アモス書講解

1.預言者アモスとその預言の特質、及びその時代

アモス書1章1節は、この書の表題にあたるが、それによれば、アモスはユダの王ウジヤ(前784年-746年)ならびにイスラエルの王ヤロブアム2世(前787年-746年)の治世の時代に現れた。アモスは、ユダの荒野に接したテコア出身(最近では、ガリラヤのテコア出身ととる者もいる)である。7章14節でアモスは自分のことを、「わたしは預言者ではない。預言者の弟子でもない。わたしは家畜を飼い、いちじく桑を栽培する者だ」といっている。彼が見た幻について語っている言葉(7:1-9、8:1-3、9:1-4)は、彼が預言者として召命を受ける前に、その故郷において既にさまざまな幻を通じて神との人格的な出会いを経験しており、これらの出会いが、彼の預言活動にとって決定的な意義を持つものとなっていたことを示している。

アモスは自らの召命について7章15節で「主は家畜の群れを追っているところから、わたしを取り、『行って、わが民イスラエルに預言せよ』」といって、預言者として召されたことを明らかにしている。アモスは前760年頃、まず北王国の首都サマリアで活動し、次いでベテルの聖所へと赴いたらしい。ベテルで、秋の大祭に集まる多くの民衆に向かって活動を続けたアモスは、大祭司によって王と王国に対する危険人物として告発され、王国より追放された(7:10以下)。アモスはほんの短期間の預言活動の後、故郷のユダに戻ったらしい。

彼が活動したのは、ヤロブアム二世の統治した時代であった。「ヤロブアム二世の統治は、北王国史上、最も平和でおそらく最も幸福な時代の一つであった。しかし、ちょうどこの時代に、イスラエルの社会状況にはっきりした変化が生じた。かつてはイスラエルの市民は、誰でも土地から得られる富の分配に与って、自分と家族の生計を支えたのであるが、この時代には、貿易の拡大と王のとった政策によって、他人の元手で自分の財産を増やし、またそのためには陰険な手段や容赦のない術策を弄することも辞さない資産階級が形成されたのであった。したがって、幸福そうに見える表面的な状況とうらはらに、イスラエル人の生活の基盤は、崩壊の危険に脅かされていた」(R・レントルフ『旧約聖書の人間像』)といわれている。

アモスはその預言の中で次のような痛烈な批判をあびせている。

彼らが正しい者(ツァディーク)を金で
貧しい者(ダッリーム)を靴一足の値で売ったからだ。
彼らは弱い者の頭を地の塵に踏みつけ
悩む者(敬虔な者)の道(デレク)を曲げている。
父も子も同じ女のもとに通い
わたしの聖なる名を汚している。
祭壇のあるところではどこでも
その傍らに質にとった衣を広げ
科料として取り立てたぶどう酒を
神殿の中で飲んでいる。(2章6-8節)

彼らは町の門で訴えを公平に扱う者を憎み
真実を語る者を嫌う。
お前たちは弱い者を踏みつけ
彼らから穀物の貢納を取り立てる(5章10‐11節)

主の正義が曲げられている現実に向けてのアモスの厳しい批判が語られている。そして、一部の特権的な身分が享受する資産階級の豪奢な生活ぶりにも、アモスは痛烈な批判(6章4‐6節)をしている。王家や資産階級は「冬の家と夏の家」を持ち、その家は「象牙の家」と呼ばれる高価な大邸宅にすんでいたが(3章15節)、彼らに搾取された「貧しい者」(ダッリーム)は、一握りの土地とその上に建てた家とを手放し、債務奴隷に身を落としていった小農層の人々であった。100年以上にわたるアラム人との戦争がその貧富の差を拡大させた。傭兵制採用と土地付与によって、大土地所有はますます増強される一方で、税の強化によって小農層の農奴化は急速に進んでいた。アモスはこのような時代に預言者として召命を受けた。

アモスは、自らの預言を記した最初の記述預言者である。アモスの預言活動の出発点をなしているのは、彼の幻と召命体験における神との人格的な出会いだ。神は圧倒的な威力をもってアモスの生に介入し、彼の生活を変え、内面の転換をも引き起こした。神によって不可抗的に捉えられるということは、預言者にとっては彼自身が無条件に神に従うことを意味するが、同時に人をも事物をも神との関係において、神によって絶対的に制約され、且つまた神に対してのみ義務を負っている存在として見、判断することを学ぶことでもある。こうして神は今や彼の思考の原点となる。この神中心主義によって預言者の告知は支配され、預言者は自分が民に対して神の側に立たされていることを知る。この思考のあり方から、アモスは仮借のない徹底性をもってすべての事柄を判断する。預言者にとって、神とその言葉は絶対的で人格的な力である。その拘束において預言者は、人間に対するあらゆる義務拘束から自由であると同時に、あらゆる気まぐれな悪魔的偶然性からも自由な存在として立っている。

神の行為の規範は、神に敵対したり、神と並んで自己を立てようとするすべての者に対する審きにおいて、神の本質を貫徹することにある。アモスの審判思想は、個々の過失の懲罰という性格を持たない。根源的、究極的、必然的な神の本質を表現するものである。審きは、神に背くすべてのものの徹底的否定である。しかし、その審きは背後にある神の現実によってその妥当性を得ている。神の現実とは、ツェデクでありミシュパートである。これは日本語で表現しにくい言葉であるが、主の「正義」あるいは「公義」としばしば訳される。また、その上に立つデレク(道)が曲げられる時、人間の生は不可能となる、と考えられている。

そして、これらは神の土地約束と土地授与という、現実具体的な物質的問題と深く結びついて語られている。土地の所有は神の遺贈による権利である故、その侵害行為は、人ではなく神に関わることになる。神はその権利侵害に対して、地を容易に震わすこともできる。「あの地震の二年前に」というこの書の表題の言葉は、それ自体が神の審判を予表するものとして言及されているのかもしれない。そして、イスラエルがその土地から消え去るであろうというアモスの預言(7:17)は、宗教と国家という、それまで誰も触れなかった二本の柱を否定することであり、アモス以前の預言者が語ってきたことを凌駕するものである。

アモスの道徳的、法的諸要求は、これらの前提に立ってなされている。預言者アモスにとって、選びとは、イスラエルによって何らかの拘束を受けない神の自由な行為である(9:7)。そしてそれは、民に要求したり、責任を負わせうる神の権利と結びつけられている(3:2)。無条件で要求し自己を貫徹する神の自由・全能・主権から出発して、アモスは人間の自負を問題とする。もしそれが自分の力を誇り、おごり高ぶり(6:1以下・13、3:9以下)、抑制力を失って反社会的なおごりの生活の中で自己満足し、神をないがしろにする人間性を増長させるなら、彼は容赦しない(4:1以下、5:1以下、6:4以下・12)。アモスが人間の逸脱に対して突きつける厳しい否定は、彼自身を捉えて思いのままにし、また誰をもあらわにする神の現実への信仰の表明であり、肯定である。

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