士師記講解

1.士師記について

(1)士師記についての緒論

ヘルツベルクの士師記の注解の冒頭に記されている「緒論」に基づき、士師記について以下にその梗概を記します。

士師記は、土地取得と国家形成との間の時代、つまりヨシュアと王位を即位させたサムエルとの間の時代を扱っています。
士師記が描くのは、「イスラエルにはまだ王が存在せず」といわれる時代です。それは、外から苦難を受け、内的にもしばしば混沌状態に陥った時代です。

士師記は、一方では、多くの「歴史書」を貫く神とイスラエルの歴史の流れの中に位置づけられますが、他方、明確なあらすじを持つ完結した書でもあります。前書きとして全く独自の段落(1:1-2:5)が置かれ、それが全体の序言になっています。主要部分は本来の士師記である(2:6-16:31)と、「補遺」と呼ばれる(17-21章)とからなっています。「士師」たちについて語るのは主要部分だけで、序言と終結部は、諸部族の歴史にかかわる別の事柄を報告しています。この構成は、申命記史家の手によってなされています。その特徴が認められるのは、士師記の主要部分で、何度も繰り返し現れる、神学的定式を提示し、イスラエルの衰退の描写、異国の支配下に置かれるという神の罰、民の叫び求め、救済者を送る主の憐れみ、困窮の後の平安、と続き、このドラマはまた再び最初から始められるのである。この物語から読み取ることのできる罪と恵みの入り混じった描写は、申命記史家の神学と一致しています。

列王記上6章1節で確認されている数の定式も、士師記の概要に欠かせないものです。出エジプトと神殿建設との間は480年、40年の12倍。荒れ野時代、に続く、ヨシュア、サムエル、サウル、ダビデの時代はそれぞれ40年ずつという定式が見られます。

このような定式が見られる第三は、12人という士師の数です。おそらく著者は、それぞれの部族が士師を持ち、十二部族全体のためにその士師を提供した、神の選びの手がある秩序を持って働いたと考えているのでしょう。申命記史家はこのような秩序の視点を見出し、それを好み、摂理の神に信頼しています。

申命記史家の「枠組み」から際立って見えるのは「大士師」の物語です。大士師とは、エフド、デボラとバラク、ギデオンとアビメレク、エフタ、サムソン、オトニエルです。彼らの物語はしばしば「英雄物語」とも言われています。士師たちは、苦難の時代に救済者として登場します。士師の任務について厳密に語られるのはデボラの箇所だけか、オトニエルの箇所くらいです。小士師の場合、明らかに士師という定職に就いたと思われる人物の定型化した表があります。カリスマ的英雄の類型と、制度としての職務を取り行う士師の類型は、オトニエルにおいて奇妙に混ざり合っているように見えるが、同様のことはデボラとエフタにも見て取れます。申命記史家が示そうとしている士師像は、大体において統治することと裁くことを統合しています。それは王(ソロモン)がその身分に置いて二つの任務を併せ持っているのと同じです。この意味で、士師は王の正統的先駆者であり、外政も内政も混乱した時代に神の秩序を繰り返し立て直すために、神から民の下に遣わされた、神の恵みを具現化する人物と言えます。民の罪のただ中に遣わされるゆえに、その任務はますます重要となるのです。

神が士師に与えたこの任務と民との関係には、二重の強調点が置かれることになります。第一は、神がこの民のために配慮されたのであるから、民は苦情を訴える必要がなくなる点です。だからこの時代は良い時代だということになります。しかし、第二に、民は常に神が置かれた境界から逸脱し、敵に蹂躙される危険の中にある。だからこの時代は悪い時代だということになります。第一の視点に立てば、神が統治されるのであるから、この状態はそのままで良いことになります。第二の視点に立てば、事態は変わらねばならず、民自身の中に中央政権が必要になります。士師記は、ある時は第一の視点で、ある時は第二の視点を取ります。これと同じことが王の物語の冒頭や旧約聖書の他の箇所にも見られます。神が王として統治されることを感謝を持って自覚することと、正しく強い王、即ち神が与える王を要求することが、両立しています。この二つの視点が士師記に存在しますし、史実としても当然なことです。だから士師記を読む時政治的な見地と神学的な根本問題とから見る二つの視座が常に必要となります。

