列王記講解

11.列王記上16:29-17:24『アハブと預言者エリヤの干ばつ預言』

オムリ王朝は約40年続きました。オムリの死後息子アハブが継ぎ、さらに孫アハジヤとヨラムが王位に即きました。オムリという名はイスラエル人のものではないので、彼は外国人の傭兵隊長で、召集軍の司令官に任じられていたのではないかと推測されています(メツガー『古代イスラエル史』)。オムリとその後継者たちは、イスラエル的要素とカナン的要素を同化させる努力を重ねました。オムリがサマリアに都を移したのもその一貫であったと思われます。列王記はオムリよりもアハブの宗教政策により厳しい批判を加えていますが、それはオムリによってなされたイスラエル人とカナン人の同化政策の継承に過ぎません。オムリは国内でカナン的祭儀が行なわれることを許容・促進し、サマリアにカナンの神々を祭った聖所を建てさせる一方で、ヤハウエのための聖所も築きました。ヤロブアム一世がベテルとダンにしたように、牛の像を建てました(ホセア5:6)。これを列王記の著者は厳しく批判しています(列王記上16:26。オムリは海岸部のフェニキア諸都市とも友好関係を維持し、息子のアハブの妃に、フェニキアの王女、シドン人の王エトバアルの娘イゼベルを迎え入れました。アハズは妻イゼベルのためにツロの神メルカト(旧約聖書では「バアル」)の祭儀のための聖所をサマリアに建てさせ、自らも進んでバアルに仕え、これにひれ伏した(16:31)といわれています。こうしてアハブは、イスラエルにおける宗教的昆淆の傾向をさらに強めました。これに対してヤハウエに忠実であろうとする人々のサークルから激しい抵抗が巻き起こりました。その代表が預言者エリヤでありました。

バアルは、カナンにおける農耕を左右する雨の神として崇拝されていました。それゆえ人々は酷い旱魃を経験すると、バアルに助けを求めました。しかし、エリヤがアハブの前に現れ、「わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。わたしが告げるまで、数年の間、露も降りず、雨も降らないであろう。」(17:1)と告げ、バアルではなくヤハウエこそ雨の送り手であり主であることを明らかにし、主なる神ヤハウエに対する排他的な崇拝を要求し、主の御前に立ち、主の御旨を告げる王の批判者として現れています。

古代エジプトやメソポタミアでは、預言者は宮廷にあって王の運命を預言する人物でありましたが、イスラエルにおいてはそうではありません。イスラエルの預言者の特徴は、民衆の苦難と叫びにこたえて、権力の横暴を批判し、民衆の救済を実現しようとすることにあります。エリヤはまさにその様な預言者でありました。

この王の前に突然現れたエリヤには、父の名も家系も明らかにされていません。彼がギレアドの住民でティシュベ人であったということ以上に出生については何も報告されていません。列王記の記者はこれによって、彼がただ神からきた人で、カナンから最も遠い、砂漠に最も近くに住んでいた人物で、その厳しい環境の中で、最もよくイスラエルの信仰の伝統が守られていたことを告げようとしています。彼は自らを「神の僕」であると語り、多くの偽預言者が「王の前に立って」語るのに対して、彼はただ「主の前に立って」語り続けました。

「数年の間、露も降りず、雨も降らない」は、大干ばつを預言する言葉です。パレスチナでは、10月から3月にかけて冬の季節に雨が降りますが、4月から10月にかけての夏の期間には全く雨がありません。しかし地中海に近接している丘陵の多い地勢には、1年の大半非常に激しい朝露に見舞われます。これは植物に有益な湿気を与えていました。このエリヤの預言に基づく旱魃は三年にわたったことが18章1節に報告されていますが、パレスチナではこのようなことは決して珍しいことではありません。しかし、その様な長期にわたる旱魃は、何らかの罪に対する罰として神が下されたものと見なされました。ここでは、エリヤの言葉の後に旱魃が生じている事実が、彼が神の僕であることを明らかにするとともに、エリヤが反対したアハブの有罪を宣告しています。

