サムエル記講解

37.サムエル記下6章1-23節『神の箱の帰還』

ヘブロンで全イスラエルの王に就任したダビデは、エブス人の町エルサレムを攻め落とし、王国の都をエルサレムに定め、政治的な基礎を固めることができました(5章)。しかし、イスラエルは神の選びの民として、神を中心とした信仰を確立しなければ、王国は他の国々と異なるところのないものとなります。神の臨在に象徴である神の箱は、イスラエルから失われたままでありました(サムエル記上7章)。神の箱が戻り、その都の中心に置かれて、民が一つ心で神を礼拝することにより、この王国は文字通り完全に一つとなることができます。その意味で神の箱の帰還を物語る6章は、民が信仰面でも一つとなる拠り所を得たという意味で重要な位置を占めています。

ダビデは自分が王に選ばれたのは神の恵みによるということを強く自覚し、その召命観に基づいて王国を打ち建てようとした王でありました。それゆえ、ダビデは直ちに神の箱を取り戻すために、イスラエルの精鋭3万人を集め、バアレ・ユダへと向いました。サウル王に追われていたころのダビデの精鋭部隊は600人でありましたから、3万人という数はそれと比べると非常に大きな数です。この数には誇張があるという指摘が聖書学者から出されています。誇張があるにせよ、600人の精鋭部隊しか持てなかったダビデがその数をはるかに凌ぐ、多くの精鋭部隊を持てる強い王になっていたのは確かです。

神の箱は、ペリシテ人に奪われましたが、その故に災いに遭い、困り果てたペリシテ人がキルヤト・エアリムのアビナダブの家に送りました(上4-6章)。それ以来ダビデの時代まで、そこに置かれたままでありました。最初に主の箱を守るつとめについたのは、アビナダブの息子エルアザルでした。その期間は20年であったと考えられます(上7:2)。それ以後アビアナダブの子孫が神の箱を守るつとめについていました。本章3節には、神の箱を守っていたのは、「アビナダブの子ウザとアフヨ」であったと記されていますが、アビナダブの家に神の箱が置かれるようになってから70年の歳月が経っていました。

かつて神の箱を管理していた由緒ある祭司たちはサウルに虐殺されて、サウルとの関係は断絶したままとなっていました(上22章)。それゆえサウルの時代には、神の箱を取り戻す道そのものが閉ざされていました。しかし、ダビデの下には神の箱を取り扱う律法に精通した虐殺から免れた祭司アビアタルもいましたから、神の箱を取り戻せれば、それを正しく取り扱うことが可能でした。

キルヤト・エアリムはエルサレムの西約12キロの所にありました。バアレ・ユダはキルヤト・エアリムの別名です。この町の丘の上にあるアビナダブの家に神の箱はありました。ダビデは、その子孫であるウザとアフヨに命じ、エルサレムに運びこもうとしました。神の箱を新しい荷車の台にのせ牛に引かせて運ばれました。この方法は最初うまくいっているように思われました。ダビデとイスラエルの家は神の箱が帰って来るというので、主の御前に楽器を奏でて喜び祝っていました。しかし、神の箱を運んだ一行がナコンの麦打ち場に差し掛かった時、牛がよろめいたため、ウザが神の箱に手を伸ばして箱を押さえました。そのとき、よろこびに満ちた神の箱の帰還劇は、一瞬にして悲しみの時に変わってしまいました。

ウザは牛に引かれた荷台からひっくり返って落ちそうになった神の箱を、手で押さえて守ろうとしただけなのに、その行為が「主の怒り」に触れ、ウザは神に打たれてその場に死んでしまったという、真にショッキング出来事が起こりました。

わたしたちの目にはウザの行為がなぜ「主の怒り」に値するほど不敬なのか理解に苦しみます。しかも神の箱が地面に倒れ落ちそうなのを守ろうとしたウザが神に打たれて死なねばならないのはなぜか、これは人間の常識では本当に理解しにくい事件です。しかし、この事件は神の聖を犯す罪が招く裁きの大きさを教えています。

資格のない者が神の箱のような聖なる器具に触れたり、覗いたりすることは死をもたらすというのがイスラエルの信仰でありました(レビ16:2、民4:15、20)。神の箱は、「ケルビムの上に座しておられる万軍の主の御名によってその名を呼ばれる」(2節)神の臨在の象徴です。しかし、それ以上の意味を持つ者でもありました。その中には主の律法が記された二枚の石の板が収められていて、「わたしは掟の箱の上の一対のケルビムの間、すなわち贖いの座の上からあなたに臨み、わたしがイスラエルの人々に命じることをことごとくあなたに語る。」(出エ25:22)といわれる、イスラエルの民がそこから神の御声を聞く重要な礼拝の重儀であったからです。「箱を担ぐために、アカシヤ材で棒を作り、それを金で覆い、箱の両側に付けた環に通す」(出エ25:13-14)ように命じられています。つまりこのように担ぎ棒をつくって、資格ある者の肩で担いで運ぶべきことが述べられています。こうして気をつけて慎重に運べば、神の箱がひっくり返ることもなく、従って人の手で支えて倒れるのを防ぐようなこともせずにすんだはずです。

しかし、この何れの方法も取られずに、実にずさんな無神経な方法で神の箱は運ばれました。牛車に乗せる方法はペリシテ人が取った方法です。神の箱の正しい扱いを教えられていない異教徒の場合許されても、神の箱の扱い方について教えられている者が、それに従わないで起こる誤りをまた人の手で防ごうとした不敬の罪は、神の聖性という規準から見ればやはり重大な罪でありました。この神の聖を犯すことに対する恐れの弱さが、信仰の行為を粗く異教徒の取るのと同じような振る舞いとなって表れてくることをこの事件は示しています。神はそのような不敬を赦されない、これが旧約聖書の信仰であり、新約に繋がる信仰でもあります。

