サムエル記講解

51.サムエル記下20:1-26『シェバの反乱』

サムエル記の本論は、本章を持って一応終わります。そして、シェバの反乱の物語は、アブサロムをめぐる一連の出来事の付録として、ダビデの罪に対する悲劇的結末として報告されています。

反乱の煽動者となったシェバがどのような人物であったかについては、彼が「ならず者」で、ベニヤミン族で父がビクリあったということしか明らかにされていません。ベニヤミンは北と南の中間に位置する境界部族で、イスラエル全体の不安定要因をなす部族でありました。シェバはサウルと同じ氏族の一員であったのかもしれません。アブサロムに従っていたイスラエルは、彼の死と敗北後、ダビデに従う行動を取りましたが、ダビデのユダとイスラエルに対する融和的態度は、かえって両者のダビデ王朝の中での主導権争いを生み、ユダに圧倒されそうな危機を感じたシェバは、「イスラエルよ、自分の天幕に帰れ」とダビデからの離脱を呼びかけました。2節に、「イスラエルの人々は皆ダビデを離れ、ビクリの息子シェバに従った。」と記されていますが、14節の記事と関連して読むと、シェバの煽動によりしたがったのは、彼の同属の者たちに限られていたようです。それでも相当の数で、戦闘能力の高い「選び抜かれた兵が寄り集まり」(14節)ました。後に見るようにシェバへの民衆の熱狂と反乱は、長続きしませんでした。

これに対してユダの人々は、ダビデにエルサレムまでつき従い、ダビデを王として迎えました。エルサレムの王宮に戻ったダビデは、家を守るため残しておいた十人の側女を隔離し、アブサロムの支配を物語る悪しき記憶に終止符を打ちました。ダビデにこのように冷たく扱われた十人の側女たちのことをサムエル記の記者は深い同情を持って記し、ダビデのとった融和策の結果もたらされたシェバの反乱と合わせて、ダビデの失政として批判的な目を向けています。

そして、ダビデの失政のもう一つの悲劇は、アマサがシェバ追撃の軍の指揮官に命じられることによって起こります。イスラエルを相手の軍事遠征にユダの召集軍を動員することは、非常にデリケートな問題を含んでいました。ダビデはヨアブを解任し、その位置にアマサを就けましたが、その頂点に立たされたアマサは非常に困難な役目を引きうけたことになります。ユダの多くの人はヨアブを恐れ、ヨアブの顔色を伺いながら行動していたからです。ダビデは追撃の責任者として立てたアマサに、「ユダの人々を三日の内に動員」するよう命じましたが、ヨアブの目を恐れるユダの人々は、アマサの呼びかけにすぐさま応じようとしなかったため、彼は王に指定された期日までに戻ってくることはできませんでした。

しかし、シェバの反乱を制圧するのに時間をかけすぎると、シェバがその間に何処かに地歩を固め、それが困難になるので、その危険の芽が大きくならない内に迅速に対応する必要がありました。そこでダビデは、アビシャイに、「主君の家臣を率いて」シェバを追跡するように命じました。アビシャイの指揮の下に出撃した軍勢は、ダビデがエルサレムから避難した時に彼に従ったのとほぼ同じ面々であったと思われます。これにヨアブが同行していましたが、ヨアブがどのような立場でこれに加わっていたかは定かではありませんが、後にヨアブがアマサを殺害すると、ヨアブがシェバ追撃に指揮をとっていますので、最高指揮権がこのように何の抵抗もなく直ちに移行していることを見ますと、ヨアブは予め共に指導的役割を果たしていたと考える方が自然です。そこにはアブサロムを殺害した「ヨアブの武器を持つ従卒十人」も当然の如く同行していたものと思われます。

表面上はアビシャイの指揮する部隊はギブオンの大石のところで、アマサと出会います。アマサはアビシャイの部隊より遅れて、シェバ反乱軍制圧に出発したものと思われますので、アマサの部隊は別の近道を選んで進んでいたようです。ギブオンの大石のところへは、アマサの部隊の方が先に来ていたわけですから、相当大急ぎで遅れをとらないように駆けつけたアマサの功名心が見て取れます。

アマサは出会ったのがアビシャイの部隊でしたので、特に自分の防備に気を使う必要を感じていませんでした。アマサは自分の部隊を引きつれ全速力で駆けつけたわけですが、その部隊は誰の目にもしっかりとした隊列を組んだ軍隊には見えなかったと思われます。それは、ただ指揮官の後に従っているだけの烏合の衆のようなものであったのでしょう。その先頭に到着したのは指揮官のアマサでありました。

