サムエル記講解

46.サムエル記下15:1-23『アブサロムの反乱』

アブサロムはダビデの全面的な赦しと和解を得、宮廷において第一の王位継承権を持つ王子としての立場が外形的には保証されました。しかし、ダビデはアブサロムを心から愛し、彼にその王位を譲ることを真剣に考えていたようにも思えません。むしろ、バト・シェバとの関係からいっても、ソロモンをできれば王にとの思いがあっても不思議ではありません。後のバト・シェバとの会話から、バト・シェバとの間では、ダビデはソロモンを王にすることを約束していた可能性があります(列王上1:17)。それを間にあって執り成したのは預言者ナタンでありました(列王上1:11以下)。しかし、この時点でそのような約束事がまだ決まっていたわけではなかったと思われます。

アブサロムはたとえそのような事実がまだなくても、そうなる可能性を恐れていました。彼は母マアカの父であるゲシュルの王タルマイの下に3年間逃亡していました(13:38)。ゲシュルはガリラヤ湖東岸にある町ですが、ヨルダン川北東の地域はアブサロムの母マアカの名で呼ばれていて、異教的な風習の強いところでありました。アブサロムはゲシュルにいた時、その風習、特に王となる者の心得を、イスラエルの王の考え方とは異なるものの中に大きな魅力を感じるようになっていたかもしれません。アブサロムはゲシュルの3年間の経験を生かし、「他のすべての国々」の王のように「戦車と馬」(上8:11参照)を整えたり、護衛の兵を整えたりして、これまでイスラエルに見られない異国的習慣を導入し、王の権力を簒奪するための準備を着々と進めていました。

古代国家において王の重要なつとめは、国の争いごとを裁く裁判官、しかも最高裁判所の長官のような役割を果たすことでありました。王は争いごとの裁きを上手くこなさないと、人々から恨みを買い、その統治に重大な危機を及ぼすこともあります。イスラエルの王のいない時代は、士師がその役割を担っていましたが、モーセはイスラエルの指導者として、民の争いごとを裁いていましたが、単独で処理しきれない争いごとに忙殺される羽目になったことが出エジプト記18章13節以下に記されています。裁判制度による不十分さや特に不公正さは、イスラエルの民の中に繰り返し、特に預言者たちによる厳しい批判を引き起こすことになりました。

ここでアブサロムが王の行う裁判を行い、民の心を盗み取る(6節)ふるまいをしたとありますが、それは、裏を返せばダビデの裁きに不満を持つ者がいたことを物語っています。そこに彼が目をつけて、この裁きによって民の心を掌握して、文字通り王となる権力の基盤を築こうとする彼のしたたかな計算が働いていたと思われます。

王の行う裁判の日は予め定められ、決まった日になると人々は王の裁定を求めてやってきました。アブサロムは朝早く起き、裁判の行われる庁舎に通じる門の前に立ち、争いごとの裁定を王に求めるためにやってきた者をだれかれとなく呼びとめ、出身地を確かめた上で、特にイスラエルの諸部族に属する者の裁判を有利に扱う裁判を行っていました。彼は王のところに訴えても、正しく裁いてくれないが、自分なら正当に裁きを行うことができるといって、裁きを行っていました。人々が何の疑念も持たず、王のところへ行かず、彼の所で裁判を受けて帰って行ったのは、彼が来るべき王となる人物であることを見込んでの行動であったからであると思われます。

アブサロムはただ裁判によってのみ人の心をつかんだわけでありません、彼の風貌は王になるために生まれてきた者のように美しく、非の打ちどころのないものでした(14:25-26)。その見るからに美しく立派な身なりをしている王子を見ると、人々は好感を持って礼をして通り過ぎようとしました。しかし、アブサロムは、その人々のところまでへりくだって手を差し伸べて、抱き、口づけして、完全に人身を掌握してしまいました。

この美しい王子にそのようにされた人は、天にも昇る思いで、王子の虜になってしまったことでしょう。アブサロムはこのように自分をよく知り、人心をつかむことにたけ、彼の行う人心掌握の手練手管は驚くべき効果をもたらせました。

