列王記講解

列王記について

1.名称と位置

列王記はヘブル語でメラヒーム「王たち」と呼ばれています。ギリシャ語の七十人訳は、サムエル記と列王記を「王国の書」としてひとまとめにして扱い、サムエル記上下を王国Ⅰ,Ⅱ、列王記上下を王国Ⅲ,Ⅳとしています。へブル語の聖書の列王記が七十人訳の区分に従い上下2巻に分けられるようになったのは,16世紀になって聖書が印刷されるようになってからです。

ヘブル語聖書は、「律法」「預言者」「諸書」の三つに分類されていますが,列王記は「預言者」に含まれます。さらに「預言者」は、歴史的記述が主体の「前の預言者」と預言者たちの言葉を集めた「後の預言者」の二つのグループに分けられますが,列王記は前の預言者(ヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記)の最後に置かれ、それに後の預言者が続いています。しかし、日本語聖書は、この新共同訳を含めすべて,七十人訳に従い、列王記の後に歴代誌、エズラ記、ネヘミヤ記と続き,全体を「歴史書」として扱っています。

しかし、ヘブル語聖書が列王記を「預言者」として扱っていることは、この書を理解して行く上で大きな鍵となります。王とその歴史を、神の言葉とその約束から批判する預言者の下に置くことにより,歴史の意味が問われ、これらの歴史をどの様に理解すべきかを読む者に問うようにして記されているからです。

2. 時代

列王記が扱う時代は、全イスラエルを統一して首都をエルサレムに定めたダビデの晩年から始まり、王国の分裂(前925年)、北イスラエル王国の滅亡(前722年)、バビロンによるエルサレムの陥落と南ユダ王国の滅亡(前586年)、そして補遺として、捕囚の身となったヨヤキンの解放(前562年)までが扱われています。列王記を大きく分類すると次の5つの部分に分けることができます。

(1) ダビデの晩年とソロモンの即位(上1:1-2:46)

(2) ソロモンの治世と王国の分裂(上3:1-12:33)

(3) ユダとイスラエル-南北両王国並立時代(上13:1-下17:41)

(4) ユダ王国とその最後(下18:1-25:21)

(5) エピローグ(下25:22-30)

3. 王の評価

列王記は、北のイスラエル王国と南のユダ王国の王たちに対し、ダビデのように「主の目に正しいこと」を行ったかどうか、即ちヤハウエ礼拝を純粋に守り、バアルなどの異教の神々を礼拝しなかったか、さらに「高き所」と呼ばれる古くからある地方聖所を取り払いエルサレムにおいて礼拝したかどうかの視点から評価を下しています。この規準を何の問題もなくクリアできたのはヒゼキヤ(下18:3-7)とヨシヤ(下22:3,23:25)の二人だけです。その理由は、彼ら二人だけが、宗教改革を行い、異教礼拝を根絶したからです。アサ、ヨシャファト、ヨアシュ、アザリヤ(ウジヤ)、ヨタムたちは「高き所」を除かなかった点で満点ではなかったが、彼らも好意的評価を受けています。これらの王はいずれも南王国ユダの王たちです。残りのユダの王たちは「主の目に悪いことを行った」の一言で簡単に切り捨てられています。

しかし、興味深いのは、最善の王と評価されるヒゼキヤとヨシヤの息子たちは父親の改革に逆行する道を歩み断罪されています。南王国とその王たちに対するどちらかというと肯定的高い評価を下す列王記ですが、決して手放しでその歴史が評価され、美化されることはありません。むしろ最高の王の子らの問題を赤裸々に描くことにより、王の歴史の問題を警告として語っています。

4. 北王国の否定

北王国の王たちの歴史はもっと惨めです。その歴史は「ヤロブアムの罪」として始められることになります。「主は、ヤロブアムが自ら犯し、またイスラエルに犯させた罪のゆえに、イスラエルを引き渡される。」(列王上14:16)とその歴史を否定的に見ています。

しかし、王国分裂の背景には、ソロモンの贅を尽くした統治と国家発展のために犠牲を強いられた北の住民たちの不満がたまっていたことをあげることができます。その不満を解消する力が後継の王位についた息子レハブアムにはなく、イスラエルがヤロブアムを立て蜂起することに繋がりました。さらにソロモンのハレムには女性たちが持ちこんだ異教礼拝に熱を入れ、主(ヤハウエ)への信仰から離反したため主の怒りを買い、ついに王国の分裂を主から宣告をうけています(上11:11)。

にもかかわらず、北王国に対する評価が否定的なのは、ヤハウエ礼拝場所の集中化の観点からなされているからです。

5.著者・成立年代

イスラエル、ユダ両王国の歴史にヤハウエ信仰の視点から評価を下す列王記の編集者の姿勢は極めて厳しいものです。そこにこの書の預言者的特徴を見ることができます。

列王記の編集上の視点に申命記の理念と共通するものが少なくありません。それゆえ多くの学者は、列王記は申命記的歴史書であると見なします。

列王記が最終的に現在の形になったのは、ヨヤキンがバビロンから解放された前562年以降で、民がまだパレスチナに帰還していない時期(前539年以前)で、そこに至るまでに幾つかの段階があると思われます。下23:20の預言は、メギドにおけるヨシヤの戦死(前609年)を知らないし、上8:8は、エルサレム神殿の破壊(前586年)を知りません。他方、エルサレム神殿の破壊(上9:6-9)やバビロン捕囚(上8:46:―53、下21:1Ⅰ-15,22:16-17)についての記述が見られます。おそらく、列王記の原典は、下25:21のユダの捕囚を告げる言葉で終わり、それにゲダルヤのユダ総督就任(下25:22-26)とヨヤキンの解放(下25:27-30)の二つが補遺として付け加えられたものと考えられています。

6.サムエル記との違い

列王記は、用いた資料に対する編集者自身の画一的な価値評価や枠組みが目立つ点で、サムエル記と対照的です。サムエル記は、用いた資料に余計な手を加えず、できるだけ資料自身に歴史を語らせようとしています。伝承間の相違や矛盾をそのままにして語ることにより、読者に歴史を学ぶことへの面白さを味合わせてくれます。サムエル記の読者は、時や空間の違いを越えて自然に登場人物の世界に引きずり込まれて行くのに対し、列王記の場合、読者は編集者自身の評価を聞かされながら古代イスラエルの様々な人物に対面するようなものです。それゆえ、先入観をもたずに物語や出来事の意味を理解する必要があります。

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