列王記講解
34.列王記下23:31-25:30『ユダ王国の崩壊』
列王記最後のユダの王ヨアハズからゲダルヤに至る部分は、王国の崩壊の姿を描いている。この期間ずっとエルサレムにいたエレミヤは、国に起ころうとしていたことを明確に見抜いた数少ない人物の一人であった。彼は恐れることなく、はばかることなく、王国の滅亡を語った。だが、彼は、王たちやその助言者たちに強い影響を与えることができなかった。エレミヤは孤立し、彼らに迫害された。エレミヤはヨシヤを畏敬していたが(エレミヤ22:15-16)、彼の後継者たちに対しては、そうでなかった。
ユダとエルサレムの滅亡を不可避とする決定的転機は、ヨシヤの死(前609年)であった。それは、彼の努力目標であった独立と国家的な自負心を消滅させ、ユダを事実上エジプトの属国としてしまった。しかし、ヨシヤの計画が挫折したとするなら、エジプトのファラオ・ネコの計画も同様であった。彼はメギドでヨシヤを破った後、北に向かって、アッシリアを助けるため進軍したが、アッシリアの最期の敗北を防ぐことに失敗し、前605年のカルケミシュの戦いで、彼自身、決定的な敗北をバビロンに喫した。その敗北の事情は、エレミヤ書46章1-12節に報告されている。ユダの滅亡は、バビロンとエジプトの戦いに巻き込まれたことに、直接の原因がある。ヨシヤの死後、ユダは急速に衰退していった。それは、ユダの指導者たちの指導力の低下に、原因があった。彼らの関心は、神から課せられた使命ではなく、もっぱら自己保身と幸福の追求に向けられていた。彼らには、国を守る真の勇気もなく、その神信仰と自己信頼は腐食してしまっていた。この時代を生きた王たちは、バビロンとエジプトの、武力外交の人質に過ぎなくなっていた。
ヨシヤの後、彼の息子ヨアハズ(エレミヤは彼のことをシャルムと呼んだ)が23歳で王となった。彼は、僅か3ヶ月間だけエルサレムで王位にあったとあるが(23:31)、彼は兄エルヤキムを差し置いて『国の民』によって選抜された(23:30)のは、彼の方が有能で、父ヨシヤの政策を推進できると期待されたからであると思われる。パレスチナの覇権を確立しようと望んでいたエジプトのファラオ・ネコにとって、父ヨシヤの政策を引き継ごうとするヨアハズは、不都合な王であったので、彼は滞在先のハマテ地方のリブラからユダに介入し、ヨアハズを捕らえてエジプトに送ってしまった(23:33-35、エレミヤ22:10-12)。ないがしろにされていたエルヤキムは、民に課税して、集めた貢物を納めてネコに取り入ったので、ネコは彼を傀儡王とし、彼の名をヨヤキムと改めさせた。この名前の変更は、彼がエジプトのファラオの従属者であることを示すためのものであったが、ネコはヨシヤの改革を支持した人々の気に入るように、その名を与えたと思われる。改名前のエルヤキムのエルは、カナン人が用いた神を表す一般の名であるが、それがヤハウエを表す形式に変えられたからである。
ヨヤキムは、25歳で王となったといわれているので(23:26)、ヨアハズより2歳年上の兄であったのであろう。ヨヤキムは、しばらくの間はエジプトへの忠誠を保ち、しかし民に対しては暴君として振舞っていた(23:37)。
エレミヤは、彼の暴君ぶりを、「災いだ、恵みの業を行わず自分の宮殿を/正義を行わずに高殿を建て/同胞をただで働かせ/賃金を払わない者は。彼は言う。「自分のために広い宮殿を建て/大きな高殿を造ろう」と。彼は窓を大きく開け/レバノン杉で覆い、朱色に塗り上げる。あなたは、レバノン杉を多く得れば/立派な王だと思うのか。あなたの父は、質素な生活をし/正義と恵みの業を行ったではないか。そのころ、彼には幸いがあった。彼は貧しい人、乏しい人の訴えを裁き/そのころ、人々は幸いであった。こうすることこそ/わたしを知ることではないか、と主は言われる。あなたの目も心も不当な利益を追い求め/無実の人の血を流し、虐げと圧制を行っている。」(エレミヤ22:13-17)と批判している。
彼の治世の時に、バビロン王ネブカドネツァルが攻め上ってきたとあるが(24:1)、彼がこの時(前605年)、カルケミシュでエジプトのネコを破ったため、ヨヤキムは、すばやくネブカドネツァルに屈服し、彼の僕となったのかもしれない。しかし、「ヨヤキムは3年間彼に屈服したが、再び反逆した」(24:1)といわれている。これは、前601年に、ネブカドネツァルがエジプトに対しさらに軍事行動を起こした時は、ネコに破られたので、これを見たヨヤキムが、ネブカドネツァルの力を見くびって、彼への貢納を止め、再びエジプトに寝返ったのであろう。実際、ネブカドネツァルは、エジプト戦後の体制の建て直しに手間取り、直ぐには正規軍を出すことができず、「カルデア人の部隊、アラム人の部隊、モアブ人の部隊、アンモン人の部隊を遣わして」(24:2)、時間を稼がざるを得なかったと思われる。
列王記は、これを「主は」(24:1)といって、ユダの背信の罪を裁く器として、これらの部隊が用いられたことを説明している。それは、ユダヤ人がどのようにしてネブカドネツァルとネコとの戦いに巻き込まれ、最後の災いに至ったかを示している。その滅亡への道は、20章17節の預言の成就として24章2節で述べられ、その災いの原因が、3-4節で、マナセの罪にあるとステレオ・タイプ的に述べられている。4節は、マナセの「罪のない者の血を流した」責任を述べているが、前述の通り、エレミヤはヨヤキムの「不当な利益を追い求め/無実の人の血を流し、虐げと圧制を行った」事実を、で厳しく断罪している(エレミヤ22:13-17)。
24章5-6節は、列王記における、ユダの王の年代記の最後の言及となっている。これ以後の年代記述は、バビロンの年代に従ってなされている。
ネブカドネツァルは、前598年12月になって、ようやくパレスチナに到着した。その前後に、ヨヤキムは死んでいる。列王記は、その死の原因について、何も記していないが、エレミヤ書22章18-19や36章30節の記述から推測すると、おそらくゲリラ隊との戦闘で戦死したか、国内の親バビロン派に暗殺されたのであろう。
