哀歌講解

2.哀歌2章『主よ目を留めてください』

この第二の歌も第一の歌同様ヘブル語のアルファベットいろは歌の形式で書かれています。そして、第一の歌と同じく587年のエルサレムとユダの大破局に対する嘆きの歌の形式が取られています。この歌は大きく三つの部分に分けることができます。第一は、1-12節までで、詩人はエルサレムとユダに対するヤーウェの怒りの壊滅的な打撃について報告しています。第二は、13-19節で、詩人は祈りへの勧めに終る弔慰をもって娘エルサレムに向かい、破局の真の背景を探求しています。第三は、20-22節で、娘シオンのヤーウェに向けた嘆きが歌われています。

 

1.御自分の民に対するヤーウェの殲滅行為(1-12節)

1節において、「主は憤り…イスラエルの輝きを天から地になげうち」と、詩人は、587年の大破局を、主の審判、天からの墜落として描写します。ユダ王国の滅亡、都エルサレムの破壊、神殿の徹底的破壊、そして、バビロン捕囚という出来事を、神の怒りの審判、天からの怒りの啓示として、その宗教的な意味を語っています。

エルサレム神殿は、神の啓示の場所として、いわば天的な神の都の地上的な似姿として、特別な意味を与えられていました。エルサレムはユダ王国のあらゆる生活の中心としての役割を担い、その統合を図っていたのはこの町にある神殿でした。神殿はヤーウェの天的世界と人間の地上的世界とが接触する出会いの場所でした。だから人は、神の地上的宮殿たる神殿が、天上の宮殿を代表していると想像することができました。人々は神殿を「主の足台」と呼んでいました。神が天上を御住いとし、天の宮殿の玉座につき、地上の神殿をその足代とされている姿を想像して、人はエルサレムの神殿を「主の足台」と呼んだのです。この神殿に対する民の理解を背景にして、はじめて、587年のエルサレムの崩壊と神殿の崩壊が、生き残った人々にとって何を意味していたかが明らかとなります。ダビデの血筋を引くユダ王国と「主の足台」であるエルサレム神殿は、永遠に存続するという信仰が民の間にありました(サムエル下7:13~15参照)。特に神殿は神がその特別な愛を表し、ご自身を啓示される場所であるその特別な重要性に鑑みて、必ず守ってくださるであろうと信じられていました。

それゆえ、エルサレムと神殿が崩壊は、生き残った人々にとって、単なる政治的な破局ではなくて、彼らの存在の深みを揺り動かす宗教的破局を意味していました。しかしそれが、彼らの神ヤーウェが他の国の神々よりも無力であるゆえの破局なのか、彼ら自身の信仰の破局なのかが問題でありました。もしヤーウェ自身の破局でないとするなら、その破局の意味は何かを徹底的に問わねばなりません。

詩人は「主は憤り…天から地になげうち…見放された」と歌っています。詩人は、崩壊の中に主の審判を、しかも御自分の民に向けられる物凄い主の怒りを燃やされる姿を認めています。なぜ主の怒りがそれほど激しく燃やされ下されたのか、その原因を詩人は未だ語りません。

2節では国土の荒廃と王国の滅亡の姿、支配者たちの運命の悲惨さを語っています。支配者たちが宗教的尊厳を奪われ、異国に連れ去られる不名誉が9節に報告されています。3節では砕かれた角の比喩で、王国の力の完全な失墜が語られ、国土が敵の手にわたる時、主の右の御手が翻されたと語り、国土の破壊は、主の責任において行われたことを語ります。敵の背後にあって歴史を支配し、最高司令官として主が立っておられ、敵となって弓を引くのは主であると4節で報告されています。ユダ王国の最後の戦いにおいて、主はその困窮の中の救助者ではなく、御自分の民の敵として振る舞っておられます。では、実際的にも究極的にも、主は敵になってしまったのかという問題には、詩人はここでは未決のままにしております。ヤーウェは最終的には生き残った者の唯一の砦であり希望であり続けるという祈りの余地を残しておくためです。

