列王記講解

29.列王記下17:1-41『サマリアの陥落とその原因の神学的歴史回顧』

本章は、1-6節において、北王国最後の王となるホシェア(在位前731-723年)の治世と彼の治世に起こったサマリアの陥落について語り、7-23節において、北王国滅亡の原因の神学的歴史的回顧を行い、24節以下にアッシリアによる強制移住策と宗教的昆淆について語っています。

北王国最後の王となるホシェアは、「主の目に悪とされることを行ったが、彼以前のイスラエルの王たちほどではなかった。」(2節)という評価を与えられていますが、その理由は述べられていませんので、どの点で彼以前の王よりましであったのかはわかりません。彼が「九年間王位にあった」ことは、彼以前の五人の王の治世が最長で3年であったことを考えると、それら前任者たちに比べると強い王であったと考えられます。ホシェアは、ティグラトピレセルの存命中は一応忠臣らしく振舞っていましたが、大王が死ぬとホシェアは前724年に「エジプトの王ソ」と結んでアッシリアへの貢物を中止し、アッシリアからの独立を企てたといわれていますが(3-4節)、ソなる名の王はエジプトに存在しませんので、ソは王名ではなく、第24王朝の首都サイスのことであると考えられます。だとすればホシェアと結んだエジプトの王はテフナクトであったと考えられます。この時代を生きた王と同名の預言者ホセアは、エジプトの同盟について「エフライムは鳩のようだ。愚かで、悟りがない。エジプトに助けを求め/あるいは、アッシリアに頼って行く。」(ホセア7:11)と言及しています。ホシェア王が期待したようにエジプト王は実効性のある援助を行いませんでした。このホシェアの反抗に対し、シャルマナセル五世(在位前727-722年)は直ちに行動を開始し、イスラエルを撃ち、ホシェアを捕らえてアッシリアに送り、サマリアを包囲しました(前724-722年)。サマリアは3年間にわたって抵抗を続けますが、前722年乃至721年に陥落します。列王記にはこれらはシャルマナセルの時のこととして記されていますが、実際には彼の後を継いだサルゴン二世によって征服され、アッシリアの属州とされました。「イスラエル人」がアッシリアに捕囚として連れ去られたとありますが(6節)、実際に捕囚にされたのは、指導者層に限られ、彼らはメソポタミアとメディア方面に移されました。

サルゴンは、このことについて彼の年代記に次のように記しています。

「朕は、朕の治世の初め、その第一年にサマリアを包囲し、これを征服した。またそこに住んでいた、27,290名の人々を連れ去った。そして50台の戦車を朕の王国の戦車として没収した。…朕は朕の役人を総督として彼らの上に置き、彼らにアッシリア人と同様の租税と貢を課した。」

こうして北イスラエル王国は、その王国が成立して丁度200年経って、歴史の舞台から消滅することになりました。

アッシリアによって破壊されたサマリアの町には貧しい無産の民が多く残りました。サルゴン二世はティグラトピレセル三世以来の徹底した被征服民に対する交換政策をサマリアに適用しました。指導者層のアッシリアへの捕囚に続き、サマリアに異民族を入植させ(5-6節、24節)、強制的昆淆化を実行しました。強制移住された異民族とサマリア人の強制結婚によって、イスラエルの民族性の血縁的同一性を解体し、アッシリアの支配に対する抵抗の芽を完全に摘み取ろうとしました。この政策によって、イスラエルは神の民としてのアイデアンティティ(自己同一性)を失い、北王国を構成していた10部族は、その後「失われた10部族」と呼ばれるようになり、以後、サマリア人たちは、主なるヤハウエを非イスラエル人が持ち込んできた異教の神々と並べて崇拝する宗教的昆淆的祭儀を作り上げたとされています(24-41節)。

