イザヤ書講解

9.イザヤ書6:1-13『イザヤの召命と派遣』

イザヤ書6章はイザヤの召命体験を語る回顧録です。
イザヤの召命はウジヤ王の死のとき(前736年)とされています(1節)。ウジヤの治世は安定と繁栄の中にありました。しかし、それは見せ掛けの繁栄で、社会には不義が満ちていました。ウジヤは、神に祝された善王であったと聖書は語りますが、晩年は必ずしもそうは言われていません。高慢の故に「重い皮膚病」で打たれて最期を遂げたといわれています(歴代下26:16以下)。ウジヤ王の死は、ユダの衰退への暗い蔭を忍ばせるものでありました。

イザヤは、ウジヤの死という暗い希望の持てない状況の中で預言者として召命を受け、神の言葉を語らねばならなかったのです。特にアハズの時代、イザヤはただ神にのみ信頼せよと語り続けましたが、その言葉が聞かれない挫折を経験します。国全体が動揺し、政治的な指針が期待された中で、イザヤは政治的にも発言する責任が求められましたが、平安と希望を語ることができませんでした。イザヤは、そういう時代に召命を受けたのです。

ウジヤの死という哀惜と失意の中で、イザヤは神殿での礼拝を欠かさず続けていました。何かを期待してというのでもなく、さりとて何も期待しないと言うのでもない日常の生活がそこにありました。失意の中にあるイザヤを励ましたのは、神の現臨です。神殿での礼拝の中で、主はイザヤに現れられました。しかし、イザヤが実際見たのは、神殿に満ちていた裾であり、セラフィムの翼で覆われている光景だけです。イザヤは、この光景の中に、主のご臨在を感得しました。

イザヤは、セラフィムの発する「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。/主の栄光は、地をすべて覆う」(3節)という讃美の大音響とともに、敷居の基が揺るぎ、神殿が煙で満たされるという、光景を目撃しました。敷居が震い動き、煙が一杯になるのは、神顕現の随伴現象です(出エジプト19:18)。

イスラエルにおいて神を見ることはタブーでした。モーセすらその後ろを見たにすぎません。神を見ることは死を意味していたからです(士師記6:22-23、13:22でギデオンとマノアの言葉にその事が表明されています)。だから、イザヤは「災いだ。わたしは滅ぼされる」(4節)という恐れの声を発しました。

イザヤは主を聖なる神として捉えました。聖は分離を意味します。聖なる主と罪ある人間とは分離されなければなりません。イザヤはこの礼拝の場で主の聖に触れ、自分が、罪に破れ、醜い、悲惨で、汚れた存在でしかないものであることを認識しました。聖なる神の御声を聞き、地の基が震い動き、自分が何者か、その存在が問われているのをイザヤは感じました。主の聖に触れて、自己の罪を認識したイザヤは、主にその罪を清めてもらい、罪を赦してもらわなければ、主に近づくことができない存在であることに気づかされます。そこから、真の神礼拝へと導かれました。人は圧倒的な神の聖に触れなければ、罪を知り、神との真の交わりを回復し、真の人生を歩むことができません。

イザヤは、神の聖に触れ、打ち砕かれ、清められ、聖なる主を王として見る信仰を与えられました。名君と言われたウジヤ王を失ったあと、イザヤは真の王をもはや人において見ることはできません。この絶望すべき世にあって、イザヤは、聖なる主を、万軍の主、王なるお方として見ることができました。

この事は、悔い改めない民に御言葉を語る、イザヤの慰めとなります。絶望すべき世も、主にあって希望を見出すことができるからです。

わたしは主を待ち望む。
主はヤコブの家に御顔を隠しておられるが
なおわたしは、彼に望みをかける。(8章17節)

このように告白してイザヤは預言者として歩んでいます。
聖なる神との出会いは、イザヤをそのままには止めておきません。聖なる神と出会ったイザヤの生涯が滅亡でなければ、召命しかないからです。しかし、その前に罪の赦しと潔めがあります。預言者は元々罪ある人間です。その罪ある者が口から発する言葉は、汚れと罪に染まっています。罪ある人間が神の言葉を語るということは、本来的、不可能です。預言者自身の口を主によって潔められなければ、人を潔める言葉を発することができません。イザヤの口に触れた炭が、聖別された祭壇から取られたものであるなら、この炭は、民の罪を赦し、潔める力を示しています。

イザヤは、今や、一切の予期に反して自分の罪を覆われ、恩恵を与えられた者として、神の御声を聞き、神の御声に応答することが求められました。そして、イザヤは天の会議に証人として参加することが求められました。神の聖に触れ、自分の罪を知り、且つその罪を赦され、解放された人間だけが、神の意志を行うことができます。イザヤは、そのようにして神の召命に自分を委ねました。イザヤは、この召しに、「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」(8節)と応答しました。

しかし、主の召命を受け献身を表明したイザヤに与えられた主の言葉は、イザヤが語っても、民はその心をますます頑なにする、という困惑させるものでありました。預言者たちは民の頑なさにしばしば悩まされました。エゼキエルも「しかし、イスラエルの家は、あなたに聞こうとはしない。まことに、彼らはわたしに聞こうとしない者だ。まことにイスラエルの家はすべて、額も硬く心も硬い。」(エゼキエル3:7)といわれて、預言者としての任務を遂行しなければなりませんでした。

それにしても、召命の日にイザヤのように過酷な主の言葉を与えられた預言者も珍しくあります。イザヤは、「よく聞け。しかし理解するな/よく見よ。しかし悟るな」(9節)という主の言葉を受け取りました。そして、そのような民に向かって、預言者として働かなければならなかったのです。

