詩編講解

42.詩編84篇『主の庭で過ごす喜び』

詩編84篇を歌った詩人は、都エルサレムから遠く離れた異国の地で、見知らぬ人の間に住み、孤独な生活を強いられる中で、敬虔な信仰に生きた人であります。この詩人が敬虔であるというのは、人生において神を知ること、神に自分が知られていること、そのような関係のなかで神の住まわれる庭にまかり出て、神を礼拝し、神の懐の中で憩う、それこそが人生の最大の喜びであり、何ものにも代えることのできない最高の喜びであると考えて生きているからです。しかも彼は、みんな自分のように生きてほしいし、生きているだろうと考えている人でありました。だから主の庭に詣でている人たちは、本当に幸いな時を過ごしているし、主の庭は、そういう人に愛され、にぎわっている、という理解が彼の信仰でありました。

彼はこのような敬慕のもとに、毎日、異国の地から、ふるさとの神殿にもうでて、同胞の民と共に力の限り神を礼拝したいと祈りながら生きていました。

そのような主の庭に対する強い憧れを抱いていた彼は、ついに神の庭に立つことを許され、神殿を見て、「万軍の主よ、あなたのいますところは/どれほど愛されていることでしょう。」(2節)と叫ぶ幸いを与えられました。

この叫びは、想像していた以上に神殿が立派だったからではありません。慕いつづけて今やっと主の宮に立ち、主の民と共に礼拝できる幸いを、神の手から贈り物として受け取られた喜びの叫びであります。

人は孤独と苦しみの中で生き抜く力をどこから得るでしょう。戦場の兵士は、家族の写真を肌身はなさず、生きて帰れたなら、思いっきり妻や子供を抱きしめたいと夢見て、その苦しみに耐えることでしょう。人はその苦しみの中で、大切に思う家族、恋人を持つことによって、大いに耐える力を与えられるのであります。

わたしたちの神は、罪を犯して恥じて恐れを抱いているアダムに「どこにいる」と呼びかける、罪深き者をも覚えてくださるお方であります。放蕩息子のように自分勝手な生き方をしている人間にも、毎日通りを眺めてその帰りを待ち、見つけたなら走りよって抱きかかえて、すべてを赦して迎え入れてくださる神であられます。ましてやこの詩人のように、ご自分を慕い求める人間を決して軽んじられません。彼にはそのことが判っていたのであります。彼は、主なる神が手を広げて待っていてくださる神の宮にはいることを待ち焦がれて、その苦しみを絶えて生きていたのであります。

3節の「主の庭を慕って、わたしの魂は絶え入りそうです」は、直訳すると、「わたし自身は、主の神殿の庭をあこがれ、思い焦がれます」となります。恋人に会いに行くように、身も細るほど恋焦がれる思いで、彼は主の宮にやってきたのであります。主の庭に来るまでの道中は、けっして安全で楽であったのではありません。彼の苦労を暗示させる言葉が7節にあります。

嘆きの谷を通るときも、そこを泉とするでしょう。
雨も降り、祝福で覆ってくれるでしょう。

「嘆きの谷」と訳されているところは、前の口語約聖書では「涙の谷」となっています。ここのヘブル語は「バカ」となっています。「バカ」をユダヤ人は「バーハー」と発音します。それは植物、木の名で、乾燥した荒地に生える木だといわれます。乾燥して涸れ床となっている谷にわずかのバーハーがある所は、荒れ果てたごろごろとした不毛の岩地であります。まさに旅人にとってそのようなところは、「涙の谷」であり、「嘆きの谷」であります。あるいは詩篇23編に歌われるような、「死の影の谷」を行くようなものであります。

詩人の主の庭を目指しての旅は、そのような危険な旅でありました。そして、彼の人生を象徴するようなものであったかもしれません。人生は、病気や多くの苦しみと立ち向かいながら、「嘆きの谷」「涙の谷」をいくつも越えていかねばならない旅です。

しかし、詩人は、「嘆きの谷を通るときも、そこを泉とするでしょう。雨も降り、祝福で覆ってくれるでしょう。」と歌っています。そこにたとえ一滴の水も見出せないような状況があったとしても、「そこを泉とするでしょう」というのです。自分の人生が神に向う歩みとなっているからであります。もう少し我慢すれば、神殿に詣でて、主の庭でその飢え渇きを完全に癒してくれる神の言葉が与えられ、神と交わることができる、という希望に支えられているからであります。

その希望に生きる彼は、「雨も降り、祝福で覆ってくれる」という神の恵みを確信しています。からからに体も心も渇きを覚えている人間の全存在を癒す神の恵みの雨が降り注ぎ、神の祝福で包まれる歩みが、「涙の谷」においても可能となるというのです。だから彼は、「いかに幸いなことでしょう/あなたによって勇気を出し/心に広い道を見ている人は。」(6節)とも語っているのであります。