7-23節はこの王国の悲惨な結末についての原因を明らかにし、読者にその罪を犯すことのないように警告し、悔い改めへの勧告と希望を明らかにしています。

ドイツのマルチン・ノートという学者は、ヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記の四書を「申命記的歴史書」と呼びましたが、申命記史家は、王国滅亡後のパレスチナにおいてこれらの書を著したとしています。申命記史家は、申命記(申命記4:44-30:20)を史書全体のモットーとして捉え、この申命記の思想と精神とに従って歴史記述を行っているとしています。申命記史家がその史書を著した意図は、南北両王国の滅亡と捕囚という破局の到来の意味を解明し、それが決してイスラエルの神ヤハウエの無力さや敗北を示すものではなく、むしろこの神の歴史における力と義の貫徹とを表すものであることを示すことにあったとしています。このため一方で史家は、冒頭にモーセの演説と申命記(法)を置くことによって、約束の地の所有が律法への服従に条件付けられたものであることを示し、他方で歴史を通じて行われた民の度重なる契約違反と罪を示すことによって、国家滅亡と捕囚という破局が必然的かつ正当な罰として下されたことを明らかにした、といいます。

この観点に立てば、7-23節はまさに申命記史家による偉大な説教であると言うことができます。なぜならこの説教の中に、神とイスラエルに関する申命記史家の教えの主要点が明確に主張されているからです。

「こうなったのは、イスラエルの人々が、彼らをエジプトの地から導き上り、エジプトの王ファラオの支配から解放した彼らの神、主に対して罪を犯し、他の神々を畏れ敬い、主がイスラエルの人々の前から追い払われた諸国の民の風習と、イスラエルの王たちが作った風習に従って歩んだからである。」(7-8節)

こう述べて、神がイスラエル王国の滅亡を許されたのは、神が彼らと結ばれた契約の義務を、彼らが重んじなかったことにあることを明らかにしています。だが、神はイスラエルを愛しておられました。神の愛が契約の根拠でした。神はイスラエルの堕落を長く耐え忍ばれ、彼らがその道を悔い改めるためのあらゆる機会を与えられました。しかし結局、イスラエルが明らかにしたことは、彼らは自分たちの罪にあまりにも慣れてしまっていたので、国の崩壊が悪の道を終わらせる唯一の道である、と言うことです。

神はイスラエルをこの罪から離れて悔い改めるよう導き、主の義に生きさせようと預言者を立て(エリヤ、エリシャ、アモス、ホセアたち)、しばしば警告を与え、主の律法の道を示されましたが、「しかし彼らは聞き従うことなく、自分たちの神、主を信じようとしなかった先祖たちと同じように、かたくなであった。彼らは主の掟と、主が先祖たちと結ばれた契約と、彼らに与えられた定めを拒み、空しいものの後を追って自らも空しくなり、主が同じようにふるまってはならないと命じられたのに、その周囲の諸国の民に倣って歩んだ。」(14-15節)といわれています。「空しいものの後を追って自らも空しくなる」、これがイスラエルの現実でした。

この説明は二重の意味を持っています。第一は、苦難が罪の結果であるという申命記史家の教義を教えています。第二は、北王国が滅亡に至ったのは、民が頑迷な罪人だったからであるということです。それ故、滅亡は正しかったのであり、それを理由にして神の正義に不満をいうことは出来ないということです。

しかしこの説教は、民に対する愛情のこもった配慮と希望と慰めを語っています。なぜならこの説教は、民が悔い改めさえすれば、神が進んで赦しを与えられることを強調しているからです。「わたしがあなたたちと結んだ契約を忘れてはならない。他の神々を畏れ敬ってはならない。あなたたちの神、主にのみ畏れを抱け。そうすれば、主はすべての敵の手からあなたたちを救い出してくださる。」(38-39節)という言葉がそれです。

列王記は、前587年の捕囚期以後に書かれたものであることを考えると、この説教は、その現実を生きるものに向けられたメッセージであることが分かります。19-20節は、北イスラエル王国の滅亡を自らの戒めとせず、同じように滅んでしまったユダ王国とその捕囚について語っています。この時、国が滅び、捕囚の人々は絶望状態にありました。この説教は、神の愛と、神が進んで悔い改める者を許そうとされていることを強調することによって、読者に希望を与えています。愛の神は、契約を結び、自らを無益な者とした人々を契約の為に滅ぼさねばなりませんでした。しかし、神はご自身の契約にたいする従順な愛(ヘセド)によって、再びご自分の下に立ち帰ろうとしている人々と契約の更新をされます。ここに大きな希望と慰めが語られています。

