イザヤ書講解

61.イザヤ書56章1-8節『異邦人の救い』

イザヤ書56-66章は、一つのまとまりを持っています。現代の聖書学者は、通常この部分を「第三イザヤ」と呼んでいますが、このまとまり全体の著者を一人であるとは考え難いし、書かれた時代もかなり広い範囲を想定しないと説明しにくいところがあると考えています。いわゆる第三イザヤと呼ばれている人物は、第二イザヤの弟子で、第三イザヤの使信の中心は60-62章にあります。それは救済使信が中心で、第二イザヤの救済使信からの由来、あるいはそれへの依存を表している(ヴェスターマン)、といわれています。この部分には、第二イザヤには見られない神殿礼拝というものが前提にされた議論や、それへの異邦人の参加を認めるべきかという議論が認められます。そして、その問題が、契約への忠誠、特に安息日を守るかどうかという点におかれ、明らかに、捕囚から帰還後、あるいはその状況を踏まえた、国家制度から分離して成立したユダヤ教で問題となったことが前提されていると思われる議論がなされています。これらの点を見ますと、第三イザヤの救済の言葉は、もはや捕囚中に、捕囚民に対してではなく、むしろ帰還後、ユダ=エルサレムにおいて発せられていると考えられます。しかし、紀元前537年の最初の帰還民はわずかであり、第二イザヤの使信から期待された変化と、力強い救済への転換は明白にはもたらされませんでした。それは今なお未来にしか待望されない状況で、帰還者は貧しく、大部分はいまなおディアスポラ(離散者)としてバビロンの地に残っていました。第三イザヤの救済告知は、本質的にはまだ異郷の地にいる人々の帰還に向けられていました。この状況の変化を視野に入れ、第三イザヤは第二イザヤの救済告知を保持しながら、時代的変化の中で使信の内容に変化を加えています。 56章1,2節と3-8節は、第三イザヤの言葉ではなく、この部分を編集した編集者のことばであるといわれている部分です。56章1-2節は、法的行為、特に安息日遵守に関する勧告で、3-8節は、ヤハウエ共同体(ユダヤ教団)への所属に関する規定です。それは、申命記23章2-9節によって、主の神殿での礼拝の交わりから排除されている宦官と外国人に新しく発せられる神の言葉によって、それに加わることが許されることが明らかにされています。この決定は神の民のあり方の徹底的な変化を意味します。神の民の所属を根拠づけるのはのはもはや出生ではなく、イスラエルに向けての決断であるとされています。この決断を編集者が第三イザヤ書に加えることによって、これを預言者の伝統の線に関係づけ、預言者の言葉の権威の下に置くという意味を与えて、彼の時代の課題に答えています。バビロン捕囚後、エルサレム神殿での祭儀を行えない民にとって、主の民としての自覚、誇りは、安息日を守ることと、律法を守る生活であったことがこれらの編集者による言葉からうかがい知ることができます。 56章1節後半の語句、「わたしの救いが実現し、わたしの恵みの業が現れるのは間近い」は、40-55章の第二イザヤの使信に意味深く接続されています。この語句は、特に、46章13節の以下の言葉と意識的に関係づけられています。 わたしの恵みの業を、わたしは近く成し遂げる。 もはや遠くはない。 わたしは遅れることなく救いをもたらす。 わたしはシオンに救いを イスラエルにわたしの輝きを与えることにした。 しかし、第二イザヤは、この告知を失望したものに聞くようにという呼びかけるその呼びかけを理由づける言葉としてこれを用いていますが、ここでは敬虔なわざへの勧告を理由づけるものとして用いられています。それは、「正義(ミシュパート)」と「公平(ツェダカー)」を守ることと関連させられています。この勧告は、詩篇1編と同様、正義と公平を守る人の幸いと結び付けられています。 そして2節において敬虔な行為は、安息日遵守と結び付けられています。つまり、ここでは、安息日を厳しく守ることで、人は「正義と公平」に従っているかどうか、本当に敬虔であるかどうかが初めて明らかになる、とされています。 捕囚において信仰告白の指標になっていた安息日は、捕囚後はさらに正統信仰の決定的指標となるという意義を持つに至っています。安息日のこの意義は、イエスの時代に至るまで保持され、民族から教団への変化を示しています。人が主につくかどうかは決断の問題とされ、教団においては、このことはとりわけ安息日遵守において問われるということが特に顕著にあらわれています。それゆえ、56章1-2節の語句の基本的意図は、40-55章の救済告知に見られるような慰めではなく、勧告にあるといえます。ここでは、正義と公平を行えという勧告は、主眼を安息日遵守の勧告の中でその場所を持っています。安息日を守るということで、ユダヤ教団に属するという決意、帰属意識は高められ、第二イザヤへの意識的な接続がこの点でなされていますが、それは同時に第二イザヤから遠ざかっていることも非常に顕著であるということもできます。 3節は、これまでヤハウエの救済から排除されている異邦人と宦官の二つの集団の嘆きを取り上げ、その嘆きを退けています。4-5節の言葉は宦官に、6-7節は異邦人に向けられています。8節は、「イスラエルを集める方」という表現で、4-7節の神の言葉を締めくくっています。 申命記23章2-9節によれば、明らかに宦官と異邦人は、ヤハウエ共同体の祭儀への参加から締め出されていました。しかし、ここではその祭儀への参加、共同体への入会が問題になっています。3節は、その参加が認められなかった彼らの嘆きが取り上げられています。 3節の「主のもとに集ってきた異邦人」は、正確には「主に従って来た人」あるいは、「主に結びついた異国人」のことで、明らかにヤハウエを信じる改宗者に対する当時の慣用的な表現です。これと同じ意味では、イザヤ書14章1節で、「寄留の民は彼らに加わり、ヤコブの家に結び付く」という言葉があります。 ここでは明らかに外国人がイスラエルの礼拝に加わるという全く新しい可能性が問題になっていますが、ここには二つの前提があるといわれます。