士師記講解

14.士師記14章1節-15章8節 『主によること』

今回取り上げる聖書の箇所は、恋多き罪深いサムソンの物語の始まりの部分です。しかし、その生涯は「主によること」として、主の用いられた生涯です。

主は、不妊の女マノアの妻によってサムソンを与え、イスラエルを救おうとされました。マノアの妻にされたことが主の一方的な恵みであるように、イスラエルに対してなされる救いも恵みです。主はサムソンを通して不思議な救いの恵みを与えられるお方です。

イスラエルは、この時代までペリシテ人を驚異と感じていませんでした。ペリシテ人が実際カナンの地に定着し出したのは、イスラエルのカナン定着のすぐ後でしたから、鉄器と海洋文化を持つ巨大なこの民の恐ろしさを、イスラエルはまだ知りませんでした。ペリシテ人と背中合わせで、一番近くに住んでいたのは、移動前のダン族です。

サムソンはダン族に属するものとして生まれ育ちました。彼はペリシテ人に少しの恐れも抱かず、寧ろ好意を持って近づき、ペリシテ人の辺境近くに住んでいました。サムソンが大人になると、主の霊が臨み、サムソンを感動しだしました。サムソンは主の霊の導きを受けて、自分の民のあいだに住むことよりも、ダンの辺境にあるペリシテ人の居留地を訪ねることを好みました。

ある日、ティムナでペリシテ人のひとりの娘を見て、その娘を自分の妻にしたいと願うようになりました。出エジプト以来、モーセを通して、イスラエルの民は異邦人の妻をめとってはならないと教えられてきました。サムソンの両親も彼にこの事を、小さいときから教えてきたに違いありません。サムソンは自分がこのペリシテ人の娘と結婚しようと思っていることを両親に話したとき、両親はイスラエルの信仰に忠実なものとして、当然反対致しました。

しかし、このサムソンの願いは、「主によること」であったと、4節の御言葉は語っています。マノアとその妻は、それが「主によること」であったということを、知りませんでした。主は、サムソンの罪に満ちた願いさえ用いて、イスラエルとペリシテ人との間に、事を起こす機会を設けられました。

サムソンのペリシテ人の女を恋い慕う思いは、イスラエルの民の中に多く見られた現象であり、罪でありました。しかし、神がサムソンのこの不服従の罪を用いてサムソンをペリシテ人との戦いに導くとは、誰も知りませんでした。また、神はそのようにしてサムソンを、イスラエルの救助者として啓示されようとされたことも知りませんでした。

ついに両親はサムソンに屈伏して、サムソンと共にティムナに行くことになりました。サムソンはその道中の暫くの間、ひとりで歩きました。その時、ライオンが吠え猛りながら彼に向かってきました。主の霊が激しく下ったので、サムソンは手に何も持っていなかったにもかかわらず、子山羊を裂くように、獅子を引き裂くことができました。そのことを通して、サムソンは、自分が主に召されていることを知るように導かれているということを知るようになりました。

けれども、サムソンはこの異常なライオンとの遭遇を、秘密にしました。サムソンはその事を、両親にさえ話しませんでした。

そして、サムソンは再び自分が殺したライオンのところに行きました。そこは、サムソンが主の召しを受けた場所です。サムソンは、そこでライオンの死体が太陽で乾燥し腐らずにあったことを知りました。そればかりか、蜜蜂の群れがライオンの体の中にいて、蜜が一杯あるのを発見致しました。彼はその蜜を食べ、両親にも与えました。この時も、ライオンのからだから蜜をかき集めたことを、両親に秘密にしていました。

この出来事は、サムソンがその召しに忠実であったなら、彼も両親もともに主の祝福を受け裕福に暮らすことが出来たであろうことを示す、しるしでありました。

ついに願いを叶えてサムソンはあのペリシテ人の娘をめとりました。サムソンは結婚の祝宴を持ちました。それは7日間行われました。30人の客が連れてこられ、盛大な祝宴が始まりました。この客たちに、サムソンは、「食べる者から食べ物が出た。強いものから甘い物が出た。」という謎を出し、7日のあいだにこの謎を解く者には、麻の衣三十着、着替えの衣三十着を与えるが、反対に解けない場合は、彼らがサムソンに同じ物を与えなければならないという協約を結びました。

彼らは三日経ってもその謎が解けないので、焦ってきて、サムソンの妻を脅迫して、その秘密を聞こうといたしました(15節)。彼女はこの脅迫を恐れて、サムソンに、その謎を教えてほしいと請いました。サムソンは自分の両親にさえ明かしたことのないことだといって、この願いを断りました。しかし、彼女がその秘密を明かさないのは自分を愛していないからだと毎日泣きすがるので、とうとうサムソンはたまらなくなって、その秘密を明かしてしまいました。

