列王記講解

5.列王記上5:15-7:51,9:10-26『ソロモンの神殿、宮殿建築及びその諸事業とティルスの王ヒラム』

ソロモンの業績の中で最も輝かしく重要なのは、エルサレム神殿の建立です。しかしその事業は、ティルスの王ヒラムの協力なくして不可能でした。またソロモンとヒラムは紅海貿易をめぐっても協力し合い、多くの益を共有しあった仲としても有名です。ここにはその様子が記されています。今回は、ソロモンとティルスの王ヒラムの関係を中心に当時の歴史を振り返ることにし、神殿建築の意義と問題(8:1-9:11)は、次回にお話することにします。

父ダビデは神殿建立を願っていましたが、戦いに明け暮れその願いは実現しませんでした(5:17)。ソロモンは主の祝福の下に安らぎを与えられて、主の名のために神殿を立てようとするのは、主の約束によります(5:19)。しかし神殿建築には、多くに石材と木材を必要とし、建築技術や備品を作る技術も必要としました。イスラエルにはその技術がないので、父ダビデはティルスの王ヒラムと友好関係を結び、王宮を建てるとき、ヒラムからレバノン杉とともに木工、石工の提供を受けました(サムエル下5:11)。ソロモンも、ティルスの王ヒラムに使者を遣わして、「わたしたちのためにレバノンから杉を切り出すよう、お命じください。わたしの家臣たちもあなたの家臣たちと共に働かせます。あなたの家臣たちへは、仰せのとおりの賃金をわたしが支払います。ご存じのように、当方にはシドンの人のような伐採の熟練者がいないからです。」(5:20)と言って、協力を要請しています。

ヒラムは、ソロモンの言葉を聞いて喜び、早速その返答をし、建材の提供に応じると慇懃(いんぎん)に返事をいたしますが、その内容は、「わたしの家臣たちにこれをレバノンから海まで運ばせ、わたしはそれをいかだに組んで、海路あなたの指定する場所に届け、そこでいかだを解きますから、お受け取りください。あなたには、わたしの家のための食糧を提供してくださるよう望みます。」(5:23)というもので、ソロモンの下から送られてくる人夫のことについては何も触れられていません。レバノン山での木材の切り出してから海辺までの運搬、さらにそれをいかだに組んでイスラエルの港へ運ぶまでの全作業は、一切ヒラムのしもべ、つまりフェニキア人の手で行うというものです。ソロモンにしてもらいたいのは、フェニキアから運ばれてくる木材を受け取るイスラエルの港の指定と、そこまでの作業にかかる全費用を、木材の代金に加えて支払う、ということです。

ソロモンが「わたしの家臣たちもあなたの家臣たちと共に働かせます。」とヒラムに申し出たのは、予想される膨大な神殿並びに宮殿建設の費用を少しでも安上がりにしようとの意図からのものでありましたが、ヒラムのこの返書には、レバノンと地中海上におけるフェニキアの利権にソロモンが指一本触れることも許さないと言う姿勢で貫かれた厳しいものでありました。

レバノン杉はエジプトも欲しがった貴重な木材資源でありました。このためエジプトは古来、カナンの支配に特別な関心を示しました。それは、エジプトに限らず古代オリエントの支配者たちがこぞって求めた貴重な資源でありました。船、ミイラの棺、戦車、神殿や王宮の扉、どれを作るにも木材が必要でありましたが、その供給源となるものがエジプト国内には全くなかったからです。そのためエジプトはレバノン杉を手に入れる供給ルートを確保することに必死になって取り組みました。すでに前2600年頃、スネフル王の命令で、フェニキア海岸に向かったエジプト人は40隻の船にレバノン杉を満載して帰国したと伝える記録が残されています。レバノン杉の積み出しをするフェニキアの諸都市の中で特にエジプトと緊密な関係にあったのは、ビブロスです。カナンとエジプトを往復するファラオの船隊は「ビブロス船」と呼ばれ、もしエジプトが内政の混乱やその他の事情で「ビブロス船」が出ないということになれば、エジプト人はたちまちにして木材不足に悩まされたと言います。最初、エジプトの方がカナンに対し支配的な関係に立っていましたが、時代が下るにつれてその立場が対等ないし逆転するようになります。「ビブロス船」に対し「カナン船」も活躍し、木材だけでなく、ワインや油や家畜などの商品もエジプトに輸出されるようになります。

