サムエル記講解

40.サムエル記下8章1節-9章12節『王国の確立とヨナタンとの約束の成就』

8章は、ダビデ王国の成立過程とその版図を知る上で貴重な歴史資料を提供しています。ダビデ王国はパレスチナの地に成立した最初の最大の国家であったといわれています。そのことを可能にしたものとして、前10世紀には、小アジアにも、メソポタミアにも、エジプトにも力を持った国家が存在しなかった外的な要因を挙げることができますが、それ以上にダビデ王という軍事的にも政治的にも比類のない有能さに恵まれた人物の存在を最大の理由として挙げることに歴史家の意見は一致しています。しかし本書は、2度にわたりこれらの軍事的勝利が主の助けによるものであることを明らかにし(7節と14節)、この偉大な王といえども主なる神の助けなくして、この偉業を達することができなかったことを明らかにしています。

前回指摘したように、時間的には6-7章の出来事は、本章の後に続くものと考えられますが、1節の冒頭に「その後」という言葉で、ダビデの遠征における一連の勝利が、神の箱のエルサレムへ搬入(6章)とナタンの預言(7章)の後に続いた起こったものとして描かれています。これによって、ダビデは神の守りと約束を与えられた後、初めてその王国を確立することができたという、神学的説明が与えられています。

1節のペリシテ人に対するダビデの勝利は、一連の戦いの最初のものであり、後の戦いのすべての勝利の誘因として綴られています。次ぎにモアブの名が挙げられていますが、かつてモアブはダビデに友好的姿勢を示した国であり、おそらくダビデ家とは血縁関係にあったと思われます(上22:3参照)。しかし、この時代には敵対関係にあり、反逆者に対する凄惨な処置(測り縄二本分の者の殺害)が命じられ、生かされたのはその半分の測り縄一本分の人々でありました。このような処置は反逆者に対する王の怒りを表すものと考えられますが、王の怒りの処置は友人や近親者たちの裏切りに対してより大きく表された、ということが示されているかもしれません。しかし、その場合にも、少なくとも3分の1の人々が恩赦により処罰を免れるという寛大な処置がとられているところに、平和の王ダビデの姿を垣間見ることができます。

ツォバ(3節)は、ダマスコの北方、アンチ・レバノン山脈の東側にある地方です。ダビデはユーフラテス川にまで影響力を持ったツォバの王ハダドエゼルを討ったことにより、その影響力をユーフラテス川にまで広げることができたわけです。ダビデの子「ソロモンは、ユーフラテス川からペリシテ人の地方、更にエジプトとの国境に至るまで、すべての国を支配した。国々はソロモンの在世中、貢ぎ物を納めて彼に服従した。」(列王上5:1)といわれていますが、ダビデがその王国の版図を広げる働きをしたわけです。

ダビデはこれら北方の国々を次々に征服して行き、多くの戦利品や貢物を受け、「ダビデ王はこれらの品々を、征服したすべての異邦の民から得た銀や金と共に主のために聖別した。」(11節)といわれています。ダビデは主の助けによって行く先々で勝利をおさめますが(7、14節)、貴金属などの戦利品は、自分にできなかった主の神殿を建てる事業のために、「主のために聖別」して、とって置き、後にソロモンの神殿建設の際に大いに貢献することになります。わたしたちの信仰の歩みも、その時実現しない願いも、与えられたチャンスを大切に用いることによって、将来の主のご用に役立つ奉仕が与えられているものであることを、ダビデの例から知ることができます。

ダビデは北方の領土だけでなく、南のエドムの領土も支配下に置き(14節)、紅海への重要な通路を手にいれることになりました。

15-18節は、ダビデ王国の内部組織についての報告が記されています。このようにしてダビデの王国は、領土の点でも、国家機構の上でも大変充実し、大いに主の祝福を受けて、ダビデに与えられた主の約束によってその王国が未来に向って成長するさまが描かれています。注目に値するのは、18節の最後に「ダビデの息子たちが祭司となった」と記されていることです。ダビデの息子が祭司として活動したという報告は、これ以外に聖書に記されていませんので、実際どのように活動していたのかわかりません。しかし、サムエル記の記者はこのような宗教的な面において何よりもダビデを顧み祝福されたことを、伝えています。

9章1-13節の物語は、ヨナタンとの約束を果たすダビデを描いています。

ダビデは、自分の王国の基礎を完全に確立すると、サウル家との関係で未決の問題に決着をつけるべく速やかな行動を起こしました。それは、王位継承問題です。サウル家のかなりの者が命を失っていたことについてはダビデもよく承知していました。ダビデはサウル家の生き残りの者に、特にヨナタンと交わした誓い契約のゆえに(上20:16-17)、「忠実」(ヘセド)を尽くしたいと願っていました。そこでダビデはサウル家に忠実に仕えていたツィバという人物を呼び出して、その安否を尋ねました。

