エゼキエル書講解

27.エゼキエル23章1-35節『オホラとオホリバ』

この章のテーマは、サマリア(イスラエル)とエルサレム(ユダ)の政治的同盟によってもたらされた罪です。それをオホラ(「天幕をもつ女」の意、サマリアのこと)とオホリバ(「わが天幕は彼女の中に」の意、エルサレムのこと)の淫行の物語として叙述しています。

エレミヤ書3章6-11節に、「ヨシヤ王の時代に、主はわたしに言われた。あなたは背信の女イスラエルのしたことを見たか。彼女は高い山の上、茂る木の下のどこにでも行って淫行にふけった。彼女がこのようなことをしたあとにもなお、わたしは言った。『わたしに立ち帰れ』と。しかし、彼女は立ち帰らなかった。その姉妹である裏切りの女ユダはそれを見た。背信の女イスラエルが姦淫したのを見て、わたしは彼女を離別し、離縁状を渡した。しかし、裏切りの女であるその姉妹ユダは恐れるどころか、その淫行を続けた。彼女は軽薄にも淫行を繰り返して地を汚し、また石や木と姦淫している。そればかりでなく、その姉妹である裏切りの女ユダは真心からわたしに立ち帰ろうとせず、偽っているだけだ、と主は言われる。主はわたしに言われる。裏切りの女ユダに比べれば、背信の女イスラエルは正しかった。」、と記されていますが、エゼキエルはエレミヤと同じ視座から、サマリアとエルサレムの罪を明らかにします。

エゼキエルは、いかなる外国との同盟も神に対する不信頼の罪と見ました(イザヤ書30‐31章参照)。イザヤの場合は、それを、具体的には、エジプトとの関係で淫行の罪として語りました。しかし、この二人の預言者は、同盟を結ぶことが、神を信頼する事を第一としない不信仰に由来する事を明らかにし、それがもたらす悲惨な結果を見通すことにおいて一致しています。

オホラとオホリバの淫行は1―12節で扱われていますが、この姉妹は既にエジプトで淫行を行った(3節)、と言われています。

5-10節は、北王国(サマリア)がアッシリアと関係を結んだが、結局はアッシリアに滅ぼされることになった歴史をオホラの淫行として物語っています。北イスラエル王国がアッシリアに近づき、ホセアの時代(前731-723年)にその属領となり、サマリアは、前722年、アッシリアによって滅ぼされ、「裸をあらわにする」(10節)屈辱的な最後を迎えました。

11-22節は、南王国(ユダ)がアッシリアやバビロンと友好関係を結び、またエジプトと接近した歴史がオホリバの淫行として物語られています。

「妹オホリバはこれを見た」(11節)は、「彼女がこのようなことをしたあとにもなお、わたしは言った。『わたしに立ち帰れ』と。しかし、彼女は立ち帰らなかった。その姉妹である裏切りの女ユダはそれを見た。」(エレミヤ3:7)に基づく言葉です。姉オホラの見せしめを見たにもかかわらず、ユダはより多くの同盟を結び、より多くの淫行の罪を犯したとの告発を受けています。

前605年のカルケミシュの戦いでネブカドネザルがエジプトに勝利してからは、ユダはバビロンの属国となりましたが、ヨヤキムは間もなく、バビロンの支配から免れようとして朝貢を中止しました(列王下24:1)。17節は、その時の時の事情を記しています。19節は、ゼデキヤがエジプトと軍事同盟を結んだことを指しています(前588年)。

22-35節は、オホリバに対する裁きを明らかにしています。

33節の「杯」は神の怒りの象徴として語っています。かつてエレミヤは、「わたしの手から怒りの酒の杯を取り、わたしがあなたを遣わすすべての国々にそれを飲ませよ。彼らは飲んでよろめき、わたしが彼らの中に剣を送るとき、恐怖にもだえる。」(エレミヤ25:15,16)と、語りましたが、ユダのエルサレムは、「お前の姉サマリアの杯」(33,34)を飲み干して、同じ苦しみを味合わねばならないことが裁きとして告げられています。

35節は、エルサレムの反逆の罪を特徴づけて明らかにしています。それは自分を選んだ神を忘れ去ったことであり、そのことが神を後ろに投げ捨て、無視する行為と相携えて進行していることを明らかにしています。エルサレムは、その心が主なる神から離反しているからこそ、変転する同盟関係にある諸外国に自分を完全に屈服させ、「不貞と淫行の責を自分で負わねばならぬ」運命を自ら招くことになりました。
唯一の真の神であるヤハウエに選ばれた主の民が、そのヤハウエに信頼を置かない生き方を追求する時、世の力におもねることになり、時代の強国との関係を同盟や敵対という形で対処しようとしますが、それらの国に敗れていくと、その支配する国の神を礼拝し仕えることを強要されることになります。サマリアもエルサレムも多くの異教の神を礼拝することになりました。それは真の神、主をのみ礼拝せよ、との戒めを破る偶像崇拝の罪を犯すだけでなく、夫として守り導こうとされる神を裏切る姦淫の罪を犯すことになるという深い洞察を、エゼキエルはホセアと同じように明らかにしています。ここにエルサレム(ユダ)の滅亡が避け得なかった根本的な原因があります。これは、わたしたちの信仰の根本的あり方を問う問題でもあります。

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