「カナン」はもともと「商人」を意味したと言われています。カナン人の全てが商人であった訳でありませんが、カナンを代表する北部海岸の住民が古くから紫染料の生産とそれを用いた紫織産業に従事していたためにそのようによばれるようになったのではないかと考えられています。ツロ(ティルス)付近で取れるアッキ貝からは上質な紫の染料が取れ、「ツロの紫」と呼ばれるほど有名になりました。ギリシャ人は、カナンのこの地域をフォイニケーつまりフェニキアと呼びましたが、これはギリシャ語のフォイニクス「紫染料」に由来します。ヘブライ語でも「カナン人」はまもなくフェニキア人あるいは商人の代名詞として使われるようになります。とにかくフェニキアの商人は、商売の駆け引きが巧みで、エジプトのファラオの使者さえ巧みに扱い商談を有利に展開するに巧みであったと言われています。

ティルスの王ヒラムにすればソロモンをこのように扱うのはそう難しい問題ではなかったと思われます。木材の代金としてソロモンは毎年、「ヒラムにその家のための食糧として、小麦二万コルと純粋のオリーブ油二十コルを提供した。」(5:25)といわれますが、その小麦粉の量だけを見ても、ソロモンが支配していた国から得たものの60パーセントに相当するほど大きなもので、イスラエルの経済をひどく圧迫することになり、おそらくソロモンはヒラムに多くの借金をすることになったと思われます。ソロモンの神殿建築は7年、王宮建築は13年、合わせて20年の歳月が費やされたわけですが、その事業を終え、「ティルスの王ヒラムがソロモンの望みどおりにレバノン杉と糸杉の材木や金を提供してくれたので、ソロモンはヒラムにガリラヤ地方の二十の町を贈った。」(9:11)といわれていますが、これは、その支払いに困ったソロモンの窮余の策としてなされたものだと思われます。しかしヒラムは、「『わたしの兄弟よ、あなたがくださったこの町々は一体何ですか』と言った。そのため、この町々は『カブルの地(値打ちのない地)』と呼ばれ、今日に至っている。」(9:13)といわれています。

とにかくソロモンは神殿建築と王宮建築に莫大な国庫を投入し、「イスラエル全国に労役を課し」(5:27)、「イスラエル人ではない者、アモリ人、ヘト人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の生き残りの民のすべて、彼らの後、この地に生き残った子孫で、イスラエル人が滅ぼし尽くすことのできなかった者を、ソロモンは奴隷として労役に服させた」(9:20-21)といわれています。このため、ソロモンはイスラエル国民だけでなく、周辺諸国からも大きな不満と反感を買うことになりました。このような強制労働は古代オリエント世界ではあたりまえのように行われていましたが、イスラエルに王制が導入されるとき、サムエルはイスラエルにも強制労働が行われることになると警告していました(サムエル上8:16-17)。今やソロモン王の下でそのことが現実のものとなりました。

ソロモンの神殿建築にはそのような問題があるにしても、「あなたが建てている神殿について、もしあなたがわたしの掟に従って歩み、わたしの法を実行し、わたしのどの戒めにも従って歩むなら、わたしは父ダビデに告げた約束をあなたに対して果たそう。わたしはイスラエルの人々の中に住み、わが民イスラエルを見捨てることはない。」(6:12-13)という主の約束も語られていました。ソロモンは7年の歳月をかけ神殿建築を完成させ、その備品もティルスから、ティルスの王と同名の「知恵と洞察力と知識に満ちた」青銅職人ヒラムを連れてきて、彼に委ね、それを整えることができました。