ユダヤ人の多くの人々は、ヨシヤの死後生じた不幸の間、ずっと間違った楽観主義に陥っていた。彼らは、申命記律法と改革を、神が、エルサレム神殿とそれを支える共同体との維持を、全面的に約束された、という意味において解釈していた。それ故、その反対を示すあらゆる状況があるにもかかわらず、エルサレムとユダは、困難を潜り抜け、害を及ぶことはないと信じていた。しかし、エレミヤは、エレミヤ書7章1-15節で、その見方が間違っていることを厳しく批判している。列王記もエレミヤとほぼ同じ立場に立って、王たちの歴史を批判的に見ている。神は、ご自分が民と結ばれた契約を、民が真に受け入れることを常に望んでおられたし、その様に要求された。だが、彼らは、契約を尊重することを、常に拒否した。彼らは、忠誠を告白することがあっても、実際にはカナンの習慣や宗教的風習に従った。それは、彼らが本当に愛していたのは、カナンの価値であったことを示している。マナセとヨシヤは、この点でその両極にいた。マナセは、カナンとそれが表しているすべてに、心からの忠誠を尽くした。ヨシヤは、改革をし、その考えを一掃しようとした。その改革は、ユダの宗教的習慣と神殿の外的な改革に留まらず、内的にも主なるヤハウエへの愛に根ざした回心を伴うべきであった。しかし現実の歴史は、ヨシヤの死後、そうした回心が起こっていないことが、明らかになった。預言者エレミヤは、この点で、ヨシヤの改革は失敗であったと見なしている。マナセの罪がなお残ったことは、ユダに下る災いの根拠となった。
ヨヤキムの死後、息子ヨヤキンが18歳で王となっているが(24:8)、彼は、僅か3ヶ月間王であったに過ぎない。この期間に、エルサレムは、初めてバビロンに攻略された。それは、バビロンの記録によれば、前597年3月16日のことと考えられる。エレミヤは、ヨヤキンのことをエコンヤ(エレミヤ24:1)あるいはコンヤ(22:24)と呼んでいる。9節には、父が行ったように、彼も悪を行ったとされているが、僅か3ヶ月の短い治世で、しかもバビロンに包囲されて、悪を行う時間的余裕はなかったであろう。
ここでも「主が告げられたとおり」(13節)と、下20章17節の預言の成就としての捕囚とエルサレム神殿の破壊が、言及されている。ネブカドネツァルによるエルサレム神殿の什器の毀損や持ち出しは、神殿が本来の礼拝目的に供されなくなっていることに対する、主の裁きとして記されている。
ネブカドネツァルは、ユダの状況を新たに秩序付け、バビロンへの抵抗が燃え上がるのを防ぐため、ヨヤキンを退位させ、彼の家族や廷臣たち、多くの国の指導層を捕囚として連れ去った。その時、高級官吏や貴族、要塞建築に携わる職人たちも、一緒に連れ去られた。捕囚とされた者の列王記の記す数には、誇張があると思われる。エレミヤ書52章28節によれば、「ネブカドレツァルが捕囚として連れ去った民の数をここに記すと、第七年に連れ去ったユダの人々が3,023人」と言われている。こちらの方が正確であると思われる。この捕囚の人々の中に、預言者エゼキエルも含まれていたと思われる(エゼキエル1:1-3)。捕囚とされバビロンに連れ去られたヨヤキンは、ネブカドネツァルが死ぬまで、37年間囚人であった(25:27-30)。しかし、ヨヤキンは獄に捕らえられていたのではなく、軟禁されていたのであろう。その生活は、かなり自由が保障され、「王と食事を共にする」(25:29)ほど優遇されていた。
ネブカドネツァルは、ユダがエジプトとの緩衝国となることを期待したのか、ユダを差し当たっては国家として解体し、バビロンの属州に編入することをせず、ヨシヤのもう一人の息子でヨアハズの実弟であったマタンヤを傀儡王とし、名をゼデキヤ(「ヤハウエは正しい」の意)と改めさせた。
バビロンのエルサレム攻撃に先行する、ゼデキヤの治世の9年のことについては、ここでは何も語られていない。その時代の細かいことについては、エレミヤ書に記されている。エレミヤは、この時代、エルサレムに住み、政治的な事柄に、積極的に参与している。ゼデキヤは、バビロン王の従属者であったが、有力な貴族グループが、背信を絶えずしつこく勧め、エジプトが啓発を止めようとしなかった陰謀に加わるよう迫ってきた。エレミヤは、こうした親エジプト派に、敵対者としての立場をとり、親エジプト派の人たちから恐れられていた。このため、親エジプト派は、エレミヤが公衆の面前で語ることを禁じ、ついには彼を逮捕させ、死に至らせよとさえした(エレミヤ38:4-5)。エレミヤは、バビロンの支配を、イスラエルの罪に対する神の裁きとして受け入れるよう説いたが、結局、ゼデキヤは恐ろしい結果につながる親エジプト派と運命を共にした。ネブカドネツァルに敗れたエジプトのファラオ・ネコは、前593年に死んだ。プサンメティクス2世がその後をついだが、彼はバビロンに対しては、ほとんど何もしなかった。前588年にホフラ(エレミヤ44:30)とエレミヤが呼んだエジプトのファラオが、彼の後を継いだ。彼は、できるだけ迅速に、バビロンの攻撃をかけた。25章1節に記される前588年のバビロンに対するゼデキヤの反乱は、このエジプトの攻撃が原因であったらしい。
