サムエル記講解

23.サムエル上22:1-23『アドラムとミツパにおけるダビデ』

ダビデは追跡するサウルの手から逃れるために、ペリシテ人の地に逃れようとしましたが、ペリシテ人の兵士にその身分を見破られ、その試みは失敗しました。身分を知られたダビデは、アキシュ王の前で狂人を装い、追放されることによって、かろうじて生き延びることに成功しました。

本章は、そこからダビデがエルサレムの南西にあるアドラムの洞窟に逃れた時からの話が記されています。

ダビデがアドラムの洞窟に身を潜めているという話を人伝に聞いたダビデの兄弟や父は皆、ダビデの下にやってきました。ダビデの家族はサウル王が自分たちにも危害を加えるだろうと恐れ、ダビデの所に逃れてやってきたのであります。そして、家族のほかにも、生活困窮者、負債のある者、サウルの統治に不満を持つ者たちが、続々とダビデの下に集まりました。その数は四百人に達し、ダビデはその頭領となったといわれています(2節)。しかし、その実体は山賊かヤクザの親分のような立場です(士師記11章のエフタの場合のように)。日本の戦国武士たちもその発端は、山賊の頭領を中心にした武装集団であるといわれますが、ダビデはまさにそういう存在であったわけです。しかし、ダビデは単なるごろつき集団の頭領となったのではありません。ダビデは自分の下に集まった者たちを公平に扱い(30章には、アマレクに対する出撃に際して、疲労のために戦闘に参加できなかった者にも、戦闘に参加した者と同様にダビデは戦利品の分配に預からせたことが記されている)、秩序ある集団に訓練し、行った先の住民の「防壁の役」(25:16)を果たし、人々から尊敬される一団となっていました。

主イエスは、「 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11:28)といわれましたが、ダビデのもとには、サウル王の下で差別や、圧迫を受け、困窮し、貧しくして、不満を抱いている人たちが、救いを求めてやってきてきたのです。ダビデはそういう見捨てられた、社会的弱者を助け、彼らと共に歩む救い主としての働きをしていたのです。

しかし、サウル王の目には、不満分子も含まれるダビデの下に集まったグループの存在は、いつ反逆してくるかわからない危険分子の集団として映っていました。サウル王はその危険の目をすべて摘み取るために、その可能性のあるものを弾圧する恐怖政治を行っていたのです。

それゆえダビデは、自分の両親を安全に保護してくれるモアブの王に預けました。モアブは、ダビデの父エッサイの母ルツの出身地です。ルツは、飢饉の時、ユダのベツレヘムからモアブの地に逃れて移り住んだエリメレクとナオミ夫妻の子の妻となった女性です。ナオミは、モアブで夫と二人の息子に先立たれ、再びユダのベツレヘムに一人で帰ろうとしました。その時、息子の妻で未亡人となったルツは、ナオミが一緒に来れば苦労するから故郷に帰れと言ったにもかかわらず、「あなたの民はわたしの民 あなたの神はわたしの神」といってついてきた女性です。ルツはナオミと共に主がいるということを信じ、自分の将来をナオミの神に委ね、この神と共に生きることを願った女性でした。ダビデはその孫に当たります。そのダビデが今度は、モアブの王に両親を預け、「神がわたしをどのようになさるか分かるまで、わたしの父母をあなたたちのもとに行かせてください」(3節)と述べ、自分と両親の運命を神に委ねています。ダビデの信仰にはルツに結びつく主への委ねがあります。

ダビデは運命を主に委ねる信仰を持って、再びアドラムの洞窟に帰りました。しかし、そこで預言者ガドが表れダビデにユダの地に行くように指示を与え、ダビデはその指示に従い、故郷の領土に帰還します。預言者ガドについては何の説明もなされていませんが、歴代誌上29章29節によれば、ダビデ時代の記録を残した預言者の一人として名を記されています(他の二人は、サムエルとナタン)。

ダビデがここで危険を犯してユダの地に帰れとの預言者ガドの指示に従ったのは、人間の目から見た有用性否定(ペリシテ人の地への逃亡の失敗)の後に来る、イスラエルの神、主への信仰の表明として、サムエル記の記者は記しています。それは、後にルツの夫となるボアズがルツに語った「イスラエルの神、主がその御翼のもとに逃れて来たあなたに十分に報いてくださるように」(ルツ2:12)という信仰につながるものでありました。サムエル記は、人はより上位にある神の導きへの示唆に、十分な注意を払わねばならないことを、このダビデの物語を通して語っています。ダビデは、神の導きを告げる預言者の言葉に従い、主のみ翼の下に身を寄せます。

一方サウルは、ダビデがその仲間の者を伴って武装集団として故郷のユダに姿を表したと聞き、サウルはダビデに対する敵意と憎悪をますます募らせます。

サウルに仕える主要な家臣は、彼の出身部族であるベニヤミン族からなっていました。サウルはその家臣に向って檄を飛ばす演説を行いました。サウルの演説の内容は、主として息子ヨナタンに対する非難に向けられていました。ヨナタンがダビデを支援し、ダビデの反逆のお先棒を担いでいるというものです。だからといって、サウルはヨナタンを罰することはしていません。サウルはヨナタンがダビデと契約を結んだことを少しも耳にいれようとしなかった、家臣たちの行動を王に対する裏切り、不誠実として強く非難しています。

