ホセア書講解

1.序(ホセア書1:1)

①ホセアが生きた時代の情況

ホセアは、北王国イスラエルから出た唯一の記述預言者で、ヤロブアム二世(前787年-747年)の治世の終わり頃からホセアの預言活動は始まる。それは、北王国最後の繁栄の時代で、ホセアはそれを体験した。ホセアはイエフ(エフー)王朝の最後の目撃者であり、それを自分で予言している(1:4)。ヤロブアムの子ゼカリヤの暗殺(前747年)に続く、王の殺害と血なまぐさいテロを伴った革命の時代を深い関心を持って追求している。1章1節には、北王国イスラエルの王の名はヤロブアムだけが記され、彼に続く王の名が記されていないのは、政治的混乱で王が相次いで変わり、しかもその王たちが主なる神によって任命された正当な王と認められなかった簒奪者たちであったからであろう。ヤロブアム二世の死後、ゼカリヤ、シャルム、メナヘムが相次いで王となり、メナヘムが数年治めた後、ペカヒヤ、ペカ、ホシェアが王となった。その内、ゼカリヤ、シャルム、ペカヒヤ、ペカの四人の王は殺害されている。そして、ホシェア王の世に北王国はアッシリアによって滅ぼされた(列王下17:1-6、18)。まさに、この時代は政治的混乱の時代であり、クーデターの時代であった。預言者ホセアが活動した時代はこの混乱した時代で、前750年頃から、アッシリア軍がサマリアを包囲する前725年頃までだと、一般に考えられている。

この時代、イスラエルの運命を決定的にしたのは、アッシリア大王ティグラティピレセル三世(前745-727年)の征服計画であった。アッシリアとの様々な関係については、5章13節、7章11節以下、8章9節、10章5-6節、12章2節に反映している。

シリア地方の諸国、とりわけアラムとイスラエルは、アッシリアの脅威を除くため、反アッシリア同盟を結び、前733年いわゆるシリア・エフライム戦争で、同盟を呼びかけても応じようとしないユダに対して共同して戦いを仕掛けた。この試みは、5章8節から6章6節に反映している。戦いを仕掛けられたユダの王アハズは、こともあろうに、同盟軍がもっとも恐れていたアッシリア王に助けを求めた。アッシリア王は、733年、エルサレムを解放し、次いでアラムを攻撃し首都ダマスコを前732年に滅ぼした。

このため、イスラエルは、南はユダから、北からはアッシリアから脅かされることになった。イスラエルはあわててアッシリアと交渉して全面降伏したが、国の大部分であるガリラヤと東ヨルダン地方をアッシリアに奪われ、かろうじて首都サマリアを取り巻く山岳地帯を残すだけとなった。

イスラエルの最後の王ホシェアは、ティグラティピレセルの死(前727年)に至るまで、アッシリアの主権の支配に反抗もせずに受け入れた。しかし、その王位の交代と共に、ホシェア王は恐らくエジプトの唆しを受け、また、いまや解放の時が来たと信じた国民の圧迫もあって、貢納を止めてアッシリアへの服従を放棄した。ティグラティピレセル王の後を継いだシャルマナセル五世(前727-722年)は、ホシェア王を捕え、アッシリアに連行し処刑した(前724年)。しかし首都サマリアはその後3年間抵抗を続け、前721年(722年)、シャルマナセルの後継者サルゴン(前722年-705年)に征服され、破壊されてしまった。

預言者ホセアはこの没落の大部分を一緒に体験したと思われる。もっとも、サマリアの陥落について、はっきりと予言した言葉は全く伝えられていないので、ホセアが本当にイスラエルの没落の目撃者であるかどうかは、確実には言えない。いずれにせよ、ホセアの主な活動は、前750年から725年の四半世紀に及んでいることだけは確かである。

②預言者ホセアとホセア書

ホセアという名には、「ヤーウェは救う」、「ヤーウェは救い」という意味がある。同名の人物は他にも聖書に数人でてくる。ホセアとほぼ同時代を生きた北王国イスラエルの最後の王ホシェアもそのひとりである。

ホセアは北王国イスラエルの生まれである。しかし、その身分については、父の名がベエリということと、1章と3章に彼の結婚とその三人の子について語られているだけでその他のことは、何も知られていない。

ホセアの苦い結婚の経験は、神の愛と人間の本質について透徹した認識に至らせる架け橋となっている点で、決定的な意味を持っている。ホセアの使命は、絶対に滅びることのない神の愛を告知することであった。

神の愛は、エジプトに始まるイスラエルの歴史の当初から、父子愛の姿を取っていた(11章)。それは、欺かれた愛として、しばしば恐るべき神の審きが待ち受けていたが、それはまた教え導く愛として、男女の愛に象徴化されて、審きを越えた彼方に新たな将来を指し示していた(2章)。人間は、この神の愛に対して、神に深く心を捧げて積極的に愛をもって応えるよう促されているのである(4:1、6:6)。

このようにホセアは神について、また神と民との関係について内面的に深く捉えた預言者であった。ホセアは、主とイスラエルの契約とその愛の視点から、鋭い目をもって、カナンの農耕文化とカナン宗教の豊穣儀礼の受容、殊にバアル宗教への信仰の形態を変えることを、イスラエルの堕落と認め、それに対して淫行と姦淫と呼んで厳しく断罪した。ホセアは、王国の歴史、国内での失政、さらに外国との同盟策に、その罪と失敗を見ている。

ホセアが行った歴史の徹底的批判から一条の光がその将来に射すのを人は見ることができる。その光は道が一つしかないことを指し示している。つまり、荒野に帰り、そこでイスラエルと神との関係が未だ親密であった頃から、救いの歴史を新たに把握する、ということであった。救いというのは、神の悔い改めと回心の呼び掛けが先立ってある。決して人間の悔い改めの行為の結果ではない。それは、どこまでも神の愛の賜物である。その救いが明らかにされるところで、人間の本質とは異なる、神の聖性の本質が明らかにされる(11:9)。

旧約聖書講解