列王記講解

2.列王記上2:1-46『ダビデ王の最後、ソロモンの権力基盤の確立』

本章には、ダビデの遺言と死(1-11節)、ソロモンに敵対する勢力が一掃されてソロモンの権力基盤の確立がなされていく過程(12-46節)が明らかにされています。

ダビデが息子ソロモンに与えた最後の諭しは、事実上彼の遺言となりました。このダビデの遺言は、モーセがその従者ヨシュアに託した言葉と非常によく似ています(ヨシュア1:6-7)。

ダビデの最後の諭しの第一は、ダビデの子孫であるソロモンとその息子たちが、自分たちに課せられた宗教的義務(主の律法)を徹底して守るべきことを明らかにしています。そうすれば、必ず主は約束を守り祝福を与えてくださることを明らかにしています。実際、王国の歴史は、この原則に従って評価されています。王国の盛衰の究極の原因は、神の言葉に聞くものであったかどうかによって判断されるということは、一度裁かれた者にも、悔い改めと、再建への道を示しているわけですから、この後明らかにされるダビデ王国衰亡の歴史にも希望が語られることになります。

第二の諭しはヨアブとシムイに対する報復です。王たちに課せられた第一の原則から見れば、それに敵対する者たちに報復されるのは神でありますから、ダビデの復讐要求は、これと矛盾しているように思われます。それゆえ、これはダビデのように偉大な王も個人的怨念を最後まで拭い去ることができなかった弱さを記憶にとどめる記録として記されているのでしょうか。あるいは、この措置がダビデから命じられるものであるゆえに、ソロモンに向けられる個人的非難を和らげる目的で、この第二の諭しがここに記されたのでしょうか。いずれの解釈も可能ですが、ダビデの意図は違ったところに置かれていたようです。ダビデはそれ以上に王国の将来の平和と安全という観点から、彼ら二人に対する処罰はその危険な芽を摘み取る必要を感じていたようです。

それゆえこの第二の諭しは、ダビデの後継者となるソロモンが平和裏に国を治めて行くためにとらねばならない措置として告げられています。

ヨアブはダビデの忠実な僕で、ユダの軍の長でありましたが、ダビデが巧みな外交手段を用い、二つの敵対する王国を一つにしようとしていた時、そして、イスラエルが彼を王にしようとしていた時、ヨアブは個人的に家の復讐を晴らそうとして、ダビデの努力を台無しにしてしまうところでありました(サムエル下3:22-34参照)。ダビデはソロモンに本当に諭すようにヨアブの罪を明らかにし(5節)、「知恵に従って行動」(6節)するよう促しています。なぜならソロモンが行動を起こし、彼を除去しなければ、いつまでも王国の安定を脅かすものとなるからです。

これに対してシムイが王国の将来に対する影響は、はるかに小さい問題でありました。彼は一度ダビデを呪いましたが(サムエル下16:5-14)、エルサレムへの帰途ヨルダン川に差し掛かった時、かれはベニヤミン族千人を率いてヨルダン川まで迎えに来て、ダビデに赦しを乞い、忠節を誓ったので、ダビデは「あなたを剣で殺すことはない」(サムエル下19:16-24、Ⅰ列王上2:8)と誓ったのに、ソロモンに対して彼の罪を不問に付すべきでない、というのは、将来に対する彼の影響の小ささから考えると、そこからは説明のつきにくい問題です。一つの説明は、古代の考えによれば、呪いの言葉が一度述べられるとそれは存続し、呪われた者の子孫にその力を及ぼすまで空中に漂っている(ゼカリヤ5:1-4)と考えられていました。それゆえ呪いを断ち切る一つの方法は、呪いをはいた者の上にそれを返すことである(詩7:17)といわれています。ダビデは、あるいはこの考えに従って、ソロモンに知恵を持ちいて、何をなすべきか選択するよう求められました。

この両者に比べ、バルジライはダビデに忠誠を尽くした人物でありました(サムエル下19:31-33)。裏切りに対する報い同様、忠誠に対してもそれにふさわしい厚遇を行うことが、国民の忠節への士気を高める上で重要でありました。ダビデはこれらの諭しを語り、最期を迎えます。

ソロモンは、ダビデの死後、その後継王としてその王座につき、その支配を確立して行きます。彼に敵対した者、その危険性のある芽を摘みながら、その支配を確立して行きます。

アドニヤは、かつてクーデターを企て王になろうとしました。それにヨアブや祭司アビアタルが同調し成功したかに見えましたが、ソロモンが王に就任し失敗してしまいます。アドニヤは直ちにソロモンが報復措置を取るに違いないと恐れていましたが、ソロモンは、「彼が潔くふるまえば髪の毛一筋さえ地に落ちることはない。しかし、彼に悪が見つかれば死なねばならない。」(1:52)と約束と警告を与えていました。

