サムエル記講解

49.サムエル記下17:24-19:9『アブサロムの敗北と最期』

ここには王国の支配権を巡る親子の戦いが物語られていますが、その戦いは、既にその前になされたアヒトフェルとフシャイとの知恵比べにおいてフシャイが勝利したことで、事実上父ダビデに軍配が上がった状態の中で進められました。

アヒトフェルは、ダビデに時間的余裕を与えない夜襲をアブサロムに提言しましたが、アブサロムはこの提言を退け、全土からイスラエル召集し、アブサロムが直接指揮をして、時間をじっくりかけて包囲して襲いかかるというフシャイの提言を採用しました。フシャイはアヒトフェルの知恵を愚かにするというダビデから託された任務を見事に果たし、ダビデはアブサロムの率いるイスラエル軍の行動を完全に把握できる十分な臨戦体制の下で戦いに臨むことができました。

17章24-18章5節には、会戦前のダビデ軍の準備状況が報告されています。ダビデが戦闘の基地に選んだのは、ヨルダン川の東、ヨルダンへ流れるヤボク川の北岸にあるマハナイムです。ここはかつてサウルの息子イシュ・ボシェトが築いた王国の首都でありました。サウル王を丁重に葬って、その王国とその息子を擁護したヤベシュ・ギレアドの住民を、ダビデは祝福し、友好的関係を保っていました(下2:5-11)。その時取ったダビデの平和的政策がこの危機の時に大きな助けとなりました。

ヨアブがダビデに従って行きましたので、アブサロムはヨアブに代えてアマサを軍の司令官に任命して、全国から寄せ集めた大部隊編成で攻めて来ました。アマサという人物については不明な所が多く、彼はイシュマエル人であるという伝承も存在します。彼の父がイトラ、その妻はナハシュの娘アビガルでダビデの姉でありヨアブの母であるツェルヤの姉妹であったといわれていますから、親子の戦いに従兄弟同士が敵味方に分かれて、それぞれの軍の司令官として戦っていることになります。しかし、アマサが実際に戦闘に加わった様子がなく、アブサロムの軍が敗北し、アブサロムが死んだ後、エルサレムに帰還する時、ダビデは彼を司令官の一人として迎え入れています(下19:13-14)。このように見ますとアマサはダビデに刃向かう戦闘意欲の極めて乏しい人物であったように思えます。彼を全国から集めたイスラエル軍の司令官にしたこともアブサロムの判断の誤りを示しているかもしれません。指揮官の人選だけでなく、とにかく急ごしらえのイスラエル軍は、ダビデ軍に比べ人数は圧倒的に多くても、全然有効に機能しないことがやがて明らかになります。

これに比べ、フシャイの助言が功を奏して、十分な時間をかけて、ダビデは戦略をめぐらすことができました。堅固な防備施設を備えたマハナイムの町で、またかつての友好政策のお蔭で、この地の住民がかけつけて、食料などの必要な物資を調達して助けてくれました。かけつけた人たちの多くはかつてのサウル家の支持者たちで、資産家たちです。この町と彼らが補給基地として働く役割を果たしてくれることになりました。この助けを受けて戦いに備える兵士たちは疲れを癒し、飢えや渇きから解放されました。この心強い後ろ盾を得て、数的にはおとっていても、ヨアブ、アビシャイ、シムイを指揮官とする三つの大部隊に分けられたダビデ軍は歴戦の勇士をそろえた精鋭部隊でした。それぞれの部隊はさらに統率の取れた千人、百人の隊に分けられ、その部隊にも長がいて、良く訓練された優秀な兵士たちがそろっていました。

ダビデ王は、この部隊の先頭になって戦いに参加つもりでいました。しかし、兵士たちはダビデが戦いに参加することを望みませんでした。ダビデのことを「一万人に等しい方」(18:3)といって尊び、町にとどまり、後方から支援してくれるよう頼みました。彼らには王がそのように後方で支援してくれるだけで十分その戦いに勝利できるという確信がありました。戦いの前に王も兵士たちも勝利を確信していました。

それゆえダビデ王は、3人の指揮官に、「若者アブサロムを手荒に扱わないでくれ」(18:5)という命令を与えました。この命令は戦いの勝利を確信する父親の息子への変わらぬ愛から発せられたものでありました。この王の言葉は兵士たちの耳にも聞こえました。

