エゼキエル書講解

6.エゼキエル書4章1-17節『エルサレム包囲のしるし』

エゼキエル書4-24章は、ユダの家の滅亡について語っています。4章には、エゼキエルの象徴行動がエルサレムの包囲のしるしとして、バビロンによってどのようになされるかが記されています。

1-3節には、エゼキエルが主から命じられて行った子供の玩具遊びのようなしぐさが、エルサレム包囲のしるしとして述べられています。エゼキエルは、主の命令に従って、れんがに都エルサレムを描きました。エゼキエルが描いたエルサレムは、地図であったと考えられます。そのれんがを包囲し、「これに向かって堡塁を建て、塁を築き、陣営を敷き、破城槌を周囲に配備しなさい。自ら鉄の板を取り、それを自分と都との間に鉄の壁とし、あなたの顔を都に向けなさい」(2,3節)という主の命令を、エゼキエルは、子供がブロック遊びをするように実行しました。そして、寝そべった姿勢で、顔を包囲されたエルサレムに向けました。その顔は、額をダイヤモンドよりも硬くして、主に従おうとしないイスラエルの家に対する罪を裁くバビロンを表わしています。

4-8節の記述には、理解の困難な編集上の拡大が認められます。エゼキエルは、先ず、左脇を下にして390日間横たわり、次に右脇を下に40日間横たわるよう命じられています。1日を1年と数える数え方は、荒野放浪の40年の処罰を語るのと同じ計算法(民数記14:34)が採られています。

エゼキエルが縛られて横向きに横たわる姿勢は、捕囚のしるしとしての意味を持っています。それは、ユダの背信の罪の処罰を示し、同時に、罪によってもたらされる民の苦悩を自分に重ね合わせて負うべきことを示しています。「あなたは包囲されたエルサレムに顔を向け、腕をまくり上げて、これに向かって預言しなさい」(7節)と主から命じられるエゼキエルには、イスラエルの家とユダの家の「罪を負わねばならない」(4,6節)という命令も与えられているからです。

「罪を負う」という言葉は、祭司的伝統に従えば、罪を犯した者が、自分の犯した罪の責任が問われて、その罰を受け入れるべきだという意味を持ちます(レビ記5:1,17:16,19:8、民数記5:31)。しかし、その責任と他の者の罪の結果を受容するという、より特殊化した意味も存在します。その任務は祭儀の場で祭司に課せられました(出エジプト記28:38、民数記18:1)。この代理という祭儀的な観念が、捕囚期には、多くの罪を黙して担う「主の僕」としての預言者の任務の中に入るものとして語られるようになります(イザヤ書53章の「僕の歌」)。この時のエゼキエルの象徴行為に、イザヤ書53章の主の僕との間につながりがあると考えられます(ブレンキンソップ)。この罪ある人々との同一化を苦しむ祭司的・預言者的主題は、イエスとその活動の重要性の一つの局面を表現する手段として、新約聖書において用いられています。

エゼキエルは、バビロンの地にあって、エルサレムにける罪を単に裁く言葉を語っているのではなく、その罪を背負いながら、預言しているのです。24章には、エルサレムの罪に下される、滅亡と捕囚という事態における深い苦悩の問題が、エゼキエルの妻の死に際し、声を上げて泣くこともことを禁じられることなどの中に表わされています。妻の死に泣くことも、嘆きを表わすいかなるしぐさも行なおうとしないエゼキエルに向かって、「あなたが行っているこれらの事は、我々にどんな意味があるのか告げてくれないか」(24章19節)と尋ねる人々に、それは、「お前たちにとってしるしとなる。すべて彼が行ったように、お前たちもするであろう。すべてが実現したとき、お前たちは、わたしが主なる神であることを知るようになる」(24章24節)と答えています。主なる神は、その審きを行うことによって、ご自身が神であることを民に知らしめられます。その苦難と悲惨の原因は、単なる強国による強奪的な支配に屈したからか、それとも自分たちがとった神への背きの罪に対する審きなのか、その意味を問うことが大切です。泣いて涙も流すことさえできないほどの苦悩を味わわねばならないほどの審きとは一体何なのか、その意味を問う中で、主なる神の存在を知ることは、悔い改めを意味します。その悔い改めとは、単に自分が悪かったという懺悔に留まらない、神に生きるために、その悲惨と苦悩の中から立ち上がることを意味します。その苦難の現実の中にも、神が神としておられることを認識することが、希望への転換を促すのです。その神がおられるしるしとしての預言者の苦悩の共感の意味を捉えていくことが大切です。

