イザヤ書講解

27.イザヤ書38章1-22節『ヒゼキヤの病気とその回復』

ヒゼキヤの病気とその回復を述べるこの章は、列王記下20章1-11節から取られていますが、そこにはない「ヒゼキヤの感謝の歌」が9-20節に含まれています。

ヒゼキヤの病気になった時期が、「そのころ」と漠然と記されていますが、それは前701年頃のことだと考えられます。それは、36章1節に記される「ヒゼキヤ王の第14年」、アッシリアのセンナケリブによるエルサレム包囲の直前のことであったと考えられます。そのころ、ユダは政治的には小康状態を保っていました。父アハズ王のとき以来、アッシリアはユダに重い朝貢を課していました。そのためヒゼキヤは、即位とともにアッシリアの影響からの脱却を求めました。また、父アハズによって強められた異教的要素を一掃しようと、国内的にも大改革を進めていました。ヒゼキヤのこうした政策は、アッシリアとの関係においても、国内的にも、緊張を高めることになりました。ヒゼキヤは預言者イザヤの忠告によって、親バビロン派や親エジプト派とも一定の距離を置かねばならなくなりました。このような心労の続く状況の中で、ヒゼキヤは肉体の健康を害していきました。それに加えて、センナケリブによる進攻の気配があったとすれば、いっそう心身を打ちのめす苦悩となったと思われます。ヒゼキヤは、その重い病気の故に死にかかっていました(1節)。

イザヤは、ヒゼキヤの病床を訪ね、神の意思を告げました。それは死の宣告でありました。そして「家族に遺言をしなさい」とイザヤは告げました。それは、ヒゼキヤにとってまことに致命的とも言うべき命令でありました。

人はただ一度生きまた死にます。その命は神の御手にあり、神のご計画の中に置かれています。それ故、人は神のご意志にしたがって生き、また死ぬほかありません。しかし、人はその死に臨んで人生の見るべき成果を見ることができなければ、誠実に営んできた働きに深い虚しさを感じます。使命感を持ってやり遂げようとして始めた課題を途中にして世を去らねばない辛さは、死ぬに死ねないという思いを残します。

ヒゼキヤ王の悲哀はここにありました。ヒゼキヤはこのときまだ39歳でありました。ヒゼキヤは、「顔を壁に向けて、主に祈」り、大声で泣いて、主の目によいことをして生きた者がなぜ去らねばならないのかと、その理不尽さを訴えました。ヒゼキヤの訴えは真実です。しかしまた、そこにヒゼキヤの罪の問題も潜んでいました。彼は主の前に敬虔であり熱心でした。しかし、その敬虔で熱心であったことが、自ら神の前に多くの善を行ったと誇る罪の虜に彼の心は支配されていました。このようなヒゼキヤの心は打ち砕かれねばならなかったのです。

見よ、わたしの受けた苦痛は
平和のためにほかならない。
あなたはわたしの魂に思いを寄せ
滅びの穴に陥らないようにしてくださった。
あなたはわたしの罪をすべて
あなたの後ろに投げ捨ててくださった。(17節)

このように告白できるまで、ヒゼキヤのおごりは打ち砕かれねばならなかったのです。しかし、主の審きと救いの言葉は、「苦難を通しての感謝」を呼び覚まします。イザヤを通して神は語ります。「あなたの父祖ダビデの神、主」についてイザヤは語ります。その神は、ダビデの「善」を評価する神ではなく、「罪」あるダビデを憐れみ、赦したもう神です。ヒゼキヤの祈りを聞き、涙を見た神は、「見よ、わたしはあなたの寿命を十五年延ばし、アッシリアの王の手からあなたとこの都を救い出す。わたしはこの都を守り抜く」(5,6節)と告げられています。ヒゼキヤはここで、その善をも含めて自分の生全体が神のものであり、その齢を決定するものは主であることを知らされました。いつしか自らの「聖なる事業」を誇り、自らの企てによって事柄はなると奢り高ぶる者を、主は「病気」をもって警告を発しておられました。しかし、この主の警告をヒゼキヤは気に掛けていなかったのです。