一つは外面的前提で、国家制度からのヤハウエ共同体の分離、という問題があるといわれています。つまり、血縁的なイスラエル国民に属するということとヤハウエの祭儀の参加資格が一体であるとき、外国人は文字通り、亡命してイスラエル国民になり、ユダヤ人にならないとヤハウエの祭儀に参加できないことになります。しかし、ヤハウエ共同体が国家制度から分離され、教団として歩み出しているならば、その困難は基本的にはなくなります。もう一つは内面的な前提があるといわれます。それは第二イザヤによって告知された諸国民へのヤハウエによる救済の提示です。特に45章20-25節です。第二イザヤは、「地の果てのすべての人々よ、わたしを仰いで、救いを得よ。わたしは神、ほかにはいない。」(イザヤ書45章22節)という言葉で、異邦人に向かって、その救済の告知を行っていました。 この招きを受けて、主の共同体に留まろうとする異邦人の人々の意思と、彼らを主の共同体から分離しようとする人々との意志とが衝突していた現実を、3節の嘆きの言葉は明らかにしています。彼ら異邦人を主の共同体から分離させようとする意図は、エズラとネヘミヤ(特に、エズラ記9章1-2節と、ネヘミヤ記9章2節)に非常にはっきりと表わされています。ユダヤ教団の中にこの傾向を保持する姿勢があることを知っている彼ら異邦人は、「主は御自分の民とわたしを区別する」という言葉においてその嘆きを表明しています。 しかしここでは、主がそのように言ってはならないと、ご自身の言葉を保証しています。異邦人と並び排除されたもう一つの人々は宦官です。宦官は去勢されていましたので、子供をもつことができない人々でした。申命記23章2-9節の規定によれば、彼らは主の共同体に属することが許されていないということ以外、外国人の嘆きと無関係です。しかしその嘆きはもっと深い、別なところに原因がありました。その嘆きは創世記15章2節の、「わが神、主よ。わたしに何をくださるというのですか。わたしには子供がありません。家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです」というアブラハムの嘆きと深い関係があります。イスラエルにおいて子孫のないことは、祝福されない生活とされていました。神の祝福は子を産めない者に与えられないので、その者は礼拝に預かることは許されませんでした。 それゆえ、宦官が主の礼拝に参加が認められる、主の共同体の一員に加えられるという律法の規定の変更は革命的な意義を持っていました。しかもそれが預言者の言葉、神の言葉によって基礎付けられたこと、基礎づけられねばならなかったことに大きな意味があります。 4-5節において、申命記23章2節の古い規定は無効にされます。今からは、宦官にはっきりと、改めて主の共同体内に入れられる者としての身分が与えられます。しかし、それは無条件ではありません。「安息日を守り」「わたしの契約を固く守る」ことが条件とされています。後者は後に「律法」という意味で呼ばれているものです。このように安息日を聖とすること及び律法を守ることが主の共同体所属のための根本的な条件とされ、これまでその交わりから排除されていた、外国人や宦官が、その条件を満たしさえすれば、主の共同体の一員となれるということを、預言者が語る神の言葉によって申命記23章の律法を変更したということは画期的な、重要な意味をもつことになります。 イスラエルの信仰において、「名」を残すことは非常に重要な意味を持っていました。子孫を残せない人は、必然的に名を残すことができませんでした。それゆえ、子がなかった「アブサロムは生前、王の谷に自分のための石柱を立てていた。跡継ぎの息子がなく、名が絶えると思ったからで、この石柱に自分の名を付けていた」(サムエル記下18章18節)といわれています。5節の「わたしは彼らのために、とこしえの名を与え…記念の名を」という言葉は、ここから説明がつきます。子がなかったアブサロムが自分の記念のために建てた「石柱(マッツェーバー)」は、「アブサロムの手」と呼ばれました。5節に「記念」と訳されている語は、文字通りには「手」です。このようにイスラエル共同体にとって、鮮明に残る名は、息子と娘に優る価値がありました。古代イスラエル人は、血縁の連鎖の中にあることによってだけ、神の民に属することができました。言い換えれば、古代イスラエル人は、肉親の血統と、血を分けた子供たちのためのその後の生存においてのみ、過去と未来がありました。創世記15章の行動に見られるアブラハムのような存在にとって、イザヤ書56章5節の約束は理解しがたいことで、無意味のように思えるかもしれませんが、第三イザヤでは、名は、血を分けた子孫なしでずっと存続することができます。「枯れ木」のような存在であっても、共同体の中で生き続ける新しい可能性が与えられています。 7節において、異邦人も「聖なるわたしの山に導かれる」ことが約束されています。これはエルサレムにある神殿を指して言われていますが、今やその場所は、「祈りの家」と呼ばれています。このように表現されているのは、旧約聖書中ここだけです。それは、捕囚の中で供儀が中止されていたことと関連があるかもしれません。今や、神殿と神殿での礼拝の門が他の諸国民の成員(ヤハウエ信徒)に開かれるということによって、神殿は「すべての民の祈りの家」となっています。 8節の「イスラエルの追い散らされたものも集める方」の「イスラエル」の中には、文字通り捕囚によって散らされたイスラエルの民と、公平のわざと安息日を遵守しイスラエルにその名を与えられた外国人も宦官も含まれています。 このように、ヤハウエの共同体の開放は、ヤハウエ共同体の閉鎖性を求める祭司的・律法的伝統の系列とは反対に、第二イザヤの伝統の系列の中で、すなわち預言者的な伝統の系列の中で宣言され、神の言葉によって根拠付けられたのであります。

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