サムエル記講解

13.サムエル記上12章1-25節『サムエルの告別説教』

本章には、聖書の表題にもある通り、「サムエルの告別説教」が記されています。その主題は、王制に対する神中心的な見地からの徹底した批判です。サウル王に関する伝承が三つ存在することについては既に明らかにしました。本章は、7、8章、および10章17-27節に表れる王権に批判的な態度を示す資料と直接続くものであると見なされています。つまり、王制に対して好意的、肯定的立場に立つ9章1節‐10章16節および11章とは異なる伝承に属します。これは、ミツパ伝承群とでも言い得る、神中心的な立場からの王制に対する批判的な姿勢で書かれています。サムエル記(士師記にも)には、王制に対する二つの見方、資料が並存しています。今日の聖書学者は、サムエル記を最終的に纏め上げた著者として「申命記史家」を想定していますが、その申命記史家がこの王制批判に立つミツパ伝承の立場を受け入れてまとめている事実を重く見る必要があります。しかし、申命記史家は王制を評価する資料を捨て去りませんでした。一方で、伝承素材をそのまま用い、他方で、その素材を用いながら、独自の神学的観点からその歴史の意味を叙述し、まとめあげていくという手法を取っています。本章はまさにそのような観点から編集された物語です。

本章は、一つの説教です。説教者はサムエルで、聴衆は当時の民です。しかし、その聴衆の中に(というより実際の聴衆として)、後代のイスラエル人たち、即ち、イスラエルの大破局とバビロン捕囚を体験した前6世紀に生きていた、著者と同時代の人々が含まれていました。士師時代も一つの説教で始まり、説教で終わることにより神学的な回顧と眺望がなされています(例えば、士師記2章6節-3章6節)。ヨシュアは過去を振り返り、サムエルははるかに王国時代の将来を遠望します。その違いがあるにせよ、神学的な観点から、神の導きと民の背信を眺望する点で両者は共通しています。

1節に「サムエルは全イスラエルに向かって」説教を行ったことが明らかにされていますが、その場所が何処であったか何も語られていません。11章14節とのつながりを考えるなら、ギルガルということになるでしょうが、ここでなされている民とサムエルが真剣に対決している姿勢は、王を称える歓呼の声が響き渡る11章の末尾の続きとしてふさわしくありません。サムエル記の著者は、このつながりの悪さ、互いの矛盾を承知の上で、このサムエルの説教はどうしてもこの位置になくてならないものであると考えました。それはイスラエルの歴史の中で最初の王の統治が始まる前に起こったはずの一連の出来事の最後に位置するべきものであったからです。

冒頭の言葉は、8章7節の文言が取り入れられ、サムエルは民の声を聞き入れ王を立てたことを明らかにしています。それが主の命令であったことがここでは明らかにされていませんが、13節においてそのことが語られています。ここでは特に、主に逆らう民の意思が強調されています。申命記史家は王制の歴史全体を、根本的な意味で一つの過ちであったと神学的に見ています。その将来を見通すように、サムエルの説教は預言者的に王制の誤りとその可能性をその始まりにおいて批判しています。これを聞く申命記史家の同時代の聴衆は、現在の苦難の歴史の原因が何処にあるか痛く身にしみて理解できました。反対に、イスラエルの民がこれに真剣に耳を傾けなかった歴史が、サムエル記・列王記を通してその王国の衰亡を記す中で明らかにされて行きます。

日本で歴史教育の問題が時々取り上げられます。しかし、わたしたちの国では、その歴史の誤りの事実を正直に伝え、将来同じ誤りを繰り返さないように、そこから学ぶという姿勢が弱いことがよく言われます。ヘブル人にとって過去は、後ろにあるものではなく、前に置かれたものとして存在します。過去を振り返り見るのですが、前に絶えず置いて、自分たちの歩むべき道を歩んでいるか検証していく、そこに真実の神への立ちかえり=悔い改めの信仰が確かなものとして生まれていくのです。王の歴史の成立と共に、神から直接立てられた預言者が、その誤りを大胆に指摘し、その将来を明らかにしていく、神の声となって登場します。心地よいことをいつも語ってくれる偽預言者ではなく、耳に痛くてもいつも真実を明らかにする真の預言者が、罪ある民の歴史には必要です。

