エレミヤ書講解

12.エレミヤ書7章1-15節 『神殿での説教』

7章1-15節におけるエレミヤの神殿説教は、26章1-6節にバルクの筆によって記録されています。それによると、この説教は「ユダの王ヨシヤの子ヨヤキムの治世の初め」、すなわちヨヤキム王(前609/8年)の即位の際になされたものと考えられます。ヨシヤ王は、治世の第31年にメギドの戦いにおいて戦死し、ユダはエジプトに敗北しました。メギドでヨシヤを撃破したエジプトの王ネコは、前609年の7月から9月にかけて、ユーフラテス川を渡って、バビロン軍と戦いました。この間に、人々はヨシヤの子ヨアハズ(次男)を王位につけました。しかし、バビロンとの戦いを終えて帰ってきたエジプトのファラオ・ネコは、父ヨシヤの政策を推し進めようとしたヨアハズをわずか3ヶ月統治しただけ退位させ、彼を捕らえてエジプトへ送ってしまいました(ヨアハズは後にエジプトで死ぬ)。ネコはヨアハズの代わりに、ヨシヤのもう一人の息子エルヤキム(長男)を王とし、名をヨヤキムと改めさせました。このように、ユダはエジプト人による支配の重圧の大打撃を被って、まことに意気消沈する状態にありました。2節で、エレミヤから、「ユダの人々よ」と、エルサレム神殿に集まった人々が呼びかけられていますが、これは秋の契約祭の時であったと考えられます。この時、エルサレム神殿に礼拝の集った会衆は、まさしく意気消沈せる者たちでありました。ヨシヤ王の神殿改革・宗教改革・復興政策によって覚醒された国民の自由への希求は、新たな敵の脅威のため完全にしぼんでしまっていました。

しかし、エレミヤが神殿で説教を行った時、その祝祭に集う会衆は、前701年のセンナケリブのエルサレム包囲の時と同じように、ヤハウェの聖所に逃げ場を求めて、神殿の不可侵性に最後の望みを託して集まっていました。センナケリブのエルサレム包囲の奇跡的回避は、ユダの人々に、ダビデの血統を引くユダ王国と、主が臨在を約束されたエルサレム神殿は永久に滅びないという間違った確信、迷信を生みました。人々はそのような迷信と期待のもとに、神殿に集まっていました。このとき集まった人々は、臨在を約束される主と、ダビデの王位の永遠性の約束を拠り所に、祭儀を契約どおりに守れば、主は国を守り、ダビデの王国をいつまでも存続するように守ってくれるだろうと期待していました。

エレミヤが向き合った会衆は、そのような間違った望みの中で生きていた人々でありました。3節において、エレミヤは「イスラエルの神」といって、契約の神ヤハウェの名によって神のことばを語っています。エレミヤはヤハウェとイスラエルとの間にある契約関係が何であるかを、この呼びかけによって問題にしています。このとき、エレミヤは民の心を迷信による歪曲から引き離し、契約を再び実効あるものとしなければならない使命を強く自覚していました。

3節後半から8節の説教の最初の部分は、警告と訓戒と約束を含んでいます。 エジプト人による国家存亡の危機的緊急事態に直面しても、神は約束を堅持されます。ただし、神はその約束を、契約に忠実な生活の要請と結びつけて与えておられました。契約に基づく神の救済の業は、あくまでも、契約に発する倫理的要請と結合しています。契約の法が人と人との関係について規定していることを正しく実行することによって、契約社会の間に平和と喜びのある状態が生まれることを、ミシュパート(正義)は要請しています。

4節は、主の神殿に依拠しようとする誤った安心感に対する鋭い批判を向けています。「主の神殿」という語が三度繰り返されるのは、人々が如何に神殿に対する迷信的な信頼を寄せて生きていたかを明らかにする表現です。この言葉の背後には、エルサレムの神殿は、ヤハウエがその名を置くために建てたものであるから、これを異邦人の手に渡して汚されることをお許しになるはずがない。この神殿はエルサレムが永久に守られ、安全であることの保証である、という考えが存在します。エレミヤは、この自己欺瞞の信仰を告発しています。

5-7節においては、契約に基づく宗教的・社会倫理的基本要請をユダの人々が守っていないことを指摘することによって、この契約の基本的要請が何であるかが詳しく述べられています。この要請の基盤とは上述のミシュパートであり、援助を要する弱い立場にある人々への愛です。この要請に対してユダが取る態度によって、災いかそれとも救いかが決定されます。エレミヤがここで民に語る内容は、すべて契約の中で繰り返し語られてきたものであり、民によく知られていたはずのものです。エレミヤはこの契約の基本的あり方から出発して、事態の正しい展望を回復しようと努めています。

8節において、エレミヤは「主の神殿」と呪詛的に唱えることばには救う力がないと言明しますが、彼自身は、神には赦しの用意がある、という信仰を持っていました。そのことは26章3節の「彼らが聞いて、それぞれ悪の道から立ち帰るかもしれない。そうすれば、わたしは彼らの悪のゆえにくだそうと考えている災いを思い直す。」という言葉を明らかにしています。契約による神の恩恵の約束は「永遠に」変わりません。その約束は、価値のない「むなしい言葉」とは違って、信頼にたるものです。誤った信頼に対する警告の反復は、神の契約に基づく約束こそが真に信頼に足るものであるとの動機づけに支えられてはじめて、その重みを得ることになります。

