サムエル記講解

7.サムエル記上6章1節-7章1節『神の箱の帰還』

6章は、神の箱の帰還が記されています。「主の箱は、七か月の間ペリシテの地にあった。」という冒頭の言葉は、ペリシテ人の地で神の箱によってもたらされた恐怖の期間がそれだけ長く続いたことを示しています。神の箱が最後にとどまったエクロンの人々の恐怖はもはや限界に達し、この絶えがたい災いに終止符を打ってほしいという激しい抗議を指導者たちにしました(5章11節)。エクロンの住民の激しい抗議により、ペリシテ中の領主が集まり協議の時が持たれ、イスラエルの神の箱を送り返すことに衆議一決しました。

しかし、なぜあれほどまでに災いに遭いながら、神の箱を7ヶ月間もペリシテ人の地に留められ続けたのでしょうか。その背景には、神の箱を引き渡すことは、ペリシテ人にとって自分たちと自分たちの信奉している神の無能さや、敗北を認めることになるという判断があったと思われます。しかし、今や深刻な事態に至っていました。もはや我慢の限界に達し、如何なる犠牲を払ってでも事態の解決を図らねばならない状態になっていました。しかし、ペリシテ人の政治的威信を深く傷つけないし方で、同時に、これ以上災いに襲われる危険を避けながら、神の箱をイスラエルに引き渡す方法が選ばれなければなりませんでした。

「主の箱をどうしたものか」、今度はペリシテ中の宗教的な専門家集団である祭司や占い師たちが呼び集められ協議の時が持たれました。この宗教的専門家たちの意見は、「賠償の献げ物と共に返す」ことというものであります。レビ記5章15節には、聖なるものとして献げられたものを誤って使ってしまったとき、その損害の賠償としての献げ物の規定がありますが、ペリシテの祭司たちがそれを熟知していたかどうかはわかりません。そうすればいやしが与えられ、神の手が離れず癒されなかった理由がわかると彼らは説明しました。これは言い換えれば、主(ヤハウエ)に対してふさわしい栄誉が帰せられてなかった、ということが意味されていました。

そして、賠償の献げ物として、金製のはれ物と金製の鼠像の二種類を、災いに遭った町の領主数に見合う数をそれぞれ造ることが提案され、この二種類の像がそれぞれ五つずつ造られました。なぜ鼠の像が造られたのか、七十人訳聖書(ギリシャ語)5章6節には、「彼らの地にねずみが発生し、死と破壊が町中を襲った」と記されています。七十人訳聖書の見解が正しければ、これはペリシテが実際に被ったはれ物と鼠の災いに対する賠償(贖い)を求めての措置であるといえます。「似たものには似たものを」という当時行われていた共感の原則に基づく賠償が行われたことになります。旧約聖書でも、この原則は「炎の蛇の物語」(民数記21章4節以下)で応用されています。

鼠のもたらす災いがペストであったかどうかわかりませんが、その可能性は十分に考えられます。しかし、ここでは災いの種類に関心が集まっているのではなく、これら二つの災いが何れもヤハウエ(主)の直接的な懲罰行為としてもたらされたということであり、その災いがペリシテの民とその国土を対象としてもたらされたという神学的意味が何よりも強調されています。

6節において、災い回避のこの措置の正統性の根拠に4章8節と同様にエジプトの例が引き合いに出されています。そのことがペリシテ人に知られていたことに驚きを覚えますが、これらの言葉で著者が伝えようとしていることは、イスラエルを導かれた主なる神は、イスラエルだけに力を発揮し支配する神ではなく、その主権は、エジプトにもペリシテにも及ぶということであり、この神は世界を支配しておられるという告白が間接的になされている、という事実です。5節の「イスラエルの神に栄光を帰すならば」と6節の「固くする」は、対にして語られています。「固くする」という表現に、「栄光」を意味する「カーボード」と同一の語根に由来する用語、「重くする」が用いられているからです。自分たちの立場を重くし自らの栄光にこだわらず、むしろイスラエルの神を重く見、イスラエルの神に栄光を帰すべきだという主張がここに見られます。

強大な神に対して、そのような神にふさわしい栄誉を帰せねばならない必然性を認めることは、賢明な判断であり、いついかなる時にあっても望ましいことです。この点で、イスラエル人よりもペリシテ人の方が正しい判断をしているのは皮肉です。しかし、彼らがこう判断できたのは、災いのゆえです。イスラエルには神の箱が奪われたというショックや、それを聞いた祭司エリの死ショック死はありましても、それ以上の災いが現在はないということが、イスラエルにペリシテほどの危機意識をもたらさなかったのかもしれません。