合戦の舞台となったのは、エフライムの森です(18:6)。ここはヨルダン川西岸に住むエフライム部族のヨルダン川東岸にある植民地にありました。この地帯には様々な種類の樹木の群落がありました。そこには丈の高い木もありましたが、高木が林立する森というよりも藪と岩場の混合した見通しのきかない場所でありました。このため統率のとれていない民の召集軍は、すぐに劣勢に陥り、大打撃を受ける原因となりました。不慣れな密林での戦いで、アブサロムのイスラエル軍の多くの者が方向を見失い犠牲となりました。

アブサロムもこの森で犠牲となりました。らばに乗って指揮を取っていたアブサロムは、樫の大木の絡まりあった枝の下を通った時、頭が木に引っ掛かり、宙吊りになり身動きが取れなくなりました。それを目撃していた兵士の一人がヨアブに報告しました。そこで交わされたヨアブと兵士との会話は実に興味深いものです。ヨアブは告げる者に、「見たなら、なぜその場で地に打ち落とさなかったのか。銀十枚と革帯一本を与えただろうに。」というと、兵士は「たとえこの手のひらに銀千枚の重みを感じるとしても、王子をこの手にかけたりはしません。王があなたとアビシャイ、イタイに、若者アブサロムを守れ、と命じられたのを我々は耳にしました。仮に、わたしが彼の命を奪ってそれを偽ろうとしても、王には何一つ隠せません。あなたもわたしを非とする側に立つでしょう。」と答えて、あくまでもダビデの支持に固執しています。

しかし、ヨアブは先見の明を持つ冷静な軍人であり政治家でした。その目は王の子供に対する個人的な感情よりも、天下国家の事柄を見ています。ダビデの命令が父親としての個人的な願望に過ぎず、ここでアブサロムを無罪放免にすると、やがて再び王国の危機を招くかもしれません。そのことをヨアブはダビデよりも冷静に判断していました。ヨアブはアブサロムに対する個人的な反感からではなく、経験豊かな軍人また政治家としての知恵から発言しています。彼はかつてアブサロムが逃亡先から帰還できるよう、テコアの女を用いて、ダビデにとりなした人間です(下14章)。この二人の会話には国の将来を第一と考える政治家と、王の意思を第一とする忠実な兵士の違いが浮き彫りにされています。そして、一兵士であるに過ぎないがゆえに、仮に現場の指揮官の命令としてアブサロムの命を奪った場合、王の前に行き釈明を求められて、これを命じたヨアブが王の前で都合悪くなれば、知らんふりして兵士の勝手な一存でやったといわんばかりの立場に立つことになるだろう、と答えています。そして、王には何も隠し立てすることはできない、という忠節と良心の問題を彼は述べています。どちらの意見が正しいかということではなく、どちらも王を思う心が真剣であるがゆえに、譲れない信念をぶつけ合っています。ダビデは本当に良い部下に恵まれていました。部下がこれほど真剣になれるほど、尊敬され、愛されていたことを窺い知ることができます。

ヨアブはこの兵士がいうように、彼にだけその重荷を背負わせ知らん振りする無責任な指揮官ではありません。彼にそれを期待できないと知ると自らその役を実行することを決意します。樫の木に引っかかったまま生きていたアブサロムの心臓に、棒を三本束ねて突き刺し、一突きで致命傷を負わせ、その後従卒10人がかりでアブサロムにとどめを刺しました。それはまるで聖絶の物を隠し持っていたアカンが処刑されたのと同じようになされ、アブサロムの遺体の葬りもアカンの時と同じようになされ石塚とされました(ヨシュア7:25)。18節以下にエルサレムにも王の谷にアブサロムの石柱が立てられたとの報告が記されていますが、これは後の編集者による注記と思われます。

戦いに勝利したダビデの軍隊は晴れて撤退できるようになりました。しかし、ダビデに報告するという課題が残っています。その伝令役を買って出たのは、祭司ツァドクの息子アヒマアツです(18:19)。彼は、通らなかったアヒトフェルの提案をダビデに伝えた使者でもあり、足に自信のある人物でした。彼はこの戦いの大勝利の良い知らせ(福音)の使者になりたくてし方がなかったのですが、戦いの結果の状況を十分に把握しないで出かけようとする判断の未熟なせっかちなところのある人間であったようです。またヨアブはダビデの心を斟酌して、王の息子(アブサロム)の死を報告するのは、日を改めてするのが良いと判断していました。そして、アヒマアツではなく冷静に王に報告できるクシュ人を伝令に命じました。アヒマアツは再びヨアブにクシュ人とともに福音の使者となることを願い出、ついにその許可を得て、少し遅れて出発し、別の道を通り、追い越してダビデの所に到着しました。

