サムエル記講解

45.サムエル記下14:1-33『アブサロム、恩赦により帰還する』

ダビデ王朝の王位継承問題は、その第一位の権を持つアムノンが第二の権を持つアブサロムに妹の復讐として殺害され、アブサロムもその咎めを受けることを恐れて逃亡したため、大きな危機に直面することになりました。ダビデはアブサロムの逃亡中3年の間、アムノンの死を悼み続けましたが、ついに彼の死をあきらめるようになり、ダビデ王の心はアブサロムを求めるようになっていました。

しかしダビデは、アブサロムを赦して、逃亡の地ゲシュルから呼び戻すような行動を取ろうとしませんでした。ダビデの心情を察したヨアブが行動を起こしました。ヨアブがなぜこのような王とアブサロムの間を仲立ちすることになったか、その理由はここには何も語られていません。ヨアブの策が成功し、ダビデに赦されて帰還することになるアブサロムは、後に王に反逆し、ヘブロンで自分が王になったと宣言して、ダビデの王国とその王位を奪取しようと試み、ダビデはアブサロムから追われる立場になります(15章以下)。両者の関係はこのように逆転することになりますが、ヨアブはアブサロムを王にして、自分が彼の下でよい地位を得るために、ここで便宜を図ったとは思えません。というのは、後にダビデの厳命に反してアブサロムの命を奪うのは、ヨアブであるからです(19章6節以下)。ここでのヨアブは、ダビデの王位継承の問題を真剣に考えており、アブサロムの内にそのふさわしい資質を見出していたからだと思われます。

ヨアブはテコアに使いを送り、知恵のあることでよく知られていた一人の女を呼び寄せ、彼女に喪を装わせ、彼女に王に語るべき言葉を託しました。このテコアの女が話した二人の息子の譬え話、兄弟殺しに対する血の復讐は、殺された者の一族の手で行われる習慣は、今日のベドウィンの間でも見られます。この譬えの背景には、兄弟殺しという重い罪を一族が裁くという大義の下で、実際には跡取りになる者を排除して、相続財産を手に入れようとする一族の意図が存在します。

このテコアの女は、王が彼女に関わる事件に関心寄せ、王自身が事態を秩序ある状態に戻すと述べるだけで、保証を与えるだけでは満足しません。彼女は王が行う決定を主の名にかけた誓いで強めて欲しいと要請をしています(11節)。王がそのように行動すれば、王自身が復讐しようとする一族の仇になるからです。テコアの女は、架空の事件を口実にして、王の神聖な誓約させて、王を拘束し、兄弟殺しに対し新たな殺人で償わせるようなことをせず、むしろ「名」を保つために寛大な措置を取るように、王に正式に確約させることに成功しました。

このテコアの女は、一族の「私事」の問題に、王の寛大で平和的解決を行うとの主の名による誓いをしたのであれば、「一族」の私事ではなく、「神の民」の公の問題となるので、それ以上の態度をとらなければならないように、王の決断を導きます。そして、核心に迫ります。ここに言及される「追放された方」が誰であるかその名が上げられていませんが、アブサロムのことであることは間違いありません。そして、大胆にも、彼女は追放された者を帰還させないならば、「王様は責められることになります」(13節)といって、王に決断を迫っています。

彼女は実に言葉巧みで、王の判断をただ一つの方向しかないように導いています。譬えでは、一族が存続するか否かが問題となっていますが、ここでは国家と民の将来に関わる事柄が問題になっていることを明らかにし、究極的には王位継承のことが問題になっていることを明らかにしています。

つまり彼女が言おうとしていることは、もしアブサロムに恩赦が与えられずにいるならば、彼が外国で死ぬことになるということです。

「わたしたちは皆、死ぬべきもの、地に流されれば、再び集めることのできない水のようなものでございます。」(14節)、という文章が誰のことをいっているか、判りにくい形になっていますが、生きている者にいくら辛くあたっても、死者(アムノン)を蘇らせることはできない、といっているというふうに解釈することができます。これをアムノンのことを思い出させる言葉であると理解するなら、神は命を奪うことを欲しておられるのではなく、「神は、追放された者が神からも追放されたままになることをお望みになりません。そうならないように取り計らってくださいます。」という文章とのつながりが自然になります。

テコアの女は、このように言葉巧みに王のなすべきことを明らかにし、その決断を促しています。しかし、そこまで決断を迫りながら、彼女は再び15節以下において話題を個人的な問題に引き寄せています。これは王の下に来訪した理由は、個人的な用件のためであって、追放されている王子の問題は、この自分たちの問題に似たケースであったので、たまたま引き合いに出されたに過ぎないという印象を与えようと努力しています。彼女は、知恵に富んだ王を前に、手練手管を駆使して、王が腹を立てず、冷静に、彼女の個人的な一族の問題から、国家と王家の将来の問題に痛手となるような行動を取るよう促しています。そして、彼女はこれまで主がダビデと共にいたが、今必要とされている決断の際にも、主がダビデと共にいて正しい判断に導かれるようにとの祈りでその言葉を結んでいます。

ダビデ王は、これらテコアの女の言葉をすべて聞き、彼女にこれらの言葉を語らせたのは、ヨアブであることを悟りました。そして、アブサロム追放に関してヨアブがどのような意見を持っているかも即座に理解し、そのことをテコアの女に正直に答えるよう求めました。彼女はこの王の求めに、実にあっさりと正直にその通りであることを答えています。そして、この答えを持って彼女は王の下を離れます。