この滅亡へ向かう時代を生きた預言者ホセアは、ホセア書7章8-16節で、この時代について次のように語っています。

エフライムは諸国民の中に交ぜ合わされ
エフライムは裏返さずに焼かれた菓子となった。
他国の人々が彼の力を食い尽くしても彼はそれに気づかない。
白髪が多くなっても彼はそれに気づかない。
イスラエルを罪に落とすのは自らの高慢である。
彼らは神なる主に帰らず
これらすべてのことがあっても/主を尋ね求めようとしない。
エフライムは鳩のようだ。愚かで、悟りがない。
エジプトに助けを求め
あるいは、アッシリアに頼って行く。
彼らが出て行こうとするとき
わたしはその上に網を張り
網にかかった音を聞くと空の鳥のように、引き落として捕らえる。
なんと災いなことか。彼らはわたしから離れ去った。
わたしに背いたから、彼らは滅びる。
どんなに彼らを救おうとしても彼らはわたしに偽って語る。
彼らは心からわたしの助けを求めようとはしない。
寝床の上で泣き叫び/穀物と新しい酒を求めて身を傷つけるが
わたしには背を向けている。
わたしは、彼らを教えてその腕を強くしたが
彼らはわたしに対して悪事をたくらんだ。
彼らは戻ってきたが/ねじれた弓のようにむなしいものに向かった。
高官たちは自分で吐いた呪いのために
剣にかかって倒れ/エジプトの地で、物笑いの種となる。

しかしホセアは、なおもこの背信のイスラエルを愛する、神の愛をホセア書11章8-9節で、次のように語っています。

ああ、エフライムよ/お前を見捨てることができようか。
イスラエルよ/お前を引き渡すことができようか。
アドマのようにお前を見捨て/ツェボイムのようにすることができようか。
わたしは激しく心を動かされ/憐れみに胸を焼かれる。
わたしは、もはや怒りに燃えることなく
エフライムを再び滅ぼすことはしない。
わたしは神であり、人間ではない。
お前たちのうちにあって聖なる者。怒りをもって臨みはしない。

ホセアは預言者として神から召命を受けた時、評判の淫行の女ゴメルを妻に迎えるよう主の命令を受けています(ホセア1:2)。彼は彼女との間で生まれた二人の子にロ・ルハマ(憐れまれぬ者)と、ロ・アンミ(わが民でない者)という名をつけるようにいわれます。彼はこの自らの苦しみを背に、民の罪を告発するように主から命じられます。この妻の姦淫に対する自らの苦しみを通し、イスラエルが神に背いている罪の深さを知ります。そして、その告発の後、主はイスラエルの救いの日を約束し、その日がくれば、「わたしは彼女を地に蒔き/ロ・ルハマ(憐れまれぬ者)を憐れみ/ロ・アンミ(わが民でない者)に向かって/「あなたはアンミ(わが民)」と言う。彼は、「わが神よ」とこたえる。」(2:25)という約束が語られます。

さらに、「行け、夫に愛されていながら姦淫する女を愛せよ。イスラエルの人々が他の神々に顔を向け、その干しぶどうの菓子を愛しても、主がなお彼らを愛されるように。」(3:1)とも語られます。

上述の罪の告発と救いの預言は、このような偶像崇拝に明け暮れる背信の罪を誠実な夫を裏切る姦淫と見なし、その罪への激しい神の憎悪をあからさまに示しつつ、そのような重大な罪を犯している民をなお赦す神の愛を語ります。

列王記はこれらの預言を記さず、「空しいものを追って自らも空しくなり」神に裁かれた歴史を語ります、国の指導者を失い、血縁的にも宗教的にも、異教徒と混交化する現実を描きます(24-41節)。しかし、「あなたたちの神、主にのみ畏れを抱け。そうすれば、主はすべての敵の手からあなたたちを救い出してくださる。」(39節)という言葉において、ホセアと本質において同じ神の赦しを示しています。人を悔い改めに導くのは、神の先行する赦しの言葉です。捕囚の希望なき民は、この言葉によって立ち上がる勇気を与えられました。現在の裁きが神の言葉に聞かない背信の結果であるなら、救いはその神の言葉に再び立ち帰ることにあるとの道がここに示されているからです。

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