これに対する、ネブカドネツァルの反応は素早かった。彼は、遅くとも587年春までに、エルサレム、アゼカ、ラキシュの三要塞を除くユダヤ全土を征服した(エレミヤ34:7)。ラキシュの城門の塔の瓦礫の中からは、このときの絶望的な状況を告げる司令官に宛てた報告文が、発見されている。その一つは、次のようにアゼカの陥落を継げている。「われわれはラキシュの信号に注意しています。アゼカの信号はもはや見えません。」前588年のうちにラキシュは征服され、発掘が示すように、火によって破壊された。ネブカドネツァルは、エルサレムの包囲を、短期間中断しなければならなかった。ゼデキヤを支援するために急行して来るエジプト軍に、反撃しなければならかったからである(エレミヤ37章)。しかしその後、半年の包囲の後、飢餓と伝染病で城内が疲弊した時、バビロン軍は城壁に破れ口をうがつことに成功し、一気にエルサレムになだれ込んだ。前587年7月29日のことである。ゼデキヤは、ヨルダン川の東岸に逃れようとしたが、エリコでバビロン軍に捕らえられ、ネブカドネツァルが駐留しているシリアのリブラに護送された。「彼らはゼデキヤの目の前で彼の王子たちを殺し、その上でバビロンの王は彼の両眼をつぶし、青銅の足枷をはめ、彼をバビロンに連れて行った。」(25:7)といわれている。ゼデキヤが生きていたときに見た最後の光景は、自分の息子たちが、ネブカドネツァルによって殺される場面である。その光景が目に焼きついたままの状態で、その目が抉り出され、その記憶は彼の脳裏に消えがたく残った。ネブカドネツァルは、王宮とエルサレムにある他の大建築物に火を放ち、防衛施設を毀損した。神殿の炎上と共に、おそらくその中に収められていた「契約の箱」もこのとき焼失したであろう。いずれにせよ、これ以後、箱についての言及は、聖書に見出せなくなる。彼は、神殿の破壊によって、この聖所と結びついたすべての希望を奪い、そこから生じる新たな抵抗の芽を摘み取ろうとしたのであろう。
列王記の記述は、町の破壊よりも神殿の破壊に注目し、その状況を詳細に伝えている。申命記史家の関心がそこにあるからである。それは、神殿それ自身のためではなく、神がイスラエルに委ねられた使命の象徴であったからである。神の民であるというこの使命は、他のすべての国々にあって、その真の地位をイスラエルに与えたのであった。それは、イスラエルが他のすべての国々と異なるものとなるべきことが要求されていた。しかし、イスラエルはこの要求にしたがって生きることができなかった。また、そのように生きることを好んでいないということが判明した。こうして、先ず北王国が滅亡し、ユダが滅亡した。列王記は、常に神の選びとイスラエルの応答の外的しるしとして描いてきた建物、エルサレム神殿の崩壊は、少なくとも王たちの時代に存在したような形での契約の民が滅んだことを示した。
バビロンは、住民の社会構成の組換えに着手し、前597年に、残っていた上層階級や、有力者層832人が新たに捕囚としてバビロンに連れ去られた(エレミヤ52:29)。さらに前582年の第3回捕囚で、745人がバビロンの送られた(エレミヤ52:30)。エレミヤの記録によれば、バビロンに捕囚として送られた総数は、4,600人である。ユダに残ったのは、主として下層の地方居住者であった。バビロン人は、アッシリア人のように異民族の強制移住による混血策は取らなかった。むしろ、捕囚に送られた人々の不動産を、土地をもたない残留民に貸し与えた。上層階級の流刑は、明らかにユダにとって大きな打撃であった。しかし、人口比から見れば、捕囚にされた者はわずかな割合を占めるに過ぎない。ネブカドネツァルは、リブラで多くの祭司、官吏、廷臣、また60名ほどの指導住民を処刑した。彼らは、バビロンから独立運動を指導した者であり、その謀反の責任を問うためであろう。これらの政策は、バビロンへの反抗を不可能にするためのものであった。
ネブカドネツァルは、最終的にはユダから独立を奪い属州としたが、アッシリアのような征服策は取らなかった。むしろ彼は、ユダヤ人の中からこの地の総督を抜擢した。それがゲダルヤである。彼は、ヨヤキムの手からエレミヤを保護した高級官吏アヒカムの息子である(エレミヤ26:24、下22:12,14)。ゲダルヤは賢明な人物であったが、イシュマエルという男に、はっきりしない理由で暗殺されてしまった。彼は、ネブカドネツァルの報復を恐れてエジプトへ下った。彼らはエジプトに逃れることをいさめたエレミヤの忠告を聞き入れず、エレミヤをも無理やりエジプトに連れて行ってしまった。ネブカドネツァルが、彼の任命した総督の暗殺に対し、いかなる反応を示したか、彼がゲダルヤの後継者に誰を指名したのか、聖書はその後の消息について沈黙している。
列王記は最後に、ネブカドネツァルの死後、彼の子が37年間囚人であったヨヤキンを解放したことを告げている(25:27)。列王記は、これによって、一つの希望を読者に告げている。それは、契約の民の将来を暗示するメッセージとしての意味を持つ。彼らは、ヨシヤ王の子孫としてのユダの王を持っている。もし彼らが、彼らを教えるために与えられた、王の歴史のこれらの教訓から学ぶなら、神は、なお彼らを用い、契約の民を再建される、という希望である。捕囚の民の間に生きた預言者は、そうしたメッセージを説いた。例えばエゼキエルは、国は滅びたが、神は、それに新しい息吹を与え、よみがえらされるであろうことを告げた(エゼキエル37:1-14)。イザヤ書40-55章にも同様のメッセージが説かれている。
イスラエルに、神の言葉が残った。それは、神への真の立ち返りと希望が何であるかを、この王たちの滅亡を通し、神は、われわれに教えられたのである。それは、「草は枯れ、花はしぼむが/わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」(イザヤ40:8)という信仰である。
旧約聖書講解
- 申命記講解
- 序.申命記について 1.申命記1章1-5節「はじめに」
- 2.申命記1章6節-3章29節『歴史的回顧』
- 3.申命記4章1-24節『主の声のほかには何の形も見なかった』
- 4.申命記5章1-22節『十戒』
- 5.申命記5章22節-6章3節『神の言葉を取り次ぐ仲保者モーセ』
- 6.申命記6章4節-25節『唯一の主』
- 7.申命記7章6節―11節『主の恵みによる選び』
- 8.申命記8章1節-10節『主の口から出る言葉によって生きる』
- 9.申命記8章11-20節『主を忘れることへの警告』
- 10.申命記9章1節―6節『偽りの敬虔主義への警告』
- 11.申命記9章7節-29節『主に背き続けるかたくなな民』
- 12.申命記10章12節-22節『神が求められること』
- 13.申命記11章1節-32節『主を愛し、主に仕えるならば』