4-8節に示される象徴的な数字の意味については理解が困難です。現実の捕囚期間をさすものとして説明をする試みはいずれも上手くいきません。現代の聖書の研究者の中には、ここに見られる表現には、祭司資料(P)に記されるものが認められると解する人がいます。エゼキエル書には、そのような編集の跡が認められることは確かです。祭司資料に属すと考えられる五書の物語は、エジプト滞在に430年を当てていますが(出エジプト記12:40-41)、エゼキエルにとって、この滞在期は、イスラエルが背き始めた時です(エゼキエル20:5-8)。その理解の線で考えると390と40の合計は430であり、エジプトの滞在期間に相当します。また同じ祭司的伝承によれば、荒野放浪の40年は、審判と処罰の時でもあります。エゼキエル書のこの箇所との類似性は、それを処罰の期間を祭司伝承から物語られていると見ることができます。その分類に従えば、北イスラエルの審きは390年間、ユダの審きは40年間続くということになりますが、現実にその時の始まりをどこに持ってきても上手く説明をすることはできません。ギリシャ語訳聖書は、これを190日と40日としています。しかし、どの解釈も上手く説明することができません。いまのところ、この期間を祭司的伝承による象徴的意味における解釈を採るのが一番ふさわしいように思われます。いずれにせよ、それは審きの期間として決して短くはありません。しかし、それがやがて終わることが示されていることは、希望を意味します。縛られて捕囚とされ、異国の地で孤独に生きねばならないものが、その子孫の行く末を考えるときに、それは苦難の時を潜り抜けて、悔い改めをあらわす者に与えられる希望をも示すものであるからです。

続く9-17節は、明らかに捕囚の地にあるものへのメッセージとして語られています。イスラエルの民にとって、エルサレムの神殿こそ、主の民がひとつの民とされていることを覚えるために集まる場所であり、そのような場所としての礼拝場所でありました。だから異国の地は汚れた場所であり、主のために犠牲を捧げ、聖なる祭儀礼拝が行なえ得ない場所であると考えられていました。また祭儀的に不浄とされたものを食べられないと考える捕囚の民に、「このようにイスラエルの人々はわたしが追いやる先の国々で、汚れたパンを食べる」(13節)という主の言葉は、エゼキエルにとって、「ああ、主なる神よ、わたしはわが身を汚したことがありません。若いころから今に至るまで、死んだ動物や、野獣が引き裂いた動物の肉を食べたことはなく、定められた日数を過ぎたいけにえの肉を口に入れたこともありません」(14節)、という苦悩の原因となりました。この苦悩の嘆き、祈りを表明するエゼキエルに、神は、パンを焼くのに人糞に代えて、牛糞を用いることを許します。新約聖書は、この祭儀的不浄に対する考えが主の弟子たちの間においてもなかなか克服し得ない問題としてあったことを報告しています(使徒言行録10:9-16,11:5-10)。

エゼキエルは横たえた姿勢で過ごす390日間、一日、わずかパン20シェケル(約230グラム)を食し、水は6分の1ヒン(約630cc)を飲むことだけが許されました。それは捕囚の民の飲食の量を示すものです。「彼らはおびえながらパンの目方を量って食べ、硬直した様で水を升で量って飲むようになる。彼らは罪のゆえにパンにも水にも事欠き、やせ衰えて、互いに恐れに取りつかれる」(4:16-17)という厳しさは、捕囚後のバビロンに生きる民の現実そのものでありました。その不遇、窮乏の中で、イスラエルが主の民として生きる道をいかに求めるべきか、それが捕囚の民の大きな課題として残ります。そのわずかな飲食の養いの中にも、主が神としてその現実にもおられることを見る目を持ち、その神に立ち帰り、神の救いを見る信仰を持つことが捕囚の民に問われています。

その不遇な環境の中でいかに生きるべきか、エレミヤは、「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしは、エルサレムからバビロンへ捕囚として送ったすべての者に告げる。家を建てて住み、園に果樹を植えてその実を食べなさい。妻をめとり、息子、娘をもうけ、息子には嫁をとり、娘は嫁がせて、息子、娘を産ませるように。そちらで人口を増やし、減らしてはならない。わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから」(エレミヤ書29章4-7節)と語っています。このエレミヤが語る主なる神の下にある「平和の計画」(エレミヤ29:11)のことを意識しつつ、審判の時を耐える苦悩と信仰の問題を考えることが大切です。

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