ダビデもこの出来事に大きな怒りを示したと8節に記されています。それは主の裁きに合点が行かないという怒りではなく、自らの軽率を悔やむ怒りです。ダビデはこの軽率を悔い、「主を恐れ」(9節)、主の箱をこのままで自分のもとへ運びこむことができないと判断し、一時、神の箱をガト人オベド・エドムの家に預けることにしました。その家の主オベド・エドムは、その名(「エドムの僕」)から見てもともと異教の神の崇拝者であったと考えられます。しかもガトはペリシテ人の町でありましたから、彼はペリシテ人であったと思われます。

ダビデはこのウザの災いがイスラエルに及ばないように、神の箱をガト人オベド・エドムの家に預けました。3ヶ月間、神の箱はオベド・エドムの家にありました。その間オベド・エドムは主の祝福を受けました。その噂はエルサレムのダビデの下にも届きました。ダビデはこのオベド・エドムの家の祝福を主なる神の怒りが好意に変わったことのしるしと見ました。

そして、ダビデは直ちに神の箱を再びエルサレムに運びこむ決心をし、それを実行しました。今度は、相応しい「主の箱を担ぐ者」(13節)に担がせ、自らも「エフォドを着け」相応しく神の箱を運び、喜びの内に神の箱をエルサレムに運び込むことに成功します。「主の御前でダビデは力のかぎり踊り」、「ダビデとイスラエルの家はこぞって喜びの叫びをあげ」て、神の箱をエルサレムに迎え入れました。

ダビデは主の箱を自分の張った天幕に安置すると、礼拝を奉げて、その喜びを主の御前に表しました。また、御名によって民を祝福し、兵士や群衆のすべてに喜びの記念の品として、菓子やパンなどを分け与え、民を家に帰しました。

ダビデは神の箱の帰還中、エポデのみを身にまとい、それ以外は何も身につけない裸同然の姿でありました。その姿で踊るわけですから、時には恥部も見えるようなことになったことと思われます。その姿を妻のミカルが窓から見下ろし、「心の内でさげすんだ」(16節)といわれています。サムエル記の記者は、このミカルの行為をダビデの妻としての目ではなく、「サウルの娘ミカル」の目で見ていることを強調するために、あえてダビデの妻としてではなく、「サウルの娘ミカル」(16節)と記しています。

ダビデが家の者に祝福を与えようと戻ってきた時も、ミカルはダビデをさげすむ言葉を述べています(20節)。ここでもダビデの妻としてではなく、「サウルの娘」としてミカルは王の行動を見ています。ミカルの「今日のイスラエル王は御立派でした。家臣のはしためたちの前で裸になられたのですから。空っぽの男が恥ずかしげもなく裸になるように。」という言葉は、主の選びの器として立てられた王を喜び、その王がその選びの器として何より大切にしようとしている、「主の御前に」喜ぶ礼拝を奉げて生きる生き方を喜ばない点で、彼女が「サウルの娘」であることを表していました。

ミカルのこの蔑みの言葉に対してダビデは、「そうだ。お前の父やその家のだれでもなく、このわたしを選んで、主の民イスラエルの指導者として立ててくださった主の御前で、その主の御前でわたしは踊ったのだ。」(21節)と答えて、自分が主に選ばれた王として自覚的に「主の御前に」生きる信仰もって歩もうとしていることを示します。ダビデは二度「主の御前に」と繰り返しそのことを強調しています。

そして、ダビデは自分を神の御前にサウルやミカルのように自分を高くするのではなく、「卑しめ」「低い者」とすることにより、「はしため」のような存在から「敬われる」ことを望みました。主イエスは「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」(マタイ23:12)といわれ、自らを貧しくされて救い主としての業を全うされ、神により高く上げられました。ダビデはこの信仰においてその救い主を指し示す存在となっています。

ダビデは神の箱への信仰の態度において、神の言葉に聞き、神の御前に生きる信仰を表明しました。イスラエルの王がその信仰を第一とするなら、この民はこの信仰によってやはり神の祝福に与ることができます。

イスラエルの都エルサレムの中心には、神の臨在を証しする神の箱があり、神はその神の箱の贖いに蓋のケルビムの間から御声を語り、イスラエルはこの神の御声を聞き、神の御前に生きる民として整えられることになりました。神の箱が帰って来たことによって、エルサレムは政治の中心だけでなく、信仰のセンターとして重要な場所となりました。

そして、この神の箱の帰還を喜ぶダビデの喜びを共にしないミカルは、ダビデをさげすんだのではなく、主を喜ぶ者でないことを示す結果となり、「サウルの娘」として振る舞い続ける、彼女には主の祝福が示されなかったことを23節の言葉は示しています。自分をイスラエルの指導者として選ばれた神を喜ぶダビデは栄え、それを喜ばないサウルとその娘は祝福のないまま、「死の日を迎えねばならない」現実を示してこの章は閉じられています。

神の箱を正しく扱わなかったウザが打たれた場所を、ペレツ・ウザと読んで人々は記憶しました。ペレツ・ウザ(「ウザの裂け目」)、ここは主に聞き従う信仰を大切にしない歩みが主に打ち砕かれ、裂け目となることを記憶する場所です。その記憶を大切にしない「サウルの娘ミカル」は、主の祝福を受け入れない女性としてまた覚えられることになりました。神の箱の帰還は、神の御前に生きる信仰を持つ者には喜びです。神の臨在とその言葉とは、忠実に神の御前に生きようとする者に大きな喜びをもたらすものであり続けます。しかし、そうでない者に裁きをもたらす両刃に剣であることをまた示しています。

旧約聖書講解