サムエル記講解

32.サムエル記上31:1-下1:27『サウルとヨナタンの死とダビデ』

ギルボアの戦いにおけるサウル王とその子ヨナタンの死の記事(31章)とその知らせを聞いたダビデの哀悼を表す物語(下1章)は、サムエル記が二つに分けられたため、上と下に分けられることになりましたが、この二つの章は本来一つの物語として読まれるべきものです。

サウル王はギルボアの戦いで戦死(実際は自害死)しますが、その死をアマレク聖絶命令に反し主の御声に聞き従わない者への廃位を告げる預言(15:22-23)の成就としてここに記されています。だからといって彼の死が自業自得であり、神の罰で不服従の報いとして描かれていません。歴代誌は、「サウルは、主に背いた罪のため、主の言葉を守らず、かえって口寄せに伺いを立てたために死んだ。彼は主に尋ねようとしなかったために、主は彼を殺し、王位をエッサイの子ダビデに渡された。」(上10:13-14)と記していますが、サムエル記にはそのような記事が見当たりません。サムエル記はこの王の運命の悲劇性を、御言葉への不服従との関連を明らかにしますが、それに対する主の報復としてではなく、摂理の中における主の御心の成就として告げるに過ぎません。

しかも、その死は、イスラエルの英雄の死として嘆かれ、称えられています。サウルは主に油注がれた最初の王として、その死を人々に嘆かれ、惜しまれたということを記し、その嘆きの中にもそれが神の歴史として織り成されていることに希望があることをサムエル記の記者は伝えようとしています。

ギルボアの戦いは、あのエンドルの一夜を示す28章に続く出来事です。しかし、その間にダビデのペリシテ軍からの離脱(29章)とアマレクへの出撃と勝利(30章)が記されることにより、主に約束された新しい王の出現への道が用意されていることが示され、ギルボアの戦いの物語が描かれています。そのような神の摂理による歴史支配の流れの中で、イスラエルのペリシテとの戦いにおける悲劇的敗北が記されますが、敗北はイスラエルを悲劇的に終わらせるものではなく、希望へとつながることを、サムエル記は伝えようとしています。

ペリシテ軍はその強力な戦車と騎兵によって(下1:8)、ギルボア山にたてこもるイスラエルの王サウルとその兵士たちに迫っていました。ペリシテ人は、戦車と弓矢の威力にものをいわせ、その攻撃の手が緩められることなく激しくイスラエルに向けられたため、イスラエル兵の大半はペリシテ軍の前から逃げ去り、僅かな忠誠をつくす護衛の兵たちだけが王と共にギルボア山にたてこもっていましたが、彼らは傷つきギルボア山で次々と倒れて行きました。ついにペリシテ軍は、サウルとその息子たちを追いつめ、サウルの息子で戦闘に加わっていた三人の息子、ヨナタン、アビナダブ、マルキ・シュアがサウル王より先に戦死します。サウル王のもう一人の息子イシュ・ボシェトはこの戦いに参加せず、後にサウルの従兄弟アブネルにマハナイムに連れて行かれ王に即位しダビデに対抗しようとしますが、挫折します(下2:8以下)。サウル王の息子たち全員がここで戦死したわけではありませんが、サウルは三人の息子たちの死に大きなショックを受けます。そして、ペリシテ人の放つ弓矢で自身も深手の傷を負い、もはや逃げることが不可能であると観念し、割礼なき敵ペリシテ人の手に陥って、なぶり者にされるより、自決する方がましであるといって、従卒に「わたしを刺し殺してくれ」と命じましたが、この忠実な敬虔な従卒はダビデと同じように主が油注がれた者を自分の手で殺すことに恐れを覚え、そうすることができません。このためサウルは自分の剣の上に自ら倒れ臥して、自決しました。

サウル王の死は帰結を引き起こすことになります。特に政治的な帰結とその影響は甚大です。サウル王はペリシテ人に対する最強の防波堤として、ペリシテ人によるイスラエル支配を阻止する最大の障壁であっただけに、イスラエルを軍事的・政治的に一つにまとめる吸引力をイスラエルが失うことを意味していました。イスラエルの北部、中部はペリシテ人の支配化に置かれることになります。

イスラエルの兵は、「サウルとその息子たちが死んだのを見ると、町をことごとく捨てて逃げ去った」(7節)といわれます。しかし、この戦いに敗北してペリシテ人に支配されたのはイスラエルの全土ではなく、イスラエルの北部と東部に当るパレスチナ山地の中央部の地域に過ぎません。イスラエルの人たちが捨てたのはこの地域で、他はまだイスラエルが保有していました。

この日の戦闘は夕暮れまで続いたと思われます。ペリシテ軍は、イスラエルの兵士たちが町を捨てて逃亡するのを見ていましたが、戦闘が続いていたのでイスラエルの王サウルの死を確認したのはその翌日のことです。

翌日戦死者から衣服などを剥ぎ取ろうとやってきたペリシテ人の兵士たちは、サウルと3人の息子の死を確認し、彼らはサウルの首を切り取り、戦勝の記念として持ちかえりました。サウル王の首は最終的にはダゴンの神殿に運びこまれ、武具はアシュタロト神殿に運びこまれました。遺体はベト・シャンの城壁にさらされ、サウル王はペリシテ人によってなぶりものにされて殺されることはありませんでしたが、その遺体はペリシテ人の辱めを受けることになりました。

