エレミヤ書講解

46.エレミヤ書29章1-23節『捕囚民への手紙』

ここに記されているのは、バビロンにいた捕囚民に宛てて書かれたエレミヤ手紙です。この手紙と27,28章と密接な関係があることは否定できませんが、時間的に連続しているかどうかを、即座に判断することはできません。

27,28章は、ユダの王ゼデキヤの治世の第4年(前594年)における出来事を記しています。その年になされた、エドム、モアブ、アンモン、ティルス、シドンから呼びかけられたバビロンへの反逆の謀議(その前の年にバビロンで動乱があったため、ネブカドレツァルの属国とされていた西方のこれらの国々が、今こそ反乱を成功させることが可能であるとの思いを抱いたためと考えられる)は実行に移されませんでしたが、ユダにおける反バビロン派を勇気づけ、エルサレムの預言者や祭司たちが平安を語るきっかけを与えることになりました。エレミヤは「軛の預言」によってその幻想を戒めましたが、ハナンヤは、前597年の第1回捕囚の時に神殿から持ち去られた祭具類が戻り、ヨヤキム王と捕囚の民が戻ってくると預言し、エレミヤの軛を砕き、エレミヤと対決しました。しかし、ハナンヤはこの年に死ぬことになるというエレミヤの預言通り死に、エレミヤの預言の正しさが明らかにされました。

29章にある捕囚民への手紙は、それよりも先に記された可能性もありますが、その直後であると考えられます。バビロンへの反乱謀議の失敗とハナンヤの死は、ゼデキヤ王のバビロンへの態度を変えさせることになったと思われます。ゼデキヤ王の第4年の出来事は、捕囚民にとっても大きな衝撃を与えることとして伝えられていたと考えられます。捕囚民の中には、将来的にも解放されることはないと絶望する人びともいましたが、ハナンヤのように偽りの平安と希望をいだく人々もいました。エレミヤの手紙は、絶望する者には主にある希望と慰めを示すことと、偽りの平安と希望を抱く者には戒めを与える目的で捕囚民へ送られました。3節に、「この手紙は、ユダの王ゼデキヤが、バビロンの王ネブカドネツァルのもとに派遣したシャファンの子エルアサとヒルキヤの子ゲマルヤに託された」、とその事情が記されています。

手紙の執筆時期が、594年の謀議の失敗、ハナンヤの死の出来事より後ということであれば、エレミヤを支持する人々が宮廷内に増え、ゼデキヤ王もバビロンとの関係を修復する必要を感じて、バビロンのネブカドネツァルのもとにエルアサとゲマルヤを使者として遣わしたという可能性を考えることができます。二人はエレミヤを擁護する宮廷内の友人で、手紙を彼らに託することは難しくなかったからです。

この手紙の中でエレミヤは二つのことを薦めています。第一は、バビロンにおいて自分の家を建て、園に果樹を植えてその実を食べ、妻をめとり、息子には嫁をとり、娘には嫁がせて、子孫を増やし、その町の平安を主に祈るように勧という薦めです(5、6節)。この言葉は、捕囚生活が長期に及ぶことを前提にしていますので、故国を離れて辛い思いで捕囚生活をしている者には、受け入れがたい言葉のように思えたことでしょう。捕囚の地での実際の生活は、ある程度生活の自由や宗教生活上の自由を保障されていましたが、エレミヤの祖国にすぐには帰れないという言葉は、精神的には彼らに大きな打撃を与えるものであったと考えられます。しかし、この勧めには二つの根拠がありました。第一に、それは、実際的な問題で、捕囚の地において幸福に暮らせることによってはじめて、彼ら自身の幸福と安全が与えられるからです(列王上8:50)。第二に、捕囚民は既に神がそのために立てている新しい計画の対象とされており、神はその計画を遂行されるからだ、というものです。

そして、エレミヤは、捕囚として送られた町の平安を祈り求めることを薦めています(7節)。エレミヤはこの祈りへの勧めにおいて、彼らに対する神の配慮があらわされ、最終的には束縛から救われることを彼らに確信させようとしました。これまでユダヤ人は、異邦の地を汚れた地と考えていました。そこには神を礼拝すべき神殿はなく、祭儀も守れないと考えられていたからです。だから、エレミヤの祈りへの勧めの言葉には、バビロンは汚れた地であり、そのような土地では神殿を建てることも、主なるヤハウエへの礼拝祭儀を行うことはできないと考えているユダヤ人に対して、そこでもなお神礼拝が可能であることが意味されていました。確かに捕囚の地において、エルサレム神殿のような祭儀的な礼拝を守ることはできません。だからといって、バビロンの地で、イスラエルは主の民として生きることも、礼拝をすることも不可能になったわけではありません。そこでも主が共におられ、主が支配しておられることを信じて、祈ることは不可能ではなかったはずです。祈りによる霊的な主への礼拝を守ることができたはずです。エレミヤがその必要性を教え、そのことを気づかせたことに大きな意味があります。この信仰はダニエルにも受け継がれています。

