サムエル記講解
19.サムエル記上18章1-30節『ダビデとサウル王家の人々』
18章には、ゴリアトを倒したダビデが、サウル王に召し抱えられることにより、王への道がいかにして開かれて行ったかが描かれています。サウルの嫉妬と奸計にもかかわらず、ダビデは神の摂理的な支配のもとに、神にも人にも愛される王としてその道が確実に開かれてきます。そして、この章にはダビデとサウル家の人々との関係が実に生き生きと描かれています。父サウルの嫉妬にもかかわらず、長子ヨナタンはダビデと友情の契約を結びます。次女のミカルはダビデを愛し、ダビデと結婚することになります。イスラエルの人々だけでなく、王家の人々からも愛されるダビデの人物像がここに大きく描かれています。
1-4節には、ダビデとヨナタンの美しい友情の契約が記されています。「友情」という言葉を用いましたが、聖書には「友情」を表す語がありません。「友」「友人」の語はありますが、「友情」の語はありません。ここにはそれに変わる語として、「契約」(3節)の語が用いられています。人と人との友情の交わりを表すのに、神と人との交わりを表す「契約」の語が用いられ、しかもダビデとヨナタンは、後に「主の御前で契約を結」(23:18)びます。仲良くなろうという言葉だけの、事情や心変わりによって失われる友情ではなく、法的な強い絆で結ばれた友情が描かれ、この友情は神と人とのあり方をもさし示すものとしても描かれています。(雨宮慧著『旧約聖書のこころ』女子パウロ会、参照)
「ヨナタンの魂(ネフェシュ)はダビデの魂(ネフェシュ)に結びつき、ヨナタンは自分自身の(ネフェシュ)ようにダビデを愛した」(1節)といわれています。魂と訳されたヘブル語ネフェシュは、もともとは「喉」を表す語です。
「 涸れた谷に鹿が水を求めるように/神よ、わたしの魂(ネフェシュ)はあなたを求める」(詩篇42:2)というように、喉の渇きを覚え、また食欲など、人間の欲望・願望と強く結びつく器官としてヘブライ人は覚えてきました。ヨナタンがダビデを「自分のネフェシュのように愛した」ということは、自分の欲望、願望の全てを、ダビデに委ね、彼と一つにして生きるということです。ヨナタンはその具体的表明として、王子が身に着ける「上着」「弓」「帯」に至るまでダビデに与えました。ヨナタンとダビデの友情はヨナタンの死後にも及びました(下1:25-26)。ヨナタンは、「イスラエルの王となるのはあなただ。わたしはあなたの次に立つ者となる」(23:17)といって、ダビデにイスラエルの王の継承権を譲るほどダビデを愛し、その友情を不変の態度で最後まで貫きました。ダビデはヨナタンのこの友情を「女の愛にまさる愛」(下1:26)として称えています。
ダビデがそのように称えるほど、ヨナタンのダビデに対する友情は深く献身的なものでありました。ヨナタンは戦士としての勇敢さ、度量、人気、どれをとっても、サウルの後継王となる資質を十分に備えた人物でした(14章)。しかも彼はサウル家の長子でありましたので、彼が王位を継ぐことにイスラエルの中から異を唱える者が出る可能性もありませんでした。どこから見ても王になるのがふさわしい人物ヨナタンが、ダビデを自分のネフェシュのように愛し、彼にその王位を譲っても惜しいとまったく思わないだけでなく、ダビデのために仕える歩みに徹しきるヨナタンの友情、兄弟愛(実際ダビデとは義兄弟の間柄となる)は、この地上で見られる人間の愛の最も美しいものとして覚えられるべきでしょう。
しかし、見方を変えれば、ダビデという人物がそれほどまでに人を魅了する人間であったことを物語っています。ダビデはこうして、王の心だけでなく、その長子の心まで魅了しました。
そして、ダビデは、サウルに仕える兵士として戦場に遣わされる度に勝利をもたらす勲功を次々に上げ、サウルは彼を戦士の長に任命し、ダビデはすべての兵士からも、サウルの宮廷に仕える家臣にも喜ばれる人物になります。
こうして戦いのたびに大勝利をもたらすダビデを、イスラエルの女たちは歓声を上げ、太鼓や三弦琴を奏で、歌い踊り迎えました。女たちは「サウル王を迎えた」とありますが、実際に歓呼して迎えられたのはダビデです。
「サウルは千を討ち ダビデは万を討った」(7節)という女たちの歌い声は、サウル王とダビデの武勲を称えるものでありましたが、サウル王の耳には、ダビデの素晴らしさのみを称える歌声として入ってきました。
サウルはこの日以来、ダビデを激しく嫉妬するようになり、憎しみを抱くようになりました。かつてサウル王の荒ぶる心は、少年ダビデの奏でる美しい竪琴の響きで癒されましたが、成人し立派な勇士となって、人々から人気を博するようになったダビデの奏でる竪琴の響きの美しい音色は、もはやサウルの耳にも心にも響かなくなりました。ダビデの演奏、心が変わったからでありません。これを聞くサウルの心が変わったからです。その変化をサムエル記の記者は、「神からの悪霊がサウルに降った」(10節)ためだと説明しています。サウルの責任をそれで軽減しようとしているのではありません。サウルの悪しき行為の背後にも、人の理解を超えた神の大きな支配と導きがあることを、サムエル記の記者は説明しようとしているのです。
心の平静さを失ったサウルは、いつものようにサウルの心を慰めようとしたダビデの竪琴に響きを聞いて、サウル王は女たちの歌声を思い出し、怒りを覚え、槍を手にして、ダビデを突き刺そうと二度振りかざしましたが、ダビデは二度とも身をかわして、逃れました。
