーウエは守った」の意)が本書の著者であることを記すのは本書1章1節のみで、同じ名は旧約聖書に8,9箇所見ることができるが、それらの人物が同一人物であることを確証させるものはない。預言者はエルサレムの地理に詳しいことからエルサレムの住民であったと考えられる。彼は国の指導者と宗教界に関心を示している(1:4-9)ことから、預言者たちの近くにあって、彼らとの交わりをもったレビ人でないエルサレムの祭祀ではないかと推測できる。ゼファニヤの曽祖父はヒズキヤ(1:1)が、「ヒゼキヤ王」であるかどうかについて議論が分かれている。彼の王室への関心の高さと王室への非難の大胆さを考えるとその可能性は高い。彼は「ヨシヤ王の時代」(前640~609年)に活躍したとすれば、エレミヤより年長のほぼ同時代に活躍した預言者であったと言える。系図の中のクシを除くすべての名は、ヤーウェの名を含んでいる。クシは、ふつう、エチオピアを指す、ゼファニヤの父がエチオピア人であったかどうかは議論がある。ヒゼキヤの時代アッシリアの支配下にあったが、エジプトとも同盟(列王下19:9、イザヤ30:1―5,31:1―3,37:9参照)を結んでいる。この同盟交渉は前705~701年頃まで続き、この間に、多くのエチオピア人がユダに入ってきているし、ユダの王室と関係しているので、彼がエチオピア人の父を持つ可能性も否定できない。

②時代背景

ゼファニヤの時代は、アッシリアがメソポタミアに強大な勢力を誇った時代であった。シャルマナセル5世(前726-705年)、サルゴン2世(サマリアを征服、前721-705年)、センナケリブ(ユダの町を略奪し、多くに貢物をとった。前704-681年)の時代は、おおむねヒゼキヤの時代で、アッシリアの隷属下にあった。アッシリアは、エサル・ハドン(前680-669年)とその子アッシュール・バーン・アプリ(前668-621年)の時代に最盛期を向かえるが、前614年にメディアのキュアクサレスとバビロニアのナボポラッサルによるアッシュルの滅亡から端を発し、612年にはアッシリアの首都ニネベも落ち、(2:13、ナホム2:8,3:1-7)、新バビロニアの支配する時代となる。

ゼファニヤはこのような時代に活躍した。外的には、アッシリアが強大で、ユダがその支配下にあり、莫大な貢物に苦しんだ時代であった。内的には、異教の影響が主の民の上を覆った時代で、異教の宗教混交に関してはマナセ王(前689-642年)、アモン王(前642-640年)の時代がある(1:4-5・8-9、列王下21:2-7・19―24)。

表題の「ヨシヤの時代」(前640~609年)に活躍したことについては、今日、多くの学者が受け入れている。本書の内容もヨシヤの宗教改革(前621年)と合致する。しかし、本章はヨシヤの申命記的改革については述べていない。アッシリアの滅亡の預言があるが、ニネベはまだ存在しており、世に悪弊が残っている状態のことを考慮すると改革前のヨシヤ王の初期の時代にゼファニヤは活動した預言者と考えるのが妥当である。それゆえ、ゼファニヤはヨシヤの改革への道を準備した人物ととらえることができる(関根正雄)。

③成立年代

最終的に今日のかたちにゼファニヤ書が形成されたのは、捕囚時代の預言断片などの収集熱のある時代を待って成立し、ヘレニズム時代(紀元前4世紀以降)に入ったころまとめられたと考えられる。本書は全般的に見ればゼファニヤの預言と考えられるが、編集者の手による後代の加筆と認められる部分も多い。

④ゼファニヤ書の特色

本書は、民の無気力と不信仰への警告が教えの中心になっている。その不信仰は外国の力に対する政治的な依存と宗教的な「外国かぶれ」に表れ、諸国民に対する威嚇もヨシヤ改革と内的な関連を持っている。

