サムエル記講解

5.サムエル記上4章1b-22節『神の箱の喪失-偶像化された信仰の挫折』

サムエル記上1-3章は、サムエルに関する物語が中心となって展開されていましたが、4-7章には、サムエルの名さえ記されず、その物語は中断しています。代わって、物語りの中心になっているのは、『神の箱』です。そして、突然、ペリシテ人との戦いが何の前触れもなく描かれています。

イスラエルが出エジプトを果たし、カナンにやってくるのは、紀元前1250年頃です。それとほぼ同じ時期に少し遅れてペリシテ人もカナンにやってきます。ペリシテ人はセム系民族に属さない海洋民族で、おそらく、クレタ島からやってきた人々であろうといわれています。彼らは、カナンの海沿いの平地で、中・南部に位置する五つの町、アシュドド、アシュケロン、エクロン、ガト、ガザに住んでいました。エジプトからやってきたイスラエルは、カナンの山岳地帯に定着し、ペリシテ人は平野部に定着し、互いに、その支配地域を平地から高地へ、高地から平地へと拡大しようとしていたライバル同士の関係にありました。ギリシャ語のフィリスティア、ラテン語のパレスチナは、ローマ人が紀元2世紀にこの地方全体を指す名称として用いて以来、この地の名称となりますが、いずれにせよ今日のパレスチナ問題の根は、ここから始まっているわけです。

ペリシテ人は二頭立ての戦車を操り、平地戦を得意としていました。ペリシテ人の陣営が敷かれたアフェクは、丘陵地域の入り口で、彼らの得意とする戦術を用いるのに有利な土地でありました。一方、イスラエルが陣を敷いたエベン・エゼルの地理上の位置は不明ですが、神の箱が運ばれたイスラエルが上げた歓声がペリシテの陣営まで聞こえたといいますから(6節)、アフェクに人の歓声が届くほど、ごく近い距離にあったと思われます。

このイスラエルとペリシテとの戦いは二つの局面に分かれて展開しました。最初の戦いはイスラエルにとって不幸な敗北に終わり、その損害も甚大でありましたが、全面的な敗北というところまでには至っていませんでした。

イスラエルの長老たちは、その敗因を反省し分析しました。彼らはその原因を宗教的なところに求め、主なる神の顧みがなかったこと、その臨在を得れなかったことに最大の原因があると考えました。そして、得られた結論は、「主の契約の箱をシロから我々のもとに運んで来よう。そうすれば、主が我々のただ中に来て、敵の手から救ってくださるだろう。」(3節)というものでありました。早速、「主の契約の箱」があるシロに兵士たちが遣わされ、『神の箱』が担いで運びこまれました。エリの二人の息子ホフニとピネハスも一緒にやってきました。

『神の箱』は、出エジプト記25章21-22節によると、その蓋には贖いの座があり、ケルビムが向かい合い、その箱の中には主の掟の板が収められ、贖いの座の上から主がイスラエルの人々に命じることをことごとく告げるといわれる、まさに主の臨在を証するものでありました。イスラエルはこれによって、勝利へ導く主の臨在と啓示の言葉をいただけると確信し、歓声を上げました。神の箱は、4節で「万軍の主の契約の箱」と呼ばれています。ヤーウェは天の軍勢を指揮する『万軍の神』として、戦いを勝利に導かれる方として、イスラエルはその勝利を疑わなかったのでありました。

一方、イスラエルの陣営の歓声を聞いた、「ペリシテ軍は、神がイスラエル軍の陣営に来たと言い合い、恐れ」、「エジプトを撃った神」が自分たちも同じように打つかも知れないと非常な危機意識を持ちましたが、「ペリシテ人よ、雄々しく男らしくあれ。さもなければ、ヘブライ人があなたたちに仕えていたように、あなたたちが彼らに仕えることになる。男らしく彼らと戦え」(9節)といって、一層の結束を固め、先の勝利におごらず全力を尽くして戦い、先の戦いをしのぐ大勝利、決定的な勝利を収めました。

イスラエルを導いてこられた主なる神の臨在を証する『神の箱』がイスラエルの陣営に持ち込まれたにもかかわらず、結果は大敗北に終わりました。先の戦いの敗因を、主の臨在が得られず負けたと分析し、万全の対策を持って、主の臨在を証する「神の箱」をシロから運び込み、祭司のホフニとピネハスまでやってきたのに、戦いは完敗に終わります。戦いに敗れただけでなく、戦場に持ち込まれた「神の箱」は敵に奪われ、祭司のホフニとピネハスも戦死します。「あの強力な神の手から我々を救える者があろうか」と恐れたペリシテ人が勝利し、この戦争を聖戦と位置付けて、神の手を用いて勝利に導こうとしたイスラエルが完敗することになるのは、実に皮肉です。