- 14.申命記13章2節―19節『偶像礼拝への警告』
- 15.申命記15章1節-18節『安息年における負債免除と奴隷の解放の精神』
- 16.申命記16章1-27節『三大祝祭日の歴史とその意味』
- 17.申命記18章1-22節『まことの神礼拝に関わる規定と職務』
- 18.申命記26章1-11節『イスラエルの最古の信仰告白』
- 19.申命記27章1節-26節『「この律法の言葉」をどう守るか』
- 20.申命記28章1節-68節『祝福と呪い』
- 21.申命記28章69節-29章28節『モアブで結ばれた契約』
- 22.申命記30章1節-20節『御言葉はあなたの近くにあり、口と心にある』
- 23.申命記31章1―29節『モーセの後継者ヨシュアの任命と律法の文書化の意義』
- 25.申命記33章1ー29節『モーセの祝福』
- 24.申命記31章30節-32章52節『モーセの歌』
- 26.申命記34章1節-12節『モーセの死』
- ヨシュア記講解
- 序.旧約聖書においてヨシュア記の占める位置
- 1.ヨシュア記1章1-18節『モーセの従者ヨシュア』
- 2.ヨシュア記2章1-24節『エリコを探る斥候とラハブ』
- 3.ヨシュア記3章1節-5章1節『ヨルダン川を渡る』
- 4.ヨシュア記5章2節-15節『神の書の新たな一頁の始まり』
- 5.ヨシュア記6章1節-27節『エリコの征服』
- 6.ヨシュア記7章1節-26節『アカンの罪』
- 7.ヨシュア記8章1節-29節『アイの征服』
- 8.ヨシュア記8章30節-35節『エバル山での律法朗読』
- 9.ヨシュア記9章1節-27節『ギブオン人の服従』
- 10.ヨシュア記10章1節-43節『南部での勝利』
- 11.ヨシュア記11章1節-15節『北部での勝利』
- 12.ヨシュア記11章16節-12章24節『全地』
- 13.ヨシュア記13章1節ー33節『西ヨルダンと東ヨルダンでの土地分配』
- 14.ヨシュア記14章6節ー15節「わたしにください」
- 15.ヨシュア記17章14節―18節『そこが森であっても』
- 16.ヨシュア記20章1節-9節『逃れの町』
- 17.ヨシュア記23章1節-16節『三つのこと』
- 18.ヨシュア記24章1節-28節『シケムの契約』
- 士師記講解
- 1.士師記について
- 2.士師記2:6-3:6『背信とさばき』
- 3.士師記3章7節-11節『オトニエル』
- 4.士師記4章1-24節『デボラとバラク』
- 5.士師記5章1-31節『デボラの歌』
- 6.士師記6章1-24節『ギデオンの召命』
- 7.士師記6章25節-32節『家庭における宗教改革』
- 8.士師記7章1-25節 『ギデオンの精鋭』
- 9.士師記8章1-35節『ギデオンの勝利と失敗』
- 10.士師記9章1-57節 『王制試みの挫折』
- 11.士師記10章17節-11章28節『解放者エフタの挑戦』
- 12.士師記11章29-40節『エフタの勝利と誓い』
- 13.士師記13章1-25節『サムソンの誕生』
- 14.士師記14章1節-15章8節 『主によること』
- 15.士師記15章9-20節『イスラエルの見張番』
- 16.士師記16章1-31節『イスラエルの救助者』
- 17.士師記17章1-13節『偶像礼拝-神礼拝の私的・自己願望化』
- 18.士師記18章1-31節『ダン族の偶像礼拝の罪』
- 19.士師記19章1-30節『ギブアの暴行』
- 20.士師記20章1-48節『審判』
- 21.士師記21章1-25節『交わりの回復』
- ルツ記講解
- サムエル記講解
- 1.概要、サムエル記上1章1-20節「サムエルの誕生」
- 2.サムエル記上1章21節-2章11節『ハンナの祈りと信仰』
- 3.サムエル記上2章12-36節『聖所で仕えるサムエルとエリの息子たち』
- 4.サムエル記上3章1節-4章1節『サムエルの召命とエリ一族への託宣』
- 5.サムエル記上4章1b-22節『神の箱の喪失-偶像化された信仰の挫折』
- 6.サムエル記上5章1-12節『ペリシテ人の地における神の箱』
- 7.サムエル記上6章1節-7章1節『神の箱の帰還』
- 8.サムエル記上7章2-17節『救済者サムエル』
- 9.サムエル記上8章1-22節『民、王を求める』
- 10.サムエル記上9章1節-10章16節『サウルへの油注ぎ』
- 11.サムエル記上10章17-27節『くじによる王の選出』
- 12.サムエル上11:1-15 サウルの勝利と即位
- 13.サムエル記上12章1-25節『サムエルの告別説教』
- 14.サムエル記上13章1-23節『ペリシテ人との戦い』
- 15.サムエル記上14章1-46節『ヨナタンの信仰とサウル王の敬虔』
- 16.サムエル記上15章1-35節『アマレクとの戦いとサウルの廃位』
- 17.サムエル上16:1-23 ダビデ、油注がれる
- 18.サムエル記上17章1-58節 『ダビデとゴリアト』
- 19.サムエル記上18章1-30節『ダビデとサウル王家の人々』
- 20.サムエル記上19章1-24節『サウルの追手からの救い』
- 21.サムエル記上20章1-42節『ダビデとヨナタンの別れ』
- 22.サムエル上21:1-16『ダビデの逃亡‐アヒメレクとアキシュの下で』
- 23.サムエル上22:1-23『アドラムとミツパにおけるダビデ』
- 24.サムエル記上23章1-28節『別れの岩』
- 25.サムエル記上24章1-23節『エン・ゲディにおけるダビデとサウル』
- 26.サムエル記上25章1-44節『ダビデとアビガイル』
- 27.サムエル記上26章1-25節『ダビデ再びサウルを寛大に扱う』
- 28.サムエル記上27章1-28章2節『アキシュのもとでのダビデ』
- 29.サムエル記上28章3―25節『口寄せ女を訪れるサウル』
- 30.サムエル記上29:1-11『ペリシテ軍から離脱するダビデ』
