イザヤ書講解

22.イザヤ書30章1-17節『主をのみ信頼せよ』

前722年、北のイスラエル王国はアッシリアによって滅ぼされました。北王国最後の王となったホセアは、エジプトに期待しましたが、かえってアッシリアに滅ぼされることになりました。また、サルゴンから遣わされた最高司令官がアシュドドを攻めこれを取った時、イザヤは3年のあいだ、裸、裸足で歩いて、エジプトに信頼することの悲惨さを人々に訴えました(20章)。イザヤはこれらのことを視野に入れ、エジプトの助けが空しいことを知っていました。

南のユダ王国の王ヒゼキヤの心は、北の超大国アッシリアと南の超大国エジプトとの間にあって揺れ動いていました。パレスチナを支配していたアッシリアの王サルゴン二世が705年に戦死した後、ヒゼキヤはチャンス到来と思い、エジプト第25王朝シャバカに使者を送り、エジプトと契約を結び、エジプトの積極的援助を期待しました。イザヤはこれを「死の契約」(28:15)と呼び、身の破滅を招くだけであると厳しく糾弾致しました。しかし、ヒゼキヤはイザヤの警告に耳を傾けず、ペリシテのアシュケロンやエクロン等とともに、アッシリアに対抗しようとしました。

このとき、ヒゼキヤがアッシリアの来襲に備えて、エルサレムの城壁を堅固にし、ギホンの泉から525メートルに及ぶ地下水道を完成させたことは有名です。

サルゴンの後を継いだセンナケリブはすぐには対抗できず、前701年に大軍を率いて来襲しました。エジプトの援軍はエルテケ平野でアッシリア軍と戦い、打ち破られました。31章の預言は、この時期になされたものと思われます。

イザヤの預言は終始一貫しています。ただ主にのみより頼め、主の御言葉に信頼して歩むなら救われるというものです。エジプトによりたのむ同盟策は、それ故、不信仰の現れ、偶像崇拝に等しい罪として断罪しました。

1-3節まで、イザヤはその災いを預言しています。
馬は前18世紀から17世紀にかけてヒクソス王朝の時代にエジプトに持ち込まれたと言われています。馬は、速さと力の象徴として人々に理解されていました。かつて、モーセに導かれてエジプトを出たイスラエルの人々を追ってきたのは、エジプトの馬と戦車と騎兵でした。しかし主は、これを退けイスラエルを救い出されました。

今アッシリアの脅威を経験しているユダの人々にとって、エジプトの馬や戦車や騎兵がいかにも力強く、たくましく思われました。それ故、ユダの人々は、これにより頼むものとなり、イスラエルの聖なる方に目を向けることを忘れました。イザヤは、これまでも、度々、その不信仰に対する裁きを語ってきましたが、ここでも、主はそのようなユダに災いをもたらす、と告げています。それは、主の御言葉であり、主の御心としてなされる故に、決して取り消されないことが強調されています。

イザヤの使信には、人間をどこまでも人間として見、神をどこまでも神として見ることの区別の大切さが強調されています。その混同が偶像を生み、悲惨な結果となって現れることを明らかにしています。1節で用いられている「頼りとし」は、「支える」と「頼る」の二つの動詞からなる、どちらも神に対して用いられるものです。つまりユダは、主である神を捨て、エジプトの多数の戦車と非常に強い騎兵隊を神として頼ったということが指摘されています。「エジプト人は人であって、神ではない。その馬は肉なるものにすぎず、霊ではない」(3節)といわれています。

エジプト人が人間の目にいかに頼もしく、強そうに見えても、神の目から見た頼り無さ弱さが、神と人、霊と肉の対比によって語られています。人間を創造した神は、人にご自分の息を吹き込み、生けるものとされました。人は神の霊に満たされ、霊の力によって生かされ、生けるものとして立つことができます。エジプトの存在もそうです。ユダの人々は、この大切な点を見失っていました。主が御手を伸ばされるなら、助けるエジプトも、これに助けられる者ユダも共に倒れ、滅びるほかありません。神に信頼を寄せない人間のはかりごとの空しさが、この言葉によって表現されています。