その後、王は直ちに行動をはじめています。王は一切の感情を交えず、ヨアブの希望通りにアブサロムを呼び戻すように命じました。この王の決断をいかにヨアブが喜んでいたかは、そのあとの彼の行動を見れば明らかです。ヨアブは地にひれ伏して礼をし、王に祝福の言葉を述べ、「王よ、今日僕は、主君、王の御厚意にあずかっていると悟りました。僕の言葉を実行してくださるからです。」(22節)と王に感謝の言葉を述べて、ゲシュルに赴き、アブサロムを連れ戻しました。

ゲシュルからエルサレムに帰るヨアブとアブサロムの間でどのような会話が交わされていたか判りませんが、二人はアブサロムが王の全面的な赦しを受け、祝福された王子としての王との親しい関係の中での今後の歩みが保たれることを期待しながら帰途についていたと思われます。

しかし、エルサレムに帰り、ヨアブが王から聞いた言葉は、アブサロムを「自分の家に向わせよ。わたしの前に出てはならない」というまったく期待に反するものでした。王に赦されたと思ってせっかく帰ってきたのに、アブサロムは王に謁見することも赦されないまま自分の家に帰りました。その後アブサロムは自宅監禁の状態に置かれたわけでありませんが、王の好意を得ない疎遠な関係のままの日を過ごすことになりました。

25節以下に、アブサロムの容姿の美しさ、家族関係についての短い報告が記されていますが、18章18節に、「アブサロムは生前、王の谷に自分のための石柱を立てていた。跡継ぎの息子がなく、名が絶えると思ったからで、この石柱に自分の名を付けていた。」と記されている報告と矛盾が見られます。おそらくアブサロムには、ここに報告されているように3人の息子があったが何らかの理由で死んでしまったのだと思われます。不遇な叔母の名と同じで記される一人娘のタマルの名だけが記されていますが、彼女が大変美しくアブサロムが愛していたということも考えられますが、サムエル記の記者の書き方からすれば、彼女の名だけを記すのは、彼女だけが残ったということを伝えるためだと思われます。いずれにしてもここに報告されているアブサロムの容姿端麗な姿は、いつか王の職位について民を代表するにいかにもふさわしい、堂々とした王子の姿です。彼はその容姿の美しさによって多くの人を引きつけ、また15章に示される巧みな知恵の働きによって民の心をダビデ王から自分の方に向けるようになります。

28節以下に記されるエピソードは、アブサロムが自分の望みを確信し、そのためには手段を選ばない人物として描かれています。と同時になぜアブサロムが将来王に反逆し、逃亡していたアブサロムを連れ帰ることに尽力したヨアブが王の命令に反して、アブサロムの命を立つ役割を果たすことになるのかを予測させる事件として、これらの出来事が報告されています。

アブサロムは2年間エルサレムで過ごしましたがまだ王に会うことが赦されていません。この王の態度に歩調を合わせるようにヨアブもアブサロムと会うことはなかったようです。アブサロムは2度にわたってヨアブの下に使いを送り、王の完全な赦しを得るようにたのもうとしますが、ヨアブは一向に腰を上げようとしませんので、業をにやしたアブサロムは、部下に命じて自分の地所の隣にあるヨアブの地所の大麦畑に火を放たせ、ヨアブが自分の所に来るように仕向けました。

この作戦は見事に成功し、ヨアブは怒ってアブサロムのところに抗議にやってきました。アブサロムはその機会を逃さず、自分の願い、心の内を明らかにします。ゲシュルから帰って二年間、王と面会もできず、生殺しのような状態に置かれたままでは、帰って着た意味がないことを切々と訴え、王に会いたいことを伝えます。もし自分に罪があるなら、王は死刑にすればよいではないかとまで訴えます。

アブサロムの決死の覚悟を聞いたヨアブは、ついに重い腰を上げ、王にアブサロムの心情を報告します。そして、ついにダビデ王は息子アブサロムを呼び寄せ、許しと和解が成立することになります。王の口づけは恩赦のしるしとしての意味がありました。

しかし、アブサロムが過ごした3年間のゲシュルでの逃亡生活と2年間のエルサレムでの王と会見の赦されない孤独な生活は、その心に癒すことのできない大きなしこりを残すことになりました。王のアムノンとアブサロムをめぐる問題の扱いは、全部が全部、不手際であったとしかいいようがありません。サムエル記の記者は特別なコメントをしていませんが、これら一連の出来事を記すことによって、ウリヤとその妻の場合と同様、ここでもまたダビデに対して厳しい判断を下しています。ダビデは自分自身の罪が息子たちによって繰り返されていることを見過ごしただけでなく、その後の対応においても、その心情を逆なでさせる大きな失策を犯しています。ダビデはアブサロムの心に深く刺さった棘を最後まで取り除くことをしませんでした。それがこの後のアブサロムの反逆に繋がることになります。

しかし、これらすべての背後に神の隠された摂理が働いていることをわたし達は見なければなりません。神はその罪を見ぬいてこのような不幸な人間の営みをとおして罰せられますが、また約束に対する人間の側の不従順さにもかかわらず、驚くべき慈しみによって貫かれた摂理の業を隠れたところで行われています。ダビデも自分の跡を継ぐべき王子は年長のものであるべきだという考えに支配され、その息子たちもそのような考えのもとに行動していますが、そのような人の考えは挫折し、行き詰まりますが、主が愛されたソロモン(エディドヤ)は、すくすくと成長し少年時代を迎えていたことでしょう。石ころ一つでゴリアトを倒した少年ダビデが美しくまばゆいばかりに輝いていたように、ソロモンもまた次の王となるべく主なる神によって定められた少年時代を過ごしていたことでしょう。

旧約聖書講解