列王記講解

12.列王記上18:1-46『主こそ神』

この個所は、エリヤがたった一人でバアルの預言者450人とアシュラの預言者400人と戦って勝利を収めた大変印象的な物語が記されています。しかし列王記が物語ろうとしているのは、エリヤの英雄的な行為を賞賛することではなく、イスラエルを導き、世界と自然を支配している神が誰であるかを明らかにすることです。

イスラエルのカナン定着は、小家畜を中心とした半遊牧の生活から、農業中心の定着生活への移行の歴史でもありました。それには、カナンの文化・宗教の影響、誘惑との戦いを避けて通ることができませんでした。カナンの先住民は、イスラエルよりも高い文化を持っていました。そしてその文化はバアル宗教などと強く結びついていました。アハブの父オムリは積極的にカナン文化を取り入れ、王朝の繁栄をもたらせました。このように宮廷を通じてバアル宗教がイスラエルに根付き始めていきました。アハブは「ヤロブアムの罪を繰り返すだけでは満足せず、シドン人の王エトバアルの娘イゼベルを妻に迎え、進んでバアルに仕え、これにひれ伏した。サマリアにさえバアルの神殿を建て、その中にバアルの祭壇を築いた。アハブはまたアシェラ像を造り、それまでのイスラエルのどの王にもまして、イスラエルの神、主の怒りを招くことを行った。」(16:31-33)といわれています。

こうした王と民の誤り指摘し、真実な信仰を取り戻すために、預言者エリヤは遣わされました。エリヤはアハブ王の前に突如現れ、「わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。わたしが告げるまで、数年の間、露も降りず、雨も降らないであろう。」(17:1)と告げ、王の前から身を隠しました。

18章1節の「多くの日を重ねて三年目のこと」とは、エリヤがアハブに告知してからの時の経過をしめす言葉です。3年の間「サマリアはひどい飢饉に襲われていた」といわれています。パレスチナでは、雨期は11月から3月までで、5月から10月にかけては、文字通り「一滴の雨も降らない」乾期が訪れます。しかし時に何年も雨が降らないという事が時々起こります。ですから、3年の飢饉というのはそれほど珍しいことではありませんでした。しかし、こうした災いには必ず人の罪が関係していると受けとめられました。ダビデの時代にも3年飢饉に見舞われたことがあります(サムエル記下21章)。その時ダビデは、その原因を知るために、主に託宣を求めたといわれていますが、アハブはそのようなことを全くしていません。

アハブが行ったことは、宮廷長オバドヤに命じて、全ての泉や川を見回らせ、馬やらばを生かしておくよう配慮することでした。これらの馬やらばは、戦争のためのものでありました。アハブは、前853年のシリアにおけるアッシリア軍との戦いに、2000台の戦車を率いて戦った、という碑文が残っています。アハブは、飢饉に乗じて敵に攻められることのないように心配し、いつでも戦争ができるように体制を整えることに心を用いる王でした。民が飢饉に困惑し、わずかの食料と水で死の準備をするような状態(17章)になっていることにも平気で、自己保身のためにのみ心を用い、ダビデのように主に託宣を求め、その原因の解決を計ろうとしない王でした。それどころか、妻のイゼベルは「主の預言者を切り殺し」、彼も雨が降らないと告げて姿を消したエリヤを捕まえるため、「捜し出そうとして人を送らなかった民や国はない」(10節)といわれるほど、執拗に探したといわれています。

この主に信頼しない王に、「心から主を畏れ敬う人で、イゼベルが主の預言者切り殺した時、百人の預言者を救い出し、五十人ずつ洞穴にかくまい、パンと水をもって養った」といわれるオバデヤという人物が「宮廷長」として仕えていました。

ある日オバデヤが王の命令に従って道を歩いていた時、エリヤに出会い、エリヤからアハブ王にここにいることを告げるように命じられます。彼はエリヤの言葉を疑い恐れましたが、エリヤは、「わたしの仕えている万軍の主は生きておられます。今日わたしはアハブの前に姿を現します。」(15節)答えたので、オバドヤはこのエリヤの言葉を信じ、アハブにエリヤの居場所を告げに行きました。オバドヤという名には、「主の僕」という意味があります。彼は主の預言者を助け、エリヤに従いアハブ王に彼の居場所を告げるなど、その名にふさわしい人物でありました。

