哀歌講解

1.哀歌1章 『娘シオンの嘆き』

今日から、哀歌を学びます。伝統的な解釈は、「哀歌」の著者はエレミヤであるとみなしてきましたが、今日ではそのような見解を支持する者はなく、無名の作者とするのが大勢です。執筆時期は、紀元前587年のエルサレム陥落・神殿破壊・第2回バビロン捕囚からあまり遠くない時期に書かれたと思われます。

紀元前の587年の破局は、イスラエルの信仰に決定的な影響を与えました。

エルサレムの陥落とバビロン捕囚は一瞬の内になされたのではありません。597年にネブカドネザルのバビロン軍によるエルサレム包囲と第1回捕囚がなされますが、この時捕囚として連れ去られたのはエホヤキンとその家族や廷臣たち、高級官吏や貴族、専門技術者などで、エレミヤ書52章28節によれば、3023人です。ネブカドネザルはエホヤキンの叔父マッタニアを傀儡王として即位させ、名をゼデキヤと改名させました。ゼデキヤは、しばらくは臣下としての忠誠を尽くしましたが、エレミヤの忠告にもかかわらず、エジプトの援軍を信頼して、愚かにもバビロン王へ臣従関係の破棄を宣言するという愚行を犯しました。ネブカドネザルは直ちに行動を起こし、短期間のうちにユダの全域を制圧し、ゼデキヤ王は捕えられました。ネブカドネザルはゼデキヤの目の前で彼の息子たちを殺し、その後でゼデキヤの目をえぐった上で、捕虜としてバビロンへ送りました。そして、エルサレム神殿に火を放ち、徹底的に破壊しました。エルサレムの住民の組み替えを行い、第1回捕囚で残っていた上層階級や有力者823人を、第2回捕囚としてバビロンに連れ去りました。第1回捕囚から10年後の587年のことです。582年に第3回捕囚がなされ、745人がバビロンに送られています。捕囚にされたのは全部で4600人で、数の上では決して多くの人が捕囚とされたわけでありません。しかし、ユダに残されたのは、主として下層階級の地方居住者たちで、彼らはバビロンに対する反抗を企てる力を持たない人たちでした。ネブカドネザルは指導的な立場にあった祭司・官吏・廷臣等をリブラに幽閉し、60名ほどを処刑し、他の者を捕囚としてバビロンへ連れ去りました。

この記憶は、捕囚とされた人々に強烈な印象を持って刻み込まれ、決して風化することなく、子孫に伝えられていきました。

捕囚の人々は、私たちが想像するほど惨めな生活をしていたわけでありません。奴隷としてではなく、半自由人として生きることが許されました。移動の自由は与えられませんでしたが、集会を開いたり、長老を選ぶ自治も許されていました。家を建て、畑を耕し、家族を形成することも出来ました。エレミヤは捕囚民に手紙を書き、「人口を減らしてはならない」と忠告しているほどです。エレミヤからの手紙を受け取ることができるほどですから、ユダの地にいる残りの民と捕囚民との手紙のやり取りもある程度みとめられていたと思われます。エルサレムにいた人々も、捕囚民の生活ぶりをある程度知っていましたし、バビロンの捕囚民も故郷の様子をよく承知していたと思われます。

捕囚民は、自分たちの固有性の自覚を失うことはなく、帰還への憧れと共通のヤーウェ信仰によってしっかりと互いに結び合わされていました。聖所から引き離された彼らは、安息日と割礼を重んじました。説教もゆるされていて、説教は彼らの信仰を支える上で重要な意味を持っていました。

捕囚の民は、こうした状況の中で587年の破局の意味、不滅と思われていたダビデ王国の終焉の意味を問いだしました。エルサレムは神の住まいではないか、なのになぜ神殿が失われてしまったのか。ダビデ王国の永遠の存続の約束にもかかわらず、なぜ滅びてしまったのか。あの約束は何であったのか。ヤーウェは約束を守らなかったのか。あるいは守る力がなかったのか。そうであるなら、バビロンの神マルドゥクはヤーウェよりも強いのか、等々の疑問が次から次へと湧いて出てきました。

しかし、ヤーウェを信じる忠実な人々は、新たな自覚を持って神殿崩壊とダビデ家の断絶の答えを与えようと致しました。その答えが、「哀歌」や「申命記的歴史編」という形で結実していきました。この人々の信仰の支えになったのは、預言者が語った審きの預言でした。特にエレミヤの預言でした。預言者たちは、ヤーウェを信頼せず、政治的な知恵や一時的な経済的な利益に走り、民を犠牲にする為政者たち、またバアル宗教の偶像を拝んだり、ヤーウェの祭儀にそれらを取り入れたり、形だけの犠牲による礼拝を守っている者の不信仰に対して、神の審きが下ることを預言していました。神の声に聞き、悔い改めよとの呼びかけを行っていました。しかし、こうした災いは、預言者の呼びかけ、神の言葉に最後まで聞かないで罪を犯し続けた背信の民イスラエルに対するヤーウェの審きである、と信仰的に理解していきました。そうであるなら、自分たちの祖国を滅ぼし神殿を破壊したバビロンはイスラエルの罪を裁く神の道具でしかなかったと理解することができます。

この信仰から「哀歌」が生まれてきました。つまり、哀歌において表明される信仰の確信は、ユダに襲いかかった破局のうちにさえ、歴史の主であるヤーウェ自身をお示しになっておられるというものです。これらの災いがヤーウェの審きであるなら、災いを取り去れるのもヤーウェ以外にないということになります。しかし、それには民自身によるヤーウェへの立ち返りが不可欠となります。ここから、罪の告白と懺悔への呼びかけがなされます。これが神殿の廃虚で行われた嘆きの祭儀の中心的な部分となりました。

