サムエル記講解

15.サムエル記上14章1-46節『ヨナタンの信仰とサウル王の敬虔』

本章には、ヨナタンの英雄的行動によるペリシテに対する勝利が記されています。ヨナタンがゲバに配置されたペリシテの守備隊を打った行為は、ペリシテの憎しみをかうことになり、ペリシテは集結し圧倒的優位な軍事力を背景にイスラエルを包囲しました。そのため、恐れたイスラエルの多くの民は離反し、サウルのもとに残ったのは僅か600人の兵士でした。それゆえ、ペリシテの遊撃隊がイスラエルに通じる道を容易に支配していました。そういう状況の中で、ワディ・スウエイニトと呼ばれる深い涸れ谷を挟んでミクマスにあるペリシテの陣営とゲバにあるイスラエルの陣営が対峙していました。遊撃隊を送り出していたペリシテ人たちは、自分たちの絶対の優位に自信をもっていました。「サウルはギブアの外れ、ミグロンのざくろの木陰に」いましたが、この状況を静観するしかありませんでした。そこに残った600人の兵士と宗教指導者たちだけの力では、この状況を打開することはできないと考えていたのです。

そういう中で立ちあがったのが、ここでもヨナタンでした。ヨナタンは、従卒に「ペリシテ人の先陣を襲おう」と呼びかけ、サウルに内緒で、たった二人でこの計画を敢行します。ヨナタンと従卒とは、ワディ・スウエイニトにあるボツェツ(「滑りやすいもの」の意)とセンネ(「とげのあるもの」の意)と呼ばれるそそり立つ岩を攀じ登り、ペリシテへの奇襲を試みました。

こんな道なき道を通って奇襲を試みるとは、常識では狂気の沙汰としか思えません。たとえペリシテ人のいる向こう側に辿り着いたとしても、たった二人でその数十倍、数百倍もの敵を打ち破れるとは考えられません。しかし、ヨナタンは、従卒に向かって、「さあ、あの無割礼の者どもの先陣の方へ渡って行こう。主が我々二人のために計らってくださるにちがいない。主が勝利を得られるために、兵の数の多少は問題ではない。」と語ります。主がその戦いをよしとされ、主が共におられるなら、兵の数の大小に関わりなく、主は二人のために取り計らってくださるに違いない、というのがヨナタンの信仰でした。ヨナタンは、この戦いを、主のための戦い、信仰の戦いとして捉えていました。

ヨナタンは、自分たちがなそうとしていることが主の意思であることを示すししるし(10節)を求めました。ペリシテ人が求めたしるしのとおり言ったので、主が彼らをイスラエルの手に渡されたと信じて、たった二人でペリシテ人の先陣に向かって奇襲攻撃をかけました。ペリシテ人はたった二人でそそり立つ壁をよじ登って攻撃しようとしているヘブライ人が岩穴から表れれば、からかってやろうぐらいしか考えず、「登って来い」といったかも知れません。しかし、彼らペリシテ人の思惑を超えたところに主の御心が示されました。

奇襲は完全に成功でありました。よじ登るだけでも大変なところを登り、その疲れた体で、ヨナタンとその従者は、20人の者を討ち取り、このためペリシテの陣営は大混乱に落ち入りました。ヨナタンとその従者の二人で20人ものペリシテ人を打ち負かしたとはいえ、ペリシテ軍の数から見れば、それは決して多い数とはいえません。しかし、これをたった二人で敢行できた背後に、イスラエルの神がおられることをペリシテに知らしめることになりました。それゆえ、ペリシテの陣営は主を恐れ、大混乱に陥ったことを、サムエル記の著者は記します。

この事実は、ギブアにいるサウルのところからも確認できました。サウルはこれを敢行したのが誰であるかを知ろうとして、アヒヤに「神の箱を運んで来るよう」命じたといわれています。神の箱がイスラエルのもとにあったと記されていますが、なぜ神の箱がイスラエルにあったのかについて、説明がありません(7章によれば、「神の箱」はキルヤト・エアリムにとどめられ、そこから「神の箱」がエルサレムに運ばれるのはダビデの時代です。サムエル下6章)。3節ではアヒヤがもっていたのは、「エフォド」であることが告げられています。七十人訳ギリシャ語聖書では、「神の箱」ではなく「エフォド」となっています。このため、七十人訳の読みのほうが正しいと主張する学者もいますが、二つの別の伝承が存在していた可能性がありますので、断定はできません。