ソロモンは神殿建築の後、王宮をその約倍の年数13年をかけて完成させます。規模も神殿の倍の大きさです。宮殿は、レバノンの森の家、柱廊、王座の広間、裁きの広間、王の住居、それに王妃として迎えたファラオの娘のための建物からなる一群のものでありました。列王記の記者は、神殿建築より時間をかけ大規模な宮殿を造った上、異国から迎えた王妃のために王宮を造ったことを記すことにより、ソロモンの失政がすでに芽生えていたことを示唆しています(6:12-13,9:6-9参照)。

神殿建築と備品製作について詳細に記されていますが、これらの記録から実際の神殿と備品がどのようなものであったかは正確にはわかりません。研究者による復元図などは一応の参考にはなりますが、実際は違っているかもしれません。添付されたものはその程度のものとして参考にしてください。

9章10節以下にソロモンの諸事業の総括が行われています。このところで注目に値するのは、「ソロモン王はまたエツヨン・ゲベルで船団を編成した。」(9:26)という記述です。ソロモンは、ティルスの王ヒラムの巧みな交渉術に全て翻弄され、何もできずに彼の言いなりになったわけでありません。彼もまた知恵に満ちた王として、ヒラムがのどから手の出るほど欲しいものを巧みに利用する手立てを考えつきました。それはソロモンという王の優れた面を示すエピソードです。エジプトのファラオは、政略結婚としてエジプト以外の国から多くの妃を迎えていましたが、しかし自分の娘を外国の王の妃として嫁がせることをしませんでした。唯一の例外がソロモン王に妃として嫁がせたことです。それは言い換えれば、ソロモンの評価の高さを物語るものであります。そしてソロモンはエジプトのファラオの婿の立場を巧みに利用したのが、「エツヨン・ゲベルで船団を編成した」ことです。これにはエジプトのファラオの承認が必要でした。ソロモンはファラオの婿の立場を利用してこれに成功し、ティルスの王ヒラムにそこに船団を組む計画を持ちかけ、その貿易の利益を互いに得ることに成功を収めました。とにかくイスラエルには船を造る技術もなければ、船を操って航海する技術もないわけですから、ティルスの王ヒラムに頼る以外にありません。ヒラムも紅海にでる機会をうかがっていましたが、紅海にはエジプトの厳しい監視の目が光っていたので、手を出すことができなかったところです。ソロモンは、紅海に通じるアカバ湾に面したエイラト港を支配していましたので、そこに目をつけ、ファラオ・シムアンと平和協定を結び、その交易権を取得し、その船団編成の技術をティルスの王ヒラムに求め、利益を共有しようと持ちかけ見事成功し、ソロモンはこれにより莫大な利益を上げることができ、苦しい国家財政を立て直すだけでなく、黒字に転換することに成功します。ヒラムは熟練した航海士をフェニキアから遣わしました。建造された数隻の内一部はティルスの王ヒラムのために用いられましたが、残りはソロモン王のもので、「タルシシ船隊」と呼ばれました。ソロモンのタルシシ船隊とヒラムの船隊は、3年おきにオフィルに向けて出航しました。オフィルは現在の北アフリカのソマリアで、古くから交易の中心地でありました。「三年に一度、タルシシュの船団は、金、銀、象牙、猿、ひひを積んで入港した。」(列王記上10:22)といわれています。

このようにソロモンはその知恵を働かせ、国家財政を立て直し豊かにすることができましたが、エジプトの王の娘をめとり、その利益を享受した裏には、その心をそらし、主をのみ愛する心を失う危険が潜んでいました。その繁栄のおごりとあいまって襲ってくる罪の誘惑を断ち切ることは、神殿奉献の祈りに見られる敬虔さを維持する以上に容易ではありませんでした(11:1-2)。

主の御手にあって王の心は水路のよう。
主は御旨のままにその方向を定められる。
人間の道は自分の目に正しく見える。
主は心の中を測られる。
神に従い正義を行うことは
いけにえをささげるよりも主に喜ばれる。
高慢なまなざし、傲慢な心は
神に逆らう者の灯、罪。(箴言21:1-4)

この御言葉を守ることの困難さと大切さを改めて覚えさせられます。

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