サムエル記講解

31.サムエル記上30:1-30『ダビデの対アマレク遠征』

ダビデは、ペリシテの一員として対イスラエル戦争にその兵600名を伴って加わっていましたが、ペリシテ武将たちの強い嫌疑を受け、その戦線から離脱し、アフェクから約百キロはなれたツィケラグに三日かけて帰ってきました。ダビデも兵士たちも家族が喜んで迎えてくれるだろうと期待していましたが、帰ってみると、アマレク人によって、町は略奪され、誰も殺されませんでしたが、老若男女の別なく、一人も残らず捕虜として連れ去られ、町は火を放たれて焼け落ちていました。ダビデの二人の妻、イズレエルのアヒノアムとカルメルのナバルの妻であったアビガイルも連れさられていました。兵士たちの妻子たちも状況は同じでありました。ダビデはペリシテ軍の出陣に参加するため、全ての兵士を投入していましたので、ツィケラグは完全無防備状態になっていました。アマレクの略奪行為はその隙をぬって短時日で決行されたのです。アマレクの遠征は純然たる略奪目的でありました。戦闘行為もなく無防備の女や子供たちを捕虜として連れ去ったのは、奴隷として自分たちに仕えさせるか、売り飛ばすためでありました。アマレクのこの行為は、ダビデが何度もアマレクの地を襲いましたので(27:8)、その報復としてなされました。

帰ってきてその惨状を見たダビデと兵士たちは、声を上げ激しく泣き、泣く力がなくなるまで泣きました。そして、兵士たちは、アマレクに連れ去られた妻子たちのことで悩み、ついに「ダビデを石で撃ち殺そう」と言い出すものも表れました。それは、町を無防備にして、しかも同胞のイスラエルを滅ぼす戦争にペリシテの一員として参加させようとした指導者ダビデの判断の誤りに対する怒りが爆発したからです。妻子のいない焼け落ちた無残な町を見て、その怒り、ダビデに対する不信が爆発したからです。こうしてダビデは逃亡生活中最大の危機に直面しました。ダビデから兵が離反し、ダビデの命さえ奪おうとしていたからです。

ダビデはこの危機に直面し、孤立無援となり、これにどのように対応してよいか判断できなくなりました。ダビデは略奪者が誰であり、彼らがどこに姿を消したのか正確にはわからなかったからです。そこで「ダビデはその神、主によって力を奮い起こした。」(6節)と言われています。ダビデはここで主なる神のもとにある人間として、その御旨に聞き従って行動しようと願い、祭司アビアタルに命じ、エフォドを持って来させ、ダビデはそれを用いて主に託宣を求めました。ダビデが求めた託宣は、略奪隊を追跡すべきかどうかでありました。主の答えは、「追跡せよ、必ず追いつき、救出できる」というものでありました。

ダビデはこの最も危機的な状況で、人の策ではなく、静まって神に信頼しその御心を求めました。アマレクはかつてイスラエルが出エジプトを果たした際に、イスラエルが疲れきっている時、背後から落伍者すべてを攻め滅ぼしたものとして、カナンに入ったなら聖絶すべきものとして命じられ(申命記25:17-19)、サウル王にその実行が主から命じられましたが、サウルはこれを忠実に実行しなかったため、王位から退けられることになりました(15章)。しかし、ダビデは同じアマレクの略奪隊の問題で、サウルとはまったく異なる信仰的な態度を取り、神の御心をひたすら求めるようになりました。

ダビデは「追跡せよ、必ず追いつき、救出できる」(8節)という主の託宣を聞き、直ちに行動を起こし六百人の兵士を連れて出立しました。しかし、アフェクから帰って間もなくの出立のため、兵士たちは激しい疲れを覚えていました、このためベソルの涸れ谷にまで達した時、六百人のうち二百人が疲れすぎて、ベソル川を渡ることができなくなりそこにとどまることになりました。ダビデは残りの四百人の兵を連れて遠征を続行しました。そして、途中兵士たちは野原にいる一人のエジプト人を見つけました。このエジプト人は、ダビデのもとに連れてこられましたが、心身の激しい衰弱状態にありました。ダビデは彼に食糧を与え、彼から略奪隊の所在を聞き出し、彼の命を保証し、略奪隊のいるところまで案内してもらうことに成功しました。