神の箱は運ばれたかもしれませんが、それによって神の意向を伺うということはなされませんでした。サウルは、谷の向こう側で動揺しているペリシテ軍の陣営の様子を見て、「もうよい」といって、戦場に出かけてゆきました。千載一遇のチャンスを逃してはならないとサウルは考え行動を優先させたのでしょう。ペリシテ人は同士討ちをはかるなど大混乱に陥りました。この事態を見て、ヘブライ人でペリシテ側についていた者が、イスラエル軍に加わり、エフライムの山地に隠れていたイスラエルの兵士たちも続々と戦いに参加し、ペリシテ軍を襲いました。失われていた結束が回復されました。しかし、23節は、これが主の救いであったことを告げています。この大勝利に導いたのは、ヨナタンの力でもサウルの力でもなく。主の力です。

サウルはこの戦いをどれほど真剣に受け止めていたでしょうか。「神の箱を運んでこさせ」(18節)たり、人々に神に誓いをさせたりしていることを見ても、サウルが神に関わる事柄を真剣に受け止めていたことは明白です。しかし、彼は神の箱を運んで来させておきながら、それによって神意を伺うことを途中で取りやめたり、無理な誓いを兵士たちにさせて苦しめ、戦いの勝利を中途半端なものにするなど、一貫しません。「サウルが、『日の落ちる前、わたしが敵に報復する前に、食べ物を口にする者は呪われよ』と言って、兵に誓わせていたので、だれも食べ物を口にすることができなかった。」(24節)といわれます。この地方一体には森に入りさいすれば、容易に蜜を手に入れ食べることができたのに、兵士たちは誰も食べることができず、戦意を喪失していました。

しかし、この誓いを知らないヨナタンだけが蜜を食べ、それを見た兵士の一人がサウルの命じた誓いについてヨナタンに告げました。これを聞いたヨナタンは父の取らせた行動の愚かさを批判しました。出エジプト記3章8節に、カナンの地のことが「乳と蜜の流れる土地」と紹介されていますが、まさにエフライムの山地は「蜜の流れる土地」であったわけです。この自然を通して表される神の恵みの力によって、疲れをいやされ、さらなる大勝利が可能でした。

サウルはこの愚かな誓いをさせなければさらに大きな勝利をもたらすことができたでしょう。それでもこの時勝ち取ったサウルの勝利はそれなりに大きなものでありました。この勝利により、ペリシテ人は山地からは一掃されたからです。

しかし、サウルの無理な誓いの反動が起こります。日暮れとなると空腹の兵士たちは、祭儀規定などお構いなしに、戦利品の家畜に飛び掛って、「血を含んだまま食べ」(33節、創世記9:4,レビ記17:10-14参照)ました。しかし、彼らの行動はそれほど由々しき事態とはいえません。ヘブル語の正確な文法からは、血と「一緒に」(アル)食べたと言うことではなく、血の「上で」(ベ)食事をとったと言うことに過ぎないからです。いずれにせよこの知らせを聞いたサウルは、直ちにその場所に主の祭壇を築き、神の秩序の回復を図ります。ここでも主に関わることに対する彼の真剣さが示されています。

そして、サウルは民が栄養補給をすませたのを見計らい、さらに夜通しペリシテ軍を追撃しようとしました。人々はサウルの提案に同意しますが、祭司はその前にまず神の裁可を得ることを要求しました。しかし、「この日、神はサウルに答えられなかった。」といわれています。主はサウルの問いに沈黙をしておられます。

しかし、サウルはそれでも神意を真剣に求め続けます。サウルは主の答えがないのは、民の誰かが罪を犯したからであると考え、真相を究明しようと自分をも含め、くじによる神託を求め、罪を犯した者を調査します。サウルはそのくじがたとえ自分や息子ヨナタンにあたろうとも、そこで示される神意に従うべきだという熱心さをもって、くじを実施しました。くじはヨナタンにあたりました。そして、サウルはヨナタンに何をしたか尋ね、ヨナタンは、サウルが誓わせた禁を破って、蜜を食べたことを告げました。ヨナタンはサウルが求めた神意に従って、死を覚悟します。サウルも誓い通りそれを実行しようとしました。現代人であるわたしたちには、サウルの宗教的熱心さに滑稽で恐ろしさを感じます。