エレミヤが捕囚の民に勧めた祈りは、「その町のために」というものです。これは特別な意味をもっています。それは主イエスの山上の説教の中で教えられている「敵を愛し、迫害するもののために祈れ」(マタイ5:44)という祈りにつながる真に平和を求める祈りです。異境の地にあって絶望している民に、異境の地バビロンがあたかも祝福された約束の地であるかのように語り、そこで繁栄するようにとの命令を与えることは、絶望から解放させる意味を持つだけでなく、主の支配がそこにもあり、どこにおいても主を礼拝することができることを示す意味を持っていました。そのような礼拝を守れる前提として必要なことは、その地に生きる人々の平安を求めることです。自分たちを苦しめる者を敵としてしか看做せない人間を、そこから克服させるのは、敵のために祈れという主の言葉以外にありません。その言葉に聞く信仰以外にありません。その信仰がこの時代に預言者エレミヤによって語られ示されたことに驚きを覚えますが、そこに時代と国境をこえる普遍的な神の臨在と支配に対する信仰の原型を見ることができます。それは新約時代の信仰のあり方を示し、ユダヤ人の枠を超える、ナショナリズムを克服する信仰へとつながる道を示したことで大きな意味を持っています。神がイスラエルとバビロンの間にあって、その壁を超える支配と平和を実現しておられる、ここにこの祈りを可能にする根拠が与えられています。この事実を信仰の目で見ていくことが大切です。

第二に、偽預言者や占い師の言葉にだまされないようにという勧めが、8,9節においてなされています。この勧めがなされたのは、ハナンヤのような偽預言者が、バビロンにもいたからです。21節には、コラヤの子アハブとマアセヤの子ゼデキヤのことが、24節以下には、エレミヤに対決を挑むシェマヤのことが記されていますが、エレミヤが同国人の悪口の対象とされた事実を手紙の中からうかがい知ることができます。しかし、エレミヤに対する反撃の試みはすべて失敗に終わりました。

10-14節において、エレミヤは25章11節において述べられていた70年に及ぶ捕囚期間のことが再び言及されています。その期間を文字通り70年と採るべきかどうかについて議論があることは既に指摘しました。しかし、70年が人の一生を表わしているとすれば、一人の人が捕囚とされた日から、死ぬまでその地から帰れないことを表わしています。エレミヤは、27章7節と29章6節において捕囚の期間が3世代に及ぶことを語り、この捕囚の地で落ち着いた平和な生活をするように、その町のために祈るべきことを、エレミヤは語っています。それは、神の恵みによってなされる、帰還の計画と約束を明らかにし、捕囚にされた時から立てられていた主の計画であることを明らかにしています。「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」(11節)といわれています。人間は自分が立てた計画や人と結んだ約束を忘れることがあります。しかし、主はご自身の計画を「よく心に留めている」といわれます。私たちの救いは、いつも主の心に刻まれて、用意されています。その期間が70年も続くことは長いように思えますが、長い救いの歴史、主のご計画の中では、それは一瞬のような短さです。

13,14節は、申命記史家による編集句であるとの指摘がなされているところですが、エレミヤは実際の問題として、そこで主を祈り求めるべきことを語ったことは間違いないようにと思われます。エレミヤがただ、「その町のため」にだけ祈れといったとは考えられないからです。むしろ、「その町のため」にという言葉の言外に、主に求めることを第一とし、「その町のためにも」ということが「主に祈る」ことの中に含められるべきだという意味が込められていたはずです。そして、その祈りは、当然捕囚の民自身のためにも、主に祈ることが大切なこととして認識されていたはずです。異教(郷)の地バビロンにあっても、「主と出会う」(14節)体験を与えられ、主の臨在を覚える礼拝が可能とされるという約束が与えられています。このエレミヤの手紙は、このとき捕囚とされてバビロンの地にいたエゼキエルに大きな影響を与えたといわれています。

いずれにしても、これらのエレミヤの言葉は、新約時代の霊的礼拝を考える道筋を与え用意したという点でも、重要な意味を持っているということができるでしょう。

旧約聖書講解