士師記講解

9.士師記8章1-35節『ギデオンの勝利と失敗』

ギデオンの精鋭300人の部隊は、エン・ドルにおいて決定的な勝利を収めましたが、敗走するミデアン人を追ってヨルダン川を越え、ヤボク川に沿ってカルコルで、とうとうゼバフとツァルムナを捕らえ、兄弟たちの仇を打って、ミデアン人との戦いを終えることができました。

このミデアン人との戦いにおけるギデオンの勝利は、イスラエルの歴史における一つの転機となりました。イスラエル人たちは、ギデオンに王となることを求めました。ギデオンはイスラエルの王はただひとり、主がイスラエルを治めなければならないと答えました。ギデオン自身はこのように王となることを拒むことによって、イスラエルの伝統的な立場を確認していきます。士師時代を通して、イスラエルは神によって直接支配された神政であり、神はその王的支配を果たすために適当なときにある卓越した人物を用いられましたが、ギデオンは彼に権能を与えた神の権利を奪おうとはしませんでした。

ギデオン物語のこのところまでは、ギデオンの信仰がキラ星のように輝いています。しかし、王政を拒んだギデオンでしたが、ミデアン人から奪った金の耳輪を要求して、それでエフォドを作り、それを彼の町オフラに置いたことは彼の罪となりました。ギデオンは、この行為によってイスラエルに偶像礼拝が再び入ってくるきっかけを与えてしまったからです。

このギデオンの勝利と失敗から、私共の信仰の有り方を自己点検したく思います。

ギデオンは最初から決して勇敢な人ではなかったことは既に説明してきました。しかし、、主が共にいてギデオンに徴を与え励まして、ミデアン人と戦う勇気を与えました。ギデオンは主に信頼して委ねる者となったときに、300人の兵士でもミデアン人と戦えるという強い信仰の確信を与えられるに到りました。勝利は主によって約束されていました。しかし、実際に戦うのはギデオンであり、300人の精鋭です。300人の精鋭部隊には、ナフタリ、アシェル、マナセの軍勢が加わり、少し遅れてエフライムが加わり、結果は大勝利に終わります。

ギデオンはこの戦いにおいて、これらの部隊を一つに纏めてよく指導して行きました。連合部隊による戦いの勝利のあと待っているのは、分捕り物の分配です。戦いに遅れて参加したものは、当然戦利品に少ししか預かれませんでした。エフライムの不満の第一は、呼びかけられたのが他の部族よりも後だったということに有りますが、この戦利品の分配の現実的不利益と不可分です。

ギデオンは、実に知恵に満ちた解決を図りました。ヨセフのグループに属するイスラエル最大の部族であるエフライムの不満に対して、ギデオンは外交的な彼自身の努力を過少評価し、エフライムの寄与を高く評価致しました。そうすることによってこの不平部族を静めました。ギデオンは諺を引用して、彼自身の部族を犠牲にしてエフライムを褒めたのです。このギデオンの取った態度は、後にエフタが取った態度と比べると天地の相違があります。(12章)

ギデオンは戦いにおいて、内部の不協和音が生じないように実に細やかな配慮をしています。協力する者に、後れを取って寂しい思いや不満を与えないように、指導者として同情と配慮に満ちた態度を示しています。

しかし、ヤボク川に沿って、ミデアン人を追ったときに、スコトとペヌエルの二つの町は、同じイスラエル十二部族に属していましたが、ギデオンの食料援助の要請を拒みました。ギデオンはこの非協力的な二つの町に、ゼバとツァルムナを捕らえた日には厳しく罰するといって、実際その事を実行致しました。ギデオンの信仰において、ミデアン人との戦いの勝利は不動でした。そうであるが故に、この戦いに勝利するためにイスラエルを整え、これに与らせる責任をより強く意識しました。協力者に示した思いやりと非協力者に示した厳格な処罰、兄弟や従兄弟を殺したゼバとツァルムナに対する復讐は徹底していました。勿論、この全てを今日の信仰の戦いにおける原則として文字通り適用することはできません。ギデオンの取った報復措置は、この時代のパレスチナ世界に見られた「目には目を」という同害報復の倫理思想に基づいて成されました。イエス・キリストにある愛のから出た赦しの思想は見られないからです。しかし、ギデオンの主のためにする熱心を思うとき、この時代の中にあって、指導者としてもっとも適切な処置を取ったという評価はできると思います。

