イザヤ書講解

15.イザヤ書18章1-7節 『クシュに対する託宣』

13章から23章は、諸国に対する託宣といわれるイザヤ書の第二の主要部分をなしています。これら諸国に対する託宣には、イザヤによらないものと見なされている預言も含まれています。諸国に対する託宣は、諸国民の未来に何が生じるかを告知する言葉だけでなく、諸国の運命を嘆く言葉も記されています。これら諸国に対する言葉集は、全体としてイスラエルを含む様々な民族に対して、いかにして神の大いなる審きが臨むかを告げています。

18章のクシュに対する託宣は、イザヤの語った言葉です。この託宣には具体的な歴史状況に対する指示があまり見られませんが、2節からクシュ即ちエジプトに対する託宣であることが判ります。そして、背景にある事情をいくつか予想することは可能です。紀元前714年、エチオピアの王シャバカはエジプトを征服して、第25王朝のファラオの位に就きました。その年かその前の年に、南ユダではヒゼキヤが王に即位しました。エチオピアのシャバカは、当時アッシリアの台頭に脅威を感じていたパレスチナの諸国を勧誘して、反アッシリア同盟を結成しようと動き始めていました。彼は使者をユダのヒゼキヤのところに使わし、アッシリアへの抵抗を呼びかけました。当然、このような動きはアッシリアの王サルゴン二世を怒らせることになりました。彼は軍隊を遣わしてペリシテの町アシュドドを襲って、反アッシリアの動きを封じ、同盟を壊滅させました。この時多くの国が処分されましたが、ユダだけが免れました。それはヒゼキヤ王が慎重に動き、反アッシリア同盟に深入りしなかったからです。ヒゼキヤの背後にはイザヤがいたことは申すまでもありません。この託宣は、こうした背景の下でなされたものです。

クシュはエチオピアのことですが、今日のエチオピアと同じではありません。エジプトの南端スエネの南にあるナイル川流域から紅海に至る東部アフリカ地域のことで、現在のエチオピアの北西に当たります。ですから1節の「川のかなた」という表現は厳密に取ればおかしくなります。「川」は明らかにナイルことで、詩的表現と取るべきです。このナイル川の上流テーベに本拠を置くエチオピア人の王朝が、アシュドドにアッシリアに対する反乱を唆しました。「遠くクシュの川のかなたで羽の音を立てている国」というのはこのことを指しています。「羽の音」は、これから行われる国際的陰謀が始動しはじめていることを示しています。

このクシュ人の王朝によって、「パピルスの船」でアシュドドをはじめとする諸国に、反アッシリア同盟への使節を送られた様子が2節に記されています。

パピルスを束ねて作った船は、アスファルトを塗って、ナイル川に浮かべられました。パレスチナの住人にはこの光景がとりわけ印象的に写ったに違いありません。しかし、この小舟は長旅には不向きで、実際に使者がこれを用いたとは考えられません。2節前半は、使者たちの旅の光景を描写することを目的としたのではなく、遠い国の熟練振りを印象深く伝えることを目的とした詩的表現であろうと思われます。

これに対し、2節後半の「行け、足の速い使者たちよ」という表現は、パレスチナ周辺諸国からエジプトに送られる使者の姿が描かれています。

イザヤはエチオピア人の支配するエジプトを次のような言葉で表現しています。

背高く、肌の滑らかな国
遠くの地でも恐れられている民へ。
強い力で踏みにじる国
幾筋もの川で区切られている国へ。(2節)

ギリシャの歴史家ヘロドトスは『歴史』という本の中で、エジプトに昆虫の多かったこと及びエチオピア人を「世界の中で最も背が高く、また最も美しい民族」と評していますが、それはイザヤの「背高く、肌の滑らかな国」と言う表現と一致しています。

この民へ、この国へ、アシュドドやエルサレムから使者が送られるというのです。しかし7節では、方向が逆転して、まさにこのエチオピアから、シオンへ使者が派遣されるといわれています。万軍の主の名が置かれた場所、シオンの山に貢ぎ物がもたらされることは、表面は友好と表敬のためでありますが、その働きかけを受けることが如何に大きな危険をもたらすことになるか、そのことに人々は気付かず、また見ようとしませんでした。