士師記の著者がきちんとした資料文書を持っていたということは、全般的に見て考えられないし、持っていたとしても決して一貫性のある資料でもなかったと考えられます。

この書は全体として、神の民が歩んできた主要な道程を記述していますが、それは並外れて生き生きした印象深いものになっています。旧約聖書の歴史編修は、救済という目的に向かう神のご計画の一断片がどのように明らかになるかを示そうとするものであるが、ヨシュア記と同様、否、総じて旧約の歴史書と同様この士師記でも、その歴史編修の真の意味が繰り返し姿を現すのである、とヘルツベルクは概説しています。

(2)士師記の序言としての1章1節-2章5節

1章1節―2章5節は、士師記全体の序言にあたる部分です。序言は三つの段落に分けられます。第一は南の部族に関する1章1節-21節です。第二は北の部族に関する1章22節-36節です。第三は、イスラエル全体について語っている2章1節-5節です。この三つの部分はひとまとまりのものとして考察する必要があります。

移住から王国までの時代を扱う士師記が引き受けるのは、総じて特別な目的のために特別な苦難の中で召命を受けた士師たちの人物像に注目するという課題です。ここでは個々の素材は、申命記史家の総編集者が作った枠の中にはめ込まれています。士師記の主要部は一つのまとまった作品(2:6-16:31)になっていますが、序言の部分は、各部族の初期史に由来する事件や状況報告であり、そこに登場するのはこれらの部族であって、特定の人物は話題になりません。ここで問題になっているのは、各部族の領土征服です。ここに描かれているのは「ヨシュアの死後」に起こったこととされる。ヨシュア記からは、領土の占領と分配は既に完了し、しかも全地がイスラエルのものになったという印象を受けます。士師記1章に記されている事態は、ヨシュア記の記述と平行しています。おもな違いは、ヨシュア記は全体を通し、統一体としての民の活動を表していますが、士師記1章では諸部族に主導権がある、という点です。さらに士師記1章の特徴として、土地のかなりの部分がまだ征服されずにある、という点が明らかにされていることです。ヨシュア記はかなり後代の、より簡略化する視点から事柄を見、記述していますが、士師記1章には比較的古い資料が存在しています。

士師記全体は、イスラエルの罪と神の恵みの間を行きつ戻りつしている姿を描いています。士師を興したのも、それ以前にカナンの地を与えたのも、神の恵みです。このことは、ヨシュア記の本来のテーマになっています。しかし、ここには、カナンの地が無制限にイスラエルのものとなったわけでないという事実が存在することが明らかにされています。そのことは古い伝承もしています。主の恵みの意思はなぜ貫徹されなかったのかという疑問には、民の罪と関係している、理由が明らかにされます。もしイスラエルが、シケムの部族会議で期待されたようなものとして存在したならば(ヨシュア記24章)、事態は変わっていたでしょう。民の罪は、神の恵みを妨害した。しかしながらその罪も、神の恵みの意思を無効にしなかった。士師記は全体を通して、このことを語っています。

序言は、その準備として、現存する初期史の資料を利用しながら、この地が完全には与えられなかったことを報告し(1章)、同時にそれが完全に与えられなかった理由を述べています(2:1-5)。

申命記史家の歴史像から見ると、土地取得の出来事は明白で、史実よりも単純なことのように思われるが、この出来事は神学的解明の中に置かれています。モーセの従者にして主の僕であるヨシュアは、ヤハウエが民のために土地を占領する際に用いた道具です。ヨシュア記を支配しているのは、このような思想でありました。

しかし、この土地が実際には完全に占領尽くされなかったらしいというのであれば、このことは「ヨシュアの死後」初めて判明したと考えることができます。それゆえ、士師記の導入となる1章1節の言葉は、特に神学的に理解されなければなりません。この書は単に史実を報告するのではなく、その報告によって神学的に教えようとしているからです。

