列王記講解

6.列王記上8:1-9:9『契約の箱の安置とソロモンの奉献の祈り』

神殿と宮殿の建築及び神殿備品の製作(6:1-7:51)が完了し、ここにはその完成した神殿に契約の箱の安置と神殿奉献のソロモンの祈りが記されています。

ソロモン王は治世の第4年のジウの月(4/5月)に神殿建築に着工し、7年の歳月をかけ、同第11年のブルの月(第8の月)に完成したといわれています(7:37-38)。そして主の契約の箱が完成した神殿に安置されたのが、8章2節で、エタニムの月(第7の月)の祭りの時であったと報告されています。

これらの報告を素直に読みますと、神殿奉献の式が行われたのは神殿完成から11ヵ月後であったということになります。なぜそれほど長い間、献堂式を行わなかったのかという理由は、神殿備品の完成を待って行おうとしたからかもしれません。その様に考えると別に神殿完成後11ヵ月ものちに奉献の献堂式を行ったことは遅すぎるということはいえません。

しかし、ここで用いられている月名はすべて先住民カナンの呼び名です。エタニムは「絶えざる水の流れ」を意味します。この月名の使用法にも現れていますように、イスラエルはカナンに定住するようになり、多くのカナンの農耕文化を受容しました。イスラエルはもともと小家畜遊牧民でありましたが、カナンでの定住生活へ移行するにつれて、小家畜遊牧生活から農業に移行する人が多く現れました。そして、ダビデが都と定めたエルサレムは、エブス人が住む町でした。そこには先住民が礼拝する神の神殿もあったといわれています。ソロモンが神殿建築に選んだ場所も先住民が神殿としていた場所であったとも言われています。このように都市を支配し先住民を支配し、その先住民が礼拝していた場所に征服したイスラエルの指導者が神殿を建てるということはある意味で先住民には屈辱的なことであったに違いないと思うのですが、その征服したイスラエルが先住民の月名を用いているのは、紛れもなく彼らの言語や文化をイスラエルが受容していたことの証拠となります。カナンの文化はイスラエルが荒野時代に持っていたものよりはるかに高いものであり、イスラエルの人たちがあこがれるものがたくさんあったと思われます。農耕技術だけでなく、神殿建築する技術も、イスラエルは先住民や周辺世界から学んだり、輸入しなければならなかったのです。このように多くのカナン式の文化や生活をイスラエルが受容し取り入れていくということは、それらと一体となっていたカナン宗教をも受容しても別に不思議ではありませんでしたし、十分ありうることでありました。後に、イスラエルはカナンのバアル宗教をあこがれたり、そちらに走ったり、イスラエルの信仰自体がバアル宗教化していったりしています。イザヤ、エレミヤ、アモス、ホセアなどの預言者はこうしたバアル宗教化に厳しい警告を語りました。

ダビデ・ソロモン時代にエブス人の町であったエルサレムがイスラエルの都とされましたが、そこに移り住んだのはその王家とそれに従った兵士や一部の上流階級でした。ダビデ家はイスラエルを選び導かれた主なる神ヤハウエを信じ、ヤハウエに対する熱心な信仰をもっていましたので、多くのカナン文化や農業制度や技術を受け入れても、宗教まで受け入れることはありませんでした。先住民のエブス人が多数であるエルサレムで彼らの一部はダビデ王家の官僚として働き、またその信仰にも帰依していくものが表れました。

神殿建築の様式には、その技術をカナンから導入している限り、カナン風のものが実際には多数取り入れられることになったと思いますが、カナン的な偶像が導入されることはありませんでした。むしろこのカナン先住民の神殿があったところにヤハウエの名が置かれる神殿が建てられることにより、彼らエブス人が後にその信仰を受け入れるように導くことになりました。