彼はいまやイスラエル人にとってアイドル・スターのような存在となりました。彼は沈着冷静に王となるための計画を熟慮し、行動に移して行きました。7節に「四十歳になった」とありますが、この年齢は、列王記などでは、王となる一つのパターンとして記されているように、彼が王となるにふさわしい年零になったということが物語られています。

彼は年齢だけでなく、行動においても慌てたところがなく、実に沈着冷静にことを進めています。彼は妹タマルの復讐をする時も、すぐにせず、そのチャンスのあらわれるのをじっくり待ち、そのチャンスがくれば大胆にすばやく行動しました。その時とまったく同じように、彼はじっくりとその機会を伺っていました。

彼は自分が王になるふさわしい場所を冷静に考えて選びました。それがヘブロンでありました。ヘブロンはユダの町で、エルサレムに都が移されるまで、ダビデの町であり、ユダの都が置かれていた場所です。しかし、都がエルサレムに移されてからは、ヘブロンの人のダビデに対する思いは冷めて行きました。その住民感情は、エルサレムに対するジェラシーや強い対抗意識を持っていました。そして、アブサロムにとってヘブロンは生まれ故郷でした。彼はこのような接点を巧みに利用し、ここを王就任の場所に選びました。アブサロムは、ユダ人は恐れる必要がないと考えていました。

問題は、その場所に多くの者を連れて行くことのできる大義をどのように見出すかにありました。熟慮を重ね、「主への誓願」という口実を考え出しました。ダビデはこの理由を何の疑いもなく納得し、許可を与えました。ヘブロンで主の前に盛大な犠牲に祭りを催し、多くの人が集まるその場所で、謀反を興すことなど困難に思えるからです。

アブサロムは、ヘブロンにエルサレムにいるダビデに仕える重臣たち二百人を招待していました。彼らを同調者にするためです。しかし、そのような意図は彼らにもなにも告げられずにいましたので、何の疑いももたずに、この王子の招待を受けて光栄に思って出かけてきていました。

アブサロムはこうしてお膳立てがすべて整ったところで、イスラエルの全部族にスパイを送り、角笛の合図とともに、「アブサロムがヘブロンで王となった」(10節)というように命じました。

そして、いよいよいけにえを奉げるにあたって、アブサロムは、「ダビデの顧問官であるギロ人アヒトフェル迎え入れました。彼はダビデの妻となったバト・シェバ祖父にあたる人物でもありました(下11:3,23)。アブサロムは、彼に反ダビデ的感情があることをすばやく察知していました。アブサロムは反ダビデ感情を持つ重要人物を味方に取り入れる巧みさも見せています。アヒトフェルの名には、「わが兄弟は阿保」という意味がありますが、これは意図的に崩されて蔑称化された呼び名であると考えられています。

いずれにせよ、アブサロムはこのように多くのものを招き、その犠牲を奉げるただなかで、「王となった」と宣言をしました。アブサロムはこのように陰謀を固め、民の心だけでなく、実際人々を従わせて行くことに成功しました。アブサロムはイスラエル人の反ダビデ感情を上手く捉え、その心を自分の方に向けることに見事成功しました。エルサレムから来た二百人は、何の事情も知らず消極的な同調者とされました。しかし、彼らがそこにいて、アブサロムが「王となる」という宣言がなされた政治的意義の重要さは想像以上に大きかったに違いありません。

こうした人を取りこんで、ユダの牙城とでも言うべきヘブロンで王就任の宣言を行ったことは、イスラエル人を勇気ずけ、人心をさらに引きつけるのに十分な効果を発揮したと思われます。と同時に、人心がアブサロムに完全に傾いたとの知らせはエルサレムにいるダビデに大きな動揺を与えることになりました。

アブサロムが自らの王の出発点をヘブロンに選んだのは巧妙な選択でした。彼はそうすることによってイスラエルを自分の味方につけただけでなく、ユダの心も自分によろめかせることに成功したからです。