9-10節は、十戒を引き合いに出しながら〔第7、5、6、2戒、(8戒)〕、叱責の言葉によって、「神の前」に集まった会衆が様々に神の要請に違反したことが問いの形で非難されています。これらの戒めに反する行為は、契約法の最も基本となる信仰のあり方を破壊するものです。ですから、このような民の背きが、どうして神の臨在と神の御名の啓示によって聖められたエルサレム神殿における契約の祝祭と調和しうるのか、あるいはまたどうして異教の神々への背信の罪を犯しながら、危機的状況の中で救済を確信し「救われた」と思い違いをするのか、という問いによって彼らへの非難がなされています。

エレミヤが全身の力をこめて強調するのは、信仰と倫理的要請を満たすこととは不可分の関係にあるということです。このエレミヤの立場は、他の預言者たちと軌を一にしているだけでなく、契約の基本とも一致しています。主イエスの山上の説教はその立場を旧約聖書から受け取り、一層強化し深めたものです。この要請を破っている彼らは聖なる神殿を汚していました。エレミヤは、彼らの神殿への信頼は、まるで強盗の巣窟のようだと指摘し、お前たちには見えるのかと問い、主は「そのとおり。わたしにもそう見える」(11節)という主の言葉を告げています。

主イエスは宮きよめの際(マタイ21:12以下)、エレミヤ書7章11節を引用し、エレミヤと同じ判断を下し、「祈りの家」(イザヤ56:7)という言葉をこれと結びつけられました。確かに、神殿はイスラエルに恵みの手段として与えられたものです。それは日々の礼拝の場所であり、祈りの家です。そこにおいて行われる祭儀を通して、罪人は神との交わりを赦され、神の前に立つことができます。しかし、神殿本来の目的が曲げられ、悪用される時、ヤハウエはこれを「恩寵泥棒」として、その者を扱い、その者にそれにふさわしい御怒りを現せられます。

しかし、エレミヤが聖所を強盗の巣窟になぞらえたことは神殿冒涜と人々に受け取られたに違いありません。だとすれば、12-15節でシロの聖所の運命がこのエルサレム神殿をも見舞うであろうというエレミヤのことばは、それにもまして激しい憎悪の対象にされたに違いありません(26:7以下参照)。

シロは初期の時代にイスラエル12部族の中央聖所として建てられ、そこはエルサレムの主の神殿の前身としての役割を果たしていました。ところが、その神殿は、おそらくペリシテ人によってであると考えられていますが、瓦礫の山と化してしまっていました。救済史の伝統に立つ共通した評価は、シロの破壊は神の民の「悪」に対する神の罰と見ています。エレミヤはその伝統的な立場に立ってこれを見ています。

13-14節、神は祭儀が行われる場所・空間に拘束されることなく、むしろ、神の聖なる意思に民が拘束されていることを明らかにしています。ヤハウェには、シロの聖所を破壊されるままに任せる自由と権限とがあります。それと全く同じように、ヤハウェは、人々が悪行の隠れ家までに堕落させたエルサレム神殿を同じ運命に引き渡すことによって、罰すると主は言われます。主は善意からでる警告や訓戒を一度も欠かしたことはありません。契約祭儀において繰り返し民にそのことを明らかにされます。それゆえ、預言者の口を通して告知され、説明され、強調された神の呼びかけに民が耳を貸さずに、これを聞き流し続けたとすれば、その責任はただ民にのみあります。
15節において、エレミヤは、この訓戒に耳を塞ぐ民に、「お前たちをわたしの前から投げ捨てる。」と神の最後通諜を告げています。イスラエルの選びは、誰からも拘束されずになされる一方的な神の憐れみ、自由な主権的な業としてなされました。同じように、この民を神がご自分の面前から「投げ捨てる」ことも出来るのだ、という重大な示唆を含めてこれらの言葉は語られています。

この説教は、ヨシヤ王の死の年になされています。それは、その治世の第31年目に当たります。ヨシヤ王の治世の18年目に開始された宗教改革は、ヨシヤ王の死の年まで続けられていたと考えられます。だとすれば、王が率先した改革はユダの人々の心を根本的に変えるところまで至らなかったことを、エレミヤの神殿説教は明らかにしています。それは、一方で、エルサレム中心の祭儀を確立しましたが、他方で、人々の神殿に対する迷信的な信頼を助長するものとなり、祭儀を悪用して、契約の法そのものをないがしろにする態度を産むに至りました。エレミヤはヨシヤ王の改革を高く評価し、その改革事業に心から同意しましたが、それは不徹底に終わったといわざるを得ません。エレミヤがなぜこのような厳しい批判を、ヨシヤ王の死の直後に行なわねばならなかったのか、それは、エルサレムの腐敗の本質をエレミヤが見抜き、それを重大で看過し得ないものとして見ていたからです。しかし、26章6節以下に、これを民が聞き流してしまったことが記されています。自らの誤った信仰を侮辱されたと感じた祭司たち、預言者たち、そして国民大衆の憤りは、エレミヤを神冒涜のかどで咎めて、彼の死を要求するに至りました。本当に神の言葉に聞かない神礼拝と、預言者の語る審きと救いの言葉に耳を傾けない民は、そのことによって既に預言者を殺し、神を殺しています。そして、自らの死を不可避なものとしてしまっていることにさえ気づいていません。ここに一番大きな罪の悲惨な姿があります。エレミヤはその罪の本質を見抜き、その罪がもたらす悲劇的結末を厳しく警告しています。わたしたちもそうはなっていないか、自らを検証する言葉として、エレミヤの言葉を絶えず聞く必要があります。

旧約聖書講解