サウルは人々からますます愛されて行くダビデを恐れ、憎むようになり、自分のもとから遠ざけるため、千人隊の長に任命します。ダビデは、戦いの時に先頭に立ち、勝利して帰還する時も先頭に立ちました。先頭にたって指揮をして戦い勝利する勇敢な戦士ダビデは、「イスラエル人とユダ人」のすべての人から愛されるようになりました。ダビデの人気はもはや、ユダ部族だけでなく、全イスラエルに広がっていました。
サウルはダビデが勝利を収めるたびに恐れるようになりました。サウルは、人の声を大切にする王であったからです。神の声よりも人の声を敏感にかぎ分け、人の声を大切にしながらその王位を保つ、「他の国々」の王のような歩みをしていたからです。民の心がダビデに移っていることをサウルは恐れたのです。
しかし、サムエル記の記者はサウル王の心の変化は、「神からの悪霊」(10節)によるものであることを記しています。
ダビデが勝利を収めたのは、彼が軍人として優れた才能をもっていたからでも、人の気に入るパフォーマンスをいっぱい行ったからでもありません。「主は彼と共におられ」(14節)たからであるといっています。主はダビデと共におられたから、ダビデはいつも勝利することができたというのです。もちろんダビデの信仰は主と共に生きる信仰でありました。サウルもまた主が共にいまし、主に任命された王でありましたが、サウルは主と共にあることを第一とする生き方をせず、民衆の心と共にあることを第一として罪を犯したため、主はサウルと共におられなくなりました。そのサウルも「主がダビデと共におられること」(28節)を認めていました。サウルがダビデを一層恐れ、敵意を抱いた理由は、民衆の人気よりもむしろこのことにあったといえます。
サウルにとって不幸だったのは、このことを認識していたのに、主が共にいるダビデを人間的な悪意と陰謀によって殺そうとしたことです。
サウルは自分の手でダビデを殺すのではなく、ペリシテ人の手で殺そうとしました(18節)。そしてサウルは、その計画を実行するため、サウルの戦士として主の戦いをするなら、ダビデに長女のメラブを与えるとの約束をしました(17節)。このサウルの約束は、ゴリアトを倒した者に与えるとした約束を彷彿させるものです(17:25)。しかし、ダビデはゴリアトを倒したのに、サウルはそのことを実行していません。考えられるのは、その時ダビデは元服していない少年だったので、ここで元服した戦士として王のために武勲を上げるなら、という条件を改めてサウルが提示しているということです。それは、サウルの行為が恣意によるものではなく、正当なものであることを主張するために好都合でした。
ダビデはこの申し出を受けるに値しないものであるといって王の婿になることを辞退する謙遜さを示しましたが、サウルの命令には従って求められた勲功を上げました。しかし、サウルは、娘メラブがダビデに嫁ぐべき時に、メホラ人アドリエルに嫁がせてしまいました。これはダビデの忠実さとサウルの不誠実さを示す事件としてここに報告されています。
それでもダビデが生きている限り、サウルの心は平安ではなかったのです。サウルは、ダビデを何とかしてもっと危険な戦場に送り、もっと難しい条件を課して、ペリシテ人の手によって殺そうとチャンスを伺っていました。そして、とうとうそのチャンス巡ってきました。次女のミカルがダビデを愛しているという部下の情報を聞いた時です。サウルは、今度は二番目の娘を嫁に与えることを、家臣を通じてダビデに伝えました。
これを聞いたダビデは「わたしは貧しく、身分の低いものです」といって王の好意を受けることはできないといいます。ダビデは、王の娘に贈る結納金の用意ができない貧しいものであったからです。ダビデの父エッサイは民の長老をしていたくらいですから、それほど貧しい者であったとも思えませんが、王の婿になれるほど身分は高くありませんでした。しかし、サウルはそのような結納金などなくてもよいから、王の敵への報復のしるしとしてペリシテ人の「陽皮百枚」をもって来るなら王の婿にしようといいました(25節)。
しかし、これはダビデをペリシテ人の手で殺すための口実にしか過ぎませんでした。サウルがダビデに求めたのは、ペリシテ人の耳でも鼻でもなく「陽皮」(男性の性器の包皮)です。この要求は、割礼なき民であるペリシテ人を辱める『主の戦い』(17節)という意味合いをもたせるものであったと考えられます。その意味を理解してか、サウルの約束を聞いたダビデは「王の婿になることは良いことだ」と判断し、ダビデは兵を従えてペリシテ人を討ち取る戦いに出かけ、その倍の二百人分の「陽皮」を持ちかえりました。
そのゆえに、サウルはついに約束どおりダビデの妻として娘のミカルを与えねばならなくなります。サウルは二度までダビデをペリシテ人の手によって殺すという計画を失敗した上、自分の意図に反し娘のミカルを与えることになり、ダビデをますます王位継承者としての正当な権利ある者に近づけることに手を貸すことになりました。
サウルはダビデを殺す目的を達するだけであれば、ペリシテ人の「陽皮百人分」だけ持ちかえるようにという命令を発するだけでもよかったはずです。しかし、それが娘を与える条件としたところに彼の計算にない、神の深い計画がありました。そして、その事実を通して、「サウルは、主がダビデと共におられる」(28節)という事実をますますはっきりと知らされることになり、娘のミカルも本当にダビデを愛している事実も思い知らされて、二重のショックを受けることになります。彼はこの出来事を通して、ダビデをいっそう恐れ、その敵意は一時的な気まぐれではなく、生涯を通してのものに変わります。
しかし、サウルがダビデに敵意を抱き、排斥しょうとすればするほど、ダビデは民衆からも自分の子供たちからも愛される人物となっていきます。