まずサムエルは、身近なところから歴史を回想します(2-5節)。それは、自分が最後の士師としてつとめた時代であります。サムエルは士師として民を指導し、民の間を歩いて回り、公正に裁きをなしてきました。サムエルはその在任期間に人から糾弾されるようなことがあったかと問います。いつも誠実で潔白に務めてきたことを、「主と主が油注がれた人」を証人にして、その前で問います。不正な賄賂を取り、裁きを恣意により曲げたことがあるか、民の権利を踏みにじったり抑圧するようなことを行っただろうかと問います。サムエルのこの問いに、民はそのようなことは一度もなかったと答えます。それにより士師時代全対の評価をサムエルはしています。つまり神はいつも誠実な士師たちを神の道具として必要な時に立て、その時代時代に神はいつもふさわしく民を配慮してきた歴史を明らかにするのであります。ほかの国々のように王はいなくても、イスラエルはこの神の配慮により、いつもサムエルのような人物を士師として備えられ、すべてば秩序正しく営まれていたのであります。そうであるなら少しも王が必要であるという結論を導き出す根拠は出てきません。むしろそれ自体が罪であるということになります。

しかし、士師記にはこれとは異なる見方も記されています(士師17:6、19:1、21:25)。士師時代は、王がなく各自がめいめい自分が良いということを行っていた時代で、無秩序状態であり、それを終結させるものとして王制の出現を期待する叙述が見られます。この見方からすれば、王国時代の出現は、そのような無秩序な時代に終止符を打つものとして、むしろ好ましいものということになります。聖書は対立した二つの理解を並存させています。

そして、神の方により多く目を向けるとき、神は困苦の救い主として介入し、士師たちをご自分の道具として召し出し、民と共にあって民を守り、祝福されることに目が向き、悔い改めの信仰を生じさせるが、反対に、人間たちの方に目をより多く向けると、民は神からはなれ、神に逆らい、神を裏切る姿が見られることを明らかにしていきます。

6-8節において、サムエルは神に目を向け、出エジプトにおける神の導きの歴史を概観しています。そこでは神は困苦にあえぐ民の叫びを聞き、その歴史に救い主として介入されたことを明らかにします。

そして、9-11節において、この神の恵みと慈しみの御手により救い出されたにもかかわらず、恵みの神を忘れ、バアルやアシュタロトといいう偶像崇拝の罪を犯し、そむきの罪を犯した士師時代が回顧されます。この罪深い民を悔い改めさせるため、彼らを敵の手に渡されたことが語られます。ハツォルはガリラヤ湖の北約15キロのところにある上ガリラヤ地方にある最大のカナン人の都市でありました。その軍司令官シセラとの戦いにおいて活躍したのは、女預言者デボラです(士師4章)。彼女が士師として裁き、バラクを呼び寄せ、戦いを勝利へ導きました。その罪にもかかわらず、その罪を悔い改め叫びを上げるイスラエルに神は士師を起こされます。そこに女預言者もいたことを忘れてはなりません。神はエフタのような遊女の子も用い、イスラエルの救いのために器として用いられます。エルバアルは、ギデオンのことで、「バアルは争う」という意味を持つ名です。ギデオンはバアルの祭壇を壊し、主の命令に従い精鋭300人で、ミィデアン人の大軍勢と戦い勝利に導きました。その勝利は主に信頼し聞く者に与えられたものであることが明らかにされるようにもたらされました。しかし、彼の息子アビメレクは悪しき人物で、政略によってエルバアルの子、即ち彼の兄弟70人を殺し、王になりますが、エルバアルの末の息子ヨタムだけが身を隠して生き延び、このヨタムがアビメレクの罪に対し警告の声を発しました。アビメレクは本当に悪しき王でした。その最後は、一人の女が投げた引き臼の上石が頭蓋骨に当たって死に、彼を王にしたシケムの人々も主の裁きを受けます。アビメレクの事件は王制のもたらす危険な面を予表する出来事でありましたが、ここにはそれが記されていません。ここでは主の手として働いた士師たちのことだけが記されているからです。そして、この士師のリストの最後にサムエルの名が記されています。これは、写本を書き写す写字生の誤記ではないかという見方をする注解者もいます。例えば、サムソンの誤りではないかという意見もあります。しかし、この説教は特定の歴史状況を超えてサムエルを含む士師時代の全体が概観されています。そこには、救い主を遣わし、民に平安を与えようとする神の慈しみと、繰り返し主を捨て、他の神々に仕え、自分勝手な道を行こうとする民の罪深さを見る観点から、士師の歴史の終わりと王を求める出来事の始まりの問題を見通す意味からも、やはりこの最後はサムエル自身でなければなりません。