祭司たちは、神の箱をイスラエルに送り返すのに、まだ軛をつけたことのない若い乳の出ている雌牛二頭を車につなぎ、その子牛を雌牛から引き離し、牛小屋に雌牛たちが見ている前で連れ戻させて、雌牛の引く車に主の箱を載せ、それと一緒に賠償の品を箱の中に入れ一緒に返すという方法を提案しました。そうして牛がイスラエル人の町ベト・シェメシュ(「太陽の家」の意)に行くかどうかで、その災難を起こしたものが誰であるかを見極めようといいました。考えて見ればこれほど主なるヤハウエを冒涜する行為はありませんが、一切人間的な方法を用いないで、雌牛たちのなすがままでその結果を判断しようというのは一つの信仰的な判断を含んでいるといえます。なぜなら、この雌牛たちが荷車を引いてイスラエル人の町に行けば、そこにイスラエルの神、主なるヤハウエが間違いなく関与されたことの証拠となることを自ら認めようとしているからです。

事実、これは非常に手の込んだ仕掛けであったのです。通常は雌牛に軛をかけることはありません。ましてや子を産んで間もない若い雌牛に軛をかけることはありません。軛をかけられた雌牛は動こうとしないばかりか、目の前で子牛が小屋に連れて行かれるのを見たなら、当然のごとく、その雌牛は本能的に子牛たちのいる小屋目指して行くだろうと予想されたからです。しかし、その常識を破って、その雌牛がイスラエルの町に向かうとすれば、主なるヤハウエが関与しているに違いない、これがペリシテの祭司たちの理屈でありました。

計画通りそれは実行され、雌牛は「右にも左にもそれず」ベト・シェメシュに向かい、神の箱とその傍らに金の二種類の像をいれた箱を載せた荷車を引いてまっすぐに進みました。主の箱が牛車に引かれてやって来た時、ベト・シェメシュの人々は、「小麦を刈り入れていた」(13節)といわれます。それは、暑い夏の盛りの5月から6月にかけての頃です。

ベト・シェメシュの人々は、神の箱の再開に大喜びし、引いてきた車に使われた木材を用い薪とし、雌牛を全焼の犠牲として捧げました。ペリシテ人が送った金の品々は、卓越した主に対する異教徒たちからの贖罪の貢物であります。これに対し全焼の犠牲は、主に属する民の主へのなだめの香りを表し、まったき献身を示す行為でありました。この行為に関わったのはレビ人です。犠牲をささげるのは一般の信徒ではなく、その任務に聖別されているレビ人でなければならないという強い神学的な主張が、ここになされています。

16-18節には、ペリシテ人がその模様に一部始終を目撃したことが特筆されています。この出来事が主の業であるという事実が、ペリシテ人の側からも確認されたという証印の意味を持つ記述となっています。18節の「今日でも」は、このサムエル記が書かれた時を指し、それを記念する犠牲祭がいとなまれていたことを想定できます。それほどこの出来事がイスラエルにおいて覚えられていたことの証拠として、記されています。

その記憶をさらに強烈にするもう一つの出来事が19節に記されています。主の箱を見たベト・シェメシュの人70人が主に撃たれて死んだことが伝えられています。七十人訳聖書には、「ただベト・シェメシュの人々のうち、エコニヤの子らだけは、主の箱を見たとき、喜ばなかった。そのため、主は民のうちの七十人を撃った。」と記しています。ヘブル語聖書のマソラ・テキストは毀損が激しく七十人訳聖書の方が本来の読みをとどめていると解する聖書学者は多くいます。主の箱を見たからか、主の箱の帰還を喜び祝わなかったからか、何れであるか決めるのは困難です。あるいは何れでもある可能性もあります。いずれにせよ、主に撃たれて死んだ70人は、神を喜び恐れるという最も基本となる神への信仰を欠いていたことだけは確かです。この点、間違ってはいても、真剣にイスラエルの神の卓越した力を恐れたペリシテ人の態度のほうが正しかったといえます。だから、この神の箱の返還に雌牛を用いるというふさわしくない方法をとったにもかかわらず、彼らには災いが起こることはなかったのです。

民数記4章15-20節には、神の箱を見つめただけで神の懲罰敵介入を引き起こす原因となることが明らかにされています。この恐るべき打撃は、かつてのペリシテ人同様、ベト・シェメシュの人々を震え上がらせることになりました。