イザヤは3-4節において、「世界の住民、地上に住むすべての人」に向かって警告を発しています。

パレスチナにおいて旗は戦闘の重要な合図信号でありました。19世紀の終わりごろ、シューマッハーという人が東ヨルダン地区で測量しているときに、彼が立てた信号の旗を見て、対岸の部族が直ちに武装して集合して危険な目にあったと報告しています。

3節に記されている「旗」と「角笛」は戦争開始のしるしです。この託宣は使者によって単にエチオピアの王の宮廷に伝えられるに停まらず、「世界のすべての住民」に告げられます。彼らは、いつ「山に合図の旗が立てられる」か、いつ「角笛が吹き鳴らされる」か、気をつけて待っていなければなりません。

遠くクシュの川のかなたで音を立てている陰謀はやがて、国々に合図の旗を立て、角笛を吹き鳴らして戦争の開始を告げることになります。その結果はどうなるのか。5-6節に述べられています。

パレスチナでは、葡萄の花は5月に咲きます。葡萄が熟し始めるのは8月であり、取り入れには9月が適当です。葡萄の木は年に二度刈り込まれます。開花に先立ち、前年実らなかった枝を取り去るのが第一回目の刈り込みです。二回目は花が咲いて実り始める時期に、収穫を増すために葡萄の房にかぶさる枝や葉を取り去ります。パレスチナは燃料が乏しいので、人々は刈り取った枝を乾燥させて燃やします。5節の関心は、葡萄の木についている実をならす枝にはなく、刈り取られたあとの枝にあります。農夫がいつ葡萄鎌を取り上げて刈り込みを行うべきかを知っているように、主はいつ審判のために諸国を訪れるべきか知っておられる、といわれています。

ぶどうの花が咲き、実がなって房が熟し始めると、神はそれを収穫され、それを山の猛禽と、野の獣に与えられる、といわれています。猛禽と野獣は帝国主義的な大国を指しています。ぶどうの木は神が慈しんでおられる小国、特にユダ王国を指しています。せっかく、実が熟したころ、これらの小国は大国の餌食となり、大国はそれを餌として、しばらくの時(夏、冬)を過ごすということが述べられています。

目前の危機の事に目を奪われ追われるままで、歴史の転換を冷静に考えなければ、小国のたどる運命はこれ以外にはありえないことは明白です。このことは、主を信ずるユダの指導者たちには、はっきりと自覚することができたはずです。しかし彼らは、天にあって地上の動静を見守っておられる神を仰ぎ、神の支配に目を留めようとしませんでした。主は地上における事柄に無関心なのでありません。主は人間の歴史を支配し、世界の救いの計画を着々と進めておられるのです。やがて訪れる終末の審判のときに主が来られる。イザヤは、主のこのような姿勢を学びとろうとしています。

4節の「わたしは黙して/わたしの住むところから、目を注ごう。太陽よりも烈しく輝く熱のように/暑い刈り入れ時を脅かす雨雲のように」という言葉は、その神の支配を指し示しています。

烈しい夏の太陽、秋の大雨が自然世界に大きな影響を与えるように、静かに地上の諸国を見ておられる神は、歴史にも決定的な働きかけを行われます。イザヤはその神に目を留めなければならないことを、これらの言葉によって明らかにしています。エチオピアに使者を遣わし、またそのエチオピアから表敬の使者が送られてくる国際政治の動きに目を奪われ、その中に巻き込まれて、抜け出ることができなくなってはいけないと、イザヤは警告しています。

5節に述べられているように、そのようなことになれば、ぶどうの枝は切り落とされ、つるは折られて取り去られます。

エチオピア人がいかに恐るべき力を持っていても、主はもっと強く、恐るべき力を持っておられます。しかし、このような力を持つ主が、「わたしは黙して/わたしの住むところから、目を注ごう。」といわれていることは、その目に気付き、立ち帰る者に大きな希望を与える言葉でもあります。

神は天から人の子らを見渡し、探される。
目覚めた人、神を求める人はいないか、と。(詩編53:3)

主なる神は、いつも私たちのとる行動に関心を寄せておられます。神の御言葉に聞き、神を求めて生きる人を、そのように探しておられます。この神を求める人は、神による転換への希望に、その瞬間から生きることが可能とされるのであります。

旧約聖書講解