ヨアブはアマサと出会った時のことを予め想定していたようです。そのチャンスが来た時にすばやく行動できるための仕込をしていました。ヨアブの体には、ナイフ状の短剣が腰帯に鞘の口を下向きにして忍び込ませられていて、帯にひだをちょっと動かせば、短剣がすっと落ちるように出てくるよう細工がされていました。ヨアブは前に出ると剣が簡単に抜けました。そして、短剣はアマサからは見えない逆の方向にあり、ヨアブの右手は、平和と友好のしるしとして口付けするためにアマサのひげをつかんでいました。アマサはヨアブのもう一方の手にある剣に全然気づかなかったので、ヨアブは簡単に剣でアマサの下腹を突き刺すことができました。たった一刺しでアマサのはらわたが飛び出し地に流れ出し、即死するほど強く深く、剣はその下腹部に刺し込まれました。ヨアブのその行為は、イスカリオテのユダが、主イエスに口づけして裏切りをしたようになされました。ダビデが取った司令官交替の措置はこのように激しい憎悪を自分のいた地位についた者に向けられる結果となりました。

そして、ヨアブはまたしても暗殺という方法で、自らの地位を回復しました。ヨアブはシェバ追撃のため前進します。そして、ヨアブの従者の一人が立ちあがり、「ヨアブを愛する者、ダビデに味方する者はヨアブに続け」と呼びかけますが、血まみれになっているアマサの死体が道の真中に転がったままでしたので、それを見て恐れた兵士たちが立ち止まってしまいました。そこでこのヨアブの従者の一人は、自分でアマサの遺体を道から畑に移し、その上に衣をかぶせました。アマサの遺体が道から取りのけられると、ヨアブにしたがった兵士たちはシェバ追撃を再開しました。

シェバは、フレー湖の北にあるダン付近のアベル・ベト・マアカにまでやって来て、そこで地歩を固めようとしていました。しかし、彼の周りに集まったのは、「選び抜かれた兵の寄り集まり」であり、決して全イスラエルの兵士たち全員が彼の呼びかけに応答したわけではなかったのです。そのため、ヨアブの率いるユダの軍隊がアベル・ベト・マアカに到着して、シェバを包囲することは容易に直ちに実行されました。ヨアブの攻囲軍が町の城壁にまで届く土塁を築いたことは、町の住民にとって事態の深刻さを示すものでした。

この困難な状況と町を救ったのは、一人の知恵ある女性でした。彼女はヨアブに呼ばわり、厚かましくも、ヨアブにここまで来てほしいとたのみ、ヨアブが近づくと、知恵を尽くしてヨアブがしようとしていることを、現実に実行してしまうなら、「イスラエルの母なる町滅ぼし」「主の嗣業の地を飲み尽くしてしまうことになる」と訴えました。この訴えを聞いたヨアブは、イスラエルとの紛争をこれ以上望まなかったので、反乱を企てたシェバ一人を引き渡してくれるなら、この町から引き揚げようと応えます。

女は知恵を用い、シェバの首を切り落とし、ヨアブのこの要求を満たし、町を救うことに成功します。これによって戦いは終わりました。そして、召集軍が解散され、ヨアブの帰還が報告されて、この物語が終わります。

この物語には、ダビデ王がアマサの死をどのように考えたかについては、何も語られてはいません。しかし、ダビデは、それがヨアブのせいであることを決して忘れていなかったことを、列王記上2章5節以下の記事から明らかです。しかし、シムイの場合同様、ヨアブに対する処罰は何もなされていません。それよりもむしろ、23節以下にダビデの重臣たちの名が記されていますが、そのリストの先頭に、「ヨアブはイスラエル全軍の司令官」と記されています。このことは、ヨアブがその殺害の罪を処断されることなく、むしろ、ヨアブが王の承認のもとにイスラエル全軍の司令官に戻り、今やダビデ王国が、これまでにない確固たるものにされることになりました。主の嗣業の地も破壊されずにすみました。しかし、サムエル記の記者は、そのために多くの罪が犯されたことを明らかにしています。そして、王位継承問題が未だに否定的な形で回答が与えられているに過ぎません。つまり、官能的衝動に駆られるアムノンも、兄弟殺しのアブサロムも、王になることはできないのです。ダビデ自身も同じこれら二つの罪を犯しています。ダビデ自身がその罪を罰せられるべき人物でありました。本来ならダビデもまた王位を失っても当然だったのです。そうならなかったのはひたすら神の恩恵のおかげです。王位後継者の問題は、未解決のままサムエル記の物語は終わります。しかし、ダビデ王国がそのようにして存続している姿を記して終わります。ダビデ王国が存続したのは、ダビデ王の有能さや業績によってではありません。それは、専ら主ご自身がなした約束に忠実であるという恩恵のゆえであります。それゆえに、ダビデは外面的に見れば最低のどん底と思えるときに(エルサレムからの逃亡中)こそ、人間的にも、事柄上も、最高の高みにいました。なぜなら、神の恩恵にふさわしいのは何より人間の遜りであるからです。このダビデ王国を支配し、導いているのは何処までも主なる神の統御の力です。ただ神の恩恵のみがこの王国を一つにまとめているのです。教会を導く力をそれによって指し示しているのです。

旧約聖書講解