サムエル記講解

35.サムエル記下4章1-12節『イシュ・ボシェトの死』

本章は、サウルの残された唯一の息子イシュ・ボシェトの死の物語とサウルの子ヨナタンの息子メフィボシェトについての消息が記されています。サムエル記の記者はこの二つの事実を報告することによって、サウル家には王位につくふさわしい人物が一人もいなくなったことを伝えようとしています。 イシュ・ボシェト政権はサウル軍の司令官を勤めていたアブネルが実権を握ることによって、かろうじてその命脈を保たれていましたが、そのアブネルがヘブロンで暗殺されたという知らせは、イスラエル全体を混乱に陥れることになりました。イシュ・ボシェトが王の側女リツパと通うじたアブネルの行動を非難したことによって、イシュ・ボシェトを擁立しその王権を支えていたアブネルの心はダビデに移ることになりましたが、イシュ・ボシェトとアブネルの関係は完全に切れてしまっていたわけでありません。アブネルの行動は、やがて実現するであろうダビデ王朝(ユダ王国)の中でのイスラエルの生き残りをかけたものでした。イシュ・ボシェトはこのアブネルのとった選択を快く思わなくても、アブネルをなお頼りにしていましたので、彼の死を聞き本当に失望落胆しました。1節のアブネルの死を聞いた「イシュ・ボシェトは力を落とし」という記事は、イシュ・ボシェト政権のすべての現実を物語っています。この語は二つの事実を象徴的に伝えています。すなわち、イシュ・ボシェトは自分でこの国を治める自信はなく、まったくアブネルの力を頼みとしていたので、その死を聞いて完全に気落ちしてしまったということを示すとともに、アブネルの死はイシュ・ボシェトの王権が本当に「力を落して」しまったという事実を伝えています。 アブネルの死後直ちにイスラエルの支配下に置かれていた者たちの間からイシュ・ボシェトを暗殺しようという不穏な動きが現れました。それを現実に起こした二人の人物の名が2節に報告されています。バアナとレカブという二人の兄弟がイシュ・ボシェト暗殺計画を実行することになるわけですが、彼らは、「共にベニヤミンの者で、ベエロトのリモンの息子であった。ベエロトもベニヤミン領と考えられるからである。 ベエロトの人々はかつてギタイムに逃げ、今日もそこに寄留している。」という注記が2節後半から3節にかけて記されています。彼らの出身地ベエロトは、ヨシュア記9章17節に名を挙げられたイスラエルのカナン征服の戦いの中でイスラエルに征服されなかった、ギブオン、ケフィラ、キルヤト・エアリムと並ぶカナンの町の一つでありました。ベエロトの町が実際何処にあったかは明らかでありませんが、「ベニヤミン領と考えられる」という注記は、バアナとレカブが、ベニヤミン人ではなくカナン人の血筋を引く、ベニヤミン人に支配され、その支配に不満を持つ者たちであったことを暗示しています。 この二人はサウル王家の中でどのような地位と役割を果たしていたのかわかりませんが、イシュ・ボシェトの家に出入りが比較的自由にできる立場にある下僕のような仕事をしていたのかもしれません。イスラエルに支配された一般の人間が、王の顔を直接見たり、近づいたり、その王宮の中に入って行くことは不可能であったと思われますので、彼らは身分が低くても王の近くにいることのできる下僕として働いていたのでしょう。 ある日、レカブとバアナは、小麦を受け取る振りをして家の中に入ることに成功し、寝室に横たわり昼寝をしていたイシュ・ボシェトの下腹を突き刺して殺し、その首をはね、その首を携えてアラバの道を夜通し歩いて、ヘブロンのダビデのもとにやってきました。 二人はダビデの所に通され、ダビデにその首を差し出し、「御覧ください、お命をねらっていた、王の敵サウルの子イシュ・ボシェトの首です。主は、主君、王のために、サウルとその子孫に報復されました」(8節)といって差し出しました。レカブとバアナは王から多くの褒賞と、新しく誕生するであろう全イスラエルの王から、特別な待遇を得て、ふさわしい地位と役割が与えられることを期待し、胸をはってやってきました。 しかし、そこに待っていたのは彼らの期待したものとまったく違うダビデの答えでした。ダビデの答えは、「あらゆる苦難からわたしの命を救われた主は生きておられる。