ペリシテ軍のサウルの仕打ちを聞いたギレアドのヤベシュの住民は、夜を徹して歩き、ベト・シャンにあるサウル王の遺体を城壁から取り降ろし、ヤベシュに持ち帰り、火葬に伏しその骨を拾って、丁重に葬ったと12-13節に報告されています。彼らはかつてサウル王に救われた恩義(11章)に報いるためにこの事を決死の思いで行いました。旧約聖書は火葬に反対する姿勢で貫かれているので、この記事は奇異な感じを与えます。しかし、さらしものにされたサウル王の遺体は昼の熱さのゆえに早くから腐敗が始まっていたと思われますし、猛禽類などにねらわれ、遺体の損傷は激しかったと考えられます。ヤベシュの人たちは、遺体をこれ以上辱めないために、骨にして埋骨することが重要であると判断し火葬にしたのでしょう。しかしその場合も、預言者アモスが重大な犯罪として糾弾したような(アモス2:1)、王の骨を灰になるまで焼かれることはなかったと思われます。

サムエル記下がヤベシュの住民によるサウル王の遺体の葬りの記事で締めくくられているのは、サウルの生涯が屈辱のうちではなく、名誉の内に締めくくられたことを示す意味があります。それは、主に油注がれた者にふさわしい最期であったことを示そうとしています。サウル王の歩みはギレアドのヤベシュから始まり、そこで終わっています。彼は葬る者も嘆いてくれる者もない惨めな死を死んだのではなく、主に油注がれた偉大な尊敬される王として死にました。彼の死はどんなに悲惨な面が含まれていても、主に結びついた者としての死でありました。

そして、その嘆きは、主に次の王として約束されていた者の声として聞かれるとき、より大きな主の祝福の下に置かれることになります。サムエル記下の1章はその事実を指し示します。

ダビデはサウルがギルボアの戦いで戦死したことを知らず、アマレクを討ってツィクラグに帰り二日間そこにとどまっていました。三日目にサウルの陣営からやってきた一人のアマレク人が使者として、敗戦の知らせを携えてやってきました。彼は衣服を裂き、頭に土を被って、王の死を嘆く者であることを示そうとしています。しかし、彼は実際にはダビデをサウルの敵対者と見なし、ダビデに報告することによって、ダビデが喜んでその報告を聞き、王の遺品を受け取るなら、自分を褒賞してくれるだろうと計算してダビデに近づいていました。そのため彼は、サムエル記上31章に記されたサウル王の死とは異なる報告をここで行っています。彼はサウル王が自決死したのではなく、戦車と騎兵に追われて深手を負って痙攣を起こして死にきれずにいたので、とどめを刺すようにサウル王に頼まれたので自分がとどめをさして殺したと伝えています。これはダビデの目に自分をよく見せようとしてついた嘘でありました。しかし、この嘘によって、主に油注がれた者を殺害した者であることを自ら証言したことになり、彼は主に油そそがれた者を殺した反逆者としてダビデの手で、処刑されることになりました。

ダビデは彼が持ちかえった王冠や身につけていたものを見、サウル王が死んだことを確信します。ダビデはその哀悼を直ちに表わしました。

この知らせをもたらせた人物は、自分がアマレク人であることを繰り返し語って言います。ダビデとその兵士たちは、アマレク人と戦ってその戦いから戻ったばかりでありましたので、この報告をもたらした人物がアマレク人であると聞いて、憎悪感を抱きました。しかもサウル王から頼まれたとはいえ、彼が王を殺したという証言を聞き、いっそう憎悪をつのらせることになり、彼は処刑されます。

しかし、このアマレク人がイスラエルの王の王冠を持ちかえり、それがダビデに差し出されたということは、その王権がダビデの下に移ったことを意味しています。ダビデがそのことを自覚していなくても、サムエル記の記者は、これをもって王権が謀反によらず、正当にダビデに移ったことを告げています。サウルはアマレク聖絶問題に躓き王位から退けられる運命を歩み、ダビデはアマレクを打ち破り、アマレク人からその王位の冠を受け取ります。サムエル記の記者は、この神の摂理的導きを皮肉交じりに伝えています。サウルの死は、ダビデの時代の幕開けを伝えるものとして、ここに報告されています。

来るべき王ダビデは、王サウルとその王子であり無二の親友であるヨナタンの死を悲しむ哀歌を歌い、(下19-27節)サウルとヨナタンの強い父子の絆を歌い、ヨナタンとの友情が「女の愛にまさる驚くべき愛」であったと歌い、二人の死に深い悲しみを表わしました。

ダビデは決してイスラエルの王権を簒奪しようとの野心を持って行動することはありませんでした。主がダビデと共におられ、その運命の糸は、不思議な神の支配の下にダビデを王位に導きます。神の油注ぐ王を最後まで尊重し、神の導きに従い、王の死を悲しむ柔和で平和の心を持つダビデこそ、神とその民が求めるふさわしい王です。ダビデはそのような王として、イスラエルの歴史に新たな一頁を刻んでいくことになります。

旧約聖書講解