この物語には、主の御心を求めないサウルから主が離れ、主の御心を大切にし、主の油注ぎを受けたサウルの命令に忠実に従う(そのことによって主に従っている)ダビデに主が共にあり、主から祝福を受けるダビデの様子が見事に描かれています。しかし、このダビデは同じような罪、あるいはそれ以上の罪、誤りを後に犯しています。自分の性的な罪を隠すために、バテシバの夫ウリヤを戦場の一番危険な所に遣わして殺すという、とんでもない罪をダビデは犯しているのです(下11:15)。ダビデの場合はそれでも赦されたのに、サウルはなぜ赦されなかったのか、それはなぞです。一ついえることは、ダビデは恣意のために敬虔を装う「主の戦い」(17節)という言葉は用いなかったということです。その罪は預言者ナタンによって厳しく断罪されましたが許されました。しかし、ここでのサウルの計画は、主の御心に反するものであるにもかかわらず、「主の戦い」のカモフラージュがなされていました。そこに赦されざる問題があったとしか考えようがありません。
この物語は、御心にかなわない人の計画は挫折し、主の御心だけが硬く立つことを、歴史の中でおりなされる実に人間くさいドラマの中に示される神の摂理的な導きを示しています。「他の国々のような」この世の王の生き方をするサウルは、自分の恣意でダビデを排斥しようとして失敗したことは、わたし達に多くの教訓を与えてくれます。現在の政治家や支配者たちも同じように恣意的な政治や支配を行いやすいのです。そのたびに国民は苦しんでいます。そしてそのような悪しき政治家たちの思うようにすべてがいっているかというと、そうではないのです。神は見えざる中にも確かな支配を表しておられるのです。神の支配を信じて、上なる権威にしたがって生きるダビデと共に主がおられたように、同じようにしてわたしたちが生きるなら、主が共にいて同じように守りのみ手を表されることを、この物語は伝えてくれているのです。
そして、サウルの憂鬱症は、神も人も信じない人間の本質は、コンプレクスによるジェラシーに支配されて行くところから発生する心理的な問題であることもこの物語はじつに見事に描いています。そして、悪霊に捉えられた心も、「主がダビデと共におられる」(28節)神の真理を認識できることを示しています。それは、神の計画に抵抗する悪霊に取り付かれたものの本能を示しています(マルコ1:24)。サウルはこの悪霊の呪縛から解放されませんでしたが、主イエスは言葉によって悪霊を追放されました(同1:25)。サウルの憂鬱症の癒しに必要なのは、彼の人生に神の言葉が回復され、神の言葉と霊の力でその心が神に正しく向けられ、人に対するコンプレックスやジェラシーから解放される必要があります。現代の病める問題にも同じことが言えるでしょう。
神に向けて心が開かれている生き方の大切さを深く教えられる物語でもあります。
旧約聖書講解
- 申命記講解
- 序.申命記について 1.申命記1章1-5節「はじめに」
- 2.申命記1章6節-3章29節『歴史的回顧』
- 3.申命記4章1-24節『主の声のほかには何の形も見なかった』
- 4.申命記5章1-22節『十戒』
- 5.申命記5章22節-6章3節『神の言葉を取り次ぐ仲保者モーセ』
- 6.申命記6章4節-25節『唯一の主』
- 7.申命記7章6節―11節『主の恵みによる選び』
- 8.申命記8章1節-10節『主の口から出る言葉によって生きる』
- 9.申命記8章11-20節『主を忘れることへの警告』
- 10.申命記9章1節―6節『偽りの敬虔主義への警告』
- 11.申命記9章7節-29節『主に背き続けるかたくなな民』
- 12.申命記10章12節-22節『神が求められること』
- 13.申命記11章1節-32節『主を愛し、主に仕えるならば』
- 14.申命記13章2節―19節『偶像礼拝への警告』
- 15.申命記15章1節-18節『安息年における負債免除と奴隷の解放の精神』
- 16.申命記16章1-27節『三大祝祭日の歴史とその意味』
- 17.申命記18章1-22節『まことの神礼拝に関わる規定と職務』
- 18.申命記26章1-11節『イスラエルの最古の信仰告白』
- 19.申命記27章1節-26節『「この律法の言葉」をどう守るか』
- 20.申命記28章1節-68節『祝福と呪い』
- 21.申命記28章69節-29章28節『モアブで結ばれた契約』
- 22.申命記30章1節-20節『御言葉はあなたの近くにあり、口と心にある』
- 23.申命記31章1―29節『モーセの後継者ヨシュアの任命と律法の文書化の意義』
- 25.申命記33章1ー29節『モーセの祝福』
- 24.申命記31章30節-32章52節『モーセの歌』
- 26.申命記34章1節-12節『モーセの死』
- ヨシュア記講解
- 序.旧約聖書においてヨシュア記の占める位置
- 1.ヨシュア記1章1-18節『モーセの従者ヨシュア』
- 2.ヨシュア記2章1-24節『エリコを探る斥候とラハブ』
- 3.ヨシュア記3章1節-5章1節『ヨルダン川を渡る』
- 4.ヨシュア記5章2節-15節『神の書の新たな一頁の始まり』
- 5.ヨシュア記6章1節-27節『エリコの征服』
- 6.ヨシュア記7章1節-26節『アカンの罪』
- 7.ヨシュア記8章1節-29節『アイの征服』
- 8.ヨシュア記8章30節-35節『エバル山での律法朗読』
- 9.ヨシュア記9章1節-27節『ギブオン人の服従』
- 10.ヨシュア記10章1節-43節『南部での勝利』
- 11.ヨシュア記11章1節-15節『北部での勝利』
- 12.ヨシュア記11章16節-12章24節『全地』