ダビデはこのように民の心をアブサロムに支配されては、エルサレムで王にとどまることは困難と判断し、即座にこの首都を明け渡すことを決意しました。そうすることによって自分を救うだけでなく、エルサレムを破壊せずにすむからです。もしアブサロムとこの町で本格的な戦いをはじめるとするなら、町の破壊は免れることはできません。ダビデは彼の家族を皆連れて逃亡しました。王位簒奪者となったアブサロムが、自分のライバルとなる可能性のある腹違いの兄弟たちを皆殺しにすることを恐れたからです。明らかに危険のない10人の側女たちだけを残して、ダビデは逃亡しました。

このアブサロムによるクーデターは、ダビデのまったく予期しない間に着々と準備され、ダビデが気づいた時には、王国の存亡そのものが危機に陥し入れられる深刻なところまで行っていました。アブサロムの企てを全体として見る時、神の民の歴史の行く末を独断的に定めようとする試みであったと見なすことができます。それはイスラエルの信仰を考える上で重要な問いを残すことになりました。第一に、そもそも誰が、神の摂理によって意図されている王位継承者なのか、ということが問われることになりました。第二に、そもそも誰が歴史のあり方を最終的に決定するのか、ということが問われることになりました。

このアブサロムの反乱を契機に、ダビデとアブサロムの立場は一挙に逆転することになりました。ダビデは、エルサレムを離れ、事実上王権を剥奪された逃亡者として、まったく無抵抗のまま、無血で逃亡を始めることになります。サウル王に追われた時の姿に再び戻ってしまったような感があります。しかし、この後見せるダビデの姿には、再び信仰者ダビデの姿が回復した感がいたします。ダビデは争わず、神の御手の導きに委ねつつ、最善を尽くして神の時を待つ者となります。多くのイスラエル人の離反、ユダ人からも助けを期待できない状況の中で、それでもダビデはわずかな忠実な家臣に恵まれ、新たな信奉者も得ることにもなります。神の言葉と礼拝に関わる者もダビデに従うことになり、ダビデとその兵士たちはヨルダン川側の東にある荒野に向うことになります。

このダビデの逃亡に加わった者のリストが、18節に記されています。ダビデの側近の家臣以外は、クレタ人、ペレティ人からなる外人部隊でありました。それは、イタイの率いる六百名の強力なペリシテ人の部隊がダビデと行動を共にするといってついてくることになりました。このイタイという人物がなぜ、このような戦闘可能な部隊を引きつれてガトを離れたかは不明です。しかし、19節の文言からすると彼は元々ダビデを慕っていたので、ガトから追放されてしまっていたのかもしれません。ダビデの人柄には、まだ服属している周辺の人々の心を魅了するものが残っていたことを物語るエピソードがここにあります。しかし、ダビデはいかにも王らしくイタイを放浪者にすることができないといって、帰郷を勧めました。けれどもイタイは、「主は生きておられ、わが主君、王も生きておられる。生きるも死ぬも、主君、王のおいでになるところが僕のいるべきところです。」(21節)といって、ダビデ王と運命を共にするものとなりました。彼は後に三人の分団長の一人に抜擢されます(18:2)。イタイが示す信仰は来るべきメシアに対する信仰の先触れとなるものです。ダビデの中に神の救いを見る信仰として、メシア信仰に対する重要な告白へとこの言葉はつながります。

逃亡者ダビデとその一団はエルサレムの市街を離れ、東へ進みます。その行進の間、「その地全体が大声をあげて泣いた」といって、共に苦しむ民の姿が示されています。それは栄光に輝く王とその時代の決別を悲しむ民の、行方知らぬ未来への不安に対する嘆き叫びをあらわすものか、今は誰にもいえません。しかし、このような人々の悲しみをメシアの先触れとなるダビデに神は背負わせ、その残された生涯を導かれます。この歴史を支配しておられるのは神です。そこに希望があります。ダビデはその望みを失わず受難の道を耐えて、神に委ねて平和の道を歩みます。

旧約聖書講解