こうしてエリヤとアハブ王は三年ぶりに再会しました。といっても、それは和解のためのものではありませんでした。互いに「イスラエルを煩わす者」*と罵り合うあいかわらず不仲振りを示しています。しかし両者が主張する「イスラエルを煩わす者」の中身に大きな違いがあります。アハブは雨が降らないと告げて、自分の下を去ったエリヤを指していっていますが、それは主の御旨を告げる預言者の働きとしてなされたものであり、エリヤが言うように「主の戒めを捨て、バアルに従っている」アハブと彼の父の家こそ、「イスラエルを煩わしている」存在でありました。

*「イスラエルを煩わす者」 イスラエルが初めてヨルダン川を渡りカナンの地を踏みエリコを陥落させた後と、アイの町も同じように陥落させようとしましたが、結果は敗北に終わりました。その原因は、戦いで勝利した戦利品を滅ぼし尽くす聖絶命令(ヨシュア6:18)を破り、アカンがこれを盗んでアコル(災い)の谷に隠し置いていたためでありました。そのように主の命令に反し、イスラエルに災いをもたらすものに、このことばが用いられます。

エリヤは、どちらが主を煩わすものであるか、またイスラエルを導く神は、主(ヤハウエ)なのか、バアルなのかをはっきりさせるために、「スラエルのすべての人々を、イゼベルの食卓に着く450人のバアルの預言者、400人のアシェラの預言者と共に、カルメル山に集めるよう(19節)、アハブ王に要請しました。

カルメル山には、「神の果樹園」という意味があります。地中海とイズレエル平野を見下ろす山脈で、現在のハイファ港のある岬から南東に約24キロメートル、パレスチナ中央のサマリアの丘陵に向かって伸びています。標高は北東端が169メートルで最高は546メートルです。樫の木などの生い茂る山で、レバノン山と共に美麗さのたとえにされています(イザヤ33:9、雅歌7:6)。また200を超える洞窟があるといわれます。エリヤがバアルの預言者と対決する場所にここを選んだのは、オバドヤが主の預言者100人をこのところに隠したからではないかといわれています。

アハブはエリヤの要請を受け、すべてのイスラエルの民とバアルの預言者たちを集めました。といっても文字通りそこにイスラエルの民が集まったのではなく、民の代表全員であったと思われます。エリヤはこの民に近づき、「あなたたちは、いつまでどっちつかずに迷っているのか。もし主が神であるなら、主に従え。もしバアルが神であるなら、バアルに従え。」と決断を迫りましたが、民はひと言も答えなかった、といわれています。「どっちつかずに迷っている」は、字義通りには、「二つの枝の上を飛び跳ねる」です。民の信仰生活は、一方の足はバアルの方に、他の方は主(ヤハウエ)の方に向けて歩んでいるために、その歩みは不安定で危なっかしいといわれています。

エリヤは民に、二頭の雄牛を用意するように命じました。その内の一頭をバアルの預言者たちに先に選ばせ、裂いて薪の上に載せ、火をつけずに置くよう命じました。そしてエリヤは残りの一頭を同じようにしました。そうして、互いに自分たちの神の名を呼び合うことにし、「火をもって答える神こそ神である」としょうと提案しました。民は「それが言い」といってこの提案を受け入れました。

最初に神の名を呼び求めたのはバアルの預言者たちでした。彼らは多人数で、朝から真昼までバアルの名を呼び求め、「バアルよ、我々に答えてください」と祈りましたが、何の答えも声も聞こえません。エリヤは、彼らの姿を見て、嘲って、「大声で呼ぶがいい。バアルは神なのだから。神は不満なのか、それとも人目を避けているのか、旅にでも出ているのか。恐らく眠っていて、起こしてもらわなければならないのだろう。」と言いました。

ウガリットで発見された「バアル神話」によれば、土地の支配者としてのバアルは、嵐の神ハダドと合体しており、夏になると干ばつの神モトに殺され、海底に閉じ込められるが、秋には復活して、電光をもって、モトを殺し、雷雨をもたらし、土地に命を与える、とされています。自然の循環現象を、神話という表象で説明しようとするその仕方は、まさに神(バアル)を一人の人間としてみる見方です。

つまりその神は自然を支配しているのでなく、自然にいつも翻弄されている人間そのものの姿を示しています。エリヤはこのように無力な神にすがる人間の愚かさを、まさに人間が寝ていたり、旅に出て不在のために、いくら叫んでもそれが人の耳に達しないような、無駄な行為としてあざ笑っているのです。しかしバアルの預言者たちは、大声を張り上げ、剣や槍で体に傷をつけ血を流してまでバアルに訴えますが、何の答えも声もありません。バアルは神でないからです。