新築されたエルサレムの神殿の至聖所に収められたのは、契約の箱だけでありました。そして「箱の中には石の板二枚のほか何もなかった。」(8:9)といわれています。この二枚の「石の板は、主がエジプトの地から出たイスラエル人と契約を結ばれたとき、ホレブでモーセがそこに納めたものである。」といわれています。つまり神の山ホレブでモーセが主から授かった「石の板」(十戒)だけが収められているというのです。人が神について知りあがめるべき道と人が人と正しい関係を築くべき生活の指針とが示されている十戒は、神の言葉です。この新築なった神殿の最も重要な場所である至聖所に収められたのは、神の意志、神の言葉を指し示す十戒です。イスラエルはこの神の言葉を聞き、この神の言葉にしたがって生きる時、いつも神の臨在の下で祝福された歩みをなすことができる。しかしこの神の言葉を離れ自分勝手な歩みを始める時、祝福ではなく神の呪いの下に置かれることが、ソロモンの祈りの後語られる民への祝福の言葉の中でも、顕現の主の言葉の中にも明らかにされています。

荒野時代、そこに主の臨在と栄光を表すしるしとして雲がとどまったように(出エジプト14:19、16:10、19:9,16,18、20:18など)、「雲が主の神殿に満ちた」(10節)といわれています。これはこの神殿が新しいシナイとして主の臨在を表される場所となったことが明らかにするものであることを示しています。

ソロモン王は、契約の箱を神殿に納め、その時この主の臨在のしるしを見て、民に祝福の言葉を述べますが(8:14-21)、その中でソロモンは、この神殿建築がダビデ王に与えた神の約束の成就であることを強調し、それを実現に至らしめた神を賛美し、神の言葉(約束)が必ず実現することを強調しています(15、20-21節、サムエル記下7:13)。「わたしの名を置く家を建てるために、わたしはイスラエルのいかなる部族の町も選ばなかった。」(16節)という言葉は、前述の通り神殿を建てるために選ばれたエルサレムが、ダビデが占領するまで、エブス人のものであったことを示しています。

この町にダビデは主の御名のために神殿を造ろうと志しましたが、それはその子ソロモンによってなされるべきことが告げられ、それが実現すると約束され、その約束に従って神殿が建てられたことは、主が約束されたことは必ず成就するという信仰を、イスラエルに育成する意味がありました。

奉献式におけるソロモンの祈りは22-53節に記されています。この祈りは、全体が申命記的表現で満たされています。それゆえ聖書学者はこの祈りは、申命記から列王記までを編集した申命記的歴史家が、ソロモンの口を借りて述べたものであろうと推測しています。これがソロモン自身の祈りでなかったとしても、聖書がソロモンの祈りとして記している意味は少しも失われることはないと思います。なぜなら、この神殿がイスラエルの信仰において持つ意味を、これらソロモンの言葉として語られていることから真摯に受け止めるべきことが、それぞれの時代を生かされるイスラエルにおける課題として示されているからです。

この祈りは第一に、「イスラエルの神、主よ、上は天、下は地のどこにもあなたに並ぶ神はありません。」と述べて、神は唯一であるという信仰を告白しています。「あなたに並ぶ神」は文字通りには、「あなたのような神はない」です。そしてこの唯一の神は、「慈しみ(ヘセド)を注がれる神」として、契約の約束において愛と誠実を果たされることを告白し、今後も主の約束されたことをまもってくださいと祈り、イスラエルの王座が継続するように祈ります。

第二にこの祈りは、宇宙万物を超える超越的な神の自由と告白しています。27節の言葉は、そのような超越の神を人の手で作った神殿を住まいにされるのはふさわしくないとの告白をしています。そのことを了解した上で、その限られた世界に住む人間の祈りを聞き届けてください、御目を注いでください、と祈ります。そう祈るのは、申命記的歴史家にとっては、この神殿に「わたしの名をとどめる」と約束した主の約束をよりどころにした信仰に基づきます。超越の神が約束により臨在される神殿において民は主との交わりのうちに生きることができます。そこで主を礼拝し、祈りをささげ、罪の告白と赦しを求めることが可能となります。あらゆる悩み、苦しみ、問題の解決を求めて人は主の前にたつことができます。そこに主の耳が傾けられている事を知っているから、祈る勇気を与えられ、祈ることができます。しかしこのように契約において、慈しみを注がれる主は、ご自身がその契約に誠実であるようにイスラエルに契約に従う誠実さを求められます。それ故、主とその言葉に誠実でなく背きの罪を犯すものに、呪いを置かれます。