エジプト人の案内でアマレクの略奪隊のところに辿り着くと、そこには「ペリシテの地とユダの地から奪った戦利品がおびただしく転がっていました。そして、アマレク人は飲んだり、食べたりのお祭り騒ぎをしていたので、四百人の若者に逃げられましたが、連れ去られ捕虜にされていた人々を奪い返しただけでなく、多くの戦利品を持ちかえることに成功しました。

ダビデは連れ去られていた女や子供たちと戦利品を携え、疲労のためダビデに従い得ずベソル川でとどまっていた二百人の所に戻ってきました。ダビデの家来の内あるものたちは、ベソル川にとどまった兵士たちに、自分たちが奪い取った戦利品を分け与えることはない、彼らはただ妻と子を受けとって帰るべきだという高慢と差別の意識をあらわにしました。

しかし、ダビデは、「兄弟たちよ、主が与えてくださったものをそのようにしてはいけない。我々を守ってくださったのは主であり、襲って来たあの略奪隊を我々の手に渡されたのは主なのだ。誰がこのことについてあなたたちに同意するだろう。荷物のそばにとどまっていた者の取り分は、戦いに出て行った者の取り分と同じでなければならない。皆、同じように分け合うのだ。」(23-24節)といって戦いに参加した者も、参加できなかったものも等しく扱うように主張しました。

ダビデのこの時の裁定は、後のイスラエルの戦争における戦利品の分配方法の慣例になったと言われています。

ダビデは、この戦いに臨むべきかを最初に主の託宣を求め、その許可のもとに行動し、得たこれらの戦利品を与えたのは主である告白します。主が与え主が守ってくれたお陰で得た恩恵による戦利品であるから、恩恵によるものにふさわしい分配をすべきだとの考えを示し受け入れられています。

「ベソル」とは、「朗報、福音」の意味が在ります。ダビデの兵の二百人がここで疲れて落伍する出来事は、戦いにとって決してマイナスではなかったのです。この出来事を通して、イスラエルは神の恩恵による同士的生き方を学びます。福音は強者にも弱者にも、神の恩恵としてもたらされるのです。戦闘の最前線において勝利をもたらす者も、そこに行けない居残り組みも神の戦士です。神はその行いによるのではなく、どこまでも恩恵により勝利の恵みを分かち合うべきことを望まれていることを、ダビデは信仰によって深く認識したのです。

そして、ツィケラグに帰り、ユダの町々や村々に戦利品を送りました。ダビデはこうして略奪の被害者たちにその回復の力を与えました。それはダビデがペリシテ人に投降したことによって、ダビデに反感と軽蔑の感情を抱いていたかも知れない人々に、その感情の亀裂を修復するに十分な意味を持つものとなりました。ダビデは再びこの後、自分の民族と母国のために働く新しい出発の門口に立つことになりました。

このアマレクとの戦いは、聖絶の意味はありません。しかし、サウルの場合、アマレクとの戦いが自らの王位を失うきっかけを作ることにつながったのに対し、ダビデの場合は、アマレクとの戦いは、新しき自分の王国を建てる原理、基礎を確立する重要な転機となりました。サウルは民の心ばかり気にしながら、神意も民意も離反させるようなことばかり行う結果となりましたが、ダビデは神意を第一とすることにより、主の公平と正義を行うことにより、民意もひきつけることに成功しています。

その典型としてベソルの出来事があります。神の教会が一つに歩めない弱さを表す時は、危機かもしれませんが、神の恵みと力はむしろそのような弱いところにこそ強く表れるものです。信仰の目で見れば、このダビデの弱さは、もっと大きな一致の力を与えるための神の恩恵の手段であることを見ることができます。

ペリシテとの戦いで危機に直面しているサウルによるイスラエル王国に、新しい「他のすべての国民と同じように」なる王ではなく(8:20)、神の恩恵と神の御心を大切にする王による、新しい王国の基礎が、その弱さのなかで、神の恵みの力で生まれようとしていたのです。イスラエルがアマレクのような不正な悪しき侵略者に打ち勝つ王国になりうる為に何が必要か、この章の物語ほど明瞭にその答えを提供してくれている物語はほかにありません。

「主が喜ばれるのは
焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。
むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。
見よ、聞き従うことはいけにえにまさり
耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる。」(15:22)

主の御声に聞き従う信仰を、ダビデから学ぶことが大切です。

旧約聖書講解