序言(1:1-2:5)は、切れ目なく続く報告ではない。全体的に見れば北(1:1-21)と南(1:22-36)に分けられ、全体的に見れば「ユダ」と「イスラエル」の領域に基づいている。第三段落(2:1-5)が独立しているのは明らかである。こうした事実は、この素材が一つの文書に由来するものではなく、二つの異なる要素が含まれていることを示す。そのひとつは、部族の領地に関する記事で、まだ征服されていない町を含むこの表記は、王国前の時代のものであることは明らかで、その他の逸話も古い時代に由来するものである。ボキムの物語もその一つです。

2節の記述は、ユダの持つ重要性に対応しています。その重要性は、神託の内容によっても強調されています。ヨシュア記14章6節でも、嗣業を分け与えてもらうために最初にやってくるのはユダの人々です。14章6節にあるように、部族ごとの行動が企てられる場所はギルガルです(2:1)。申命記史家は前587年以後の見地から、最後の残された領土ユダとエルサレムに重大な関心を示しています。しかし、ユダの名が最初に挙げられることは初期時代から正当化されています。ユダは単なる一部族ではなく、他のいくつかの部族がユダと手を結んでいた。それらの部族からは、シメオン、カレブ、オトニエル、カイン(ケニ人)の名が挙がっています。南王国と北王国の間に位置するベニヤミン族のことも短く言及されています(22-25節)。

史実として把握できる時代、シメオンの居住地はユダの南ベエル・シェバのあたりにあり、シメオン族は実際にはユダの中に吸収されたと考えられる。申命記33章の「モーセの祝福」の中にシメオンの名はない。

注目すべきことは、個々にエルサレム占領のことが語られている点です(8節)。イスラエル人であれば誰でも、この町を最初に獲得したのがダビデであること(サム下5章)、それまでエブス人の町であったことを知っています。しかし、ダビデが火を放ってエルサレムを征服したとはどこにも記されていないので、この記述が後代の見地からダビデによる占領のことを述べていると考えられません。多くの謎がこの記述にはあります。以下、9節~36節までの記事は、聖書研究としては興味あるものですが、省略します。

序言全体の意味については2章1-5節の第三段落で説明されています。ここでの話の舞台はギルガルから山地に移っています。重要なのはその内容です。この土地を完全に占有することが、カナン人を完全に拒絶することと結び付けられています。先住民と決して「契約」を結んではならない、というのです。それはヤハウエと民と結ばれている契約が異邦の民を取り込むことを拒絶する契約であることを示しているからです。そのことは、「わたしはあなたたちと交わしたわたしの契約を、決して破棄しない、あなたたちもこの地の住民と契約を結んではならない、住民の祭壇は取り壊さなければならない」(2:1,2)、という主の言葉で表されています。カナン的なものからの分離は、とりわけ宗教的領域において行われました。申命記でもこれに対応する要求が最初に置かれています(申12章)。「バアル」はイスラエルの本質的な在り方を疑わしいものにする、イスラエルが出会った最大の脅威であったからです。この意味で、1章で報告された出来事は、申命記史家の視点から見ると、単なる運命ではなく、罪と考えられる。だから、ここでは、イスラエルの歴史を始めから導いてきた神の視点に立って、歴史を内側から見て記述することが試みられています。こうして、神の側の憐れみと義、人間の側の忘恩と罪が明らかとなり、この民をめぐる全ての出来事の原因が、結局は神と人との間を揺れ動く単純な事実に帰されることになります。

2章1-5節にはかなり古い資料が存在します。4節のボキム(=泣く者)という言葉とその説明からわかるように、この記述は「原因譚」としてなされています。七十人訳はベテルとの関係についても暗示しています。ボキムは、創世記35章8節で「嘆きの樫の木」と呼ばれた場所かもしれません。「泣くこと」は、民の罪を明確にする機会をもたらしました。主の御使いは、荒野の行進と、御使いを導き手として派遣した(出エ23:20、33:2)主の恵みを想起させました。その背後にあるのは、真の神顕現の伝統を誇ることができた聖所の想起です。この聖所では、はるか昔に特別な嘆きの儀式を行っていたと考えられます。そして、その儀式で「泣く人々」の行進が執り行われていたのかもしれません。重要なことは、それが申命記史家の手によって意図的に全体構想の中に組み入れられていることにあります。ここに認められる事柄は、歴史を貫く神の道の大きさの中に埋め込まれています。この神学的理解を読み解くことが、士師記を理解するうえで重要です。

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