- 13.ヨシュア記13章1節ー33節『西ヨルダンと東ヨルダンでの土地分配』
- 14.ヨシュア記14章6節ー15節「わたしにください」
- 15.ヨシュア記17章14節―18節『そこが森であっても』
- 16.ヨシュア記20章1節-9節『逃れの町』
- 17.ヨシュア記23章1節-16節『三つのこと』
- 18.ヨシュア記24章1節-28節『シケムの契約』
- 士師記講解
- 1.士師記について
- 2.士師記2:6-3:6『背信とさばき』
- 3.士師記3章7節-11節『オトニエル』
- 4.士師記4章1-24節『デボラとバラク』
- 5.士師記5章1-31節『デボラの歌』
- 6.士師記6章1-24節『ギデオンの召命』
- 7.士師記6章25節-32節『家庭における宗教改革』
- 8.士師記7章1-25節 『ギデオンの精鋭』
- 9.士師記8章1-35節『ギデオンの勝利と失敗』
- 10.士師記9章1-57節 『王制試みの挫折』
- 11.士師記10章17節-11章28節『解放者エフタの挑戦』
- 12.士師記11章29-40節『エフタの勝利と誓い』
- 13.士師記13章1-25節『サムソンの誕生』
- 14.士師記14章1節-15章8節 『主によること』
- 15.士師記15章9-20節『イスラエルの見張番』
- 16.士師記16章1-31節『イスラエルの救助者』
- 17.士師記17章1-13節『偶像礼拝-神礼拝の私的・自己願望化』
- 18.士師記18章1-31節『ダン族の偶像礼拝の罪』
- 19.士師記19章1-30節『ギブアの暴行』
- 20.士師記20章1-48節『審判』
- 21.士師記21章1-25節『交わりの回復』
- ルツ記講解
- サムエル記講解
- 1.概要、サムエル記上1章1-20節「サムエルの誕生」
- 2.サムエル記上1章21節-2章11節『ハンナの祈りと信仰』
- 3.サムエル記上2章12-36節『聖所で仕えるサムエルとエリの息子たち』
- 4.サムエル記上3章1節-4章1節『サムエルの召命とエリ一族への託宣』
- 5.サムエル記上4章1b-22節『神の箱の喪失-偶像化された信仰の挫折』
- 6.サムエル記上5章1-12節『ペリシテ人の地における神の箱』
- 7.サムエル記上6章1節-7章1節『神の箱の帰還』
- 8.サムエル記上7章2-17節『救済者サムエル』
- 9.サムエル記上8章1-22節『民、王を求める』
- 10.サムエル記上9章1節-10章16節『サウルへの油注ぎ』
- 11.サムエル記上10章17-27節『くじによる王の選出』
- 12.サムエル上11:1-15 サウルの勝利と即位
- 13.サムエル記上12章1-25節『サムエルの告別説教』
- 14.サムエル記上13章1-23節『ペリシテ人との戦い』
- 15.サムエル記上14章1-46節『ヨナタンの信仰とサウル王の敬虔』
- 16.サムエル記上15章1-35節『アマレクとの戦いとサウルの廃位』
- 17.サムエル上16:1-23 ダビデ、油注がれる
- 18.サムエル記上17章1-58節 『ダビデとゴリアト』
- 19.サムエル記上18章1-30節『ダビデとサウル王家の人々』
- 20.サムエル記上19章1-24節『サウルの追手からの救い』
- 21.サムエル記上20章1-42節『ダビデとヨナタンの別れ』
- 22.サムエル上21:1-16『ダビデの逃亡‐アヒメレクとアキシュの下で』
- 23.サムエル上22:1-23『アドラムとミツパにおけるダビデ』
- 24.サムエル記上23章1-28節『別れの岩』
- 25.サムエル記上24章1-23節『エン・ゲディにおけるダビデとサウル』
- 26.サムエル記上25章1-44節『ダビデとアビガイル』
- 27.サムエル記上26章1-25節『ダビデ再びサウルを寛大に扱う』
- 28.サムエル記上27章1-28章2節『アキシュのもとでのダビデ』
- 29.サムエル記上28章3―25節『口寄せ女を訪れるサウル』
- 30.サムエル記上29:1-11『ペリシテ軍から離脱するダビデ』
- 31.サムエル記上30:1-30『ダビデの対アマレク遠征』
- 32.サムエル記上31:1-下1:27『サウルとヨナタンの死とダビデ』
- 33.サムエル記下2章1節-3章1節『二重王国』
- 34.サムエル記下3:6-39『アブネルの謀略と暗殺』
- 35.サムエル記下4章1-12節『イシュ・ボシェトの死』
- 36.サムエル記下5章1-24節『ダビデ、全イスラエルの王となる』
- 37.サムエル記下6章1-23節『神の箱の帰還』
- 38.サムエル記下7章1-29節『神の家とダビデの家』
- 39.サムエル記下7章18-29節『ダビデの祈りに見る信仰』
- 40.サムエル記下8章1節-9章12節『王国の確立とヨナタンとの約束の成就』
- 41.サムエル記下10章1-19節『ダビデ王国の絶頂』
- 42.サムエル記下11:1-27『バト・シェバ』
- 43.サムエル記下12:1-25『ナタンの叱責』
- 44.サムエル記下13:1-39『アムノンとアブサロム』
- 45.サムエル記下14:1-33『アブサロム、恩赦により帰還する』
- 46.サムエル記下15:1-23『アブサロムの反乱』
- 47.サムエル記下15:24-16:14『ダビデの逃亡-御手に委ねる信仰』
- 48.サムエル記下16:15-17:23『アヒトフェルとフシャイ』
- 49.サムエル記下17:24-19:9『アブサロムの敗北と最期』
- 50.サムエル記下19:9b-44『エルサレムへの帰還』
