申命記講解

9.申命記8章11-20節『主を忘れることへの警告』

申命記8章7節-20節は、約束の地に定住する未来に目を向け、その約束に地で、如何に主の約束を覚え、生きるべきかを教える説教です。この説教は、賛歌の表現法を用いて、約束の土地の豊かさをたたえています。7-9節には、土地という言葉が6回も用いられています。この描写は、まるで楽園(パラダイス)について語っているかのようになされています。

11章10-12節には、「あなたが入って行って得ようとしている土地は、あなたたちが出て来たエジプトの土地とは違う。そこでは種を蒔くと、野菜畑のように、自分の足で水をやる必要があった。あなたたちが渡って行って得ようとする土地は、山も谷もある土地で、天から降る雨で潤されている。それは、あなたの神、主が御心にかけ、あなたの神、主が年の初めから年の終わりまで、常に目を注いでおられる土地である」、と約束の土地が生み出す実りの豊かさを賛美する言葉が記されています。

しかし、イスラエルに与えられる豊かさは、彼らにとって、心のおごりを生じさせ、主を忘れることのないようにとの警告が14節で述べられています。主を忘れることのないように諭す警告は、11節において、「わたしが今日命じる戒めと法と掟を守らず、あなたの神、主を忘れることのないように、注意しなさい。」という形で、「戒めと法と掟を守る」こととの関連で述べられています。

そして、17節において、「あなたは、『自分の力と手の働きで、この富を築いた』などと考えてはならない」、と自信過剰となり、自惚れることのないようにとの警告が与えられています。

人間の自惚れというのは、権力欲と同じで、人より自分を優れたものと思いたい、神のような存在になりたい、有名になりたいという願望から生まれる、そこに人間の罪を見るのは、一貫して聖書の見方です。創世記3章のアダムとエバが犯した罪も、そうした誘惑する者の声に聞くことによってです(創世記3:5,6)。バベルの物語は、有名になって、神のように高い存在になろうとする試みでありました。

そして、自惚れは神の恵みに対する忘恩から生じる問題であることを、18節において、「むしろ、あなたの神、主を思い起こしなさい。富を築く力をあなたに与えられたのは主であり、主が先祖に誓われた契約を果たして、今日のようにしてくださったのである。」という言葉で指摘されています。人は神の恵みを忘れる時、どこまでも自己の願望に縛られ、自己自身の力で生きようとします。

さらに、その忘恩は、約束の沃地に入って、そこでの生活しか知らない世代の者たちには、その繁栄をもたらせているのが、主なるヤハウエではなく、その土地の繁栄をもたらせた神として崇められている偶像の神を礼拝する罪を犯すことになります。19節において、それは、「あなたの神、主を忘れる」忘恩であることが明らかにされています。

主がイスラエルをエジプトの奴隷の家から導き出されたのは、イスラエルに真の幸福、主の恵みによる幸福に与らせるためでありましたが、イスラエルが荒れ野で経験したことは、へびとさそり、水のない渇き、という自然の厳しさを味わう体験でありました。しかし、そこで水がないとつぶやくイスラエルに、固い岩から水を湧き出させ、食べるものがないと言ってつぶやく者に、天からのマナをもって養う、主の恵みを受け続けてきたのです。

主がなぜそのような方法で、イスラエルを養われたのか、その理由が、「それは、あなたを苦しめて試し、ついに幸福にするためであった。」(16節)と語られています。それは、自惚れることのないようにする主の訓練の方法でありますが、現実のイスラエルの歴史は、このようにして与えられた主の恵みを忘恩し、罪を犯し続ける歴史でありました。

沃地しか知らない世代は、荒れ野は、恐ろしい領域で、水もなく蛇やさそりのいる場所だと考えましたが、自分たちはそのような時代とは違う時代に生きているという認識のもとに立とうとしました。しかし、イスラエルが荒れ野の放浪を耐え忍んだことを、自力によるものだと見なすなら、それはいっそうひどい思いあがりと言わなければなりません。主なるヤハウエは、ご自身契約に忠実であることを示すために、荒れ野で旅する力をイスラエルに与えたからです。

17節にある自惚れの類型は、預言者が創りだしたものを想起させるように思われます。

かつて、お前は心に思った。
「わたしは天に上り
王座を神の星よりも高く据え
神々の集う北の果ての山に座し
雲の頂に登って
いと高き者のようになろう」と。(イザヤ14:13,14)

「人の子よ、ティルスの君主に向かって言いなさい。主なる神はこう言われる。お前の心は高慢になり、そして言った。『わたしは神だ。わたしは海の真ん中にある神々の住みかに住まう』と。しかし、お前は人であって神ではない。ただ、自分の心が神の心のようだ、と思い込んでいるだけだ。」(エゼキエル28:2)

これらの預言者の言葉は、人間の自惚れや高慢が、主への忘恩から来る問題であることを明らかにしています。自分が主の恵みによって立つものとされていることを忘れる時、わたしたちは高慢になり、また自分の力でますます立って行こうとします。しかしその先にあるのは、滅びです。その様に歩む人も国も、その最期は滅びしかない、ということを心に深く刻み込むべきでしょう。

19節の警告の言葉、「もしあなたが、あなたの神、主を忘れて他の神々に従い、それに仕えて、ひれ伏すようなことがあれば、わたしは、今日、あなたたちに証言する。あなたたちは必ず滅びる。」、という言葉を厳粛な態度で聞くことが、わたしたち一人一人に求められていることを覚えましょう。

しかし、この厳しい言葉を裏返し、表から聞くと、主を覚え、主の言葉に聞き、主に従うなら、そこには確かな救いの道が約束されているということを知ることができます。

旧約聖書講解