かつてサウルの死をわたしに告げた者は、自分では良い知らせをもたらしたつもりであった。だが、わたしはその者を捕らえ、ツィクラグで処刑した。それが彼の知らせへの報いであった。まして、自分の家の寝床で休んでいた正しい人を、神に逆らう者が殺したのだ。その流血の罪をお前たちの手に問わずにいられようか。お前たちを地上から除き去らずにいられようか。」(10-11節)というものでした。 かつてギルボアの戦いで傷つき苦しんでいたサウル王に頼まれ、止めを刺したアマレクの兵士が、サウル王の身につけていた王冠や腕輪を携え、ダビデの下へその知らせにやってきましたが、ダビデは、「主が油を注がれた方を、恐れもせず手にかけ、殺害するとは何事か。」といって彼を打ち殺しました。それは、理由はどうあれ、主に油注がれた者に手をかけて殺す大きな罪に対する報いとしてなされました。アマレクの兵士に悪意はなくても、主に油注がれた王を殺すことは、それ自体が罪であり、重い罪であることを内外に知らしめることになりました。 しかし、バアナとレカブの兄弟の行為は、王が死にきれずに苦しんでいるのから解放するための手助けのためでなく、無抵抗で寝ている王の所に忍び入り、殺害するというものであり、それはアマレク人の若者の行為より張るかに悪辣な犯罪でありました。ダビデはかつて自分に「よい知らせだ」といってきた使者に、処刑で報いたことを告げ、彼らの行為が、その行為に比べものにならない「神に逆らう者」の極悪非道の行為としてと断罪しています。 ダビデはここで「主の正義」(ツェデク)に立ち、その真正な擁護者として、また混乱と無秩序に陥ろうとしているイスラエルの救い主としてふさわしい人物として表れています。 ダビデはこの極悪非道なならず者二人をそれにふさわしい刑罰によって処刑し、その遺体を墓に葬らず、両手足を切断し、ヘブロンの池のほとりにある木につるして辱め、主の正義を踏みにじる者の死には、墓に葬られるという慰めがないことを知らしめました。 一方、その被害者となったイシュ・ボシェトの首は、敬意を込めて、ヘブロンにあるかつて彼に仕えた将軍アブネルの墓に葬られました。 ダビデのこの行為は、のちに続くイスラエルの王権交替にしばし繰り返される暗殺や非合法手段による政権奪取に見られる「他の国々のような」流れに対する主の報いのない最後を明らかにしています。その真実の報いは主ご自身がなされるべきです。しかし、ダビデは、王たる者はその主の正義に立ち、それにふさわしく国を裁き、国を治めるべきことを明らかにしています。 ダビデの側からいえば、バアナとレカブの行為は実に悪辣な極悪非道の行為で、このように処罰されるべきものでありました。しかしこの出来事を、より高いダビデ王権の実現を約束した神の摂理による支配という見地から見る時、ダビデ王権成立に向けての大きな一歩を意味していました。この二人の殺人者がダビデに言ったこと(8節)は、事柄としては正鵠を射た言葉でありました。神の正義は、殺人犯の犯罪行為すら、より遠大な計画の道具として利用します。 人間の愚かな試みが次々と挫折して行く中で、神の御心と計画だけが堅くたって行く事実を見て、この神の支配に対する揺るぎない信仰を持つことがわたしたち一人一人に求められています。 4節に記されたサウルの子ヨナタンの息子メフィボシェトの記事は、4章のこの物語のなかで、不自然なとってつけたような書き方となっています。しかし、彼の悲劇的な障害を持つことになる事件を記し、彼がサウル王家の直系を引く血筋として残ったとはいえ、その王の務めを十分に果たしうる者が備わっていないことを示す挿入記事であるのかもしれません。しかし、このように言うとハンディを持つ者は、能力の点でも活動の点でもその任に堪えられないと言う単純な評価を下しますと、差別の思想を助長する働きをします。今日の時点で見るなら、このサムエル記のサウル王家の未来の可能性を示すための挿入としてのこの記事の扱いは問題があるように思います。しかし、ダビデは後にこのヨナタンの子メフィボシェトを王の子の一人のように扱い(下9:11)、共生のあり方を示しています。

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