- 51.サムエル記下20:1-26『シェバの反乱』
- 52.サムエル記下21:1-14『飢饉とサウルの子孫』
- 53.サムエル記下22:1-51『ダビデの感謝の歌』
- 54.サムエル記下23:1-39『ダビデの最後の言葉とその勇士たち』
- 55.サムエル記下24:1-25『ダビデの人口調査』
- 列王記講解
- 列王記について
- 1.列王記上1章『王位継承の争い』
- 2.列王記上2:1-46『ダビデ王の最後、ソロモンの権力基盤の確立』
- 3.列王記上3:1-28『ソロモンの結婚と知恵』
- 4.列王記上4:1-5:14『ソロモンの統治と繁栄』
- 5.列王記上5:15-7:51,9:10-26『ソロモンの神殿、宮殿建築及びその諸事業とティルスの王ヒラム』
- 6.列王記上8:1-9:9『契約の箱の安置とソロモンの奉献の祈り』
- 7.列王記上10:1-11:43『ソロモンの栄光と挫折』
- 8.列王記上12:1-33『王国の分裂とヤロブアムの罪』
- 9.列王記上13:1-34『ベテルに関する預言』
- 10.列王記上14:1-16:28『ヤロブアム一世-オムリまで』
- 11.列王記上16:29-17:24『アハブと預言者エリヤの干ばつ預言』
- 12.列王記上18:1-46『主こそ神』
- 13.列王記上19:1-21『静かにささやく声』
- 14.列王記上20:1-43『わたしこそ主である』
- 15.列王記上21:1-29『土地は誰のもの』
- 16.列王記上22:1-40『預言者ミカヤとアハブの死』
- 17.列王記下1:1-18『エリヤとアハズヤ』
- 18.列王記下2:1-25『エリシャ、エリヤの後継者となる』
- 19.列王記下3:1-27『モアブ王メシャの謀反』
- 20.列王記下4:1-7『満たされた油壷』
- 21.列王記下4:8-37『シュネムの婦人』
- 22.列王記下5:1-27『ナアマンの癒し-全地の主-』
- 23.列王記下6:8-7:20『アラム軍の敗退』
- 24.列王記下8:1-9:37『オムリ王朝の崩壊-イエフ革命』
- 25.列王記下10:1-12:22『イエフの粛清、アタルヤのユダ王権奪取と祭司ヨヤダの王権防衛、ヨアシュによる宗教改革』
- 26.列王記下13:1-25『イスラエル王ヨアハズ-ヨアシュの時代』
- 27.列王記下14:1-29『内戦と見せかけの繁栄時代』
- 28.列王記下15:1-16:20『栄光から挫折の時代へ』
- 29.列王記下17:1-41『サマリアの陥落とその原因の神学的歴史回顧』
- 30.列王記下18:1-19:20『ユダの王ヒゼキヤとセンナケリブとの戦い』
- 31.列王記下20:1-21『ヒゼキヤの病気とバビロンからの見舞い客』
- 32.列王記下21:1-26『改革の逆戻り-冬の時代(マナセ・アモン)』
- 33.列王記下22:1-23:30『律法の書の発見とヨシヤの宗教改革』
- 34.列王記下23:31-25:30『ユダ王国の崩壊』
- 詩編講解
- 1.詩編1篇1-6節『二つの道』
- 2.詩編2編『主に油注がれた王』
- 3.詩篇第3篇『朝の祈り』
- 4.詩篇4篇『神の平和』
- 5.詩篇第5篇『神の決定』
- 6.詩篇第6篇『嘆きの祈り』
- 7.詩篇第7篇『神への訴え』
- 8.詩篇第8篇『主の御名は力強く』
- 9.詩篇11篇『神への信頼』
- 10.詩篇第12篇『人の言葉と神の言葉』
- 11.詩編13篇『主よ、いつまで』
- 12.詩篇第14篇『愚者無神』
- 13.詩編第15篇『神の家に宿る者は誰か』
- 14.詩篇第16篇『神のもとにある喜び』
- 15.詩編19篇『天は神の栄光を物語り、律法は完全な神知識を与える』
- 16.詩篇22篇1-22節『嘆きと願い』
- 17.詩編23篇『主は羊飼い』
- 18.詩編第24篇『門よ上がれ』
- 19.詩編第25篇『主に望みを置く者は恥を受けず』
- 20.詩篇27篇1~6節『信仰の勇気』
- 21.詩編第29篇『栄光と力を主に帰せ』
- 22.詩編第30篇『救われた感謝の祈り』
- 23.詩篇31篇『御手に委ねて』
- 24.詩編第32篇『罪の赦しを知る喜び』
- 25.詩篇第33篇『神賛美の歌』
- 26.詩編34篇『主を仰ぎ見る人は光輝き』
- 27.詩編第36篇『命の泉』
- 28.詩篇第37篇『あなたの道を主に委ねよ』
- 29.詩篇第38篇『わたしはなお主を待ち望む』
- 30.詩編第39篇『主への待ち望みの中で』
- 31.詩編第40篇『感謝と祈り』
- 32.詩編第41篇『神の恵みを求める祈り』
- 33.詩編42~43篇『神を待ち望め』
- 34.詩編44篇『主よ、目覚めてお助けください』
- 35.詩編50篇『まことの礼拝』
- 36.詩編51篇『神よわが内に清い心を創りたまえ』
- 37.詩編55篇『あなたの重荷を主に委ねよ』
- 38.詩編63篇『主の慈しみは命にも勝る』
- 39.詩編73篇『滑りそうな信仰から』
- 40.詩編77篇『主の御業を思い起こし』
- 41.詩編81篇『救いの御心』
- 42.詩編84篇『主の庭で過ごす喜び』
- 43.詩編88篇『嘆き』
- 44.詩編90篇 『とこしえにあなたは神』
- 45.詩編91篇 『神の守りの中に』
- 46.詩編95篇『新たな献身への招き』
- 47.詩編96編 『主は地を裁くために来られる』
- 48.詩編100篇『主に向かって喜べ』
- 49.詩編101篇『完全な道』
- 50.詩編103篇『我が魂よ主をたたえよ』
- 51.詩編105篇『御言葉を心に留め』
- 52.詩篇107編『主は渇いた魂を飽かせ』