イスラエルの人はこの勇敢で知恵と配慮に満ちたギデオンを王にしようと求めました。この感情自体自然ですし、十二の部族を纏める良い指導者はたしかに必要でした。しかし、これは主の御心ではなかったのです。イスラエルが王政をしく神のときは未だ来ていませんでした。ギデオンが神のときについて、どれほど自覚的であったかどうかは何も言えません。ただ士師時代における神の王的支配を彼は正しく理解し、神の権利を敢えて侵そうとしなかったギデオンの信仰はやはり立派です。

神は歴史のどの人物をも用いることが可能ですが、やはりギデオンのこの信仰を用いて神はイスラエルを勝利に導かれたのです。主の前における委ねと兄弟愛と徹底した戦い、そして主の前における謙遜、これがギデオンの信仰です。

しかし、このような素晴らしい信仰を示したギデオンですが、一つの罪を犯しました。ミデアン人から略奪した金の耳輪を要求した罪です。ギデオン自身それを偶像崇拝の道具にしようとする考えがなかったかもしれませんが、彼が作ったエフォドは、淫行と偶像崇拝の道具と化してしまいました。旧約聖書におけるエフォドは多様な意味を持っています。必ずしも悪い意味にだけ用いられるのでもありません。しかし、ここでは明らかに偶像と淫行の道具として用いられたことは確かです。ギデオン自身はカナンの風習の危険を自覚していても、彼の家族とその子らは、その自覚がありません。一人の信仰者としては正しくても、宗教教育が家族の一人一人に行き届くまでにいたらないことが多いのです。

その一つにギデオンの結婚問題があります。ギデオンの政治的・宗教的なカリスマ的な指導力の偉大さは、多くの人の敬慕を生み、下心を持つ部族や異教の王たちの政略結婚の申し出を生む原因となり、結果となったと思われます。士師時代もその後のイスラエルの歴史を見ても、結婚問題は偉大な指導者の躓きの大きな原因となりました。

30・31節において、「ギデオンには多くの妻がいたので、その腰から出た息子は七十人を数えた。シケムにいた側女も一人の息子を産み、彼はその子をアビメレクと名付けた」といわれています。これらの子の多くは、異教の妻やそばめによって生まれ、その母たちによって育てられました。指導者としてのギデオンの偉大さと生活の失敗、聖書はこの両方を語ります。

神はこのように欠けの多い人物を用いられます。ギデオンのこのような失敗があったからといって、ギデオンの存在の全てを否定してはなりません。人間というのは、その時代の制約、肉の弱さを持っています。神はそれでもそうした人々を用いつつ救いの御計画と歴史を進展なさいます。神の義と人間の罪をそうして明らかにされるのです。私共もまた、同じ様な弱さを持っていると思います。教会はある指導者の下で成長する日もあれば、衰退する日もあります。これが歴史における現実の姿です。ひとりの人を決して理想化できない、またしてはならないという聖書の警告がここにあります。

しかし、慰めもあります。ギデオンは失敗もしました。しかし、ギデオンは長寿を全うして死んだと32節のみ言葉は語ります。ギデオンもまた、イエス・キリストの贖いによって、罪赦される必要がありました。神の前に完全な人は一人もいません。旧約の偉大な指導者たちの失敗の歴史が、真の救い主イエス・キリストの来臨の必要を明らかにしています。

旧約聖書講解