そして、この文脈の中で王を求める民の要求が捉えられます(12節)。この章にはサウルの名は現れません。しかし、繰り返し、「シャーアル」(求める)という語が何度も出てきます(13、17、19節)。それは、「サウル」(求められた者)を暗示するものであると考えられます。

しかし、王を熱望することは、主なるヤハウエの救いの意思と、救済者としての能力を疑うものであるという点において、この罪はあらゆる罪を凌駕するものとして捉えられています。ここには11章とはまったく異なる形でアンモン人ナハシュに対するイスラエルの態度が問題にされています。この新たな敵の登場に際し、主への叫びではなく、本来の王を差し置いて、人間の王を求める声が上がったことがとりわけ鮮明に示されています。王を求める民の声は、反抗的で堕落した態度であると見なされています。

にもかかわらず、ここでも主ご自身が民の要求にこたえて、彼らに王を与えたことが強調されています。王を求めることは罪の心から生まれたものであっても、神はその歴史の始まりを罪の力に委ねてしまうようなことはなさいません。王制の中にも一つの希望のあることを明らかにされます。

こうして今や始まろうとしている王国時代が眺望されます(13-15節)。王国の将来が祝福されたものになるかならないか、ただ一つの問題に集約されます。それは、主を畏れ、主に仕え、御言葉に聞き従うかどうかにかかっています。神の言葉として聞くかどうかに神の民の歴史はかかっています。その後の歴史を見ますと、偶像を取り除き、改革に徹したヒゼキヤとヨシュア以外の王はすべて断罪されています。もし王たちがその行いを悔い改め、神のみを畏れ敬い聞き従うという信仰をもって歩んでいたならば、587年に起こった王国の滅亡とバビロン捕囚による大破局のような事態には至らなかったであろうことを、この書の読者は悟るべきです。

しかし、この説教を聞くサムエルの直接の聴衆にとって、これは現在の問題です。勿論、わたしたちにとっても、この書がかかれた時代の読者にとっても、現在の問題です。

サムエルはそれが現在の問題であることを意識させるために、一つの警告を語ります。小麦の刈り入れ時期は、5月から6月です。パレスチナ地方は、この時期乾季にはもはや雨も雷もない季節となっています。だがそのようなことが起こることが、主の異例の意思表示として見なされているのであります。しかもサムエルの祈りに答えて起こるものでありますからなおさらです。7章10節によると、サムエルが主に祈り捧げ物をささげて礼拝している時に、ペリシテ人が攻めてきましたが、主がこの日ペリシテ軍の上に激しい雷鳴をとどろかせ、混乱させ、敗北させました。主のみ言葉に聞き従うサムエルの祈りに主は答え、雷鳴をとどろかせられます。民はこの出来事により、主に対する畏れと悔い改めの心を抱きます。そして、サムエルに我々が死ぬことがないように主に祈ってほしいと願い出ます。そして、罪を告白します。

サムエルは罪を悔い改める民に、恐れるなと繰り返し、悪を離れ、主にのみ仕えることの大切さを語り伝えます。虚しい救うことのできないものを慕うなと警告します。主は偉大なみなのゆえにご自分の民を疎かにされることはない、といいます。主がご自分の民とされた者を見捨てられることはない、といいます。主が覚えていてくださることが救いなのです。国家存亡の危機の時にも主は共におられます。都の土台が揺らぐようなことがあっても主は共におられる神です。そして、この民のために祈り御言葉を取り次ぐことをサムエルは止めることはない、といいます。神はサムエルの後の時代も、預言者たちを起こされます。

そして、彼らを通して主の声に聞くか聞かないかにこの国の将来が決まることを示してこの説教は終わります。祝福と呪い、命に至る道と滅びに至る道は、御言葉に聞くか聞かないかにより、分かれていく、このサムエルの言葉を神の言葉として聞くことが、わたしたち一人一人に求められています。

旧約聖書講解