サムエル記講解

11.サムエル記上10章17-27節『くじによる王の選出』

9:1-10:16には、サウルが油注がれて「民の指導者」(ナーギード)となった次第がかかれていました。この箇所では、彼が王(メレク)に選抜される次第が描かれています。しかし、このサウル王選抜の記事は9:1-10:16において述べられたことがまったく前提されていない書き方になっていて、8章22節前段の記事に直接続くように書かれています。8章の記事との関係で言えば、この箇所につなげる方が話しの展開の筋がよく通ります。だからといって、9:1-10:16に記事が真実でないと言うことはできません。サウルが王に選ばれるまでの物語伝承が複数に存在し、何れの伝承においてもサウル王を就任させることに神の意思が働き、サムエルが神の道具として彼を王に任職させている点でこの二つの伝承は一致しています。サウルに対する油注ぎは、密かに民もその指導者たちもいないところでなされました。場所もサムエルの住まいであるラマでありました。

しかし、ここでなされるくじによる王の選抜の出来事は、ミツパの聖所に「民」が呼び集められ公になされています。8章4節では、「イスラエルの長老は全員集まり、ラマのサムエルのもとに来て」王を求めていますが、ここでは長老たちだけが登場するのではなく、イスラエルのすべての部族を代表する民全員です。しかも民がサムエルのもとを押し寄せたのではなく、ミツパの聖所にサムエルが民を呼び集めています。17節の御言葉はそのことを、「主のもとに民を呼び集めた」と述べています。ここで召集された民は、文字通りイスラエルのすべての民ではなく、26節で「勇士」(ハーハイル)と呼ばれる「召集軍」を構成する人たちのことで、完全な市民権を持った人たちでありました。その人たちの中からくじで王を選抜することが行われたのであります。

サムエルは王の選抜に先だって、出エジプト時代から士師時代における主の恵みの業を回顧し、主が救い主として、あらゆる災難や苦難から救い出されたことを告げ、今、王を要求する民の行為は、いかに「救い主」に対する忘恩となるかを明らかにします。サムエルはこれによって、8章においてイスラエルの長老たちに告げたのと同じように、その民たちに向かっても、その事態の神学的な意味を今一度はっきりと自覚を促しているのです。「主のもとに」民全員を立たせて、今なされることの意味を確認し、それでもなおそれが神の意思でもあることを知らされているゆえに、サムエルはその意思に服しつつ、神の手として王の選抜を指導し執行するのです。サムエルは、民を「部族ごと、氏族ごとに主の御前に」(19節)出させました。

民が王を求めることに対する批判を繰り返しつつ、民のその希望を受け入れる主の意思が示され、それがくじの使用という形で表されるべきことをサムエルは明らかにします。

くじによる選抜は、旧約聖書においても新約聖書においても、信仰的・神学的な意味のあるものとして行われています。ヨシュア記7章16-18節においては、ほぼ同じ手続きによって、聖絶命令に反し、「滅ぼし尽くして(主に)ささげるべきものの一部を盗み取った」ために主の怒りに触れ、アイ攻撃に失敗し多くの犠牲者がイスラエルの陣営に生じさせた罪の張本人を選ぶくじがなされ、アカンの罪が明らかにされたことが報告されています。新約聖書においては、使徒言行録2章26節において、ユダに代わる使徒を選ぶのにくじでなされ、マティアが選ばれたことが報告されています。

ここでは、ヨシュア記7章16-18節の場合と同じく、大きい単位からはじめて、順次小さい単位へと絞り、最後に個人が特定される方式が取られ、その結果サウルが選び出されています。くじによる選抜が信仰的・神学的に意味のあるものとして聖書で承認されているということですが、くじによる方法が常に聖書的な方法であると自動的にいえるかどうかは慎重であるべきです。ヨシュアはその方法に先立ち、なぜそのような恐るべき悲しい出来事が起こったのか主に祈っています。使徒のくじによる選挙に先立っても、使徒たちはそれによって主の御心が表されるように祈りをささげています。ここにはそのような祈りがなされたという報告がありませんが、「主のもとに」(17節)、「主の御前に」(19節)という言葉が記されていますから、この選挙に先立ちサムエルによる何らかの祈りがなされたと見るのが自然です。大事なのは、くじという方法がとられるということが絶対なのではなく、祈りをもって主の御心が示されるのを、人間の意思の最も働きにくい方法として、くじという方法を選択して行った信仰的な判断です。そして、それによって表された結果を神の御心であると受け止める信仰を持つということです。