- 31.サムエル記上30:1-30『ダビデの対アマレク遠征』
- 32.サムエル記上31:1-下1:27『サウルとヨナタンの死とダビデ』
- 33.サムエル記下2章1節-3章1節『二重王国』
- 34.サムエル記下3:6-39『アブネルの謀略と暗殺』
- 35.サムエル記下4章1-12節『イシュ・ボシェトの死』
- 36.サムエル記下5章1-24節『ダビデ、全イスラエルの王となる』
- 37.サムエル記下6章1-23節『神の箱の帰還』
- 38.サムエル記下7章1-29節『神の家とダビデの家』
- 39.サムエル記下7章18-29節『ダビデの祈りに見る信仰』
- 40.サムエル記下8章1節-9章12節『王国の確立とヨナタンとの約束の成就』
- 41.サムエル記下10章1-19節『ダビデ王国の絶頂』
- 42.サムエル記下11:1-27『バト・シェバ』
- 43.サムエル記下12:1-25『ナタンの叱責』
- 44.サムエル記下13:1-39『アムノンとアブサロム』
- 45.サムエル記下14:1-33『アブサロム、恩赦により帰還する』
- 46.サムエル記下15:1-23『アブサロムの反乱』
- 47.サムエル記下15:24-16:14『ダビデの逃亡-御手に委ねる信仰』
- 48.サムエル記下16:15-17:23『アヒトフェルとフシャイ』
- 49.サムエル記下17:24-19:9『アブサロムの敗北と最期』
- 50.サムエル記下19:9b-44『エルサレムへの帰還』
- 51.サムエル記下20:1-26『シェバの反乱』
- 52.サムエル記下21:1-14『飢饉とサウルの子孫』
- 53.サムエル記下22:1-51『ダビデの感謝の歌』
- 54.サムエル記下23:1-39『ダビデの最後の言葉とその勇士たち』
- 55.サムエル記下24:1-25『ダビデの人口調査』
- 列王記講解
- 列王記について
- 1.列王記上1章『王位継承の争い』
- 2.列王記上2:1-46『ダビデ王の最後、ソロモンの権力基盤の確立』
- 3.列王記上3:1-28『ソロモンの結婚と知恵』
- 4.列王記上4:1-5:14『ソロモンの統治と繁栄』
- 5.列王記上5:15-7:51,9:10-26『ソロモンの神殿、宮殿建築及びその諸事業とティルスの王ヒラム』
- 6.列王記上8:1-9:9『契約の箱の安置とソロモンの奉献の祈り』
- 7.列王記上10:1-11:43『ソロモンの栄光と挫折』
- 8.列王記上12:1-33『王国の分裂とヤロブアムの罪』
- 9.列王記上13:1-34『ベテルに関する預言』
- 10.列王記上14:1-16:28『ヤロブアム一世-オムリまで』
- 11.列王記上16:29-17:24『アハブと預言者エリヤの干ばつ預言』
- 12.列王記上18:1-46『主こそ神』
- 13.列王記上19:1-21『静かにささやく声』
- 14.列王記上20:1-43『わたしこそ主である』
- 15.列王記上21:1-29『土地は誰のもの』
- 16.列王記上22:1-40『預言者ミカヤとアハブの死』
- 17.列王記下1:1-18『エリヤとアハズヤ』
- 18.列王記下2:1-25『エリシャ、エリヤの後継者となる』
- 19.列王記下3:1-27『モアブ王メシャの謀反』
- 20.列王記下4:1-7『満たされた油壷』
- 21.列王記下4:8-37『シュネムの婦人』
- 22.列王記下5:1-27『ナアマンの癒し-全地の主-』
- 23.列王記下6:8-7:20『アラム軍の敗退』
- 24.列王記下8:1-9:37『オムリ王朝の崩壊-イエフ革命』
- 25.列王記下10:1-12:22『イエフの粛清、アタルヤのユダ王権奪取と祭司ヨヤダの王権防衛、ヨアシュによる宗教改革』
- 26.列王記下13:1-25『イスラエル王ヨアハズ-ヨアシュの時代』
- 27.列王記下14:1-29『内戦と見せかけの繁栄時代』
- 28.列王記下15:1-16:20『栄光から挫折の時代へ』
- 29.列王記下17:1-41『サマリアの陥落とその原因の神学的歴史回顧』
- 30.列王記下18:1-19:20『ユダの王ヒゼキヤとセンナケリブとの戦い』
- 31.列王記下20:1-21『ヒゼキヤの病気とバビロンからの見舞い客』
- 32.列王記下21:1-26『改革の逆戻り-冬の時代(マナセ・アモン)』
- 33.列王記下22:1-23:30『律法の書の発見とヨシヤの宗教改革』
- 34.列王記下23:31-25:30『ユダ王国の崩壊』
- 詩編講解
- 1.詩編1篇1-6節『二つの道』
- 2.詩編2編『主に油注がれた王』
- 3.詩篇第3篇『朝の祈り』
- 4.詩篇4篇『神の平和』
- 5.詩篇第5篇『神の決定』
- 6.詩篇第6篇『嘆きの祈り』
- 7.詩篇第7篇『神への訴え』
- 8.詩篇第8篇『主の御名は力強く』
- 9.詩篇11篇『神への信頼』
- 10.詩篇第12篇『人の言葉と神の言葉』
- 11.詩編13篇『主よ、いつまで』
- 12.詩篇第14篇『愚者無神』
- 13.詩編第15篇『神の家に宿る者は誰か』
- 14.詩篇第16篇『神のもとにある喜び』
- 15.詩編19篇『天は神の栄光を物語り、律法は完全な神知識を与える』
- 16.詩篇22篇1-22節『嘆きと願い』
- 17.詩編23篇『主は羊飼い』
- 18.詩編第24篇『門よ上がれ』
- 19.詩編第25篇『主に望みを置く者は恥を受けず』
- 20.詩篇27篇1~6節『信仰の勇気』
- 21.詩編第29篇『栄光と力を主に帰せ』
- 22.詩編第30篇『救われた感謝の祈り』
- 23.詩篇31篇『御手に委ねて』
- 24.詩編第32篇『罪の赦しを知る喜び』
- 25.詩篇第33篇『神賛美の歌』
- 26.詩編34篇『主を仰ぎ見る人は光輝き』
- 27.詩編第36篇『命の泉』
- 28.詩篇第37篇『あなたの道を主に委ねよ』
- 29.詩篇第38篇『わたしはなお主を待ち望む』
- 30.詩編第39篇『主への待ち望みの中で』