そのアドニヤがここで再び登場します。彼はソロモンの母バト・シェバのところにやって来て、ダビデの最後の内妻となったアビシャグを自分の妻として迎え入れられるようソロモンに取りなしてもらうよう頼み、バト・シェバはその願いを聞き入れ、ソロモンに執り成しますが、ソロモンはこのアドニヤの願いに王位要求の危険なものを感じ、与えていた警告に基づき、彼をベナヤによって討ちとってしまいますが、アドニヤは本当にアビシャグに恋心を抱いていたのかもしれません。バト・シェバもそれを知って女性らしい優しさで、その執り成しをしようとしていたのかもしれません。しかし、その思いがどうあろうと、前王の内妻を迎え入れるという行為は、客観的に見て、その王位が自分のものとなったということを内外に示すものと思われましたので、その行為は新しく王に就任したばかりのソロモンに敵対するものと見なされてもし方がないものでありました。ソロモンは、これを神によって備えられた機会と見なし、彼に対する処断を速やかに断行しました。

そして、ソロモンはかつてアビシャグに同調した祭司アビアタルを、その職務から解任し、アナトト(エルサレムの北方約5キロ)に帰らせ、彼に代わってザドクを祭司として立てました。彼が処刑されずに済んだのは、彼が父ダビデの命の恩人であり、辛苦を共にした人物であったからといわれています。この祭司の交替は、祭司職が王権の従属物のような立場にあることを示す出来事として、王のいいなりになる危険性を含んでいました。しかし、歴史は皮肉なもので、後にこのアナトトから、王の誤りを恐れなくただ一人決然と批判する預言者が現れます。それは、エレミヤです。

アビアタルの祭司解任と追放のニュースはヨアブのところまで届きました。彼もまたアドニヤに加担したものとしてその追及の手から逃れ得ないことを覚悟しなければなりませんでした。それゆえヨアブは「主の天幕に逃げ込み、祭壇の角をつかんだ。」(28節)といわれています。そこは聖所であり、王の権威からさえも安全といわれる祭壇の傍らに立って、ヨアブは王の追及をかわそうとしました。しかし、ソロモンは彼に対する追及の手を少しも緩めようとしませんでした。それは、彼がアドニヤに加担したという理由以上に、ダビデの遺言にあるように無用な血を流し、平和を乱すものであったからです。彼の存在はその意味で新しく生まれたばかりのソロモン政権の権力基盤を揺るがすカウンター勢力として登場する危険性をいつも内に秘めていました。ソロモンは、彼をヨヤダの子ベナヤにより彼を討ち取ることに成功します。父ダビデの時代以来軍の最高指揮官として君臨していたヨアブを処分することにより、ソロモンは造反の危険性のある芽を完全に摘み取ることに成功しました。そして、ヨアブに代わる軍の司令官として、ヨアダの子ベナヤを任命しその王権の基礎を揺るぎないものとすることができました。

ソロモンは自分が王としてやって行く権力基盤は、もうこれで十分整っていました。彼は平和の王としてもうそれ以上無用な血を流す必要はありませんでした。しかし、シムイに対する処罰は、ダビデの遺言でした。

しかし、シムイを処罰する適当な口実がソロモンには十分ではありませんでした。そこでソロモンは人を遣わし、シムイにエルサレムに家を建て、そこに住むよう命じます。そこに住み続けるなら命を与えるが、「もし出て行ってキドロンの川を渡れば、死なねばならないと心得よ。お前の血はお前自身の頭に降りかかるであろう。」 (列王記第一2:37)という警告を与えていましたが、彼はこの禁止命令を犯したため、ついに彼も処罰されることに成ります。

本章に記されている一連の出来事は、サムエル記下12章24節の「主はその子(ソロモン)を愛され」との言葉との関連を見失うなら、まことに人間の勝手な論理と正当化のための作為による権力基盤確立のための単なる事件の連鎖でしかありません。しかし、主の御心に反したアドニヤの謀反に参加した者たちが、まことに厳しい審判を受け、退けられ、ソロモンの知恵を持いて行った行為が主に認められ、その王権の基盤が整えられたことは、やはり覚えて行かねばなりません。しかし、そこに人間的な作為としてやりすぎた面は、またこの王国の暗い影の部分として、克服しなければならない課題として残っていることも冷静に見て行かねばなりません。本当に主の御心がどこにあり、何処までがそうであり、何処からがそうでないか、それを見極めることが極めて難しい問題です。しかし、それを見極める目がダビデの遺言の中に示されています(2-4節)。その目をいつももって事柄の正邪を見極めることが大切です。

旧約聖書講解