ヨシュア記講解

11.ヨシュア記11章1節-15節『北部での勝利』

ヨシュア記11章1-15節は、北部パレスチナの全ての町々に対する勝利を記しています。

ここでハツォルの王ヤビンがイスラエルに対抗する連合軍の首領として現れるが、士師記4章にもヤビンが重要な存在であることを示し、シセラの指揮下にあるカナン人との対戦がヤビンと結び付けられています。デボラの歌(士師記5章)では、イスラエルの本来的な敵はシセラであるが、彼はヤビンの将軍であるので、彼の上位にあるヤビンがイスラエルの大いなる敵として初期パレスチナの歴史の中において人々の記憶に残り続けた、考えられる。ヤビンの支配領域であるハツォルは、フーレ湖の南西にあり、紀元前2千年紀の半ばには、既に重要な場所として知られている。マドンはさらに南にありゲネサレ湖(ガリラヤ湖)の西方に位置する。シムオンとアクシャフは地理的には特定できないが、ここにはイスラエルの土地取得を阻止する四つの国の連合軍に関する知識が潜んでいる。士師記4-5章の英雄バラクはナフタリ族の出であり、ナフタリ族は勇敢に先頭に立って戦っている。ヨシュア記11章の素材の原型はナフタリ族の初期の歴史と関係があるものと考えられる。

2.3節は、山地、アラバ(=草原)、即ちゲネサレ湖の南側の低地、そして西方の丘陵地に分かれる。そのあと、西方のドル台地(カルメルの南)の地域の名を上げている。それらの土地に住む六つの民族の名があげられ、その中にエルサレムの原住民エブス人が含まれている。

4節では、馬と戦車を持つ連合軍の圧倒的な軍事力は、イスラエル人に危機が迫ったことを印象ずけています。退去した敵が陣を敷いた戦いの場所は、「メロムの水場」(5節)であった。この地名は、水が豊富にあるワディ メロムで、ゲネサレ湖の北端から約20キロ、ハツォルの南西15キロのところにあります。

その闘いの様子が6-9節に記されていますが、この物語を全体として見た場合、前後関係が正しく説明されていません。そもそも、なぜヨシュアがパレスチナのかなり北方まで来たのか、読者には疑問に感じます。パレスチナ中部の事が全く記されず、南部での対戦はそれ以前の軍事行動と有機的に結びついているのに、湖の北部での戦いはそこに至るまでの過程が欠けています。北部パレスチナでの出来事に関して私たちが手にする伝承は極めて不十分で、ヨシュアが元々この伝承とは、かかわりがなかったことは明らかです。しかし、この伝承がヨシュアと結び付けられている以上、北部での出来事が全イスラエルによる土地の占領として、ヨシュアはイスラエル全体を象徴するものとして描写されています。ここに記されているのは政治的にではなく、神学的に考えられているまさしく本質的な出来事なのです。その闘いのイニシアチブは主が握っておられ、その主権の下にヨシュアが全軍を率いて戦っている。「主が彼らをイスラエルの手に渡されたので、イスラエルはこれを撃ち、大シドンおよびミスレフォト・マイムまで、また東に向かってはミツパ平原まで追撃し、彼らを撃って一人も残さなかった。ヨシュアは、彼らに対して主の告げたとおりにし、馬の足の筋を切り、戦車を焼き払った」(8,9節)ことによってもたらされた勝利にほかならないのです。

10-15節はハツォルの町征服の記録です。カナン北部の戦いを記すこの箇所は、しかし、ハツォルの名だけが記されています。そして、ハツォルだけが聖絶されているのです。その記述は、ヤハウエご自身がこの土地を所有しているのであって、その帰結が聖絶であることを示しています。他の町は破壊を免れ、ハツォルだけが火で焼きはらわれ、13節の「その他の丘の上に建てられた町々」という表現は、これらの町々が破壊を免れ今も無残に残っている、と記す記者の時代の人々が語り草にする程の出来事を映し出しているのかもしれません。

士師記1章33節には、「ナフタリは、ベト・シェメシュの住民、ベト・アナトの住民を追い出さず、その地の住民であるカナン人の中に住み続けた」と記されているので、実際のところは、北部の土地取得は現実に困難であったという記憶がここに隠されているのかもしれません。しかし、ここでもう一度、聖絶の事が14,15節に記されています。

ヨシュア記の記者にとって重要なのは、神の秩序を完遂するための占領として、即ち神に対する従順として土地を取得ができたことを表現することでありました。神がここで決定的な事を人間になそうとしているゆえに、この土地は聖なる領域となるのです。ですから、カナンの土地それ自体が聖であるとか、どこよりも優れているということはできません。聖なる神、わたしたちの命の源である神が、その土地を与えると約束したことを自ら実行し、選びの民イスラエルに与えられたので、このカナン北部の土地取得ができた。そしてその土地は、本来神の所有される土地です。「イスラエルの人々が自分たちのために奪い取った。彼らはしかし、人間をことごとく剣にかけて撃って滅ぼし去り、息のある者は一人も残さなかった」(14節)という言葉は、その戦闘行為において得た分捕り品は、ここでは自分たちのものとして用いて良いという点で、アカンの罪について語るアイ征服とは異なる見解が示されています。「しかし、人間をことごとく剣にかけて撃って滅ぼし去り、息のある者は一人も残さなかった」点に関しては、「聖絶」の定めは実行されたと告げられています。実際がどうであったかについては前述の通り、そのとおりに実現していないこともありますが、イスラエルの信仰の問題として、そのように神に取りはかられるということに従った、という従順が重要であり、そのことがここに記されていることが重要なのです。そして、その実行は、「主がその僕モーセに命じられたとおり、モーセはヨシュアに命じ、ヨシュアはそのとおりにした。主がモーセに命じられたことで行わなかったことは何一つなかった」(15節)、という、主、モーセ、ヨシュアの関係性の中で、カナンの土地取得があるという認識が重要な意味を持つことを教えるためです。「主がモーセに命じられたことで行わなかったことは何一つなかった」という主の言葉への聴従こそが、約束の土地取得においても、取得後のカナンでの主に選ばれた信仰の共同体としてのイスラエルの民の歩みにおいても重要であることを教える神学的な宣言なのです。これは、新約の光で見れば、キリスト・イエスに結ばれた主の民である私たちが、この地上を生きる信仰の在り方を示す言葉であることが分かります。「神の国」は、神の支配の方法を信じ、聴従するものに約束され、そのようなものとして与えられる、そのことを信じることだけが重要なのです。その信仰の中での、私たちの世における戦いが勝利に導かれると約束されているのです。

旧約聖書講解