ダビデは城門の間に座り、この戦いの結果を待っていました。大勢の人が駆けて来れば、それは敗走と解釈せねばなりません。しかし、一人だけであれば、良い結果に違いないとダビデは判断していました。ダビデは最初にやってきたアヒマアツの報告を聞かずともその結果を判断していましたので、その型通りの口上には関心を示さず、ただアブサロムのことだけを尋ねました。しかし、彼はヨアブがその知らせをためらった事情を察知してか、答えをはぐらかすような曖昧な返事をしました。要するにアブサロムのことについいては、事情を良く知らないで来たと王に告げるだけでありました。

そうこうする内に、ヨアブが正式に遣わした使者であるクシュ人が、王に勝利の報告をもたらし、王は彼からアブサロムの死について聞き出すことができました。危惧していた最悪の報告を聞かねばならなかったことに、ダビデは深い悲しみを表しました。ダビデは一人城門の上にある屋上の部屋に行き、息子アブサロムのために、その名を繰り返し呼び、激しく泣きました。ダビデの父親としてのその激しい嘆き悲しみの声は、遠くにいた者にも聞こえるほどのものでした。

王のその深い悲しみを見る側近たちは、戦い大勝利を収めたのにもかかわらず、戦勝の喜びを王と共に味わうこともできず、複雑な気分でした。大本営はまるで敗者のような空気に包まれていました。

息子アブサロムの死を悼んでいる王の様子は、直ちにヨアブの所に報告されました(19:2)。王が息子アブサロムの死を悲しんでいると聞いた兵士たちは、勝利の喜びから一転して、喪に服するようになりました。兵士たちはまるで敗者か脱走兵のようにして恥じるようにこっそりと戦場から引き上げてきました。

そこで見た光景は、相変わらず息子のために嘆き悲しんでいる王の姿です。

兵士たちは王の父親としての嘆きに深い同情を覚えることはできましたが、王のために命をはって戦い勝利した自分たちの働きに対する王の労いも得られなければ、その後国をどのようにしようという意欲も感じられない王の姿に次第に憤りを覚える兵士や民たちが現れ出しました。その危険な兆候を察知してヨアブは、その民衆の声の代弁者となるべく立ちあがりました。ヨアブは激しい口調で王に一つの決断を迫りました。何時までも家臣たちの功に報いず、亡くなった息子の死を嘆き続けるなら、王のために働いた兵士たちの労は無に帰することになり、これまで王に信頼を寄せた兵士たちは、自分たちは死んでいたほうがましだと考えるようになると王に直訴しました。そして、王にいまこそ立ちあがり、家臣たちの心に語りかけて欲しいと強く訴えました。そうしないともはやダビデと共に歩もうとする者は一人もいなくなるでしょうとヨアブはダビデに訴えました。

ダビデはこのヨアブの説得に耳を傾け、ついに立ちあがり、戦士たちの行進に閲兵し、王としての労いを兵士たちに表し、危機を何とかして回避することができました。

この戦いは親子で国を二分するという未曾有の悲劇的な戦争となりました。その原因は不当なアブサロムの権力志向にありました。ダビデは戦いに勝利することによってこの不当な行為に終止符を打つことに成功しましたが、サムエル記の記者は、ダビデ王の勝利とアブサロムの戦死と敗北を、神の義のしるしとして記しています(戦勝の伝令者の言葉にそれが表されている。18:28,31参照)。人間の勝手な振る舞いや、嘆き悲しみを越えて神の御心が堅くたっていっているのを見ていく事が大切です。そこに戦いに勝利した満足感がいかに小さくても、神は計画に反した王位奪取の試みに、否定的な解答を用意されます。サムエル記の記者は、これらの事実を報告することによってそれを明らかにしています。この戦いの勝利の記録は、ダビデの知恵や対策や成功をたたえることが目的ではなく、神がこれらの人間を用い、彼らの思いを超えて歴史を支配し、導いておられる、その御手を示すことにあります。その事実を見ることを忘れてはなりません。

旧約聖書講解