本書の特色は、終末論的な滅びの日を述べる「主の日」と「残りの者」の概念である。ゼファニヤ書は、真の信仰が「貧しい者」や「謙遜な者」そして「残りの者」の中にあると教える(2:3,3:11-13、ミカ6:6‐8参照)。これは信仰の歴史の中で一つの大切な伝統となった。正しいヤーウエ信仰を捨て、外国の勢力に頼ろうとする者には神からの罰としての災害が来ることを教える。異教の神礼拝(1:4-6、イザヤ1:4,9:13、ミカ5:13参照)、外国の風習と偽り(1:8-9、エレミヤ5:27参照)、礼拝の規定違反と偽預言者(3:4、エレミヤ23:11、ミカ3:11参照)等を特に指摘している。この点に関して、ミカ、エレミヤ、イザヤに共通する社会批判を見ることができる。

⑤「残りの者」について

「残りの者」は、旧約聖書の中での大切な神学概念で、信仰と希望の根本をなす概念である。この考えは既にアモスの時代にも見られるが、基本となる思想はそれ以前にもあると考えられ、周辺世界の古代の文献や思想の中にも見られるとの意見も存在する。しかし、旧約聖書の預言書の中では、歴史的な災害からの生き残りの意味(アモス5:15、イザヤ37:4、エレミヤ6:1)と、終末的な意味での生き残りの意味(ミカ5:6-8、ゼファニヤ3:12、イザヤ4:3,10:22,28:5、エレミヤ23:3)とが混じり区別できない複雑な面がある。

「残りの者」の概念には「主の日」、「審判」、「希望」、「選び」、「終末」などの諸概念が神学的に深く関連している。神の審判によって、「主の日」に神の民の全体的な滅びが述べられるが(歴下20:23-24、エレミヤ50:26参照)、一部の正しい者は、ただ神の憐れみによって審判を免れて救われ、残りの者を形成する(エゼキエル9:4-8、ゼカリヤ14:4)という希望の教えである。この概念の中には救われる希望と裁かれる緊張とが同時に含まれている(2:9、イザヤ1:8-9,4:2,10:20、エレミヤ23:3,31:7、ヨエル3:5、ミカ4:7,5:6、オバデヤ17)。

この教えを一番多く説くのはイザヤ。神は民の罪を裁かれるが、その中から少数を選び、イスラエルを再建する(イザヤ10:20-25,17:4-6,37:31-32)。審判の日に神の民は諸外国の中に離散するが(2:9、ミカ5:6)、再び集められて(エレミヤ23:3)、新しいイスラエルの核となる(イザヤ10:21,11:11)。それは神の法に従って生きる聖なる者の集まり(3:13)、繁栄する者の集まりとなる(ゼカリヤ8:12)。この人々は聖なる者とされ(イザヤ4:3,62:12)、清められ(イザヤ4:4、ミカ7:18)、ヤーウエだけに頼る者(イザヤ10:20)となる。また彼らは真にヤーウエの民となり(エレミヤ24:7,32:38-41)、罪を犯さない謙遜で貧しい者となる(3:11-13、イザヤ11:4,14:32)。

ゼファニヤは、残りの者は「謙遜な者」「貧しい者」と教える(2:3)。これはイザヤの教えを発展させたものと考えられる(イザヤ14:30)。ゼファニヤによるとそれは神の業である(3:12-13、創7:23,45:7、アモス5:15)。ゼファニヤはアモスと同じく「主の日」について述べ、またエルサレムの裁きを語る(1:14-18,3:1-8、アモス1:4―5,5:18―20)。しかし、その中心はイスラエルの滅びではなく、ヤーウエの宣告であり、ヤーウエの「残りの者」の終末的な回復である。

捕囚期以降は捕囚から帰還した者の共同体が自らを「残りの者」と呼ぶようになる(ハガイ1:12,2:2、ゼカリヤ8:6、エズラ9:8、ネヘミヤ1:2-3)。それによって神の民をヤーウエの貧しい者と同一視するようになり(詩149:4)、この思想はさらに発展し異邦人も「残りの者」の中に加えられると述べられる(イザヤ66:19、ゼカリヤ9:7)。

パウロも「残りの者」に関する旧約聖書の箇所を引用しながら、彼の救済論を展開している(イザヤ10:22=ローマ9:27、列王上19:18=ローマ11:4・5)。

旧約聖書講解