列王記講解

16.列王記上22:1-40『預言者ミカヤとアハブの死』

本章冒頭に記されている「3年間の戦いのない時代」は、物語の続きとしてみれば、20章のアラムとの戦いの時代との関連で述べられています。それは、イスラエルとアラムの共通の敵アッシリアとの戦い(前853年のカルカルの戦い)に、両国が他の王国と同盟して参戦していた時代を指しているものと思われます。

ここにアラムとの戦いのない3年の後に起こったラモト・ギレアドとの戦いのことが言及されていますが、この町はヨルダン川の東の地域にあって、イスラエル領の重要な町でありました。この地域はダマスコ(アラム)との国境でありましたが、ソロモンの支配した12県の地域表では、6番目に記されるほど重要な場所でありました。この国境地域は、アハブの息子ヨラムの時代も紛争の種となり、ヨラムはここで負傷し(列王記下8:28)、イエフはそこからイズレエルに引き上げたヨラムを襲い、権力を奪取しています(列王記下9章1節以下)。

この重要な場所ラモト・ギレアドをアラムの手から取り戻すためにアハブは立ち上がりますが、その決意表明をしている時にユダの王ヨシャファトが彼のところに「下って来た」(2節)という書かれ方をしていますが、この時のイスラエルとユダの関係は、政治的にはユダがイスラエルに従属する関係にありましたから、ユダの王がイスラエルに「下る」という表現は、地理的にも政治的にも似つかわしくありません。しかしあえて列王記の記者がその様に記しているのは、神学的・信仰的意味でこれから記そうとする出来事との関連を示す意図が込められています。

事柄の実際は、ユダの王ヨシャファトは、イスラエルの王アハブに呼び出されてこの時にやって来たという事です。しかし列王記の記者はヨシャファトが仲の良いアハブを助けるためにやってきたように記し、そこでアハブから「わたしと共に行って、ラモト・ギレアドと戦っていただけませんか」という要請を受けたように記されています。列王記におけるユダの王への言及は、15章以来です。それはアサの時代以来のことです。「アサとイスラエルの王バシャの間には、その生涯を通じて戦いが絶えなかった」(15:16)といわれています。アサの時代には、ユダはイスラエルに敵対するアラム王と盟友関係を結んでいました。ヨシャファトはそのアサの息子でありますが、ここで彼は、アラム王に敵対するアハブの盟友、従属するものとして登場しています。しかも彼の息子ヨラムはアハブの娘アタリヤと結婚していますから(下8:18)、この時代のユダはイスラエルに従属する立場にあったことは非常にはっきりしています。それは、ヨシャファトの「わたしはあなたと一体、わたしの民はあなたの民と一体、わたしの馬はあなたの馬と一体です。」(4節)という言葉にはっきりと表れています。

しかし、信仰的・神学的には、ユダの王はイスラエルの王に勝るものとしてここに登場しています。そのことは、ラモト・ギレアドの戦いに参戦するにあたり、ヨシャファトが「まず主の言葉を求めてください」(5節)とアハブに述べ、それによってアハブが400人の預言者を招集し、預言させますが、その預言を聞いたヨシャファトが、「ここには、このほかに我々が尋ねることのできる主の預言者はいないのですか」(7節)と訊ねていることによく表れています。この400人の預言者は、バアルの預言者ではなく主なるヤハウエの預言者でしたが、いわば彼らは王の政治目的に仕えるだけの王のご機嫌を伺うしかしない偽預言者でありました。ヨシャファトは彼らの預言を聞いて、その預言に疑問を感じ、「ここには、このほかに我々が尋ねることのできる主の預言者はいないのですか」と訊ねたのです。ヨシャファトの「まず主の言葉を求めてください」という信仰から出る冷静で正確な判断を求めようとする態度がここに見られます。