20節の「主の御前に誰が立つことができようか」は、「従僕として仕える」と「生存する」の両方の意味があります。「聖なる神」の前に、人は聖なるものとして遇することが求められています。聖なるものとの関わり合いになることは、生命の危険をもたらします。いかなるし方であれ聖なるものに逆らえば、たちどころに破壊的な光に刺し貫かれたように滅ぼされることになります。ここに旧約聖書の信仰が強く表明されています。この聖なるものへの観念は、神に自分の願い事だけを期待しやすい日本人の甘ったれの信仰には希薄です。自分の願いが聞かれないと平気で教会に来なくなったり、信仰を捨てたりします。しかし、その行為において自分自身が神からその取り扱いを受けるという恐れを抱かねばならないことを、これらの御言葉は教えてくれています。

そして、この出来事に恐れを抱いた、ベト・シェメシュの人々は、キルヤト・エアリム(「森の町」の意)に使いを送り、主の箱の引き取り方を願い、アミナダブの家に運び込まれることになりました。主の箱の管理に聖別されたのは息子のエルアザル(「神は助けてくださった」の意)です。

この神の箱の行方は実に興味深い経路をたどっています。神の箱は、イスラエルの重要な聖所の何れにも運び込まれませんでした。シロから戦場に持ち出された神の箱は、その後一度もシロに帰ることはありませんでした。シロはもはや破壊されてしまっていたのかもしれません。しかし、キルヤト・エアリムにそう遠くないところには荒野時代以来聖なる幕屋伝承が伝えられていたミツパがありましたが、そこにも運ばれていません。そして、不思議なことにエリ一族がどうなったか何も記されていません。4章後半には、神の箱との関係で起こった悲劇的な一族の生活が報じられていました。イスラエルの神に栄光を帰さないでいたペリシテを悩ました神の箱は、ペリシテを去り、ペリシテに一つの平和をもたらしました。しかし、同じくイスラエルの神に真の栄光を帰す生き方をしないエリの息子ピネハスの嫁は「栄光はイスラエルを去った。神の箱は奪われた。」といいました。その彼らが今やどこに行ってしまったのでしょうか。そして、ここにはサムエルの名も挙げられていません。7章には再びサムエルが登場し、あちこちの聖所を駆け巡り活躍する姿が描写されていますが、神の箱はそのどの聖所にも運び込まれたとは書かれていません。あれほどイスラエルの中で重大な関心を持たれた神の箱が一度とられてしまったことにより、その関心は失われたのでしょうか。かつては神の箱の威力を信じたイスラエルの信仰と関心は一体どこに行ったのでしょうか。この神の箱の運命に、その持ち主である神と箱自身に瑕疵(かし)はなく、その責任もないはずです。神の箱はペリシテ人の地を離れたとはいえ、目と鼻の先ほどにある近いイスラエルの地にとどめ置かれることになり、物語はこれ以上神の箱について語りません。後にダビデが王となりこの神の箱をそれにふさわしい場所に移すまで(サムエル下6章)まで、神の箱はアミナダブの家にとどめられます。その管理のために聖別されたエルアザルは一体誰から聖別されたのかさえ判りません。ただそのために聖別された人間によって、ふさわしい時まで、そこにとどめおかれたということだけが確実なこととして伝えられています。

神の手が翻弄されるイスラエルの歴史の中に介入し、イスラエルをその召されたふさわしい場所に導き入れ、神はその栄光をご自身で現されます。主の箱の運命が、外見上、人間の勝手な考えや知恵で翻弄されているように見えることがあります。しかし、神の箱は紆余曲折しながらもそのふさわしい場所エルサレムに帰還しています。長い旅の末、ダビデの町にその玉座を定め、そこで崇拝を受け、そこから民と世界の運命を紡ぎ出し続ける神について語ります。それは、捕囚という厳しくつらい体験を自らの責任ではない祖先たちの不信仰が原因で苦しんでいるイスラエルに大きな慰めと希望を与えます。かつて罪ある人間によって翻弄され無力なように見えた神の箱が、その翻弄するものの背後にあって、歴史を支配し、そのふさわしい場所に帰還を果たします。この神の箱を所有し支配する神は、この神を信じ聞き従うものが、どのような厳しい現状にあっても、この神の箱が自由にその帰還を果たしたように、その者を扱うという答えを見出すことができたからです。不確かな人間の導き、知恵が破れ、神の知恵と力が勝利することを、神の箱の物語は告げています。

旧約聖書講解