サムソンの愛したこの女は、サムソンの愛を疑いましたが、自分こそサムソンの愛を裏切り、自分とその両親の命を大切にし、サムソンの秘密をペリシテ人に売りました。この事において、サムソンは一つの罪を犯しました。サムソンはこの時、自分の生涯で本当に特別な独自な或るものを、渡してしまいました。それは神から賜った賜物です。サムソンはひとりの異邦人女のために、そして彼女を通して、ペリシテ人にその大切なものを渡してしまいました。サムソンは、自分に与えられた召しと、その秘密よりも、ペリシテ人の女を深く愛しました。しかし、神は、このサムソンの罪を用いられます。サムソンは、自ら犯した罪を代償にして、ペリシテ人の欺きと彼らが自分に敵対してくる敵であることを認識するに到りました。サムソンのこの罪の認識は、イスラエルの全ての民に見られるものでもありました。

サムソンはこの罪を知り、好意を寄せていたペリシテ人の欺きを怒りました。サムソンは主の霊に満たされて、アシュケロンに行って、ペリシテ人30人を殺し、その謎を解いた者たちに、彼らからはぎ取った上着を与えました。そして妻の欺きにも怒ったサムソンは、妻を去らせ、自身は父の家に帰りました。

数日後、サムソンは妻を去らせたことを後悔致しました。そして、再び彼女への贈り物として子山羊一匹を持って、彼女を迎えるために、彼女の父親のところを訪ねました。サムソンはもはや、彼女をひとりのペリシテ人の女とは見ようとしませんでした。心から自分の妻として迎えようとしたのです。

しかし、サムソンの心は父の家に着いたとき、粉々に砕かれるこにになりました。彼女の父親は、結婚式のとき、花婿付添人のひとりとしてサムソンに付き添っていたひとりの男に彼女を与えてしまっていたのです。

サムソンはこの二重の背信と裏切りを受け、ジャッカル三百匹捕えて、ジャッカルの尾と尾を結び合わせ、その二つの尾の真ん中に松明の火を付け、ペリシテ人の麦畑に送り込み、刈り入れた麦の山から麦畑、ぶどう畑、オリーブの木に至るまで燃やしつくし、ペリシテ人たちを罰しました。ペリシテ人は、このサムソンの復讐に驚いて、それが誰の仕業かを突き止めようとしました。そして、サムソンが自分の妻を取り上げて、客のひとり与えたことに腹を立ててしたことだと知ったとき、彼らは、彼女とその父親を火で焼き殺してしまいます。

これを聞いたサムソンは、そのことを実行したペリシテ人を容赦なく、その腕や脚を引き裂いて殺し、報復致しました。

これらの物語を読むかぎり、そこにはひとりの異教徒の女を愛しすぎた男のスキャンダラスな醜態にしか映りません。わたしたちがこのところを読むとき、14章4節の「これが主のご計画であり、主がペリシテ人に手がかりを求めておられる」こととして起こったことを説明する御言葉を見落とすなら、実につまらない物語を読んでいるという思いに満たされるかもしれません。

しかし、そうではありません。神はサムソンという人の女を恋する思いをも用いて、イスラエルが直面しなければならないペリシテ人問題に直面させ、イスラエルを支配し始めたペリシテ人に、イスラエルにひとりの救助者がいることを明らかにされました。この救助者には主が共におられたので、イスラエルの全てのものをかき集めたよりも、強かったのです。
サムソンを通して、主がイスラエルに明らかにされようとされたことは、もしイスラエルが主への信仰のみにいきるなら、彼らはどのような敵よりも強くなるということです。何故なら、イスラエルには真の救い主が住んでおられたからです。サムソンはそのお方の型でした。そのお方とは、主イエス・キリストです。

イスラエルは、サムソンを通して、イエス・キリストを見つめるなら、彼を通して主の御手から与えられる賜物を受け取ることが出来ました。しかし、現実のイスラエルの歴史を見るときに、彼らがそのようにしなかったことを知らされます。

サムソンはあらゆる点で多くの罪と間違いを犯しました。にもかかわらず、神はサムソンをイスラエルの救い主として立てられました。サムソンはキリストの型であると同時に、反キリストの型でもありました。神はサムソンにおいてイスラエルを救い、またサムソンの罪を通してイスラエルを裁かれました。 コインの両面のように、サムソンという人物を通して、神はご自身に対するイスラエルの従順と不従順を啓示されているのです。

サムソンの勝利と力は彼の生来の力ではなく、「主による」聖霊の力です(5節)。その罪は、主が与えた彼の生来の性質によります。サムソンの勝利と失敗は、この両面を見せてくれます。わたしたちも、実際の信仰生活において、この二つのあいだで苦しみつつ戦わねばならない課題があります。

しかし、それでも、「主による」計画と救いは確実に進展します。わたしたちの罪にもかかわらずです。ここに、希望があります。主による御心だけが堅く立つからです。

旧約聖書講解