これに対してアハブの信仰的態度のあいまいさは、この最初の預言者の招集に、「主の御旨を尋ねることのできる」預言者ミカヤを除外していたことの内に見られます。アハブはミカヤが「主の御旨を尋ねることのできる」預言者であることを認めつつ、「しかし、彼はわたしに幸運を預言することがなく、災いばかり預言するので、わたしは彼を憎んでいます。」(8節)と述べ、主の真実を告げる預言者を排除しようとしていました。ヨシャファトはこのような態度をとるアハブに対して、「王よ、そのようなことは言ってはなりません」といさめています。政治的には従属していても信仰的には一目置かざるをえないヨシャファトの意見を尊重して、アハブはいわば仕方なしという気持ちで、主の真実の預言者イムラの子ミカヤを呼ぶことにします。

そしてすべての預言者が招集され、「サマリアの城門の入り口にある麦打ち場」に、「正装して王座に着いていた」アハブとヨシャファトの前で、預言者たちはそれぞれのスタイルで預言しました。偽預言者たちは口々に、「ラモト・ギレアドに攻め上って勝利を得てください。主は敵を王の手にお渡しになります」(12節)と述べ,アハブ王の戦いでの勝利を預言します。ミカヤを呼びに言った使いの者は、ミカヤが彼らとは違う預言を語るのを心配して、他の預言者と口裏を合わせ、「王に幸運を告げる」預言のみを語るよう要請します。

これに対してミカヤは「主は生きておられる。主がわたしに言われる事をわたしは告げる」と言いますが、王の前で最初に語る預言は偽預言者たちと同じように、「攻め上って勝利を得てください。主は敵を王の手にお渡しになります」というものです。アハブ王もしたたかな人間でしたから、このミカヤが決して心底からその言葉を語ったものでないことを見抜き、「何度誓わせたら、お前は主の名によって真実だけをわたしに告げるようになるのか」と言って怒りを表しています。アハブは別に主の真実な御旨を知りたかったわけでありません。ミカヤのこの実に皮肉をこめた言葉に対する怒りを表しているに過ぎません。

ミカヤは、まるで「王が聞きたい言葉はこれでしょ」という風にして、皮肉をこめて語った言葉は、もちろん主の御旨を告げるものでありません。それは、自分のところに使いが使わされたことに対する皮肉をこめた言葉でした。そしてミカヤは、「主は生きておられる。主がわたしに言われる事をわたしは告げる」という立場から、アハブに「イスラエル人が皆、羊飼いのいない羊のように山々に散っているのをわたしは見ました。主は、『彼らには主人がいない。彼らをそれぞれ自分の家に無事に帰らせよ』と言われました。」という御旨を告げています。

これは戦いでアハブが死ぬことを暗示し、王の羊である民に待ち受けている危機的状況を救う主の言葉を示すものです。アハブはこの真実の預言を好まず、ミカヤに「災いばかり預言する」と非難しますが、ミカヤはかまわず、「主の言葉を聞きなさい」(19節)といって、偽預言者たちがアハブに告げる言葉は、「アハブを唆す」者であるが、そこにも実は主の御旨が働き、彼がそこで戦死するよう、彼らに告げさせていることを明らかにします。それは主から出た霊の業であり、偽預言者たちを導く悪しき霊をも支配し、アハブはその預言によって導かれ、ラモト・ギレアドに攻め上るが、それは主の目的が達せられるためで、「主はあなたに災いを告げておられる」(23節)ときっぱりとミカヤは語ります。

このミカヤの預言によって面目を失うのは、偽預言者たちです。彼らを代表して、ツィドキヤがミカヤの頬を殴りつけ、「主の霊はどのようにわたしを離れ去って、お前に語ったというのか」と言って迫りました。王はこのやり取りを見て、ついにこの主の真実を語る預言者ミカヤを捕らえ、「王はこう言われる。この男を獄につなぎ、わたしが無事に帰って来るまで、わずかな食べ物とわずかな飲み物しか与えるな。」(27節)と命じて、戦いに出る決意をします。