しかし、民は、「イスラエルにこの大勝利をもたらしたヨナタンが死ぬべきだというのですか。とんでもありません。今日、神があの方と共にいてくださったからこそ、この働きができたのです。神は生きておられます。あの方の髪の毛一本も決して地に落としてはなりません。」(45節)と、サウル王に向かった大胆に抗議し、「こうして兵士はヨナタンを救い、彼は死を免れた。」と言われています。ここで「民の声」と「神の声」が衝突しています。ペリシテとの戦いを勝利に導いたのは、サウルなのかヨナタンなのかを民は問い、ヨナタンの勝利であったことの確認を求めています。ヨナタンが勝利に導いたのであり、神の意思がそこに表されているのであれば、この神意による決定は間違いではないか、民はこのように抗議します。神はヨナタンと共におられ、彼の勝利を勝ち取られたのです。だからヨナタンが死ぬことは神意にかなわないではないかと主張しました。王は民の声に勝つことはできませんでした。

この物語を通じて、サウルは敬虔な王として終始振る舞っています。しかし、その敬虔さは外面的であり、形式にとらわれています。粗雑さはあっても、生きて働く神への信仰を土台とし、純粋さを失わないヨナタンの敬虔さに及びません。サウルは、神がヨナタンと共におられることを認めざるを得ませんでした。サウル王は、神意を求めるということに関し終始非常な熱心さを求めたにもかかわらず、その何れの局面においても中途半端に終わっています。

彼が求めた神意に決着がつかないことには、その勝利は彼の勝利とはいえません。いいかえれば、神意により王となったサウルは本当に神の恵みによる王なのか、耐えず不安が付きまとっているということを示しています。確かに神は彼を選び、民は彼に同意しました。そして、神は彼に助けを与えているということでは、アビメレク(士師記19章)とは別の種類の王に属していることを明らかにしています。アビメレクは、サウルが持つすべての要素を欠いているゆえに破滅せざるを得ませんでした。では、これに対し敬虔な人物であるサウルは、神の御心にかなう人物でしょうか。サウルの物語はこの問いの暗い影に覆われています。

サウルはこの未決の問題に自ら苦しむように、心を病むようになります。彼は神意を求めつつ、民の声に聞き従います。この時のように民の声が正しい場合もありますが、民の声と態度は、このペリシテとの戦いで示したとおり実に移ろいやすく、不確かです。彼は民の声に嫉妬し、激怒し、罪を犯すまことに人間的な王として親しみを持つことができます。しかし、神の声に一貫して聞かない、聞けないサウル王と、彼を王とするイスラエルの歩みに果たして希望があるのか、著者は問います。そして、同じような歩みをする者に希望があるのか、この歩み出した王国の歴史を通して、この問いは絶えず繰り返されます。

サムエル記上14章47-52節『サウルの治世とその家族』

ここには、サウル王に関する短い注記が記されています。この注記は、サウル王の運命と人物を知る上で非常に重要な意味を持っています。ここには、サウルが常に周囲の敵と戦い続けた人物として描かれています。聖書の著者が関心を寄せているのは、サウルと関わる神の歴史です。

47節の最後の文章、「向かうところどこでも勝利を収めた。」は、ヘブル語のマソラ・テキストでは、「どこに向かおうと、彼はよこしまに振る舞った(ヤルシーャ)」です。そこには、サウルの戦闘行為が常に罪深い行為に満ちていたという見方が示されています。しかし、ギリシャ語の七十人訳聖書では、「彼は救われた(エソーゼト)」です。元来の語は、「彼は救いの業を行った(ヨーシーァ)」ではないかと言われています。なぜなら、この注記はサウル王に対し好意的な見方をしており、48節では、イスラエルの救済者としてのサウルの姿が描かれ、52節においてもサウルに共感を込めて報告がなされているからです。

サウルの息子たちに関しては、アビナダブ(31:2)の名が欠けています。イシュバアル(「バアルの人」の意)がイシュビ(イシュヨ「ヤハウエの人」のくずれた形)と書かれています。これには、イシュバアルという名では差し障りがあると考えて、変更が加えられたのではという推測がなされています。後には彼はイシュボシェテ(「恥じの神」の意)とも呼ばれています。しかし、これらの推測や変更は、元々はイシュヨであったテキストが、破損してイシュビとなっていたため、後代の人がサウルに汚点を帯びさせようとして、彼がわざわざ自分の息子たちにバアル系の名をつけたように見せかけようとしたのではないかという推測もなされています。真偽はわかりませんが、サウルの評価をめぐって様々な見解が示されているイスラエルの歴史を垣間見ることができます。

しかし、サウルはイスラエルの王としては国のために戦った立派な戦士であり、指導者であるという評価がここには示されているように思われます。宗教的・神学的には、悪意ある具像崇拝者でも、ヤハウエに対する不熱心な信仰者でもなく、むしろある意味で彼なりの敬虔さを示そうとしたと思われますが、その敬虔さは真実な意味で神の言葉に聞く信仰ではなかったことが、次章で明らかにされます。

旧約聖書講解