今度はエリヤの番です。エリヤはまず、民に向かって近くに来るように命じました。そして、「壊された主の祭壇を修復」し、イスラエル十二部族を表す十二の石を用い主の御名のために祭壇を築きました。エリヤはこの行為によって、イスラエルが信じ従うべき神は、主なるヤハウエであることを示し、その崩れた民の礼拝を回復しようとしました。

エリヤはまた、祭壇の回りを掘り、雄牛を引き裂き、それを薪の上に載せ、その上に水を注いで水浸しにするよう民に命じました。水は掘った溝を埋め尽くすほど満ちたといわれます。雨が降らない状態で、これらの水を使うことは非常識であり、ましてや、犠牲となる牛を火で焼き尽くすためには、これらの大量の水があることは、それを実現することを極めて困難にすることなります。しかしエリヤはあえてこの方法を選びました。それが主なる神、ヤハウエの御業としてなされることを明らかにするためです。

そしてエリヤは、イスラエルにおいてなすべき捧げ物を捧げる時まで待ちました。その時刻が来た時、エリヤは、「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ、あなたがイスラエルにおいて神であられること、またわたしがあなたの僕であって、これらすべてのことをあなたの御言葉によって行ったことが、今日明らかになりますように。わたしに答えてください。主よ、わたしに答えてください。そうすればこの民は、主よ、あなたが神であり、彼らの心を元に返したのは、あなたであることを知るでしょう。」(18:36-37)と祈りました。普通は「アブラハム、イサク、ヤコブの神」と祈ります。しかしエリヤは「ヤコブ」と呼ぶべきところを「イスラエル」と呼びました。それは、イスラエルを契約においてご自分の「民」とされた神を覚えるためです。

カナンの地には農耕を支配し守る神と考えられたバアル神がいました。カナンに来たイスラエルは、農耕を受け入れたからには、その神も受け入れねばならないのか。イスラエルを導かれた神は、荒野でしか神として存在し得ないのか。それとも主なるヤハウエは、カナンにおいても、自然をも農耕をも支配される神なのか、そのことが問われていたのです。

この事を明らかにするのに、多くの預言者、人の力が必要なわけでありません。またエリヤの祈りに特別力を必要としたのでもありません。その神が真実に神であり、本当に自然と歴史と世界のすべてを治める神であるかことが必要だったのです。主なるヤハウエは、「アブラハム、イサク、イスラエルの神」として、それぞれの時代を生きる人間に、「生ける神」としてその支配を明らかにしてきました。その神が時空を超えて、今このカナンという異教の神バアルに人々の心が支配されていたところにおいても神でいますことを、エリヤは、神ご自身の力で証明してもらいたかったのです。水浸しにされた犠牲の雄牛と薪を燃え尽くすほどの強い火は、ただ真実の神のみが送り得ると信じるエリヤの信仰は、確かにすごい信仰です。それを信じる祈りもすごい祈りです。しかしその信仰は静かな心の中に与えられます。その信じる神が確かで、信頼を決して裏切ることがないと信じているから、その様に祈ることができるのです。

「神が神であられる」事をエリヤは祈り求めたのです。自分の願望や、自分の預言者としての正しさを誇ろうとしたのでも、小さな人間的幸いを願ったのではないのです。「主なるヤハウエが神である」ことを、民が知らねばならない、そのために必要な、神のジャスト・タイミングの奇跡をエリヤは求めたのです。

主はこの祈りに見事に応えられました。「主の火が降って、焼き尽くす献げ物と薪、石、塵を焼き、溝にあった水をもなめ尽くし」、これを見たすべての民はひれ伏し、「主こそ神です。主こそ神です」と告白しました。神はこの信仰を回復させることができました。そして、「この地の面に雨を降らせる」(1節)という主の言葉は、ついに実現しました。エリヤの祈りは、ものすごい信仰の祈りです。しかしその祈りを支えていたのは、神のこの約束です。彼は神の約束に聞く民に導くべく預言者として立てられたのです。そのためには、そうでない方向に偽り導く預言者から民を切断しなければなりません。エリヤがバアルの預言者全員を殺したのは、イゼベルがした行為の報復ではなく、民を誤った方向に導く危険の源を根絶するためです。

この物語から学ぶべきわたしたちの信仰は、第一に、神が神として支配されることを祈ることです。第二に、まことの神からそらす原因となるものを根絶する戦いと祈りです。

旧約聖書講解