イザヤ書講解

17.イザヤ書22章1-14節『エルサレムの罪』

イザヤ書22章1-14節は、諸外国への託宣集(13-23章)の中に置かれている独立した預言です。表題の「幻の谷」については、5節に言及されていています。「幻の谷」がエルサレムを指しているのか、バビロンを指すのかについては議論があるところです。後で述べますが、5-11節は、バビロンが陥落する時期に21章との関連で書き加えられたという注解者の意見もあります。しかしこの箇所の根底にあるのは、イザヤ自身が701年に語ったエルサレムの支配階級に対する怒りの言葉であるといわれています。その意味でやはりこの箇所は、「エルサレムについての託宣」であるといえます。ではなぜ、「エルサレムについての託宣」が「諸外国への託宣集」の中に入れられたのかが問題です。ある注解者は万軍の主に聞き従わないエルサレムを、諸外国と同じ神の審判の下において、「エルサレムの住民の不信仰を責める」ためであると理解しています。この預言は、終末的審判を視野に入れていますので、「世界の中のエルサレム」の問題を読者に悟らせようとしているのかもしれません。

この預言は、少なくとも1-4節と12-14節の部分はイザヤのものであることに間違いありません。イザヤがここで関与した事件は前701年におけるエルサレムの破局です。旧約聖書中、この事件に対応するのは列王記下18章13節以下です。

アッシリアの王サルゴンが前705年に死ぬと、アッシリア帝国ではいたるところに反乱が起こりました。メロダク・バラダンのもとで、バビロンはアッシリアから独立を遂げ、ユダの王ヒゼキヤは、好機到来とサルゴンの後継者センナケリブに対して、アッシリアへの従属関係を破棄し、貢納の拒否を通告しました。ヒゼキヤはまた、アハズがエルサレムに導入することを強いられたアッシリアの国家礼拝などを排除し、カナンの地方聖所を廃棄させた為、列王記の著者から限りない賞賛を受けることになりました。しかし、イザヤはこのヒゼキヤの行動に、明らかにそれとは異なる評価を行なっています。

ヒゼキヤは、バビロン、エジプトと結び、南パレスチナ諸国による反アッシリア同盟の盟主となりました。また、ヒゼキヤはエルサレムの防備を補強し、ギホンの泉の水を守られた水路を通して町へ引くために、シロアムの水路を掘りました。

しかし、このような反アッシリア運動の動きをセンナケリブがいつまでも放置するはずがありません。センナケリブは東方の反乱を制圧したあと、前701年に、シリア・パレスチナの反乱軍に向かって進撃しました。センナケリブはアシュドド、モアブ、アンモンを屈伏させて、また北上してきたエジプト軍を撃退し、アシュケロンとエクロンを制圧し、ユダの全地に浸入して、46の町を征服しました。その中には、当時、ユダ最大最強の要塞であったラキシュも含まれていました。そして、センナケリブはエルサレムをも包囲しました。

ヒゼキヤは、その王国の大部分を失い、その精鋭軍隊を引き渡し、加えて神殿宝庫と王室金庫から、巨額の金品を賠償として差し出さなければなりませんでした。王女たちや宮廷の女たち、さらに男女の歌い手までも渡され、ニネベに連れていかれました。

アッシリアの年代記、センナケリブ王に関する碑文は、ヒゼキヤ王がエルサレムの王宮に籠の鳥のように閉じ込められ、捕虜にされた者の数が20万人を越えたことを示しています。列王記下18章13-16節の記事は、大体においてアッシリアの年代記と一致しています。

この時、ヒゼキヤ王に残されたものは、ダビデの私有地であったエルサレムだけでありました。イザヤはそのときの状況を、1章8節で「そして、娘シオンが残った/包囲された町として。ぶどう畑の仮小屋のように/きゅうり畑の見張り小屋のように」と記しています。

この「幻の谷についての託宣」は、かろうじて戦争と包囲の危機から解放されたあとのエルサレムの町を見て、語られたイザヤの言葉です。しかし、戦争の包囲の危機から解放された町から、反省と懺悔の真剣な声は上がらず、この度も助かった者たちの浮かれた喜びが町を覆っていました。町を挙げて狂喜する中に、ひとりの男が離れて立っています。それは、預言者イザヤです。イザヤは公開の場で、死者の嘆きをするようにして呼ばわります。エルサレムのことを、擬人的に乙女と表現しつつ、浮かれた喜びの理由を、次のように人々に問います(1,2節)。

 どうしたのか、お前たちが皆、屋上にいるのは。
騒音に満たされ、どよめく都/喜びに浮かれた町よ。

続く2節後半と3節の描写は、14節に見られるような将来の破局のことではありません。包囲の際の出来事を回顧し、その事に言及することによって、聞き手に、人々の行動の的外れなことを自覚させようとしています。一体、彼らの歓声は、兵士たちの不面目な死と指導者たちの臆病な逃亡のことを省みているのだろうか。数週間前のエルサレムの戦いで死に見舞われた者たちは、戦って倒れたのではなく、包囲された町から逃亡を企てて捕らえられ、包囲したアッシリアは籠城する者に降伏以外に道がないことを示すための見せしめとして処刑したのです。ヨルダンを通ってアンモン人やモアブ人のところまで逃げおおせた者もなく、またユダの地、アラバを通ってエドムまで達した者もいません。逃亡を試みた役人たちや高い身分の人達は戦闘を交えることもなく降伏しました。逃亡した者の誰も遠くへ行かないうちに捕らえられ、枷をはめられ処刑者の刃で殺されるために連れ戻されました。そして、ある者はアッシリアに捕囚として連れていかれました。包囲された町の完全な軍事的敗北がこうして語られています。