- 31.詩編第40篇『感謝と祈り』
- 32.詩編第41篇『神の恵みを求める祈り』
- 33.詩編42~43篇『神を待ち望め』
- 34.詩編44篇『主よ、目覚めてお助けください』
- 35.詩編50篇『まことの礼拝』
- 36.詩編51篇『神よわが内に清い心を創りたまえ』
- 37.詩編55篇『あなたの重荷を主に委ねよ』
- 38.詩編63篇『主の慈しみは命にも勝る』
- 39.詩編73篇『滑りそうな信仰から』
- 40.詩編77篇『主の御業を思い起こし』
- 41.詩編81篇『救いの御心』
- 42.詩編84篇『主の庭で過ごす喜び』
- 43.詩編88篇『嘆き』
- 44.詩編90篇 『とこしえにあなたは神』
- 45.詩編91篇 『神の守りの中に』
- 46.詩編95篇『新たな献身への招き』
- 47.詩編96編 『主は地を裁くために来られる』
- 48.詩編100篇『主に向かって喜べ』
- 49.詩編101篇『完全な道』
- 50.詩編103篇『我が魂よ主をたたえよ』
- 51.詩編105篇『御言葉を心に留め』
- 52.詩篇107編『主は渇いた魂を飽かせ』
- 53. 詩編111篇『主は御業を記念させ』
- 54.詩編114篇『歴史を見る信仰の目』
- 55.詩編115篇『主の御名に栄光を帰し』
- 56.詩編116編『感謝の歌』
- 57.詩編118篇 『慈しみはとこしえに』
- 58.詩編121篇『主はあなたを見守る方』
- 59.詩編123篇『主に目を注ぎ』
- 60.詩編125篇『主は御自分の民を囲み』
- 61.詩編126篇『涙と共に種を蒔く人は喜びの歌と共に刈り入れる』
- 62.詩編127篇1-2節 『主が働かれるのでなければ』
- 63.詩編128編『主を畏れる者は幸いなり』
- 64.詩編130篇『深い淵の底から』
- 65.詩編131篇『母の胸にいる幼子のように』
- 66.詩編137篇『バビロンの流れのほとりにて』
- 67.詩編139編1-6節『神の全知』
- 68.詩編139編7-12節『神の遍在』、13-16節『神の全能』
- 69.詩編139篇19-24節『神の審きと導きを求める祈り』
- 70.詩編142篇『わたしの分となってくださる方』
- 71.詩編143篇『朝を待つ祈り』
- 72.詩編146篇『神を待ち望む』
- 73.詩編147篇『主は打ち砕かれた心を癒される』
- イザヤ書講解
- 序(イザヤ書1:1)
- 2.イザヤ書1章2-9節『神の告発』
- 3.イザヤ書1:10-20『真実の神礼拝』
- 4.イザヤ書1:21-31『神の審判と救い』
- 5.イザヤ書2:1-5『終末の平和』
- 6.イザヤ書2:6-22『主の大いなる日における審判』
- 7.イザヤ書3章1節-4章1節『主の日における審判と残りの者の救い』
- 8.イザヤ書5:1-7『ぶどう山の歌』
- 9.イザヤ書6:1-13『イザヤの召命と派遣』
- 10.イザヤ7:1-17『信仰への決断』
- 11.イザヤ書8章1-23節『主をのみ畏れ、主を持ち望め』
- 12.イザヤ書8:23b-9:6『大いなる解放』
- 13.イザヤ書9:7-10:4『主の怒りはやまず』
- 14.イザヤ11章1-10節『平和の王』
- 15.イザヤ書18章1-7節 『クシュに対する託宣』
- 16.イザヤ書20章1-6節『エジプトに望みを置く者は』
- 17.イザヤ書22章1-14節『エルサレムの罪』
- 18.イザヤ書24章1-23節 『世界審判と主の王国の開始』
- 19.イザヤ書28章1-22節『主の据えられる礎石』
- 20.イザヤ書28章23-29節『時に適った神の御業』
- 21.イザヤ書29章9-12節『盲目の預言』
- 22.イザヤ書30章1-17節『主をのみ信頼せよ』
- 23.イザヤ書31章1-9節『エジプトに頼る災いとシオンの救済』
- 24.イザヤ書32章15-20節『霊の賜物』
- 25.イザヤ書34書1-35章10節『エドムの審判とシオンの救い』
- 26.イザヤ書36章1節-37章38節 『信頼と救出』
- 27.イザヤ書38章1-22節『ヒゼキヤの病気とその回復』
- 28.イザヤ書39章1-8節 『ヒゼキヤの躓き』
- 29.イザヤ書40章1-5節『主のために荒野に道を通せ』
- 30.イザヤ書40章6-11節『神の言葉はとこしえに』
- 31.イザヤ書40章12-31節 『創造の神は、贖いの神』
- 32.イザヤ書41章1-5節『歴史を導く主』
- 33.イザヤ書41章8-13節『恐れるな』
- 34.イザヤ42章1-4節『傷ついた葦を折ることなく』
- 35.イザヤ書42章5-9節『諸国の光として』
- 36.イザヤ書42章10-17節『新しい賛美の歌』
- 37.イザヤ書42章18-25節『見えない目、聞こえない耳よ、聞け』
- 38.イザヤ書43章1-7節『恐れるな、わたしはあなたを贖う』
- 39.イザヤ書43章8-15節『わたしこそ主』
- 40.イザヤ書43章16-19節『見よ、わたしは新しいことを行う』
- 41.イザヤ書43章22-28節『赦しの神』
- 42.イザヤ書44章1-5節『成長させる神』
- 43.イザヤ書44章24-28節『わたしは廃墟を再び起こす』
- 44.イザヤ書45章1-7節『世界の主』
- 45.イザヤ書45章18-25節『地の果てのすべての人々よ、救いを得よ』
- 46.イザヤ46章1-4節『担われた者たちと担う主』
- 47.イザヤ書46章9-13節『思い起こせ、初めからのことを』
- 48.イザヤ書47章1-15節『バビロンの滅亡』
- 49.イザヤ書49章1-6節『国々の光として』
- 50.イザヤ書49章14-20節『神の手のひら』
- 51.イザヤ書50章4-9節『主の言葉は朝ごとに呼び覚まし』
- 52.イザヤ書51章9-16節『慰め主なる神』
- 53.イザヤ書51章17-52章3節『目覚めよ、目覚めよ』
- 54.イザヤ書52章7-12節『福音-平和と救いの知らせ』