このくじによってサウルが選び出されます。こうしてくじによる選抜は、9章で描かれたサムエルへの啓示と10章での秘密裡に行われた油注ぎの真理性を裏付ける、奇跡的な確証という役割を果たしています。

くじによりサウルが選ばれたのですが、当の本人は見当たらず、人々は主におうかがいを立て、「荷物の間に隠れている」という主の言葉により、やっとサウルを見つけ出します。この話は読んでいて、9章のロバ捜しのように実にこっけいで、人間味あふれていて楽しくなります。「民の真ん中に立つと、民のだれよりも肩から上の分だけ背が高かった」(23節)といわれる大男のサウルが「荷物の間に隠れている」様子もこっけいですが、そんな大きなサウルがすぐに見つからないというのもこっけいです。

サムエルは、王を求める民の声には否定的な評価を示しましたが、サウルについては好印象をもっています。「民の真ん中に立つと、民のだれよりも肩から上の分だけ背が高かった」という23節の言葉は、9章2節の「美しい若者で、彼の美しさに及ぶ者はイスラエルにはだれもいなかった。民のだれよりも肩から上の分だけ背が高かった。」と合わせて、その身なりが「ほかのすべての国々」の王のように外見上の王になる立派さを備えていたことを示す人間的な評価が見られます。サムエルはこの評価をさらに超えて、「見るがいい、主が選ばれたこの人を。民のうちで彼に及ぶ者はいない。」という高い評価をもって、この歴史の中で新しく登場する王に好印象を示し、肯定的に評価しています。

サムエルの言葉を聞いた民は、全員、喜び叫んで「王様万歳。」といったと言われています。こうして王として承認され、文字通り王制は民のものとなり、公なものとなります。

王制という制度自体は、主に対して、特に、危急の際には常に最良の機会に最適の人物を遣わすという、これまで何度も繰り返し実証された主の能力に対して、不信の念を表明するものにほかなりません。しかし、他方において、今や主ご自身が王を与えることを承認するものであることを表しています。そして、王制への抵抗姿勢を最も強く表していたサムエルが個人的には最初の王の人物像に大きな好意を抱いて、イスラエルの王制の歴史は始まります。

そして、サムエルはここでも民の長老たちに話したように、「王の権能について話し、それを書き記して主の御前に納め」ました。サムエルによって文書化された「王の権能」が何であったか具体的に記されていませんのでわかりませんが、8章で民に警告したような要素ばかりではなく、申命記17章14節以下に詳しく記されている内容が含まれていたと思われます。こうして王を頂くに必要な内的外的条件が整ったところで、「すべての民をそれぞれの家に帰され」、サウルもギブアの自分の家に帰ります。

そして、「神に心動かされた勇士たちは、サウルにしたがった」といわれます。王国はそれを治める傑出した王が出現するだけでは長続きしません。その王に忠実に従い、王国のために仕える「勇士たち」がいてその王国は強力なものとなります。サウルに仕えるこのような勇士たちがいる一方で、彼に従おうとしない、「こんな男に我々が救えるか」といって王を侮るならず者もいたといわれています。王国の将来の暗い影の部分が既にこの始まりの時から見られます。この王制の始まりは、本来神が王として君臨されるその支配を喜ばない心によって求められるところから端を発しました。しかし、神はそれでも王制が始められることをよしとされました。神の下された決定に従い、神の御心を求めて祈り、実現した王制と、王をあなどることは、神の下された決定、神の御心を疑う罪となります。その罪に対して何も言わないサウルは、果たして正しい王なのか、この最後の言葉は大きな問いかけをしています。教会にも、牧師や長老、執事という職務が選挙を通して選ばれ、それぞれの人がその職務について行きます。それに就く者だけが主の召命を感じていればよいというのではありません。その者を選ぶことに関わった者は、自分は必ずしもそれを好まなかったからといってその者を軽んずるならば、その者の上にくだされた主の決定を否定することになります。一度くだされた主の御心に従う信仰を大切にするところから、信仰の共同体は強い一致を獲得することができます。この信仰をわたしたちの教会が強くもっていきたいものです。

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