6-7節において、シオンの山と神殿の運命に詩人は思いをはせています。主は安息日を守り、祭りを祝うことを命じたご自身の戒めとは正反対に、町の征服とそれに続く神殿の破壊によって、安息日も祭りをも終らせてしまったと嘆き歌います。油注がれた王と祭司は、神の代理人として最高の宗教的栄誉を担う人々でありましたが、彼らも棄てられ、ついにこの国は、主と民を執り成す仲保者を断たれた民だけとなりました。祭壇と聖所の破壊は、神と民との間の関係が徹底的に断絶されたことを意味していました。かつて主を礼拝する民でにぎわった神殿には、祭りの歓声の代わりに、征服者たちの冒涜的な喚声が「祭りの日のように」響き渡っていました。詩人にとってそれは、身震いのする寂しさを押さえ切れないものでありました。しかし、彼はそれ以上語ろうとしません。どうして神がそれを許したのかという彼の問いは、今やその答えを要求します。しかし、詩人はまだ、一見無秩序と思える暴行の背後に主の計画的な行動があったことを確かめるだけにとどめています。主が滅ぼそうと定め、「測り縄ではかり」と、それが神の計画の中でなされたことを語るだけです。その計画が、神の言葉、神の約束との関係で遂行されたと明かすのは17節においてです。

9節において、城門が破られ、王と役人たちが捕囚として異国に強制連行され、宗教的、道徳的指導者であった祭司たちは、生き延びて強制連行を免れたとしても、聖所が汚され祭儀行為が不能となっていました。そして、そこに残った残留預言者たちは、もはや主の啓示を受けることはありませんでした。エルサレムには政治的・霊的指導は完全に消えうせ、神が沈黙されたのです。エルサレムの生き残りの民にできることは、もはや喪服を着て塵の中に伏して嘆くことだけでありました。10節に打ちのめされた町、エルサレムの嘆きが歌われています。

真の魂の看取り手は、自らが慰めをもって助けようとする人々の上に立つことはありません。その人々と並んで立ちます。苦しむ者たちとの連帯の中からくる言葉だけが、あまりにも大きな痛みの重荷の下で他の人々と切り離されていることを知っている人々の心を、捉えることができるということを知っているからです。それゆえ詩人は11節で、「わたしの目は涙にかすみ、胸は裂ける。…わたしのはらわたは溶けて地に流れる」とその悲しみの体験を語ります。この破局のすさまじさ悲惨さの極致は、幼子と乳飲み子たちの運命において反映されています。食べるものがなく、おっぱいのでない母の胸に抱かれて息絶えていく幼子の姿はあまりにも悲惨です。しかし、それよりももっと嘆かわしい悲惨な出来事を、詩人は20節において報告しています。

 

2.破局の真の背景(13-19節)

ここで詩人は、その子供たちの死を悲しむ母親のように、エルサレムの町に向かって、弔慰の言葉をもって、破局の原因を語ります。詩人は、敵によってもたらされた恐るべき荒廃は、民に向けられた神の怒りの業であると語ってきました。しかも主が無秩序に怒り狂ったのではなく、計画に基づいて行動したことを語ってきました。

今や14節において、その罪責が明らかにされます。民は、主の前における自分たちの状況を、預言者によって正しく認識すべきであったのに、彼らによって欺かれたことを明らかにします。預言者は民の罪を明らかにし、契約を破る者に明らかにされた主の審きの計画を回避するために悔い改めるよう主の審きを告げず、民に偽りの安心を与えてしまい、迷わせることばかり行なったと、その罪を告発しています。