この王の言葉に家臣たちは沈黙していました。しかし、サウルの家臣のそばに立って王の演説を聞いていたエドム人ドエグがノブで目撃したことを王に密告しました。ドエグは、アヒメレクがダビデのために、「主の託宣を求め、食糧を渡し、ペリシテ人の剣を与えました」(10節)といってアヒメレクを誹謗しました。

サウルはこの密告により、「アヒメレクとノブで祭司職にある彼の父の家の者すべてを呼び出し」ました。サウルは、アヒメレクに対し、その名を呼ばず、「アヒトブの子よ」といって、険悪な態度で犯罪者に向かうような態度で最初から接しています。そして、サウルはアヒメレクの行為がダビデと徒党を組み王に反逆する犯罪行為であると決めつけ、断罪しました。これに対してアヒメレクは、ダビデが王の婿であり、王の高官としても、王に忠実な行動をしてきた人物であり、これまでもダビデが度々神の託宣を求めてきたので、何の疑問も持たずに、ダビデを受け入れ、ダビデを助けたまでであることを伝えました。それは王に忠実で重んじられている人物を助けることにより、王への忠誠を果たしていることになる、という旨のアヒメレクの言葉には、強い説得力を持つ言葉として、読む者の心を打ちます。

しかし、サウル王はアヒメレクの懸命な訴えにもかかわらず、これに耳を傾けようとせず、彼と彼の父の家の者全員に対する死刑を宣告し、傍らに立っている近衛兵に、「行って主の祭司たちを殺せ。彼らもダビデに味方し、彼が逃亡中なのを知りながら、わたしの耳に入れなかったのだ」と命じましたが、王の家臣は、その手を下して主の祭司を討とうとはしなかった、言われています。

王の家臣は、王の言葉よりもアヒメレクの言葉に真実を見たからでしょう。しかもアヒメレクは、主に油注がれた主の祭司です。主の祭司を殺すことは、彼らに権威を与える主なる神を否定し、敵対する者となります。だから、サムエルの家臣たちは、王の命令といえども聞くことができないと思い、ためらったのです。

サウルは家臣たちのためらう態度を見て、今度はエドム人ドエグに命じて、主の祭司たちを殺害させました。ドエグは主の祭司たち85人を殺し、祭司の町ノブを剣で撃ち、男女の別なく、子供や乳飲み子さえ撃ち、家畜まで滅ぼし去りました。

サウルは、はじめの頃は主の意思に執着し、ヤベシュ・ギレアドの住民救出に勇敢な行動を取るなどまばゆいような信仰を示していました(11章)。しかし、サムエルを通して告げられたアマレクを撃てとの聖絶命令を実行しなかったことに見られるように、その信仰は純粋に主への信頼に生きる者でないことを示すようになります。そのことのゆえにサウルは預言者サムエルと決別することになります。サムエルは、主の言葉を軽んじるサウルは主に捨てられるという預言を残し、サウル王と再び会おうとしなかったと言われています(15:35)。サウルは既に預言者と決別していました。

そして、今度は、エリの家の祭司たちを殺し、祭司とも絶縁することになります。サウルは主に油注がれたこの二つの集団と絶縁することにより、主と関わりをもたない者であることを表明したことになります。特に主の祭司たちを皆殺しにしようとしたサウルは、主に仕える者たちへの公然たる戦争を意味し、主への宣戦布告を意味していました。

サウルが家臣に命じた祭司たち全員とその家族も家畜もことごとく滅ぼし尽くすことは聖絶に等しい行為です。アマレクを撃てとの聖絶命令に反したこの王が、主の祭司を聖絶しようとしたこと、しかも死刑執行人にエドム人のドエグを選んだことは象徴的な意味を持ちます。非イスラエル人により、主の祭司とその家族や家畜までも聖絶するように殺すことは、サウルがもはや、完全に主の王でなくなったということを示し、彼は主に見捨てられた者であることを、自ら証明したことになります。

サウルの所には、主の御旨を正しく告げる預言者も祭司もいません。それは、彼には何の主の祝福をとりなす者はいないことが示されています。

しかし、サウルの手からアヒトブの子アヒメレクの息子アビアタルひとりが免れて、ダビデのもとに逃亡しました。この出来事は、2章33節の「わたしは、あなたの家の一人だけは、わたしの祭壇から断ち切らないでおく」という預言の成就として報告されています。

アビアタルはダビデに主の祭司たちが殺されたと伝えました。ダビデはこの悲しい驚くべき事実を聞き、アヒメレクと話している時にドエグがいたのに、適切な措置をとらなかったことに対してダビデは、後悔を示しています。

しかし、サムエル記の記者は、ダビデのこの行動に対して、何の非難の言葉も述べていません。むしろこの難を逃れてきた祭司アビアタルを迎え入れることにより、預言者ガドと共に、ダビデのもとには祭司アビアタルも共にあり、ダビデは逃亡中の身でありながら、いつも主にとりなしをはかる祭司、主の御心を告げる預言者を与えられ、いつでも主の御心を知り、主の御旨にしたがった歩みをなしうる基盤が整えられていることが示されています。サムエル記の記者は、主の祭司を大切にするダビデこそ、王にふさわしい者であると指し示し、本章を結んでいるのです。

旧約聖書講解