- 53. 詩編111篇『主は御業を記念させ』
- 54.詩編114篇『歴史を見る信仰の目』
- 55.詩編115篇『主の御名に栄光を帰し』
- 56.詩編116編『感謝の歌』
- 57.詩編118篇 『慈しみはとこしえに』
- 58.詩編121篇『主はあなたを見守る方』
- 59.詩編123篇『主に目を注ぎ』
- 60.詩編125篇『主は御自分の民を囲み』
- 61.詩編126篇『涙と共に種を蒔く人は喜びの歌と共に刈り入れる』
- 62.詩編127篇1-2節 『主が働かれるのでなければ』
- 63.詩編128編『主を畏れる者は幸いなり』
- 64.詩編130篇『深い淵の底から』
- 65.詩編131篇『母の胸にいる幼子のように』
- 66.詩編137篇『バビロンの流れのほとりにて』
- 67.詩編139編1-6節『神の全知』
- 68.詩編139編7-12節『神の遍在』、13-16節『神の全能』
- 69.詩編139篇19-24節『神の審きと導きを求める祈り』
- 70.詩編142篇『わたしの分となってくださる方』
- 71.詩編143篇『朝を待つ祈り』
- 72.詩編146篇『神を待ち望む』
- 73.詩編147篇『主は打ち砕かれた心を癒される』
- イザヤ書講解
- 序(イザヤ書1:1)
- 2.イザヤ書1章2-9節『神の告発』
- 3.イザヤ書1:10-20『真実の神礼拝』
- 4.イザヤ書1:21-31『神の審判と救い』
- 5.イザヤ書2:1-5『終末の平和』
- 6.イザヤ書2:6-22『主の大いなる日における審判』
- 7.イザヤ書3章1節-4章1節『主の日における審判と残りの者の救い』
- 8.イザヤ書5:1-7『ぶどう山の歌』
- 9.イザヤ書6:1-13『イザヤの召命と派遣』
- 10.イザヤ7:1-17『信仰への決断』
- 11.イザヤ書8章1-23節『主をのみ畏れ、主を待ち望め』
- 12.イザヤ書8:23b-9:6『大いなる解放』
- 13.イザヤ書9:7-10:4『主の怒りはやまず』
- 14.イザヤ11章1-10節『平和の王』
- 15.イザヤ書18章1-7節 『クシュに対する託宣』
- 16.イザヤ書20章1-6節『エジプトに望みを置く者は』
- 17.イザヤ書22章1-14節『エルサレムの罪』
- 18.イザヤ書24章1-23節 『世界審判と主の王国の開始』
- 19.イザヤ書28章1-22節『主の据えられる礎石』
- 20.イザヤ書28章23-29節『時に適った神の御業』
- 21.イザヤ書29章9-12節『盲目の預言』
- 22.イザヤ書30章1-17節『主をのみ信頼せよ』
- 23.イザヤ書31章1-9節『エジプトに頼る災いとシオンの救済』
- 24.イザヤ書32章15-20節『霊の賜物』
- 25.イザヤ書34書1-35章10節『エドムの審判とシオンの救い』
- 26.イザヤ書36章1節-37章38節 『信頼と救出』
- 27.イザヤ書38章1-22節『ヒゼキヤの病気とその回復』
- 28.イザヤ書39章1-8節 『ヒゼキヤの躓き』
- 29.イザヤ書40章1-5節『主のために荒野に道を通せ』
- 30.イザヤ書40章6-11節『神の言葉はとこしえに』
- 31.イザヤ書40章12-31節 『創造の神は、贖いの神』
- 32.イザヤ書41章1-5節『歴史を導く主』
- 33.イザヤ書41章8-13節『恐れるな』
- 34.イザヤ42章1-4節『傷ついた葦を折ることなく』
- 35.イザヤ書42章5-9節『諸国の光として』
- 36.イザヤ書42章10-17節『新しい賛美の歌』
- 37.イザヤ書42章18-25節『見えない目、聞こえない耳よ、聞け』
- 38.イザヤ書43章1-7節『恐れるな、わたしはあなたを贖う』
- 39.イザヤ書43章8-15節『わたしこそ主』
- 40.イザヤ書43章16-19節『見よ、わたしは新しいことを行う』
- 41.イザヤ書43章22-28節『赦しの神』
- 42.イザヤ書44章1-5節『成長させる神』
- 43.イザヤ書44章24-28節『わたしは廃墟を再び起こす』
- 44.イザヤ書45章1-7節『世界の主』
- 45.イザヤ書45章18-25節『地の果てのすべての人々よ、救いを得よ』
- 46.イザヤ46章1-4節『担われた者たちと担う主』
- 47.イザヤ書46章9-13節『思い起こせ、初めからのことを』
- 48.イザヤ書47章1-15節『バビロンの滅亡』
- 49.イザヤ書49章1-6節『国々の光として』
- 50.イザヤ書49章14-20節『神の手のひら』
- 51.イザヤ書50章4-9節『主の言葉は朝ごとに呼び覚まし』
- 52.イザヤ書51章9-16節『慰め主なる神』
- 53.イザヤ書51章17-52章3節『目覚めよ、目覚めよ』
- 54.イザヤ書52章7-12節『福音-平和と救いの知らせ』
- 55.イザヤ52章13-15節『神は僕を高く上げ』
- 56.イザヤ書53章1-9節『わたしたちの罪のために』
- 57.イザヤ書53章7-12節『多くの人が義とされるために』
- 58.イザヤ書54章1-10節『不妊の女よ、喜べ』
- 59.イザヤ書55:1-5『豊かさを楽しむ』
- 60.イザヤ書55章6-11節『高く超える主の道』
- 61.イザヤ書56章1-8節『異邦人の救い』
- 62.イザヤ書56章9節-57章13節『神を恐れぬ者』
- 63.イザヤ書57章14-19節『へりくだる者の祝福』
- 64.イザヤ書58章3-12節『神に喜ばれる断食』
- 65.イザヤ書60章1-9節『起きよ、光を放て』