この敗戦の知らせをシロに告げる使者がベニヤミン族の中から選ばれ遣わされました。アフェクからシロまで34キロあり、シロの町は標高800メートルの山の上にありました。上りの山道を34キロ、一日で着くように走ることは実に大変なことでありましたが、使者はこの困難な務めを果たしました。イスラエルの伝承では、この人物は後にイスラエルの王となるサウルであったと伝えていますが、事実はわかりません。

衣を裂き、頭に灰をかぶるのは(12節)嘆きや悲しみの表現でありました。この敗戦を告げる使者が到着した時、エリは道の傍らに設けた席に座り、戦場に運び出された「神の箱を気遣って目を凝らしていた」(13節)といわれます。しかし、15節では、98歳になるエリの目は何も見ることができなかったといわれています。実際には見ることができなくなった目ではありましたが、エリは目を凝らし、神の箱の存在を気遣う姿に、主の祭司として最後までその務めに忠実であろうとしたエリの信仰を垣間見ることができます。しかし、エリの耳はよく聞こえました。彼は、使者のもたらした不幸な知らせに悲しみの叫びを上げる声を聞きました。そして、「この騒々しい声は何だ」と尋ねました。使者はエリに、イスラエル軍の敗北、二人の息子の死、神の箱が奪われたことを告げました。

エリは、イスラエル軍の大敗の事実にも、二人の息子の知らせにも、大して驚きもせず、静かに聞いていました。しかし、「その男の報告が神の箱のことに及ぶと」(18節)、エリの顔は青ざめ、全身から血の気が引くようにして、「城門のそばの彼の席からあおむけに落ち、首を折って死んだ」のでしょう。エリの死の原因は、イスラエル軍の敗北でも、二人の息子の死でもなく、神の箱が奪われたという報告を聞いたことです。エリは、既にサムエルの口を通して自分の家に加えられる主の災いを受け入れる信仰の用意ができていましたので、息子の死について少しも動揺することはありませんでした。しかし、神の箱が奪われることは、イスラエルに神の臨在を告げるものを失うからです。

エリは、神の箱が奪われたと聞いて死んだことは、イスラエルの運命を象徴することになります。イスラエルに主の臨在を証する『神の箱』(聖所)が失われたことは、民が一丸となって神を礼拝する場所、施設を失ったということを意味し、エリの死により、礼拝をとりなす祭司も、国を裁く指導者もいなくなったということを示していました。この出来事は、前587年の王国の滅亡とバビロン捕囚に匹敵する破局を意味していました。礼拝すべき中央聖所と指導的な人物とが同時に失われてしまうという事態が生じたからです。

この章には、「神の箱が奪われた」という表現が5回記され、エジプトの奴隷生活以来の、かつてないどん底の状態が強調されています。

しかし、それにしても、イスラエルの長老たちは、最初の敗北の原因を、神の顧みのなさ、不在にあると正しく分析していたのに、その臨在を求める神の箱の戦場への持ち出しも、祭司たちの同伴も、それを補償し勝利へ導くことがなかったという問題は、イスラエルの信仰にとって新たな問題を提起するものとなります。イスラエルに、もはや神は臨在を表されることはないのか。イスラエルは完全に神に見放された存在となったのか。それとも、イスラエルの敗北は、敵の目に無力と証明されたのでしょうか。最後の問題は、そうでないことが次の章で明らかにされますが、この敗北は、少なくとも次の二つのことを明らかにしています。

第一に、イスラエルが神の臨在を証する神の箱を持ち出し、祭司を同伴させても戦いに勝利できなかったのは、神の不在や無力にあるのではなく、イスラエル自体が神の直接的な現臨を受けるに値しないものになりさがっていたので、神の助けは与えられなかったということです。その事実を詩編78篇59-64節が明らかにしています。

第二に、神の箱が超自然的な物体として、イスラエルに勝利を保証するという誤った信仰、その偶像化が拒否されています。主は、決して神の箱に拘束されているのでも、神の箱を勝手に持ち出したイスラエルに仕える存在でもありません。主は、ご自身の臨在の象徴に関わりなく、歴史を形成することができる方であり、実際歴史を形成される方です。それゆえ、イスラエルは主の啓示の場所が姿を消しても、主の御前にいるということを知るべきなのであります。

出産間近にあったエリの嫁は、神の箱が奪われ、しゅうとも夫も死んだという知らせを聞き、早産しました。付き添いの女たちが、男の子が生まれたと告げても、彼女は何の喜びの反応も示さず、その子の名をイカボド(「栄光は去った」の意)と名づけます。彼女もまたエリと同じく神の箱が奪われたことに、イスラエルの栄光の喪失(そうしつ)を見ています。しかし、イスラエルの栄光が失われたのは、間違った神の臨在を求める信仰のゆえでありました。主は悔いし砕けし心からの御言葉に聞き従う信仰(サムエル上15:22)を期待し、霊と真理とをもって何処においても礼拝する道を用意されます。そこに主の栄光が真実な姿で表されます。

旧約聖書講解