「心に広い道」とは、神を仰ぎ見て生きる人生の歩みのことであります。神の栄光と偉大な救いの力、奇跡を信じている人の歩みは、幸いであるというのです。どんな望みなきときにも、主によって勇気を出す人の歩みは必ず幸いに導かれます。

目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。
わたしの助けはどこから来るのか。
わたしの助けは来る
天地を造られた主のもとから。(詩篇121:1-2)

詩篇121篇の詩人と同じ信仰に立って、この詩人は、8節で「彼らはいよいよ力を増して進み/ついに、シオンで神にまみえるでしょう。」と歌っているのであります。

主の庭をしたう彼の心がいかに大きいかを示す言葉が、4-5節に記されています。

あなたの祭壇に、鳥は住みかを作り
つばめは巣をかけて、雛を置いています。(4節)

神殿の祭壇に鳥が巣を作っているといえば、わたしたちは、神殿が誰にも顧みられずに荒廃している姿を想像しそうですが、この詩人が歌っているのはそういう光景ではありません。

いかに幸いなことでしょう
あなたの家に住むことができるなら
まして、あなたを賛美することができるなら。(5節)

彼はこのように歌っていますので、主の庭を自分の住まいにしているのが、人であれ、鳥であれ、それほど素晴らしい生き方はないと羨んでいるのです。鳥でさえ主の庭に住めるのに、どうしてこの私がそこに住めないのだろうと残念でたまらないのです。

この詩人は無名の一信徒であります。それゆえ、彼が神殿で入ることが許されたのは、中庭までです。その奥の聖所にまではいることは許されませんでした。しかし、それでも庭にはいることがどれほど大きな喜びであるか、彼は11節で、「あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです。」と歌っています。岩波書店から出ている詩篇のここの翻訳は、「まことにあなたの庭にある一日は、私が選んだ千日よりも善く」となっています。

人生になくてならない大切な時というのがあります。その決定的な時に出会うことによって人生がまったく変わることがあります。よい人生を生きたいと願い、自分で生き方を選んで生きる賢い人がいます。この詩人も同じような努力をしていたのでしょう。しかし、詩人は、「まことにあなたの庭にある一日は、私が選んだ千日よりも善い」と断言しています。どんなに注意し、準備した千日の歩みがあったとしても、神の庭で過ごす一日のほうが善い、というのです。そこで得られる平安、喜びは、わたしという人間の千日分の努力を費やしても及ばない確かさと安らぎを与えてくれるものであるからであります。人間は努力して多くの富を得ることができます。楽な生活もできます。多くの趣味を持って、教養も豊かにすることもできます。しかし、本当にそれで平安であるかというと、このまま死ねるかという最後の不安を消すことができません。そんな心の苦しみを思いきりぶつけ、神に向い、神に祈りを聞いてもらい、神から賜る本当の命の意味を知り、生きることができないと人間は平安ではいられません。神がこのわたしの生と死をどのように取り扱ってくださるか、そのことを神の庭に行って聞く、そういう大事な一日が週の初めにある一週間は幸いであります。そういう決定的な出会いがあって残りの人生が恐れなく、喜びのなかで過ごせるのではないでしょうか。

詩人は、「万軍の神、主よ、わたしの祈りを聞いてください。ヤコブの神よ、耳を傾けてください。」(9節)と真剣に主の庭で神に祈っています。彼は主に信頼しているから、何の悩みもない人生を過ごしていたわけではありません。人より多く感じる心を持つ人は、人より多く悩みを持つとよく言われます。彼もそのような人間だったのでしょう。けれども彼は、思いの丈をぶつけて聞いてもらえる神を知っていました。そして、彼はその神を太陽とし、盾として、自分の歩みを守ってくれる方と信じて歩んでいました。彼はこの信仰を持っていたから、主の庭で過ごす一日をどの日より大切にしたのであります。どの日よりも恵みに感じていたのであります。

詩編42篇の詩人は、2、3節で以下のように歌っています。

涸れた谷に鹿が水を求めるように
神よ、わたしの魂はあなたを求める。
神に、命の神に、わたしの魂は渇く。
いつ御前に出て
神の御顔を仰ぐことができるのか。

わたしたちは、神の庭に行き、神を礼拝し、神の言葉の恵みの雨を降り注いでいただくのでなければ、本当に癒され元気でいられません。いま心の砂漠化ということがよくいわれます。自分の苦しみを聞いてもらえる人をもてずに苦しんでいる人がいます。しかし、神の庭に行き、神に向い、神に祈り、神の声に聞く一日を知る人は、砂漠のようなところでも、そこを泉とすることができます。この日を覚えながら、ほかの日も生きることができます。教会というのはそういう素晴らしい神の庭であります。

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