- 55.イザヤ52章13-15節『神は僕を高く上げ』
- 56.イザヤ書53章1-9節『わたしたちの罪のために』
- 57.イザヤ書53章7-12節『多くの人が義とされるために』
- 58.イザヤ書54章1-10節『不妊の女よ、喜べ』
- 59.イザヤ書55:1-5『豊かさを楽しむ』
- 60.イザヤ書55章6-11節『高く超える主の道』
- 61.イザヤ書56章1-8節『異邦人の救い』
- 62.イザヤ書56章9節-57章13節『神を恐れぬ者』
- 63.イザヤ書57章14-19節『へりくだる者の祝福』
- 64.イザヤ書58章3-12節『神に喜ばれる断食』
- 65.イザヤ書60章1-9節『起きよ、光を放て』
- 66.イザヤ書60章10-22節『主がとこしえの光となり』
- 67.イザヤ書61章1-3節『主が恵みをお与えになる年』
- 68.イザヤ書61章4-11節『わたしは主によって喜び楽しみ』
- 69.イザヤ書62章1-12節『わたしは決して黙さない』
- 70.イザヤ書63章7-14節『主の恵みの御業を思い起こそう』
- 71.イザヤ書63章15-64章11節『どうか、天を裂いて降ってください』
- 72.イザヤ書65章1-16節『背信の者と従順な者』
- 73.イザヤ書65章16節b-25節『新しい創造』
- 74.イザヤ書66章7-14節『エルサレムと共に喜べ』
- エレミヤ書講解
- 1.エレミヤ書1章1-3節『エレミヤの時代とその使信』
- 2.エレミヤ書1章4-10節『エレミヤの召命』
- 3.エレミヤ書1章11-19節『二つの幻と派遣の言葉』
- 4.エレミヤ書2章1-13節 『生ける水』
- 5.エレミヤ書2章29-37節『花嫁が晴れ着の帯を忘れようか』
- 6.エレミヤ書3章12-18節『イスラエルの立ち帰り』
- 7.エレミヤ書3章19節-4章4節『真の悔い改めへの招き』
- 8.エレミヤ書4章5-31節『北からの災い』
- 9.エレミヤ書5章1-19節 『神の審判の理由』
- 10.エレミヤ書6章1-15節『差し迫った破滅とエレミヤの対話』
- 11.エレミヤ書6章16-21節『魂に安らぎを得よ』
- 12.エレミヤ書7章1-15節 『神殿での説教』
- 13.エレミヤ書7章16節-28節『祭儀の誤用』
- 14.エレミヤ書8章4-13節『立ち帰ることのない背信』
- 15.エレミヤ書8章14-23節 『審判と嘆き』
- 16.エレミヤ書9章1-8節『嘆きの歌』
- 17.エレミヤ書9章9-23節『哀歌の要請』
- 18.エレミヤ書10章17-25節 『破局ととりなし』
- 19.エレミヤ書11章18-23節 『エレミヤの訴え』
- 20.エレミヤ書12章1-5節 『神に背く者たちの繁栄』
- 21.エレミヤ書12章7-17節 『主の嗣業』
- 22.エレミヤ書13章1-11節 『帯のたとえ』
- 23.エレミヤ書14章1-16節 『旱魃』
- 24.エレミヤ書14章17節-15章9節 『エレミヤの嘆き』
- 25.エレミヤ書15章10-21節 『預言者の嘆きと神の応答』
- 26.エレミヤ書16章1-13節 『象徴預言とエレミヤの生活』
- 27.エレミヤ書17章12-18節『エレミヤの嘆きの祈り』
- 28.エレミヤ書18章1-12節『陶工の手中にある粘土のように』
- 29.エレミヤ書18章18-23節『エレミヤの報復の祈り』
- 30.エレミヤ書19章1節-20章6節 『砕かれた壺』
- 31.エレミヤ書20章7-9節『エレミヤの告白』
- 32.エレミヤ書20章14-18節 『自己への呪い』
- 33.エレミヤ書21章1-10節 『ゼデキヤ王と民への使信』
- 34.エレミヤ書21章11-22章9節 『ユダの王家に対する言葉』
- 35.エレミヤ書22章10-19節 『ヨアハズとヨヤキムに関する預言』
- 36.エレミヤ書22章20-23節『エルサレムの嘆き』
- 37.エレミヤ書22章24-30節 『ヨヤキンに関する二つの預言』
- 38.エレミヤ書23章1-8節『ユダの回復とメシアに関する預言』
- 39.エレミヤ書23章16-22節 『偽預言者への警告』
- 40.エレミヤ書23章23-32節 『夢と神のことば』
- 41.エレミヤ書24章1-10節『二つの幻』
- 42.エレミヤ書25章1~14節 『主の僕としての北からの敵バビロン』
- 43.エレミヤ書26章1-24節『最初の迫害』
- 44.エレミヤ書27章1-22節 『軛の預言者』
- 45.エレミヤ書28章1-17節『ハナンヤとの対決』
- 46.エレミヤ書29章1-23節『捕囚民への手紙』
- 47.エレミヤ書30章1-24『回復の約束』
- 48.エレミヤ書31章1-9節『とこしえの愛』
- 49.エレミヤ書31章27-30節『終末の日における裁きと救い』
- 50.エレミヤ書31章31-34節『新しい契約』
- 51.エレミヤ書32章1-15節『贖いのしるし』
- 52.エレミヤ書34章1-22節『警告と裏切り』
- 53.エレミヤ書36章1-32節『預言の巻物の焼却』
- 54.エレミヤ書37章1-10節『ゼデキヤの使節』
- 55.エレミヤ書37章11-21節『エレミヤの逮捕、監禁』
- 56.エレミヤ書38章1-28節『二つの道』
- 57.エレミヤ書39章1-40章6節『エルサレムの陥落』
- 58.エレミヤ書40章7節-41章18節『総督ゲダルヤの働きと暗殺』
- 59.エレミヤ42章1節-43章7節『無視された警告』
- 60.エレミヤ書43章8節-44章30節『エレミヤの最後』
- 61.エレミヤ書45章1-5節『バルクへの言葉』
- 62.エレミヤ書46章1~28節『エジプトに関する預言』
- 63.エレミヤ書50章1-20節 『バビロン滅亡とユダの回復』
- 64.エレミヤ書51章59-64節『バビロンは再び立ち上がることなく』
- 哀歌講解
- エゼキエル書講解