この告発を理解するために、エレミヤ書28-29章においてなされている偽りの平安を語る預言者ハナンヤとエレミヤの論争を思い起こす必要があります。また、エゼキエル書13章10-14節において、平和を語る偽預言者たちは、壁の裂け目に漆喰を塗って蔽い、中でその裂け目がもっとひどくなるのを気づかせないようにしてしまい、ついには驚くべき城壁の崩壊をもたらすような仕事をする石工にたとえて語られていますが、それをも想起させる詩人の言葉です。

16節には、勝利した敵たちのエルサレムに対する軽蔑の言葉が記されています。しかし、主の審判の道具でしかない敵たちが歌う凱歌は、その勝利を与えた神の栄光と如何に調和するのかという疑問を抱かせます。彼らのおごり高ぶりは、苦しむ者たちのためになされる神の介入のきっかけを作るような、嘆きを導く用意をしています。

そして、17節において、詩人は、「主は計画したことを実現し、約束されたことを果たされる方。昔、命じておかれたことのゆえに あなたがたを破壊し、容赦されなかった」と告知することによって、主が587年の大破局の行為をずっと以前から告知していたことを明らかにします。そうであるなら、歴史とイスラエルの敵たちに対して持つ主の永遠の権力と、偽預言者による偽りの救いと平安の言葉にもかかわらず、真実を語る預言者の言葉に耳を傾けなかった民の罪の責任も明らかになります。

こうして主は、その破局を越えてなお御自身が民にとって希望であり続けることを明らかにされます。だから詩人は18-19節において、シオンの娘たちに罪によってもたらされた悲惨を心から嘆き、主に対して絶えざる祈りを捧げよと促がします。

 

3.大いなる刑罰に対する嘆き(20-22節)

20節において、詩人は「主よ目を留めてよく見てください」と祈ります。娘シオンの悲惨の原因が自らの罪にあり、異国の敵がその罪を裁く主の手として用いられたことを当然のこととしてその審きを受け入れることができました。しかし、「これほど懲らしめられた者がありましょうか」という訴えは、もはやその審きが主の正義に反するのではないかという、主の審きを手控えるようにという祈りとなっています。

エルサレムの惨状は、飢えで母の胸に死ぬ乳飲み子の姿(12節)よりも、もっと目を蔽いたくなるものとなりました。長引く戦争で包囲されたエルサレムには食べるものが尽き、母親はついに自分のお腹を痛めて生んだ子を鍋に煮て食べるということさえ行うようになりました。自分が産んで育てた子を食べてもよいのか、そんなことが許されてよいのか、せっぱ詰まった抗議がここに行われています。征服者は祭司や預言者を主の聖所で殺している、そんな残虐行為がなされる現実が、主の正義としての審きの実としてふさわしいものであるかという、彼の問いかけには、この現実を転換する者はヤーウェしかないという揺るぎ無い信仰があります。主はその民イスラエルの罪を老若男女の別なく、徹底的に裁きました。その死において、悔い改めない民の罪に対する激しい主の怒りが徹底的に表され尽くしました。

しかし、詩人はこの詩を、主への祈りの言葉で終らせず、「わたしが養い育てた子らは、ことごとく敵に滅ぼされました」という、敵たちによって滅ぼされた子供たちに対する母親の哀悼歌で終らせています。この嘆きに主の答えは見出せません。しかし、この哀歌の中に、主を求める悔い改めの信仰が見られます。そこには、主の計画に服し、約束を果たされる主を信じ、主に向かう信仰の回復の姿があります。その信仰に今は主の答えがなくても、主による回復を期待する一条の光を見ることができます。主はイスラエルの罪を裁くのに長い忍耐をされました。今は主の憐れみが注がれるのを待つ信仰の忍耐を学ぶ必要を、主は答えないことにおいて示されます。答えがないのではなく、遅延されている主の答えを、待ち望むことがイスラエルのイスラエルたる所以です。ヤコブはヤボクの渡しで主の使いと、「祝福してくださるまで離しません」といって格闘して、イスラエルという名を与えられました。主イエスも、カナンの女にその信仰を見ました。その信仰に神による転換が与えられます。

旧約聖書講解