士師記講解

3.士師記3章7節-11節『オトニエル』

3章7節から、士師たちの活動が報告されています。5、6節でカナン定着時代を迎えた最初のイスラエルの様子が伝えられています。イスラエル人は先住民を完全に追い出さず、「カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の中に住んで、彼らの娘を妻に迎え、自分たちの娘を彼らの息子に嫁がせ、彼らの神々に仕えた。」と言われています。その結果どうなったかというと、7、8節で、それは「主の前に悪とされる」こととなり、主の怒りはイスラエルに向かって燃え上がり、外国の圧政者によって苦しめられることになり、そのことで苦しんだイスラエルは主に叫び声を上げ、主に立ち帰ろうとしたときに、主は彼らを救うために救助者を送られたことを9節に報告されています。士師記は、この定型的なパタ-ンを繰り返し語り、記録しています。

士師記3章7-31節には、最初の士師たちの活動が記されていますが、ここに登場する三人の士師は、時間的にも、場所的にも、事柄的にも、何の繋がりもありません。実際には、個別的な地方的・部族的事件、活動です。オトニエルはケナズ人で南のユダの士師でした。エフドはベニヤミン人でエフライムの士師でした。シャムガルはイスラエルに属さない外国人でフリ人であったと言われています。シャムガルはエフドの後に現れたことが31節に報告されています。地図を見て頂くと判るように、ユダからもエフライムからも遠く離れた北の場所で活躍しました。詳しいことは何も判りません。シャムガルはペリシテ人を倒したということだけが報告されています。このように元来は個別的であった互いに何の関連もなかった地方的、部族的なカリスマ的指導者であった士師たちの活動を、神学的に意味連関性を持たせて、イスラエルの裁きと救いの重要な担い手と理解していることが、士師記の叙述の特徴です。

当時の世界は、強大な世界帝国が存在せず、エジプトからの侵略もメソポタミヤからの侵略もなく、パレスチナは比較的平和な時代を迎えていました。エジプトはパレスチナ地域の領有を主張しましたが、前1060年頃に記されたウェン・アメンの物語は、ウェン・アメンがエジプトの神聖な船を造るためにレバノンの杉を求めて旅に出たのですが、盗賊に遭いその購入金が失われるという事態になり、フェニキヤのビブロスの王に助けを求めたところ、にべもなく港を出るよう断られた、という様子を伝えています。これは聖書の士師時代のエジプトの威信の低さを示す出来事として記憶されています。パレスチナという呼び名は元々、ペリシテから由来し、当時のペリシテ人の活躍ぶりが、その地名に反映されています。実際、ペリシテ人はカナンには紀元前12世紀にやって来て、ほぼ同じころにカナンに定着したイスラエルの最大の敵になりました。

ですから、イスラエルはこのペリシテ人以外、大きな国との戦いを士師時代には経験していません。イスラエル自身、士師時代は国家を形成せず、国を統一する王を持たない部族連合でした。ここに登場する様々な戦いは、この小さな部族国家同士の地方レベルでの小さな戦いにすぎません。それゆえ、世界史との関連でその多くの戦いをしたとされる国や人物や場所を特定することは、しばしば困難です。

最初に登場するアラム・ナハライムの王クシャン・リシュアタイムは実在の人物かどうかについても明確に述べることはできません。クシャン・リシュアタイムという名は「二重に悪いクシュ人」(クシュ人という呼び名はナイル川に沿う地域に住むエチオピアを指すヘブライ語用法による)という意味があり、士師記の記者の編集的説明である可能性があります。また、ナハライムは「二つの大河に挟まれた地(両河地方)」という意味があり、これは北部メソポタミヤのアラム人の土地を指しています。こんなに北の遠い国から、当時勢力を増しつつあった南の小さな部族ユダを攻めるために、本当にわざわざやって来たのか、多くの歴史家は疑問に思っています。それゆえ、多くの学者は、「アラム」という読み方は「エドム」の写字的な間違いであると考えています。ヘブル語の真ん中のアルファベット、ダレスとレ-シュを写字生が間違って書き写したために生じた間違いであろうと言われています。そうだとすると、ここの読みは「クシュ人、テマン人の長」か、「クシュ人およびテマン人」と言うことになります。南部カナンにおいて増大しつつあったユダの勢力をよく思わないエドムが攻めてきたと言うのは、ありそうなことです。ケナズ人はエドムと関係のある部族で、ケナズはエサウの孫にあたり、このエサウからエドム人が出ています。ケナズ人がイスラエルの民と協力しているということは、エドムが干渉を考えたという意図をも説明できます。歴史の事実としては、そう見るのが妥当だと思います。

しかし、士師記の記者(申命記史家)が見ている歴史観は別のところにあります。イスラエルがカナン宗教に走って、主に対して罪を犯したために、主がこれらの人を用いてイスラエルを裁いた神の摂理的な支配として見ているのです。バアルはカナン宗教の主神で、アシェラはその配偶者アシュタロテの複数形の呼び名です。このカナンの農業祭儀は、「高いところ」に建てられた聖なる神殿で、豊穰多産の祭儀を行う祭司と女祭司が性的関係を結ぶことが重要な部分を占めていました。多くのイスラエル人はカナンに定着しカナン文化を採り入れ、農業に従事するようになったときに、この魔術的な宗教の誘惑に負けて堕落していったとみなされています。聖書は主がこのイスラエルの罪を裁くために、周辺のエドム人やモアブ人を用いられたと語ります。これがエジプトの奴隷の地から救い出し、契約を結んでイスラエルと交わられる神、主から背く不信のイスラエルを裁く神の審判だとすれば、この裁き自体が、悔い改めて神に立ち帰ったときにイスラエルにとっての救いとなります。事実、イスラエルが主を叫び求めたときに、主は救助者オトニエルをイスラエル人に与えた、と言われています。

この最初の士師が、「士師」とは言われず、「救助者」と言われているのは注目に値します。彼は全く主の恩恵によって与えられた「救助者」です。オトニエルの上には、「主の霊」がありました。主が共にいて彼と共にあって、彼を助け、彼に力を与えたので、オトニエルはイスラエルを悩ます者を滅ぼすことができたというのです。

士師とは、罪と苦難の時代に登場し、審判者と救済者となるべく主(ヤハウエ)に召された人々です。この職は、内政に係る固定職のように見えますが、ある具体的な事件が起こった際には外交政治にも介入します。それゆえ、士師とは、神が定めた特定の期間に適用される救済援助とを統合する職務(制度)ということができます。同様のことは、後にサウルにも見られますが、ある程度まではデボラ、ギデオン、エフタにも見られます。その典型が、南部部族出身の士師おオトニエルにおいてはっきりと示されています。最も重要なことは、オトニエルがイスラエルを治める士師として立てられ、敵が彼の手に渡される、ということです。このようにして、民の歴史が主によって人格的に導かれることが、この「土地」に平安がやってくるということが語られている点です。このことは、主が、土地取得の後もご自身が民と土地に権限を持っておられることを表しています。ここで、士師記の著者は一瞬の幕間を開けて、イスラエルとパレスチナの真の歴史を神学的(信仰的)に理解できるように読者に示しているのであります。

旧約聖書講解