哀歌はどれもアルファベットいろは歌の形式が取られています。

第1章の第一の歌は、大きく二部に分けることができます。

第一部は、1-11節です。ここで詩人は悲しみの報告の中で、都エルサレムの自らの罪のゆえに負わされた運命を嘆いています。

第二部は、12-22節で、この第二部はさらに二つに分けられています。即ち、12-16節においては、エルサレムはまず異教諸国の前でヤーウェから加えられた悲しみを嘆いています。次に、18-22節で、エルサレムは自らの罪を告白し、嘆きながら、異教の全ての民に向かい、悔い改めの誓いをしながら、敵の処罰を願い求めてヤーウェに向かっています。

詩人は587年の大破局を思い浮かべながら、見捨てられた娘エルサレムへの嘆きを歌っています。かつて生命に満ちあふれ、近隣諸国からの使節の訪問を受け、にぎわっていた都エルサレムは、いまや寡婦のように法的な権利も保護も失い、失意と孤独の中にあります。

失意のうちにある時、友人たちが慰めに来てくれば勇気も湧きます。しかし、その友人や隣人が、災いの及ぶのをはばかって、不幸のなかにある者を訪ねないとすれば悲しいことであります。しかし、その友人で隣人であったはずの者が、自分を苦しめる敵の側につき、利益をむさぼっていることを知ることはもっと悲しいことです。今やエルサレムを慰める者は一人もなく、敵に取り囲まれ、ついに貧苦と苦役のすえユダは捕囚の民となり、異国の民の中にあって憩うことのできない、せっぱ詰まった状況にあります。

詩人は、現状が悲惨であるかないかより、祖国、特に都エルサレムの荒廃ぶりを聞く度に、それを思い浮かべては嘆き悲しみますが、詩人はそれを嘆くだけではなかったのです。彼はその出来事の背後に、ヤーウェが立っておられることを、信仰の目で見ました。シオンの悲惨の原因を、その叛きの罪のゆえの主の審きにあったことを認め、5節においてそれを告白しています。

そして7-11節において、罪を犯したエルサレムが、敵の手に引渡されるさまが嘆きとして歌われています。しかし、ここに、その破局の原因を見極めようとする詩人の言葉に、一条の光が射してくるのを見ることができます。誰の目にも明白な衣の房につく出血の汚れに気づかない女は、まことに愚かであるというほかありません。しかし、破局がそうした罪責の結果であることを忘れようとすることは、もっと愚かです。その不名誉と愚かに詩人は気づき目を留めます。しかしもし、その罪責に苦しむ町が名誉を回復する道があるとするならば、ヤーウェがその悲惨さを心に留め、世界の諸民族の中にあって、新しい名誉ある地位を与える以外にない、ということを詩人は知っていました。

だから「御覧ください、主よわたしの惨めさを、敵の驕りを」と叫びました。エルサレムの恥辱を終らせるのはヤーウェがこの歴史に介入する以外にない、ということをますます確信し、ヤーウェが諸国から恥辱を受けているエルサレムに目を留めてくださいと、ヤーウェによる歴史の転換を期待し祈り求めます。

しかし、詩人はこのように信仰による転換を語りますが、破局の原因について甘い分析をしているのでありません。それは、どこまでも罪を犯し続け、神に背を向け続けたイスラエルに下されたヤーウェの審きとしての破局であり、主は諸国の間にイスラエルの運命を手渡すことによって怒りの審判を下し、ヤコブを包囲し、エルサレムを敵の手に渡し、物笑いの対象にします。

しかし、詩人はここに希望を見出す道を発見していきます。イスラエルは強大な諸国の狭間にあってその無力をさらけ出し滅びたのでない。イスラエルは主への不信仰の道を歩み続けた結果、主に裁かれたのです。その背後にあって主権を握っておられる主を信仰の目で見ることができた時、真の悔い改めへと転換することができました。

19節において、詩人は素直に「主は正しい。わたしが主の口に背いたのだ」と罪を告白し、悔い改め、主に立ち帰ります。

その告白を人が聴こうが聴くまいが、詩人は世界に向かって声高く叫びます。もし異教諸国民がその声を聴き、その苦しみの脈略と原因を理解するならば、彼らは神を畏れ、神の選ばれた者たちを解放し、イスラエルを帰還させなければなりません。

苦しむ者の声を聴くということは、ただその者のために時間を割き、彼の心を重くしているものが何であるかを彼に語らせるだけでない。同時にその者の苦しみを取り除く方法を考え、そのために自分に可能なことを果たすことです。この詩人は、神が異教の諸国民を通じて、イスラエルの背信の罪を審き、その悲惨を味合わせたなら、神はまたその民らを用いて、イスラエルの将来に希望を持てるように開かれるはずだという信仰を持って、詩人は立ち上がろうとします。詩人は、エレミヤの言葉に耳を傾けなかった民の不信仰の原因が、神による事態の転換を信じなかったことにある、と分析するだけでとどまりません。「御覧ください」「聞いてください」と祈り求めるこの詩人は、ただ主による転換を求める信仰を保ち続けます。

この祈りには答えがありません。嘆きしかありません。しかし、詩人はこの嘆きの祈りの中で、主による転換を祈ることによって、事態を究極において転換させることのできる主への揺るぎ無い信仰を表明しています。わたしたちに必要なのは、この信仰の祈りです。

旧約聖書講解