ソロモンは契約における相互の誠実の問題を、54節以下の祝福と呪いの言葉の中で明らかにしています。契約においてどこまでも誠実を果たされる神に、民はみなその神の御心に誠実に従う信仰が大切であることを明らかにします。「あなたたちはわたしたちの神、主と心を一つにし、今日そうであるようにその掟に従って歩み、その命令を守らなければならない。」(61節)と言葉を結んでいますが、この言葉にイスラエルのあるべき信仰の姿が全て示されています。

9章1-9節は、主なる神の顕現とソロモンへの託宣が記されています。この顕現の出来事はソロモンの祈りに答えるものとして示されたことを明らかにし、聖別を約束しています。主がその神殿にとこしえに目を向け、心を寄せられると語ります。このようにご自身を示し、目を向け、心を寄せられる神を知るものの心は平安です。しかしその平安は、その様に心を寄せられる神の御言葉に耳を傾けて聞き従うものに与えられ、父ダビデが歩んだように直ぐな心でソロモンとその子孫が歩むならイスラエルの王座はとこしえに絶えることはない。しかし、もし主の戒めを重んじず、他の神々に向かいそれを礼拝するようになれば、主がその者を捨て去られると語られます。与えられた土地から断たれ、神殿も捨てられ、イスラエルは諸国民の間で物笑いの種になるといわれます。まさに申命記的な祝福と呪いが語られています。

このソロモンの奉献の祈りと主の顕現の出来事は、その後のイスラエルがなぜ主の裁きをまぬかれ得ないか、なぜイスラエルが捕囚とならねばならないかを、解釈・説明し、立ち直るべき道を示す点で、非常に重要な役割を果たしています。そこには、御言葉に聞く信仰が何より大切であることが強調されています。重要なのは、神殿の存在ではなく、その場において主との交わりの礼拝がもてるかどうかです。神の言葉が語られ聞かれる場となっているか、そのことが喜ばれ重んじられているかが問われています。この信仰の基本を忘れ、おごり高ぶり、神殿の偶像的魔術的優位を信じる信仰を神は打ち砕かれます(エレミヤ7:1-15)。

このようにイスラエルの歴史の中で最初の本格的な神殿がエルサレムに与えられ、その建築に当ってはカナンの文化や技術が導入されたにもかかわらず、礼拝の中心となる至聖所にカナンの偶像などが持ち込まれず、神の意思を示す十戒(御言葉)を収めた神の箱が置かれ、御言葉に聞き従う信仰を求められ、しかもこの国を治める王が奉献の祈りにおいてその信仰の重要さを強調したことは、イスラエルがイスラエルであることは、主なる神ヤハウエに従うことであることを確認する重要な意味を持っています。カナン定着の歴史の中で生活のカナン化は不可避です。農業、文化、社会制度など多くの習慣がイスラエルの中に流れ込みます。王室の王妃だけでなく、官僚や技術者や軍隊の中に土着のカナン住民も入ってきます。しかしそこでイスラエルがイスラエルであることを失わないのは、主なる神ヤハウエを礼拝し、この神の言葉に聴き従う道であることをソロモンの言葉として確認していることに大きな意味があります。これ以後の歴史を検証する信仰の原点、国家統治の基本が確認されることになったからです。その意味で、シナイによる契約と律法授与は、十二部族を統一する信仰の原理でしかなかったのを、エルサレムのシオンの丘に建てられた神殿は、国家(そこには多くのカナン人もいる)の信仰を定め、内外に向かってイスラエルが何によって立つかを宣言する歴史的出来事として大きな意味を持つことになりました。

旧約聖書講解