ツィバはヨナタンの息子で両足の萎えたメフィボシェトという人物がヨルダン川の東岸ロ・デバルにあるアミエル子のマキルの家にいることをダビデに告げました。メフィボシェトをかくまっていたマキルという人物は、後にダビデが窮地に陥った時にも、ダビデを援助する人々の独りとして登場してきます(17:27)。マキルは自分が保護して来た人物をダビデがどう扱うかを見て、サウル家に従う者から、ダビデの信奉者となったと思われます。彼のそのような態度の変化は、言い換えればそれほどダビデが真の善意からメフィボシェトをまるで王子たちの一人のように扱ったことを裏付けるものであることを示しています。

ダビデはマキルの家に直ちに人を遣わし、メフィボシェトを連れて来させ、彼に「忠実を尽くしたい」と申し出ました。

突然、王ダビデの前に呼び出されることになったメフィボシェトは、どういうことになるのかよく理解できず、恐れながらびくびくして謁見の場にやってきて、ダビデの前にひれ伏して礼をしました。

ダビデは、かつて女の愛にまさるといわれる固い友情に契りを結んだヨナタンの息子メフィボシェトを見て、胸に熱くこみ上げてくるものを押さえながら、おそらく抱きかかえるように立ち上がらせて、「メフィボシェトよ」と優しく声をかけたに違いありません。その声を聞いたメフィボシェトは「僕です」と消え入りそうな震える声で答えたことでしょう。そして、ダビデはその恐れる心を思いやるように、「恐れることはない。あなたの父ヨナタンのために、わたしはあなたに忠実を尽くそう。祖父サウルの地所はすべて返す。あなたはいつもわたしの食卓で食事をするように」と告げました。

メフィボシェトはこの予想外のダビデの慈しみに満ちたことばを聞き、マリアが受胎告知を受けた時のような驚きの声をあげました。彼はダビデに「僕など何者でありましょうか。死んだ犬も同然のわたしを顧みてくださるとは。」と答えていますが、彼の両足は、ペリシテ人との戦いで父(ヨンタン)と祖父(サウル)が戦死したという訃報を聞いた彼の乳母が彼を抱きかかえて慌てて逃げようとした時に落としてしまったために、その日以来不自由になったままでした。その時彼は5歳(下4:4)、その日以来彼は人目を避け、「死んだ犬同然」の惨めな生活をして来きました。だから、自分の置かれた現実を見つめて、慈しみを示そうとするダビデに心底の驚きの声を上げているのです。

9章には「忠実」(ヘセド)という語が3回(1、3、7節)用いられています。この語は本来神によってのみ示し得る、常識を越えた好意、愛、慈しみを示します。人に用いられる場合は、「神の求められる好意」を指すものと解されるべきです。したがってダビデがメフィボシェトに約束するのは、根本的には神によってのみ示し得るような慈しみです。ダビデは、神の前にヨナタンとの間に結んだ契約のゆえに、神の求められる愛(信実)を果たそうとしているのです。そして、ダビデがメフィボシェトに具体的に示そうとした慈しみとは、王位継承者としてダビデの手に入ったサウル家の全領地を還し、メフィボシェトを宮廷に迎え入れ、いつもダビデ王の食卓で一緒に食事を共にすることでありました。

ダビデは早速そのことを実行しました。全領地がメフィボシェトに還されても、足の不自由な彼がそれを管理できませんので、忠実にサウル家に仕えていたツィバが呼ばれ、彼にそのサウル家の領地の管理が命じられました。幸いツィバにはそのような仕事をこなすに十分な息子たちとその労働力がありました。ツィバは王に、「私の主君、王が僕にお命じになりましたことはすべて、僕が間違いなく実行いたします。」と答えて、王の命を実行することになりました。

そして、「メフィボシェトは王子の一人のように、ダビデの食卓で食事をした。」(11節)といわれます。この日以来、メフィボシェトは王の食卓に連なるのが常となり、エルサレムの王の宮殿に「王子の一人のように」扱われて暮らすようになりました。ダビデはこのようにメフィボシェトを王宮に住まわせることにより、ヨナタンとの友情の契約を固く守る誠実(ヘセド)を実行するとともに、サウル家の血をひくこの人物を利用して反逆の機会を伺う者の目も摘むことにも成功することになります。

神の慈しみの愛ヘセドは、人間の思いを越えた破格の愛です。ダビデはそのヘセドを知る者として、自分の足で歩くことのできないメフィボシェトを立たせる働きをしています。主イエスは十字架の愛で私たちを立ち上がらせてくださいます。ダビデはその行為により来るべき主を指し示す者となっています。

旧約聖書講解