本来なら、預言者の語る使信は、民を悔い改めさせ、神に立ち帰るようにするために語られるものであるはずなのに、語れば語るほど結果はその逆となっていきます。それは、実に虚しい宣教活動です。しかし、イザヤは、そのような状況の中で、御言葉を語り続けるために召しを受けたのです。

しかし、御言葉は、一つの危機的状況をつくり出します。それは、神の審判を不可避とする状況をつくり出します。御言葉が本当に鋭く正しく語られたなら、事柄は曖昧に済ませなくなります。罪は明確にせられ、神の義に生きようとする者は、悔い改め、神の下に立ち帰っていこうとします。御言葉は、中間的な状態を許しません。そうであるが故に、罪を恋い慕う心は「自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の心で悟る」ことに固執します。そうすることによって、神の審きをいよいよ不可避なものとして、自分の方に引き寄せていきます。

預言者にとって、これはまことにショッキングなことです。それゆえ、イザヤは「主よ、いつまででしょうか。」(11節)と尋ねました。それに対する主の答えは、まことにきびしいものでした。それが何時までか、イザヤにハッキリと示されていません。長くても、何時までか判っていれば、覚悟もし易いものです。しかし、主の答えは、この不信の民に対する厳しい審きが連続する事実を語るだけで、それが簡単には収まらない現実を明らかにするだけです。

イザヤは主の言葉を語るたびに民の拒絶にあい、自己の召命感を疑いたくなる危機に幾度も直面したことでしょう。しかし、イザヤは、そのたびに召命の日を想起し、宣教の挫折の意味を問い、神の意思の偉大さを知り、挫折こそ希望なのだという主にある平安と慰めを見出すことが求められました。モーセは、ファラオの頑なさに悩まされましたが、その事自体が主によってなされているかぎり、それは却って希望の持てる事態であると理解することができました。とはいえ、イザヤの場合、状況はもっときびしく長く続きます。それはイザヤ一代の生涯において解決されない事をさえ、覚悟しなければならなかったのです。

誰もが好結果を期待して、宣教に遣わされることを望みます。しかし、主の宣教において、そうでない宣教の業があるということを知っておくことは重要です。人間の努力の不毛性は、常に本人の無力として片づけられない何かがあること、その何かを宣教の働きを通して問い続ける意味と価値があることを、イザヤの召命は示しています。

「主よ、いつまででしょうか。」このイザヤの問いはまた、わたしたちの問いでもあります。主がその民の心を頑なにしているとしても、そこに主によって遣わされているかぎり、宣教地の民と預言者は距離をおいて自分を見ることができません。預言者は民との連帯性の中で、何時までも神の聖めに、この民が与かることを期待し続けなければなりません。神はこの民を何時まで救われない状況に捨て置かれるのか、召したもう神にイザヤは抗議の問いを発します。遣わされた民のあいだに自らの位置を占めることを望む預言者の祖国愛がここにあります。

預言者は神と民の間にあって、自分に課せられた使信を苦悩しながら語ります。決して機械のように語れません。預言者は何処までも時代の民の中で民の苦悩と罪を共にしつつ、神の使信を語るのです。しかし、その民の間に住み、民を愛しているが故に、イザヤの使信は、民への激しい怒りとなって臨みます。イザヤは祭司のように、一方で民のためにとりなしの祈りをもって神に執り成しつつ、もう一方で神につく預言者としてユダに対する怒りを隠さず語ります。しかし、全てを神の御手に委ねてそれを行います。

わたしたちにも、このイザヤの姿勢が求められています。同時代人としてその罪を連帯し、神にとりなしつつ、しかし神の側に立って使信を語る。これが変わらない宣教の出来事です。改心者の数の多い少ないは、神御自身の決定に委ねるほかないのです。結局のところ、民への怒りも、神への抗議も、神の裁決に場を譲らねばならないのです。

しかし、イザヤはそれにもかかわらず、それが、神の審判であるが故に、その徹底において救いのなることを疑いません。それは、イザヤ自身において既に起こった出来事であった故に、民のものとしても起こるに違いないと確信することができました。この唇の汚れたものが、唇の汚れた民の間にあって、セラフィムの燃える炭火に触れて不義を取り去られ、贖われたように、たとえこの民が主によって遠くに移されるようなことがあっても、それが主によって移されたものであるなら、神の計画によって成されたものであるに違いないと考えることができるからです。民が滅ぶべき者であったとしても、それは主によって滅ぼされるべきだし、主によって滅ぼされた者は、滅ぼされても主の手から、外に落ちることはないからです。

イザヤは、自らに課せられた厳しい現実の中で、召命の日の出来事から、大いなる主の慰めを見出すことができました。審きの彼方に主の救いがある。たとえ、自分が生きている時代にそれを見出すことができなくても、イザヤは確実にそれを信じることができました。

13節の「残りの者」のイザヤの思想は、このようなイザヤの召命体験と信仰から語られた希望のメッセージとして理解することができます。十分の一の残りの者が、部族の数を意味するのか、それとも人の数の少なさを意味するのか、解釈の可能性はどちらにもあります。しかし、ここでは後者に理解するのが文脈に合っていると考えられます。

十分の一の残りの者が更に焼き払われ、切り倒されることがあっても、なお切り株が残る。そして、その切り株の生命を神は決して見捨てられない。何時の日か、そこから新しい芽が萌え出てくるであろう。それは、たとえイザヤ一代で見ることのできないことであっても、歴史を支配される主に委ねることによって、イザヤは平安を得ることができました。説教者も、信徒も、共に失敗することの多い宣教の業の中で、イザヤに倣って、心底から神の側に立ち、自分自身を徹底して神の道具として用いて頂くよう委ねるなら、聖なる切り株であるイエス・キリストが、恵みの時を、わたしたちにもたらしてくださいます。

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