- 1.エゼキエル書1章1-3節『エゼキエルの召命とその使命』
- 2.エゼキエル書1章4-28節『エゼキエルの召命の日に見た幻』
- 3.エゼキエル書2章1節-3章3節『召命と派遣』
- 4.エゼキエル書3章4-15節『イスラエルの家に遣わされた預言者』
- 5.エゼキエル書3章16-21節『預言者の務め』
- 6.エゼキエル書4章1-17節『エルサレム包囲のしるし』
- 7.エゼキエル書5章1-17節『エルサレムの呪いと神の真実』
- 8.エゼキエル書9章1-11節『残りの者の裁き』
- 9.エゼキエル書11章1-25節『真のイスラエル』
- 10.エゼキエル書12章1-28節『捕囚のしるし』
- 11.エゼキエル書13章1-23節『偽預言者と呪術から離れよ』
- 12.エゼキエル書14章1-11節『悔い改めを求める神の審き』
- 13.エゼキエル書14章12-23節『イスラエルの審きと神の誠実』
- 14.エゼキエル書15章1-8節『役に立たぬぶどうの木』
- 15.エゼキエル書17章1-24節『二羽の鷲とぶどうの木』
- 16.エゼキエル書18章1-4節『人生の謎への神の答え』
- 17.エゼキエル書18章5-20節『律法の救済的な新たな地平』
- 18.エゼキエル書18章21-32節『立ち帰って、生きよ』
- 19.エゼキエル書19章1-14節『君候たちへの哀歌』
- 20.エゼキエル書20章1-9節『イスラエルの罪の歴史、エジプトにおけるイスラエルの反抗』
- 21.エゼキエル書20章32-38節「荒野での聖めるための裁き」
- 22.エゼキエル書20章39―44節『新たな礼拝』
- 23.エゼキエル書21章1-10節『エルサレムの脅威』
- 24.エゼキエル書21章11-22節『剣の歌』
- 25.エゼキエル書21章23-32節『エルサレムへの攻撃』
- 26.エゼキエル書22章17-22節『神の溶鉱炉』
- 27.エゼキエル23章1-35節『オホラとオホリバ』
- 28.エゼキエル書24章1-14節『錆びついた深鍋』
- 29.エゼキエル書24章15-21節『エゼキエルの妻の死』
- 30.エゼキエル書33章10-11節『立ち帰って生きよ』
- 31.エゼキエル書34章1-16節『真の牧者である主なる神による救い』
- 32.エゼキエル書34章23-31節『平和の契約』
- 33.エゼキエル書36章1-12節『イスラエルの山々への約束』
- 34.エゼキエル書36章24-28節『イスラエルの真に新しい創造』
- 35.エゼキエル書37章1-14節『枯れた骨の復活』
- 36.エゼキエル書37章15-28節『一つとされる主の民』
- 37.エゼキエル書47章1-12節『神殿の泉と楽園の流れ』
- ホセア書講解
- 1.序(ホセア書1:1)
- 2.ホセア書1章2-9節『ホセアの妻と子』
- 3.ホセア書2章1-3節『神の恩恵による救いへの転換』
- 4.ホセア書2章4-15節『イスラエルの背信』
- 5.ホセア書2章8-9,16-19節『神の愛の支配による宗教性の回復』
- 6.ホセア書2章20-22節『救いの時の新たな契約』
- 7.ホセア書2章23-25節『恵みによる転換』
- 8.ホセア書3章1-5節『神の愛による回復』
- 9.ホセア書4章1-3節『主の告発-悔い改めへの招き』
- 10.ホセア書4章4-10節『祭司に向け荒れた主の告発』
- 11.ホセア書4章11-15節『悟りのない民は滅びる』
- 12.ホセア書5章3-7節『淫行の霊』
- 13.ホセア書5章8-15節『離れ去る神』
- 14.ホセア書6章1-6節『わたしが喜ぶのは愛、神を知ること』
- 15.ホセア書6章7節-7章7節『神なき者の現実』
- 16.ホセア書7章8-16節『愚かな鳩ように』
- 17.ホセア書8章1-14節『イスラエルへの警告』
- 18.ホセア書9章1-6節『イスラエルよ、喜び祝うな』
- 19.ホセア書9章7-9節『預言者への憎しみ』
- 20.ホセア書9章10-14節『ホセアの祈り』
- 21.ホセア書10章1-8節『破壊されるイスラエルの罪』
- 22.ホセア書10章9-15節『欺きの実』
- 23.ホセア書11章1-11節『不変の神の愛』
- 24.ホセア書12章1-15節『立ち帰りを求める神』
- 25.ホセア書13章1-11節『すぐに消えうせる露』
- 26.ホセア書14章2-10節『真の神礼拝と悔い改めへの招き』
- アモス書講解
- 1.預言者アモスとその預言の特質、及びその時代
- 2.アモス書1:1-2『アモス書の主題』
- 3.アモス書1章3-8節『諸国民に対する審判』
- 4.アモス書2章6-16節『イスラエルに対する審判』
- 5.アモス書3:1-8『神の選びと預言の必然性』
- 6.アモス書3:9-15『サマリアの滅亡を告げる三つの預言』
- 7.アモス書4:1-5『サマリアの女』
- 8.アモス書4:6-13『わたしに帰れ』
- 9.アモス書5章1-3節『挽歌』
- 10.アモス書5章4-6節『主を求めよ、そして生きよ』
- 11.アモス書5章14-15節『善を求めよ』
- 12. アモス5章11-12,16-17節「貧しい者への圧迫」
- 13.アモス書5:18-20,6:9-10『主の日は闇であって、光ではない』
- 14.アモス5:21-27『正義を洪水のように流れさせ』
- 15.アモス6:1-3,13-14『空虚な喜びへのいましめ』
- 16.アモス6章4-8節『神のように振舞う傲慢』
- 17.アモス7:1-9『幻によるアモスの神体験』
- 18.アモス書8章1-3節『審きの確信』
- 19.アモス9:1-6『不可避な神の審き』
- 20.アモス書8:9-12『主の言葉を聞けぬ飢饉』
- 21.アモス書9章7-10節『神の歴史支配から見る信仰回復への道』
- 22.アモス書9章11-15節『後の日の回復』
- ヨナ書講解
- ハバクク書講解
- ゼファニヤ書講解
- マラキ書講解