詩編講解

38.詩編63篇『主の慈しみは命にも勝る』

この詩篇は、聖所での礼拝の恵み、喜び、感謝を歌っているのであります。この詩篇の作者は、ただ神を待ち望み、神を仰ぎ見、神の恵みを待ち望んでいるのであります。それ故彼にとって神を礼拝することは、人生の最高の喜びであります。神を礼拝することによって、一日は始まり、一日は終わるのであります。これがこの詩篇の作者の一日を貫く柱であります。

2節の2行目、「わたしはあなたを捜し求め」となっていますが、「捜し求め」の原意は、「夜明けの頃」です。古代語訳の聖書では、この句を「朝早くからわたしはあなたと共にいる」と訳しています。この詩篇の詩人の一日は、そのようにして始まります。

そして、一日の終わりは、「床に就くときにも御名を唱え/あなたへの祈りを口ずさんで夜を過ごします。」と歌われていますように、彼は夜通し神を求め、夜明けと共に神を求め続けるのであります。

わたしの魂は夜あなたを捜し
わたしの中で霊はあなたを捜し求めます。(イザヤ書26:9)

この詩篇の詩人の信仰は、このようにイザヤの信仰と同じ所に立っているのであります。

聖所での礼拝の日を待ち望む彼の思いもまた同じであります。その日の朝、彼は「朝早くからわたしはあなたと共にいる」姿勢で神を待ち望みます。

2節にあるように、荒野を旅する者は、体が乾ききり、まるで乾いた大地のように、一滴の水もない地のように、乾き果てることがあります。その様子はわたしたちには分かりにくいかもしれません。パレスチナの荒野における夏の日照りは、想像を絶するものがあるといわれます。発見された古代の土器に水を注いでも、じゅぅーと音をたてるだけで、水は少しもたまらないといわれています。

この詩篇の詩人は、それほどの渇きを覚えて、神の言葉を待ち望み、夜明けとともに、朝早くから聖所に行って、神と共にあることを求めたのでしょう。それほどの強い待ち望みの信仰をもって、主の日礼拝のときを持った彼が経験したことは、神を見るということを許されたことでした。神が「力と栄光」を啓示されるのを彼は見ることが出来ました。

聖所での祈りの時に神の恵みが自分にも与えられるという確信のもとに、この詩人はその憧れを現実に味わい知ることを許されました。神の慈しみ(ヘセド)、神の偉大さ、栄光(カーボード)が人に向けられました。これこそ神を待ち望む者にとって、他の一切の価値を凌駕する人生の宝であります。

命は最高の価値でありますが、神の慈しみ(神の約束への忠実さ)をここでそれと比較しているのでありません。むしろ神の慈しみこそ、人に命を与える根本的な恵みであると詩人は認めているのです。

3節の「仰ぎ望む」という語は、特別な見方を示しています。彼は預言者のようにヴィジョンを持つものとして、また神の言葉の啓示に与る者として、聖所に立って、「あなたの力と栄光を見ています」といっているのであります。

彼は聖所での礼拝で、神の力と栄光の啓示を受け、神の約束への忠実さ、慈しみ(ヘセド)に与って、その喜びを感謝して誉め歌を歌います(5-6節)。

荒野は、水がなく、不毛の地であるだけでなく、敵の攻撃にも合う危険な場所であります。神と共にあることのできない、神との礼拝の交わりを欠く生活は、その様な危険な場所にたつ人生を表しています。

しかし、荒野を旅する者にとって、「乳と髄のもてなしを受ける」(6節)ことは、最高のもてなしを受けることを意味しています。

礼拝において神の力と栄光の啓示を受け、神の慈しみに与ることは、荒野を旅する者が、「乳と髄のもてなしを受ける」ことに匹敵する、無上の光栄であり、喜びであるとこの詩人は歌っているのであります。彼の唇はその「喜びの歌をうたい」「讃美の声」をあげます。

その喜びの中で、詩人は神の救いを確信しているのであります。そうすることによって、魂は平安で満たされます。詩人はそれを8,9節で歌っています。

「あなたの翼の陰で」(8節)とは、至聖所にある契約の箱を指して言われています。契約の箱のふたは、神の律法の書に従って生きるものを守るように、ケルビムが翼を広げて向かい合ってあります。それはまさに神の言葉に聞き従うものに示される神の臨在が示されているのであります。

神の聖所にまかり出るものは、神の臨在のもとで、敵から守られ、神の懐で憩うことができ、平安を与えられ、心からの喜びを与えられるのであります。この礼拝の喜びを奪うものは敵の攻撃のみです。

しかし、詩人は、神と交わり、神の臨在、守りを確信していますので、その礼拝を破ろうとする敵を恐れることはありません。だから、自分の生命を奪おうと狙う敵は、神にさばかれ、滅ぼされる(10節)、と詩人は言うのであります。

なぜなら、敵は詩人の信仰を否認しただけでなく、その行為で、神の真理を否認しているので、神がそれを許されるはずがないことを彼は知っているからであります。神はそこまでして、神に信頼し希望を置いて生きる者の命を守られるお方であるのであります。

旧約聖書講解