- 66.イザヤ書60章10-22節『主がとこしえの光となり』
- 67.イザヤ書61章1-3節『主が恵みをお与えになる年』
- 68.イザヤ書61章4-11節『わたしは主によって喜び楽しみ』
- 69.イザヤ書62章1-12節『わたしは決して黙さない』
- 70.イザヤ書63章7-14節『主の恵みの御業を思い起こそう』
- 71.イザヤ書63章15-64章11節『どうか、天を裂いて降ってください』
- 72.イザヤ書65章1-16節『背信の者と従順な者』
- 73.イザヤ書65章16節b-25節『新しい創造』
- 74.イザヤ書66章7-14節『エルサレムと共に喜べ』
- エレミヤ書講解
- 1.エレミヤ書1章1-3節『エレミヤの時代とその使信』
- 2.エレミヤ書1章4-10節『エレミヤの召命』
- 3.エレミヤ書1章11-19節『二つの幻と派遣の言葉』
- 4.エレミヤ書2章1-13節 『生ける水』
- 5.エレミヤ書2章29-37節『花嫁が晴れ着の帯を忘れようか』
- 6.エレミヤ書3章12-18節『イスラエルの立ち帰り』
- 7.エレミヤ書3章19節-4章4節『真の悔い改めへの招き』
- 8.エレミヤ書4章5-31節『北からの災い』
- 9.エレミヤ書5章1-19節 『神の審判の理由』
- 10.エレミヤ書6章1-15節『差し迫った破滅とエレミヤの対話』
- 11.エレミヤ書6章16-21節『魂に安らぎを得よ』
- 12.エレミヤ書7章1-15節 『神殿での説教』
- 13.エレミヤ書7章16節-28節『祭儀の誤用』
- 14.エレミヤ書8章4-13節『立ち帰ることのない背信』
- 15.エレミヤ書8章14-23節 『審判と嘆き』
- 16.エレミヤ書9章1-8節『嘆きの歌』
- 17.エレミヤ書9章9-23節『哀歌の要請』
- 18.エレミヤ書10章17-25節 『破局ととりなし』
- 19.エレミヤ書11章18-23節 『エレミヤの訴え』
- 20.エレミヤ書12章1-5節 『神に背く者たちの繁栄』
- 21.エレミヤ書12章7-17節 『主の嗣業』
- 22.エレミヤ書13章1-11節 『帯のたとえ』
- 23.エレミヤ書14章1-16節 『旱魃』
- 24.エレミヤ書14章17節-15章9節 『エレミヤの嘆き』
- 25.エレミヤ書15章10-21節 『預言者の嘆きと神の応答』
- 26.エレミヤ書16章1-13節 『象徴預言とエレミヤの生活』
- 27.エレミヤ書17章12-18節『エレミヤの嘆きの祈り』
- 28.エレミヤ書18章1-12節『陶工の手中にある粘土のように』
- 29.エレミヤ書18章18-23節『エレミヤの報復の祈り』
- 30.エレミヤ書19章1節-20章6節 『砕かれた壺』
- 31.エレミヤ書20章7-9節『エレミヤの告白』
- 32.エレミヤ書20章14-18節 『自己への呪い』
- 33.エレミヤ書21章1-10節 『ゼデキヤ王と民への使信』
- 34.エレミヤ書21章11-22章9節 『ユダの王家に対する言葉』
- 35.エレミヤ書22章10-19節 『ヨアハズとヨヤキムに関する預言』
- 36.エレミヤ書22章20-23節『エルサレムの嘆き』
- 37.エレミヤ書22章24-30節 『ヨヤキンに関する二つの預言』
- 38.エレミヤ書23章1-8節『ユダの回復とメシアに関する預言』
- 39.エレミヤ書23章16-22節 『偽預言者への警告』
- 40.エレミヤ書23章23-32節 『夢と神のことば』
- 41.エレミヤ書24章1-10節『二つの幻』
- 42.エレミヤ書25章1~14節 『主の僕としての北からの敵バビロン』
- 43.エレミヤ書26章1-24節『最初の迫害』
- 44.エレミヤ書27章1-22節 『軛の預言者』
- 45.エレミヤ書28章1-17節『ハナンヤとの対決』
- 46.エレミヤ書29章1-23節『捕囚民への手紙』
- 47.エレミヤ書30章1-24『回復の約束』
- 48.エレミヤ書31章1-9節『とこしえの愛』
- 49.エレミヤ書31章27-30節『終末の日における裁きと救い』
- 50.エレミヤ書31章31-34節『新しい契約』
- 51.エレミヤ書32章1-15節『贖いのしるし』
- 52.エレミヤ書34章1-22節『警告と裏切り』
- 53.エレミヤ書36章1-32節『預言の巻物の焼却』
- 54.エレミヤ書37章1-10節『ゼデキヤの使節』
- 55.エレミヤ書37章11-21節『エレミヤの逮捕、監禁』
- 56.エレミヤ書38章1-28節『二つの道』
- 57.エレミヤ書39章1-40章6節『エルサレムの陥落』
- 58.エレミヤ書40章7節-41章18節『総督ゲダルヤの働きと暗殺』
- 59.エレミヤ42章1節-43章7節『無視された警告』
- 60.エレミヤ書43章8節-44章30節『エレミヤの最後』
- 61.エレミヤ書45章1-5節『バルクへの言葉』
- 62.エレミヤ書46章1~28節『エジプトに関する預言』
- 63.エレミヤ書50章1-20節 『バビロン滅亡とユダの回復』
- 64.エレミヤ書51章59-64節『バビロンは再び立ち上がることなく』
- 哀歌講解
- エゼキエル書講解
- 1.エゼキエル書1章1-3節『エゼキエルの召命とその使命』
- 2.エゼキエル書1章4-28節『エゼキエルの召命の日に見た幻』
- 3.エゼキエル書2章1節-3章3節『召命と派遣』
- 4.エゼキエル書3章4-15節『イスラエルの家に遣わされた預言者』
- 5.エゼキエル書3章16-21節『預言者の務め』
