アモス書講解

21.アモス書9章7-10節『神の歴史支配から見る信仰回復への道』

ここには主の世界支配に関する断片的な預言が収められています。しかし、そのうち真正のアモスの預言に属するものは7節と8節の前半までで、それ以外のものは、後世の加筆または傍注として付け加えられたものと考えられます。従って、7節のみを取り上げることにします。そして、アモスの真正の預言はここで終わっています。その意味でこの預言は、アモス書に記されているアモス自身による最後の預言ということになるので、注意深く聞く必要があります。

7節は、民族の選びの思想から、誤った推論によってイスラエルに根付き広まっていた誤謬を、一掃しようとする主の言葉です。出エジプトに際して与えられた主の助けは、諸民族の間にあってイスラエル民族に特別な地位を与え、ヤーウェからの特権的扱いを保障するものであるという、御利益信仰がイスラエルに生じました。しかし、これは誤った歴史理解に基づく信仰でありました。その誤りは既に3章2節において指摘され、むしろイスラエルは、選びの特権と恵みを誰よりも多く与えられているゆえ、誰よりも厳しく主の審きに臨まなければならないことが告げられていました。7節の主の言葉はこの見解が誤っていることを改めて告げています。この信仰に現れている民族的驕りの感情とヤーウェ信仰が、民族宗教化した安心感を与えるものに脱してしまったことに対して、アモスは対決しています。

アモスは、ヤーウェにとってイスラエル人が、クシュ人(エチオピア人のこと)以上のものではなく、少しも変わりがないことを告げることによって、民族信仰を真っ向から攻撃します。アモスは、神の本質に立ち返ってこの議論を進め、神の歴史支配のあり方からその誤りを指摘しています。ヤーウェがイスラエルをエジプトから救い、パレスチナの土地を取得させたこと、ペリシテ人やアラム人を彼らの故郷からパレスチナへ導かれたのはヤーウェであること、そして、ヤーウェはイスラエルの敵となった民もイスラエルと同等に支配し働きかけておられることを指摘し、イスラエルのヤーウェから与えられている「選び」それ自体から、その地位の特権的性格を導き出すことはできないことを明らかにしています。

アモスは歴史を神の側から見ています。同時代のイスラエル人も、神が民族の歴史を支配しておられるということは認めていましたが、アモスのように神の側から歴史を徹底して見るということをしていませんでした。アモスはこの視点を与えられることによって、あらゆる歴史の出来事に超然として支配する、人格的力として自らを啓示する神を、真剣に受け止める信仰が与えられました。かくして神(ヤーウェ)は、アモスにとって、ある特定の民族の仲間となって諸民族の争いの中に関わり合いを持つだけの「小さき方」ではなく、すべての歴史を支配し、絶対の主として歴史を超えて立たつ「大いなる方」主権者です。従って、ヤーウェの力は全民族の上に及び、イスラエルの敵の歴史もまた、イスラエル民族の歴史と同様、神の目的に仕えるものでありました。だから、神は決して人間の尺度で測ることはできません。歴史における神の目的を無視する人間的な目的に、神が奉仕させられることもあり得ません。

アモスのこのような神把握は、諸民族の抗争の非合理な緊張の中で破綻することはありません。民族神は、抗争の敗北とともにその無力を露にします。そして、このアモスの神把握は、イスラエルの僭越な特権意識も打ち砕きます。イスラエルの特権意識は、神をその国家的関心の中に閉じ込め奉仕させる努力と結びついた、神の矮小化と軽視による根本的不信仰による現われでしかありません。アモスのこの神把握は、神理解を人間的制約から解放することにありました。この神把握から、あらゆる迷信の呪縛から解放される真の信仰が芽生えます。その意味で、アモスは真の信仰の回復者でもありました。

この預言の言葉がアモス書に記される最後の預言であることを考える時、アモスがこの最後の言葉で何を伝えようとしたかをもう一度深く考える必要があります。神を信じるということは、自分の思いで都合の良いように信じることではなく、神の啓示に従う信仰こそ重要であることをアモスは教えています。主の公義と正義に立ち、ただそこからのみ自らの信仰を確かにすることが求められます。それ以外はすべて罪であり、神の偶像化と矮小化につながります。神の選びも、それを自らの特権として自由に扱えるものではありません。神の歴史における正義の審き、その支配と導きは、イスラエルだけに与えられるものではないのと同じように、イスラエルにおいても避けることが出来ないものであります。否、3章2節において、

地上の全部族の中からわたしが選んだのは
お前たちだけだ。
それゆえ、わたしはお前たちを
すべての罪のゆえに罰する。

と述べられている通り、イスラエルは、選びによる恵みが多いだけ、厳しく扱われることも覚えなければなりません。アモスは、真の悔い改めによる信仰の回復を祈りながらこの警告を語っています。これは、神の意志による信仰の回復へのメッセージであります。そのような言葉としてこの最後の言葉を聞くことが何より大切です。

この理解に立つ時、アモス書の残りの後世の付加記事もまた重要な意味を持ちます。イスラエルの滅亡、そして、その教訓を生かせなかったユダの滅亡を経験したバビロンの捕囚の民は、アモスの審きの言葉の中に主の福音を見ました。もう一度アモスの言葉に聞き、真の悔い改めを示すなら、主はイスラエルの繁栄を回復し、再び引き抜くことはしないとの確信を、このアモスの審きの言葉から読み取った編集者たちの信仰がそこに見られるからです。アモス書を今日どう読むべきか、これらの付加が教え、アモス書を結んでいます。

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