そして、イザヤは人々に一つの要求を突きつけています。それは、人々が彼から目をそらすことです。狂喜するエルサレムの中で、預言者イザヤはただ独り、激しく泣きます(4節)。ここでのねらいは、心の引き裂かれた預言者を慰めようとつとめる者たちを本当に遠ざけてしまうことではなく、敗北の結果としての不幸の大きさを人々にはっきりと示すことにありました。イザヤはエルサレムの人々が、まだこれを測りえないと見ています。エレミヤ哀歌1章の嘆きの歌などでは、悲しむものを慰めるもののいないことが嘆かれていますが、ここでは、慰めるかもしれない者があらかじめ拒否されています。このような仕方で、王国の住民の破滅についてイザヤが発言しなければならなかったことに、かえって人々の注目を向けさせる効果がありました。

5-11節は、前587年のバビロンによるエルサレムの町の陥落と捕囚によってもたらされた破局の中にあっても、依然主の御手は認識されうることを、生き残った人々に向けさせようとする後世の著者による書き加えだと言われているところです。しかしそのように書き加えられた部分が、701年のセンナケリブによるエルサレム包囲の出来事と関連させて述べられているとすれば、それは、次の理由によると思われます。

バビロンによるエルサレム滅亡は、エルサレムの人々が王の武器調達に信頼して、次第につのる危機の背後に主の御手を認め、神がイザヤを通して以前から迫り来る破局を告知していたことを考えなかったためだということを、明らかにするためです。特に、11節は、センナケリブの攻撃に備えた、ヒゼキヤの水道工事との関連で、その様な十分な備えをしても、国の崩壊を防ぎ得ないことに皮肉をこめて語っています。

二つの城壁の間に水溜めを造り
古い池の水を入れた。
しかし、お前たちは、都を造られた方に目を向けず
遠い昔に都を形づくられた方を
見ようとしなかった。

都を形作られたのは、主なる神です。そして、この方に「目を向けない」という事は、この方が遣わす預言者の言葉に耳を傾けない結果としての悲惨な結末を招く原因となったことが鋭く指摘されています。

12-14節には、エルサレムの赦されない罪について語られています。1-4節で示された預言者の悲しみの根底にあるのは、現に起こったことではなくして、その民に臨む運命についての彼の知識です。何故なら、民は彼らの経験した敗北によって、はっきりと語られる全能の神の声を聞き逃しているからです。神は、彼らの経験した悲惨な敗北によって、悔い改めを呼びかけておれるのに、民は耳を傾けず、その代わりに束の間の喜びに身を委ねているからです。

彼らはイザヤの告げる主の審判告知を聞き流していました。今、民は喪に服し悔い改めを表して神に赦しを乞うために、泣き、嘆き、頭を丸めて、荒布をまとうべきであるのに、彼らは浮かれた喜びに支配されていました。牛や羊がほふられて、喜ばしい祝祭のように飲み食いに費やされました。13節後半の「食らえ、飲め、明日は死ぬのだから」という言葉を、パウロはコリントの信徒への手紙一15章32節で引用しています。死は確実に到来するので、その前に人生を楽しみつくそうという考えは、神の審きと救いを知らない人類に共通するものです。勿論、イザヤは違う考えを持っていましたし、エルサレムの人々もそうでなければなりませんでした。彼らは神の選びと契約の交わりに生きる民であったからです。

しかし、彼らは神を歴史の主として認めていません。そのような彼らを神は打ち砕き、悔い改めさせ、ご自身に人々の心を向けさせ、その命令に従わせようとされます。しかし、人々がその挫折において神の呼びかけを聞き流してこれを行わなければ、神はもう一度、そして最後決定的な審きを下されます。それゆえ現実を支配する主の言葉がイザヤの耳に鳴りひびきます。それは、神御自身による厳かな誓約である故に、悔い改めようとしない者の不義とその罪は、死によって償われるほかありません。このように、イザヤの目には、前701年の出来事は、来たらんとする南ユダ王国の破局の前触れとしてだけ意味を持ちました。民は己を打ちたもう方に立ち帰る最後の機会を捉えなかったからです。

そして、今日、イザヤのこの使信を聞くわたしたちに、同じ問いが突きつけられています。既に示されているイスラエルの大破局は、神の御言葉に聞き従わなかった者の最後を示す前触れであると同時に、わたしたちが一時の平安を異教の民のように貪り、神への背信を示すなら、その大破局は自らのものとなります。

しかし、裁きは救いでもあります。悔い改める者に主イエス・キリストの復活の命が約束されています。その意味で、パウロが復活のメッセージを語る中で、13節の言葉を引用している意味は計り知れなく重いものがあります。

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