- 6.エゼキエル書4章1-17節『エルサレム包囲のしるし』
- 7.エゼキエル書5章1-17節『エルサレムの呪いと神の真実』
- 8.エゼキエル書9章1-11節『残りの者の裁き』
- 9.エゼキエル書11章1-25節『真のイスラエル』
- 10.エゼキエル書12章1-28節『捕囚のしるし』
- 11.エゼキエル書13章1-23節『偽預言者と呪術から離れよ』
- 12.エゼキエル書14章1-11節『悔い改めを求める神の審き』
- 13.エゼキエル書14章12-23節『イスラエルの審きと神の誠実』
- 14.エゼキエル書15章1-8節『役に立たぬぶどうの木』
- 15.エゼキエル書17章1-24節『二羽の鷲とぶどうの木』
- 16.エゼキエル書18章1-4節『人生の謎への神の答え』
- 17.エゼキエル書18章5-20節『律法の救済的な新たな地平』
- 18.エゼキエル書18章21-32節『立ち帰って、生きよ』
- 19.エゼキエル書19章1-14節『君候たちへの哀歌』
- 20.エゼキエル書20章1-9節『イスラエルの罪の歴史、エジプトにおけるイスラエルの反抗』
- 21.エゼキエル書20章32-38節「荒野での聖めるための裁き」
- 22.エゼキエル書20章39―44節『新たな礼拝』
- 23.エゼキエル書21章1-10節『エルサレムの脅威』
- 24.エゼキエル書21章11-22節『剣の歌』
- 25.エゼキエル書21章23-32節『エルサレムへの攻撃』
- 26.エゼキエル書22章17-22節『神の溶鉱炉』
- 27.エゼキエル23章1-35節『オホラとオホリバ』
- 28.エゼキエル書24章1-14節『錆びついた深鍋』
- 29.エゼキエル書24章15-21節『エゼキエルの妻の死』
- 30.エゼキエル書33章10-11節『立ち帰って生きよ』
- 31.エゼキエル書34章1-16節『真の牧者である主なる神による救い』
- 32.エゼキエル書34章23-31節『平和の契約』
- 33.エゼキエル書36章1-12節『イスラエルの山々への約束』
- 34.エゼキエル書36章24-28節『イスラエルの真に新しい創造』
- 35.エゼキエル書37章1-14節『枯れた骨の復活』
- 36.エゼキエル書37章15-28節『一つとされる主の民』
- 37.エゼキエル書47章1-12節『神殿の泉と楽園の流れ』
- ホセア書講解
- 1.序(ホセア書1:1)
- 2.ホセア書1章2-9節『ホセアの妻と子』
- 3.ホセア書2章1-3節『神の恩恵による救いへの転換』
- 4.ホセア書2章4-15節『イスラエルの背信』
- 5.ホセア書2章8-9,16-19節『神の愛の支配による宗教性の回復』
- 6.ホセア書2章20-22節『救いの時の新たな契約』
- 7.ホセア書2章23-25節『恵みによる転換』
- 8.ホセア書3章1-5節『神の愛による回復』
- 9.ホセア書4章1-3節『主の告発-悔い改めへの招き』
- 10.ホセア書4章4-10節『祭司に向け荒れた主の告発』
- 11.ホセア書4章11-15節『悟りのない民は滅びる』
- 12.ホセア書5章3-7節『淫行の霊』
- 13.ホセア書5章8-15節『離れ去る神』
- 14.ホセア書6章1-6節『わたしが喜ぶのは愛、神を知ること』
- 15.ホセア書6章7節-7章7節『神なき者の現実』
- 16.ホセア書7章8-16節『愚かな鳩ように』
- 17.ホセア書8章1-14節『イスラエルへの警告』
- 18.ホセア書9章1-6節『イスラエルよ、喜び祝うな』
- 19.ホセア書9章7-9節『預言者への憎しみ』
- 20.ホセア書9章10-14節『ホセアの祈り』
- 21.ホセア書10章1-8節『破壊されるイスラエルの罪』
- 22.ホセア書10章9-15節『欺きの実』
- 23.ホセア書11章1-11節『不変の神の愛』
- 24.ホセア書12章1-15節『立ち帰りを求める神』
- 25.ホセア書13章1-11節『すぐに消えうせる露』
- 26.ホセア書14章2-10節『真の神礼拝と悔い改めへの招き』
- アモス書講解
- 1.預言者アモスとその預言の特質、及びその時代
- 2.アモス書1:1-2『アモス書の主題』
- 3.アモス書1章3-8節『諸国民に対する審判』
- 4.アモス書2章6-16節『イスラエルに対する審判』
- 5.アモス書3:1-8『神の選びと預言の必然性』
- 6.アモス書3:9-15『サマリアの滅亡を告げる三つの預言』
- 7.アモス書4:1-5『サマリアの女』
- 8.アモス書4:6-13『わたしに帰れ』
- 9.アモス書5章1-3節『挽歌』
- 10.アモス書5章4-6節『主を求めよ、そして生きよ』
- 11.アモス書5章14-15節『善を求めよ』
- 12. アモス5章11-12,16-17節「貧しい者への圧迫」
- 13.アモス書5:18-20,6:9-10『主の日は闇であって、光ではない』
- 14.アモス5:21-27『正義を洪水のように流れさせ』
- 15.アモス6:1-3,13-14『空虚な喜びへのいましめ』
- 16.アモス6章4-8節『神のように振舞う傲慢』
- 17.アモス7:1-9『幻によるアモスの神体験』
- 18.アモス書8章1-3節『審きの確信』
- 19.アモス9:1-6『不可避な神の審き』
- 20.アモス書8:9-12『主の言葉を聞けぬ飢饉』
- 21.アモス書9章7-10節『神の歴史支配から見る信仰回復への道』
- 22.アモス書9章11-15節『後の日の回復』
- ヨナ書講解
- ハバクク書講解
- ゼファニヤ書講解
- マラキ書講解