アッシリアに対する政策においても、ヒゼキヤは緊迫する状況の中でエジプトの援助を期待したり、バビロンへの接近を画策する動きに揺さぶられながら、「アッシリアの王の手からあなたとこの都を救い出す」(6節)と言われる主のことを、ヒゼキヤは忘れていました。主は、人の一生を決定し、歴史を支配しておられるお方であります。ここでもまたヒゼキヤは、ユダの運命を導くものは自分ではなく、主であることを悟らされたのであります。病気の原因となったヒゼキヤの初期時代の不安は、歴史の主に対する不信仰以外のなにものでもありませんでした。ヒゼキヤの父アハズに対して、イザヤはシリア・エフライム戦争のとき、「信じなければ、あなたがたは確かにされない」(7章9節)との主の御旨を告げていましたが、それは、ヒゼキヤも聞かねばならない使信でありました。

ここでもまた「父ダビデの神」として自らを啓示されるお方は、その哀れみの故に、自らユダとエルサレムの守護者となられることを宣言しておられます。そしてその約束は、前701年のセナケリブのエルサレム侵攻に際して、奇蹟的な救済として実現します。

主の言葉は現実的であり、事実を残します。主が語りたもう時、必ず新しい事実が生じます。言葉によって世界を創造された主は、その言葉を持って新しい歴史を開かれます。イザヤは「干しいちじくを持ってくるように」(21節)にと命じたので、人々はそれをヒゼキヤの「患部」につけたのでいやされた、といわれています。

この癒しの確かさを示すために与えられた主からのしるしは、「アハズの日時計を十度あとに戻す」というものでありました。「日時計」は、原語では「階段」(マハロ-ス)です。アハズがソロモンの神殿の西側に設けた王の入口の階段を指したものと思われます。ですから「十度」とは「十段」のことです。これが日時計として用いられていたのでしょう。十段日影を後退させるという奇跡は、ヒゼキヤの命を十五年延命させるという奇跡を確信させる出来事として起こります。日を後退させることは通常では起こりえない奇跡に属します。その奇跡はあくまでも恵みの「しるし」であります。ですからその「しるし」によって告知されたヒゼキヤの延命もまた、神の恵みの奇跡に属します。

ヒゼキヤはこれらすべてを聞かされて、新しき歌を歌い始めました。その歌は苦悩から救いを与えられたものの感謝の歌であります。神はヒゼキヤの奢り昂ぶりを挫くために苦悩を与えられました。ヒゼキヤは神の恵みに触れてその事を知らされたのであります。それ故、ヒゼキヤは自らの苦悩の日々を、15-16節において次のように総括することができました。

わたしは何と言えば答えてもらえるのか
そのようなことをなさる主に。
わたしは心に苦痛を抱きながら
すべての年月をあえぎ行かねばならないのか。
主が近くにいてくだされば、人々は生き続けます。
わたしの霊も絶えず生かしてください。
わたしを健やかにし、わたしを生かしてください。

ヒゼキヤの苦悩の一切は、それを憐れみたもう神の恵みの下に置かれています。人は意味なく苦しみを耐えることができません。その苦しみの意味を知るとき、耐える力が与えられ、生きることができます。ヒゼキヤは、苦しみを与え、また癒すことのできる神を知りました。それ故、「わたしを健やかにし、わたしを生かしください」と祈ることができました。「見よ、わたしの受けた苦痛は、平和のためにほかならない」(17節)と祈ることができました。ここに新しい命の光に照らされた者の祈りの言葉があります。

ヒゼキヤの癒しは、主なる神の罪の赦しと結合しています。神は単にヒゼキヤの延命を実現されるだけではありません。ヒゼキヤは自らの延命の約束とともに、エルサレムの救済の約束を聞きました。それ故に、ヒゼキヤはいっそう深く自らの罪を知らされ、「主が近くにいてくだされば、人々は生き続けます。わたしの霊も絶えず生かしてください。わたしを健やかにし、わたしを生かしてください。」(16節)「あなたはわたしの魂に思いを寄せ/滅びの穴に陥らないようにしてくださった。あなたはわたしの罪をすべて/あなたの後ろに投げ捨ててくださった。」(17節)と告白するように導かれたのであります。神は人の命を支配し歴史を支配しておられるお方であり、ご自分の民を導き救うお方であります。

ヒゼキヤとエルサレムの救いは、常にこの主なる神を知り、このお方に祈り求める者に与えられる恵みとして示されているのであります。

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