エリヤはこの告知の後、主からケリト川のほとりに身を隠し、その川の水を飲むよう命じられています。そこはアハブの支配が及ばない場所でありました。そこで主は烏によってエリヤを養われるといわれます。それは、出エジプトしたイスラエルを主が天からのマナで養われたように、エリヤを養われることが言われています。モーセとイスラエルは、荒野旅の間、主の言葉と恵みの力によって守られたように、エリヤもまた神の言葉と恵みによって守られます。朝と夕に烏が肉とパン運び、エリヤを養いました。そして川の水が涸れるまでその水を飲み続けることができました。それがどんなに滑稽に見えても、預言者が烏に助けられてその養いを受けることに、徹底した神の恩恵に身をゆだねて生きる道が示されています。

ケリト川の水が尽きたとき、主は再びエリヤに現れ、今度は、サレプタに行き、一人のやもめによって養われるように命じられました。サレプタは、やはりアハブの支配の外にあるフェニキアの村でありました。シドンの町から約11キロ南にありました。エリヤが身を寄せたやもめは、夫を失い、助けてくれるような家族もなく、一人残され、独力で息子を養っていました。稼ぎ手も社会における地位もないこのやもめは、食い物にされ、虐待され、彼女も息子も飢餓寸前の状態でありました。

しかし主は、その貧しいやもめによって、「あなたを養わせる」と命じていましたので、エリヤは薪を拾って最期の食事の用意をしている彼女に声をかけ、「器に少々水を持って来て、わたしに飲ませてください」と頼み、彼女が取りに行こうとすると、さらに、「パンも一切れ、手に持って来てください」と頼みました。飢餓に苦しむ彼女は、「一杯の水」を与えることはできても、「パン一切れ」与える余裕などなかったのです。それゆえ彼女はこのエリヤの求めに対して、「あなたの神、主は生きておられます。わたしには焼いたパンなどありません。ただ壺の中に一握りの小麦粉と、瓶の中にわずかな油があるだけです。わたしは二本の薪を拾って帰り、わたしとわたしの息子の食べ物を作るところです。わたしたちは、それを食べてしまえば、あとは死ぬのを待つばかりです。」と、今まさに息子と二人で死の準備をしている窮状を述べ、この求めにとても応じられない旨答えています。

新約聖書には、主イエスがティルスとシドンの地に行かれ、カナン人の女の娘を癒された物語が記されています。サレプタはまさにその地の真ん中にあります。そこはイスラエルの人にとって、異邦人の地で、神の計画の中で、救いの時にまだ入れられていない地でありました。それゆえ、主イエスも、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」(マタイ15:24)、とお答えになり、彼女の救いを求める声を無視されるような態度を示されました。しかし、その答えは、執拗に主イエスに娘の救いを求めて付きまとう彼女を追い払おうとして弟子たちに向かってなされたもので、子犬呼ばわりされても、そのこぼれるパン屑に与ってでも救われたいと願う彼女の信仰を主イエスはほめ、その願いを聞き入れられたという物語が記されています(マタイ15:21-28、マルコ7:24-30)。

エリヤが主に命じられていった地は、そのように異邦人の地です。しかも、もともとは貧しい生活をしていたわけではないのに、夫が死に、やもめとなり、助けるものがなく、人々から散々食い物にされ、虐待されたあげく、生活に困窮しているこのやもめによって養ってもらえと主は命じられ、その通りこのやもめから助けてもらおうとするエリヤの行動は、ただそれが主の命令であるゆえに黙々と聞き従う信仰から出たものです。そのエリヤに向かって「あなたの神、主は生きておられます。」と答えるやもめには、エリヤの神に対する信仰も見られますが、息子と最期の食事と心に決めたその食材を用いて、エリヤのために「パン一切れ」与える事はできないと答えるのです。

しかしエリヤは、「恐れてはならない。帰って、あなたの言ったとおりにしなさい。だが、まずそれでわたしのために小さいパン菓子を作って、わたしに持って来なさい。その後あなたとあなたの息子のために作りなさい。なぜならイスラエルの神、主はこう言われる。主が地の面に雨を降らせる日まで/壺の粉は尽きることなく/瓶の油はなくならない。」(17:13-14)と告げ、異邦人である彼女に、「イスラエルの神、主」への信仰と服従を求め、彼女に祝福を語りました。イスラエルの王アハズは、この同じ地方から、「シドン人の王エトバアルの娘イゼベルを妻に迎え入れ、彼女のためにバアルの祭壇を築き、アハズ自身もその祭壇にひざをかがめ一緒に礼拝するという背信の罪を犯されている現状の中で記されているこの物語は、信仰のよじれ逆転を示す大きなコントラストを描くものであります。

