ヨシュア記講解

16.ヨシュア記20章1節-9節『逃れの町』

ヨシュア記13章―19章には、イスラエル12部族に対する土地分配のことが記されています。その最後の19章49-50節に、「境界線を定めて、土地の嗣業の配分が終わると、イスラエルの人々は自分たちの土地の中からヌンの子ヨシュアに嗣業の土地を贈った。主の命令に従って、ヨシュアの求めたエフライム山地の町ティムナト・セラを彼に贈った。ヨシュアは町を建てて、そこに住んだ」と記し、12部族に対する土地分配が完了したことが明らかにされています。

そのことを確認した上で、19章51節において、この土地が嗣業であって確固とした境界を有すること、法的には土地分配が決定機関の前で執行されること、しかも、シロの会見の幕屋で籤を引くという形が取られ、神のはっきりした意思どおりに行なわれたことが明らかにされています。12部族に与えられた土地は、土地を約束し取得してくださった神が、それを嗣業としてイスラエルに手わされたことによって、土地の割り当てが完了したということの意味は、その後のイスラエルの歴史において、土地は誰のものかということが議論の対象になる時、それは本来神のものであるという認識から始めなければならないことを示しています。土地が神のものであり、イスラエルはその土地を神の「嗣業」として受け取ったものである故に、それを自分たちの都合で勝手に扱うことができないのです。

20章―24章は、ヨシュア記の第3部に該当し、占領して割り当てられた土地でイスラエルの民がどう生活するか、という問題を扱っています。20章は、その始まりであり、逃れの町について記述しています。

逃れの町の規定は、共同体全体を如何にして聖なるものとして保つべきかという精神から由来するものです。その精神から、誤って知らずに人を殺した人の命を守るために設けられたことを理解する必要があります。

逃れの町の詳細な規定は、民数記35章8―34節及び申命記4章、19章にも記されています。そして、逃れの町の規定そのものは、モーセを通して与えられたものとされています(20章2節)。契約の書(出エ21:12-14)には既に逃れの町に関する規定があり、王国成立期以前に由来する律法の集成の中ですでに逃れの町は存在しています。申命記4章41-43節には、東ヨルダンの三つの場所が逃れの町として指定され、「意図してでなく、以前から憎しみを抱いていたのでもないのに、隣人を殺してしまった者をそこに逃れさせ、その町の一つに逃れて生き延びることができるようにした」、とあります。申命記19章8―10節では、土地全体の占領によって逃れの町が六つに拡大することがはっきりと予定されています。一方、祭司律法は、民数記35章9-15節で初めから六つの町を定めています。

このような発展に従って、ヨシュア記20章では逃れの町について記述しています。逃れの町規定の背景には、「人の血を流す者は、人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られたからだ」(創世記9章6節)、というノアの禁令に基づく本質命題が存在します。しかし、実際には、この解釈に基づき、その報復が共同体の上級審議機関によってなされていたのではなく、古代近東世界に共通してみられる同害報復法に従い、当事者自身によってなされていました。

しかし、間もなく、謀殺と故殺の違いによって、このような逃れの場所を設置する必要が生じたに違いないと考えられます。7―8節に、逃れの場所として指定された町の名が記されていますが、これらの場所は、元々有名な聖所があった場所と考えられています。シケムおよびヘブロンの聖所がそのことをはっきりと物語っています。ケデシュは、カーデシュ「神聖である」という語根からなるので、同様に特別な聖性を有したに違いないと考えられます。東ヨルダンの土地では、ラモト「高所」とベツェル「近寄りがたいもの」に、これとの類似性を認めることができます。ゴランあるいはガロン(書かれた形)の場合には、語根ガーラー「啓示する」との関連を推定することができます。この六つの場所は21章で祭司あるいはレビ人に分配される町に属することが明らかにされています。これらの場所は古い時代に既に逃れの町として知られ、後代においてもその昔の意義が忘れ去られなかったのです。

3節で「血の復讐をする者」と訳されたヘブル語の「ゴエル」という言葉は、「贖う」を意味する「ガアル」という動詞の分子形です。この動詞は、売却した家を買い戻すこと、ある人が売ってしまった自由を買い戻すこと、或いは負債のために我が身を売って奴隷となった人が自由を買い戻す時に用いられます。ここでは、相手の血を流すことで、殺された者の血を「贖う」という意味で用いられています。

逃れの町には祭壇があって、民の罪の執り成しと贖いをする祭司がいました。そして、逃れの町は一日時で行けるとことにありました。誤って知らずに人を殺してしまった者は、これらの町の一つに行き、その町の入口に立って、町の長老たちに聞こえるようにそのわけを言って、町の中に入れてもらうなら、たとえ血の復讐をする権利のあるものが来ても、裁判を受けずに引き渡されることはありませんでした。

逃れの町は、こうして人前で公平な裁判を受けることを保証されました。今日では何ともないように思われますが、当時としては実によくできた人権規定でありました。その精神は恵みの契約の精神に沿ったものでありました。裁判の結果、逃れてきた者が、本当に誤って知らずに人を殺し、彼が決して殺した人を憎んでいなかったことが判明した時は、その逃れた町に住むことが許されました。

そして、その人は大祭司が死ぬまで、その町に住まねばなりませんでした。ここに示されている考えの中には、人の命を奪うことは、理由はどうあれ、別の死によってのみ罪は贖われうるという贖いの思想が根底にあります。通常は、被害者の近親者の手によって罰として自分の命を失うのは殺人者でありましたが、このような故意でない偶然の殺人の場合は、これを裁定する大祭司の死がその代わりの役割を果たしたのであります。彼の罪は大祭司の死によって贖われ自由の身となるわけです。

これは、イエス・キリストの贖いの御業の予表としての意味を持っています。しかし、キリストは、大祭司にまさる救い主です。キリストはわたしたちの全ての罪を背負い十字架に死に、その血の贖いによって、完全に清め、もはや罪を犯すことができなくなるまで、聖化の恵みに与ることができようにしてくださっています。

旧約聖書講解