イザヤの預言の真実さは、すぐにエルテケの戦いにおけるエジプトの敗北によって明らかになりました。続いて、アッシリアの王センナケリブは、アシュケロンとエクロンを攻め落としたあと、南へ回り込んでラキシュを壊滅させ、ヒゼキヤの統治するユダに矛先を向けました。センナケリブの碑文には、このときユダ王国の46都市を制圧し、占領したことが記されています。ユダ王国最後の砦エルサレムは、怒濤のようなアッシリア軍の前に、まさに風前の灯の状態でありました。

その状況は、29章1—8節のアリエル預言に反映しています。イザヤはそのようにエルサレムにもたらされる災いを語る一方で、シオンの救いを預言しています。それは、ユダが正しいからではありません。主の哀れみと真実による救いであることが語られています。民は不誠実であっても、主は誠実であり続けます。

31章4節は比喩を用いて語られています。獅子も鳥も主に譬えられています。この場合「羊飼い」といわれているのは、ユダの指導者たちのことです。彼らはセンナケリブの来襲に備えて、ヒゼキヤを中心に同盟策によって対抗しようとしました。主は裁き手としてアッシリアを用いられます。しかし、獅子である主はシオンの山でこれと戦われると言われています。

4節の最後の行は、翻訳上は「シオンに敵して戦う」と訳すことも、「シオンの上で戦う」と訳すことも可能です。「シオンに敵して戦う」という意味に取れば、3節との結びつきが強くなりますが、「シオンの上で戦う」という意味に取れば、5節との結びつきが強くなります。この場合文脈からは、「シオンの上で戦う」という意味に取る方がよいと思います。

主はシオンの上で戦い、ご自分の町と民を守られると言うのです。獅子が自分の得た獲物を逃すまいと戦うように、主はご自分の民を奪わせないように守られるのです。エルサレムは主によって選ばれた都で、主に属する故に、主はエルサレムを攻撃者の手に渡されないのです。この場合、攻撃者とはアッシリアを意味しますが、もっと普遍的に取ることも可能です。

5節の鳥は、敵の襲来に驚いてばたばたと飛び立つ小さな鳥ではなく、鷲のことが考えられています。鷲は雛を攻撃するものに襲いかかって守ります。主もそのように守られるというのであります。

ユダの人々は、アッシリアの脅威からエルサレムを救出するために、空しい望みをエジプト人に、即ち、人間におきました。しかし、それは当てにならないものでしかありません。

エルサレムは、最後、アッシリアの殺到のときには「人間のものではない剣」によって救われると8節で言われています。「人間のものではない剣」とは、主ご自身にほかなりません。しかし、ここではどのようにしてそれがなされるか語られていません。この使信において重要なのは、「いかに」してそれがなされるかではなく、「何が」なされるかということであります。

6、7節の部分は、恐らく後世の編集者による挿入句であろうと思われますが、この使信の適用を、偶像崇拝を捨て主にのみより頼めという使信に変えられています。その解釈は間違いではありませんし、むしろ重要であると思われます。

その場合、忘れてならないのは、エルサレムの救いは、主の民であるという理由の故に、自動的に成されるものでないという、神学的な反省が成されている点であります。主は、主の霊の導きを信じ、御言葉に聞く民をご自分の民として選び保たれるのであります。

その証の生活は、危機的状況にあっても、根本的に人の力により頼むのではない、ただ主にのみ信頼して生きようとする信仰の姿勢に貫かれています。その姿勢で貫かれるとき、人はあらゆる偶像を捨て去り、神にのみ仕える者となるはずです。

主イエス・キリストを中心とした交わりに生きるエルサレム、そのような神の教会だけが、不変に主の救いに与り続けるのであって、それがエルサレムだからという理由でオートマチックに救われるのでは決してありません。

旧約聖書講解