「やもめは、エリヤの言葉どおりにした」(15節)という言葉には、彼女の「イスラエル神、主」への信仰が表されています。このエリヤとやもめの信仰に、主は、「彼女もエリヤも、彼女の家の者も、幾日も食べ物に事欠かな」いようにし、 主がエリヤによって告げられた御言葉のとおり、壺の粉は尽きることなく、瓶の油もなくならないようにされました。

しかし主はご自身の言葉への信仰が真実なものであるか、今度はもっと大きな試練を与えてこの二人に問われました。それは、この飢饉を免れた後、やもめの大切な一人息子が病気にかかり死ぬということによって起ります。彼女の残された人生の唯一の楽しみは息子でありました。それは夫に先立たれた彼女にとって、家の将来は息子にすべてがかかっていたからです。その一人息子が死んでしまえば、これまで人々の辱めや生活の窮状に耐え忍んで生きてきたことはすべて水泡に帰すことになったからです。その死によって彼女は、かえって昔の不幸や、それに伴う罪責感が思い起こされ、結局のところ、預言者は最後の希望であった息子の生命を奪うために来たことになるのではないかと、エリヤに問うのであります。

「神の人よ、あなたはわたしにどんなかかわりがあるのでしょうか。あなたはわたしに罪を思い起こさせ、息子を死なせるために来られたのですか。」(18節)この持って行き場のない彼女の激しい悲しみの感情の爆発を受けて、エリヤの心は激しく動揺したことでしょう。エリヤもこのようにされる主の御心が直ぐにわかりません。エリヤは、この死んだ息子を彼女から受け取り、彼女の家で宿としている階上の部屋にその死んだ息子を抱きかかえて行き、寝台に寝かせて、「主よ、わが神よ、あなたは、わたしが身を寄せているこのやもめにさえ災いをもたらし、その息子の命をお取りになるのですか」と、主に向かって祈りました。彼はその子供の上に身を重ね、三度主に向かって、「主よ、わが神よ、この子の命を元に返してください」と祈りました。カナン人の女は娘の癒しを主イエスに執拗に祈り求めましたが、ここではエリヤがカナン人のこのやもめの息子のために主に向かって執拗に祈っています。人の命を支配しておられるのは主なる神であるということを、わたしたちが本当に実感できるのが、死という現実、自分の力でどうにもならない現実を前にしてでしかないということでは、信仰は日常生活の中でいらないということになります。しかし日常の中で本当に主を信じ告白して、神の御言葉に聞き従う者が、人生最大の危機の中で、本当に信頼し、辛抱強い祈りを主に捧げることができるのです。たとえその祈りが聞かれない祈りであったとしても、その苦難の解決は主の中にしかないと信じるからです。その祈りには必ず何らかの主の答えが与えられます。ここでのエリヤの祈りのように、いつも見事な主の答えがいただけなかったとしてもです。

主はエリヤの祈りに答え、子供を元通り生き返されました。そしてエリヤは、やもめに「見なさい、あなたの息子は生きている」といって、彼女のもとに返しました。エリヤが「見なさい」といったのは、主の御業です。主の約束の言葉に対する信仰の応答をする人間に対して表される主の御業です。

彼女はこの神の言葉を取り次ぐ預言者エリヤに現された神を信じ、「今わたしは分かりました。あなたはまことに神の人です。あなたの口にある主の言葉は真実です。」と告白しています。神の言葉は、神の選びの民イスラエルの中で聞かれず、偶像礼拝の罪が犯されている現実の中にありました。神はイスラエルの不信仰を告発し、やがてその言葉が異邦人世界に渡される日を示されるかのように、救いから最も遠いところにあるこの異邦人の貧しくされたやもめの下に届けられたのです。エリヤをこのように養ったのは神です。雨が降らない飢饉は、肉なる人間の生命の危機ではなく、人を真に生かす御言葉を聞かない人の霊の飢饉です。この飢饉を救う力と恵みの真実は、一人の預言者、一人のやもめを通して表されます。このやもめのように、いつも「主の言葉は真実です。」と告白する者となることがわたしたちに求められています。

旧約聖書講解