アハブのこの行為は、主の言葉を幽閉する行為です。預言者を牢に閉じ込め、主の真実の言葉を牢に縛りつけようとするその行為は、本当に主の言葉を働けなくすることができるのか。

ミカヤはこれに対して次のように答えています。「もしあなたが無事に帰って来ることができるなら、主はわたしを通して語られなかったはずです」と言い、「すべての民よ、あなたたちも聞いておくがよい」(28節)。主の言葉の真実、預言の真実性は、その語られた言葉が成就するかしないかにかかっています。決して預言者を牢に閉じ込めたからと言って主の言葉が働けなくすることはできません。主の言葉はそれ自身の持つ真実性、生ける全能の力のゆえに事柄を成就へと導きます。それ故ミカヤは、「すべての民よ、あなたたちも聞いておくがよい」とミカヤは語るのです。

果たして、アハブはラモト・ギレアドの戦いにヨシャファトと共に出かけます。アハブは変装し、敵に自分がイスラエルの王であることに気づかれないようにし、自分の王服をヨシャファトに着せます。アラムの王は配下の戦車隊の長三十二人に、「兵士や将軍には目もくれず、ただイスラエルの王をねらって戦え」と命じ(31節)ていましたので、王服を着ていたヨシャファトが真っ先に狙われることになりますが、ヨシャファトは大声を上げて助けを求めたので、アラムの戦車隊長たちは彼がイスラエルの王でないことが分かり一命をとりとめます。

しかし、変装し鎧兜に身を固めていたアハブ王でしたが、敵兵が何気なく放った矢がそのわずかな草摺りの間を射抜いて、深い傷を負うことになりました。王は御者に命じ、敵陣から脱出しますが、ついにその傷が致命傷になり、その日の夕方に息絶えます。王の死は、戦場の士気をいっぺんに萎えさせます。何処からともなく、日の沈むころ、「おのおの自分の町、自分の国へ帰れ」という叫びが陣営の中を行き巡った(36節)といわれます。こうして、預言者ミカヤが語った預言(17節)が真実であることが明らかになり、ミカヤが語った判定基準の正しさ(28節)も明らかにされることになりました。

38節は、アハブの死が預言の細部にわたる成就を告げるものとして記されていますが、これは後の編集者による付加と思われます。これは21章19節におけるエリヤの預言の成就を語ろうとしていますが、アハブへの裁きを語るその預言は、アハブの一つの悔い改めを主が省みられ、彼に向けられる災いは息子の時代まで引き伸ばされることが語られているからです(21:29)。その成就を告げるのは列王記下9章25-26節です。

アハブはイスラエルの歴代の王でも有能で繁栄した生涯を歩みました。その繁栄振りが、「象牙の家」に住み、多くの町を支配した事実を記す39節の言葉に報告されています。しかし彼は多くの罪を犯しました。けれども列王記は、彼に対して決して厳しい評価を下していません。その最後は、「アハブは先祖と共に眠りにつき、その息子アハズヤがアハブに代わって王となった。」記されているだけです。

この最後の戦い、またナボト事件の悔い改めは、彼の信仰の弱さと、また悔い改めの中で恐る恐る主の言葉を聞こうとした姿勢がわずかではあっても残っていたことを示しています。彼自身はまた主の預言者を幽閉することはあっても、イゼベルのように直接手を下して死なせたわけでもありません。そのようなことがこの最後の評価に繋がっているかもしれません。

しかしこの物語は、他の国々のような王と、主の真実な預言者との関係を明らかにし、もう一方で、十分とはいえませんが、その声に聞こうとするダビデの子孫であるヨシャファトに一つの可能性、希望も示そうとしています。「まず主の言葉を求めてください」(6節)という彼の言葉に、わたしたちも耳を傾ける必要があります。

旧約聖書講解